『奇跡のkey』
第九話 〜奇跡への一日目、子狐と後輩(前編)〜
私は、今思えばとても残酷な願いを相沢さんに課してしまったのかもしれない
『相沢さんは強いお方です…………私と違って』
『どこがだよ…………俺は弱い。守りたいものも守れなかった。あいつらの笑顔を守れなかった…………!』
それでも私は相沢さんまで失いたくはなかった
『それでも貴方は最後まであきらめなかった…………最後まで奇跡を信じつづけていました』
だから、相沢さんを見捨てることが出来なくて
『信じることを諦めて笑うことさえ忘れてしまった私をまた、微笑ませてくれました。
人の環に入ることを恐れていた私に人の心の温もりを教えてくれました』
少しでも相沢さんの側にいたくて
『何でだよ…………何でこんな俺に優しい言葉なんてかけてくれるんだよっ…………』
相沢さんの笑顔がまた見たくて
『全て、事実だからです。悲しかった出来事も事実なら…………貴方が私を救ってくれたこともまた、事実ですから』
それは私の願い
『だから…………』
『私も強くありたい…………相沢さんのそばにいたいから』
「俺の考えが間違っていなければ…………ここにいるはずだ」
あゆの言葉を聞いて思い浮かびあがった場所
『うんっ。あのね、なくし物は一番最後にそれを持っていった場所にあることが多いんだって』
すなわち大事な何かと『別れた』場所
自分が真琴と別れ、彼女が大切な人と別れた場所
その場所に彼女はいる
それはここ―――――ものみの丘のはず
そう考えて祐一は再びここに戻ってきたのである。
だが…………
「いないのか…………?」
人がいる気配はなく、ただ、風がそよいで緩やかに草木を揺らしている。
そして、夕陽は沈み夜を迎えようとしていた。
祐一の焦りはつのる。
「一体どこに…………ん? あれは…………」
そんな時、近くの茂みが微かに揺れた。
祐一は何かいるのかと思いその茂みに近づく。
ガササッ―――――ピョコン
と、何かが飛び出てくる。
飛び出してきた小さなシルエット、それは
「うわっ! ってこ、子狐?」
「くぅ〜ん」
子狐は祐一の側に寄ってくると祐一の匂いをかぎ、そして、安心したように体を擦り付けてくる。
そこで祐一はこの子狐に見覚えがあることに気付く。
「まさか…………真琴……なの…………か?」
「くぅ〜ん」
肯定の意を示すように可愛らしく鳴く子狐。
しかし、祐一がその真琴と思われる子狐をその手に抱こうと近づくと、子狐ははっと何かに気付いたかのように
祐一の手をすり抜け別の場所へと駆け出す。
「お、おい待ってくれよ!」
嫌われたのかと困惑する祐一だったが、真琴は祐一の方を振り返りつつ駆けていた。
それはまるで祐一をどこかへ誘導したがっているように見える。
祐一は慌てて真琴の後を追う。
「はぁ、はぁ。いきなりどうしたんだよ真琴…………」
息を切らせつつも何とか真琴に追いつき、捕まえて抱き上げる祐一。
しかし、真琴は祐一ではなく別の方向を向いていた。
何だろうと思い祐一も真琴の見つめる方向を見た。
そしてその視線の先には…………
「あ…………そうか、俺を案内してくれたのか。ありがとうな、真琴」
祐一は真琴を地面に降ろすと真琴の頭を軽く撫でる。
そして、視線の方向へと歩き出す。
「さて、ここからは俺の仕事だ…………後で鯛焼きやるからここで大人しく待っててくれ」
「くぅん」
歩きながら真琴の方を振り返って微笑む祐一。
真琴はそれにひと鳴きすることで答えるのだった。
「よぉ、こんな時間に子供がこんなところで一人でいるなんて感心しないな」
「…………誰ですか、貴方」
さして警戒心のないような、それでいて凛とした声で少女―――――天野美汐は祐一に返事をした。
「俺は見ての通り怪しい者だよ。で、君は何をしていたんだ? まさか一人でお月見って訳じゃあないんだろう?」
「貴方には関係のないことです」
祐一の質問に、すぐさま返事を返す美汐。
祐一はその姿に未来の彼女を思い出し、少し苦笑する。
美汐はそんな祐一の態度にむっときたのか少し不機嫌そうに口を開く。
「何がおかしいのですか」
「いや、君を見ていたらちょっと知り合いを思い出してね」
「だからといって人のことを見て笑うなど失礼ではありませんか」
「…………そうだな、すまない」
申し訳なさそうに頭を下げて謝る祐一。
七年後の美汐であればそれが演技であることを見抜いただろう、
しかし、まだ幼かった彼女は祐一が自分の言葉によって気を落としてしまったように見えてしまい慌ててしまう。
「あ、あのそんなに申し訳なさそうにしないで下さい。その、私も少し言い過ぎました」
「いや、俺が君の気持ちも考えずに軽率なことをしたせいで君に不愉快な思いをさせてしまった」
「そ、そんな…………」
「謝って済む問題とは思えないが…………許してもらえないか?」
「ゆ、許します、許しますから顔を上げてください」
そう美汐が言うと祐一はすぐさま顔を上げ、そして美汐の瞳を覗き込むようにじっと見つめた。
「あ、あの…………?」
いきなり顔を見つめられ困惑する美汐。
男の子にこういうことをされるのは初めてなので落ち着けずにそわそわしてしまう。
更に祐一は整った顔をしているのでそういうことに疎い彼女も流石に照れが生じ、動揺を隠せない。
「やっと、目を見てくれたな」
「え、えっ?」
その祐一の言葉に美汐は自分が騙されていたことを理解する。
しかし、彼女は祐一を怒れなかった。
それは祐一の真剣な瞳を直視してしまったから。
「どうして…………?」
「君が心配だったから、ではいけないか?」
「…………」
「一般常識うんぬんで心配というより、君の雰囲気って言うか…………そう、悲しげなところが気になってね」
「…………」
「だからだよ」
美汐は困惑してしまった。
自分にとっては大切な存在と別れた聖域ともいえる場所に突如現れた少年。
普通なら不愉快になったり不安になったりするものだがそういった感情はどちらも感じることはなかったのだ。
いや、それどころか目の前の少年に親しみすら湧いてくる。
だからかもしれない、美汐は気がつけば口が開いていた。
「…………天野、美汐」
「…………え?」
「私の名前です、好きなように呼んで下さい」
「そうか、じゃあ俺のことは祐と呼んでくれ。俺は美汐と呼ばせてもらう」
「わかりました」
「…………それで? 美汐は何をしていたんだ?」
再度問う祐一。
美汐はやや顔をうつむかせ、祐一に顔を見せないようにしていた。
「…………友達を、待っているんです。私の、一番の友達を」
「そうか」
「ずっと待っているんです、でも…………あの子は私のもとに戻ってこないんです」
震える声で喋りつづける美汐。
しかし、祐一はそれを止めようとはしなかった。
「戻って、来ないんです…………」
「…………なあ、一つ、昔話をしてやるよ」
「え?」
突然の祐一の言葉に驚く美汐。
しかしそんな彼女をよそに祐一はゆっくりと語り始めた。
今は彼の心を傷つけるだけになった思い出を。
けれどもそれ以上に大切な思い出を。
「あるところにとても仲良しな子狐と少年がいたんだ。だけど、少年は事情があって子狐と離れなくてはならなくなった」
「…………」
「けれどそれから七年後、子狐のことなどすっかり忘れた少年が子狐の住む街に戻ってきたんだ。
少年のことを忘れていなかった子狐は記憶を失いながらも人の姿になって少年の前に現れた。
お互いのことを忘れているのに二人はすぐに仲良くなった、まるで七年間の空白を埋めるように…………」
「―――――っ!」
美汐ははっと息を呑んだ。
何故なら祐一の語る話はあまりにも自分に起きた出来事と似ていたから。
「…………しかし、ある日子狐の少女は突然高熱をだして次第に弱っていった。
少年は何もできなかった、ただ、側にいることだけしか出来なかった」
「…………それで、どうなったのですか」
美汐の声は震えていた。
彼の話の結末がわかるが故に。
「少年が全てを思い出したときには手遅れだったよ。子狐の少女はこのものみの丘で、少年の腕の中で、
眠るように―――――消えていったよ」
「…………」
「少年は涙が枯れるまで泣いて、後悔して、自分を責めて…………そして、笑えなくなった」
「…………どうして」
「ん?」
「どうして、私にそんな話をしてくれたのですか」
真剣な顔で祐一に問い掛ける美汐。
わからなかったのだ、何故祐一が穏やかな顔で今の話を語れるのかが。
「さあな…………ただ、ここに立っている美汐がその少年とだぶったんだ。
俺の勘が間違っていないのなら、美汐をその少年と同じようにさせたくなかったんでね」
「…………それは貴方の気のせいです。それに、そんな悲しい話は聞きたくありませんでした」
何かを耐えるようにうつむいて否定する美汐。
しかし
「そうか? でも、この話には続きがあるんだ」
「…………!!」
はっ、と顔を上げ美汐は祐一を見上げた。
「実はその少年は他にも悲しい出来事を抱えていたんだ。で、それを見た神様がさすがに少年を不憫に思ったらしくてね、
もう一度少年にチャンスをくれたんだ…………一つの条件をつけて」
「条件?」
「ああ。その条件とは…………奇跡をもう一度信じること、もう一度大切な人と笑い合えるって信じること、
つまり…………諦めないってことだったんだ」
「…………信じること…………諦めないこと…………」
「俺はさ……………奇跡っていうのはみんなが笑顔でいられる日常だと思うんだ。
ただ当たり前にそこにある日常、いくつもの可能性の上に成り立つ『今』が奇跡なんだ。
だから、その少年はそれを取り戻そうと頑張ってる…………」
「でも…………私は弱いから。ずっと信じることもできないし、あきらめないなんて言えません」
「一人だけで強い人間なんていないさ…………その少年だってつらい時に支えてくれた人がいたから強くあることができたんだ」
「私には…………あの子以外にそんな人なん―――――」
言い終わる前に祐一は美汐の頭の上に手を置き、そして撫でた。
泣いている子供をあやすように、ゆっくり、ゆっくりと。
「少なくとも、俺は美汐のことが心配だし、笑顔であって欲しいと思うよ」
「どうして、どうして祐さんはそこまで会ったばかりの私なんかのことを…………」
「わからないだろうけど…………君は俺を救ってくれた…………そのほんのお礼かな。
と言っても、もちろんさっき言ったことも本心だけどな」
「…………」
「可哀相だから、なんて仕方なく手を差し伸べているわけじゃない。
美汐が笑っていてくれると俺は嬉しいから…………それだけだよ…………」
祐一は更に撫でる。
優しく、美汐の心を癒すように。
「…………私、笑っても良いんですか…………泣いても良いんですか?」
「泣いたって…………別に、恥ずかしくない。嬉しいときと哀しいときは、いつだって…………泣いてもいいんだ。
それで、迷惑になんか…………誰も思わない。だから自分から…………一人にならなくて、いいんだ。
それにな…………男の胸ってのはな、泣いている女の子に貸すためにあるもんなんだ」
その、祐一の言葉に、祐一の心に
「…………あ…………うわぁあああんん…………ひっ……ふえええええ…………」
美汐は、久しぶりに泣いたのだった。
「もういいのか?」
「…………はい、有難うございました。泣いたら、なにか心がすっきりしました」
「そいつはよかった。やっぱり可愛い女の子は笑ってこそだよ」
「…………」
祐一の言葉に照れた美汐はその顔を見られないようにうつむく。
何故かわからないが胸がドキドキし始めたことに戸惑いながら顔を伏せ続ける。
そんな美汐を見つめる祐一の顔は優しく、穏やかで
―――――未来の美汐たちが願った笑顔がそこにあったのだった。
「…………あ」
…………顔を上げた美汐はその笑顔の直撃を受け、顔をゆでだこのようにして放心していたが。
ちなみにこの後、美汐が戻ってくるまでに十分程の時間がかかったことを追記しておく。
あとがき
美汐過去編です。
二人の会話の一部はあるゲームの会話を元ネタに使わせて頂いてます、わかるかな?
ずっとシリアスで行く予定でしたが最後の最後でおとしました(笑
次回は美汐編の続きです。