「……む」

 「どうしたんですか?」

 「いや、何かこの部屋に入らないといけないと僕の第六感が訴えているんだ」

 「第六感ですか! 美春には備わっていない感覚ですね!」



 ことりと別れた後、二人は再び病院内の散策を再会していた。

 そして二人がやってきたのはある病室の扉の前。

 扉には特に入室を拒むような注意書きは書かれていない。

 しかし、祐一は何故かこの病室が気になった。



 「というわけで入ろう」

 「れっつらごーですね」

 「こらこら、ちゃんと入る前にはノックしないと駄目だよ」

 「あ、これは失敬。私としたことが……」



 祐一の指摘に「てへへ」と頭をかきながらノックをする美春。

 祐一は病室内から返事が返ってくるのを確認して美春に扉を開けるよう促す。

 二人は気にしなかったのだが、扉のプレートには患者の名前と思わしき文字が書いてあった。



 『月宮あゆ』と。















 相沢祐一(十歳)のジゴロ列伝!  第15話 〜天使!お姫様の目覚めは王子様のキスで〜















 「あら、あゆちゃんのお友達かしら?」



 にっこり、と童顔の看護士が微笑みと共に二人を迎えた。

 看護士のネームプレートには『谷河なすの』と書かれている。



 「いえ、違います。なんとなくここが気になったので入ることにしたんです」



 きっぱりと理由を話す祐一。

 だが、なすのはそれがおかしかったのか特に怒ることもなく祐一を見つめた。



 「そうなの? 君、結構勘が鋭いのね」

 「どういうことですか?」

 「ここは……この娘はこの病院でも有名な女の子だから」



 悲しさ半分、微笑ましさ半分でなすのはベッドで眠る少女にを慈しむような視線を向けた。

 月宮あゆ、それがベッドで眠っている少女の名前である。

 彼女は一年前のある日、木から落ちて病院に運ばれてきた。

 だが、外傷は全くないと言ってもよい状態だったにも関わらず彼女は目覚めなかった。

 そして時はそのまま流れ、一年経った今でもあゆは目覚めていない。



 「今じゃ眠り姫って呼ばれてるの。まあ実際花音市七不思議の眠り三姫の一人に数えられてるんだけどね」



 苦笑しながらなすのはあゆの髪をすいた。

 祐一と美春はベッドに近付く。

 あゆは一年間眠り続けている割には血色が良く、今にも目覚めそうな雰囲気を醸し出していた。



 「不思議なことに、体自体は健康そのものなの。普通、一年間も眠りっぱなしなら筋力とかが落ちて当然なのに……」

 「ほえ? もしかしてこの方もロボッ―――――むぐ」

 「ロボ?」

 「気にしないで下さい。でも不思議なこともあるもんなんですね」

 「そうね。でもこんなに不思議なことが起こるなら起きてくれてもいいのに……何か特殊な条件でもあるのかしら?」

 「特殊な条件?」



 美春の口を押さえながら祐一が問う。

 なすのは少しだけ悪戯っぽく笑い、あゆと祐一を見比べた。



 「例えば……かっこいい王子様のキス、とか」

 「ああ、シンデレラや親指姫ってわけですね!」

 「眠れる森のお姫様や白雪姫、って言いたいんだと思います」

 「くすくす……どう? 君がキスすればあゆちゃん起きるかもよ?」

 「ええっ!?」

 「いや、なんで美春が驚くの?」



 仰天した美春を見て祐一が的確なツッコミを入れる。

 なすのはそんな二人見て、笑いを堪えることが出来なかった。

 だが、次の瞬間。

 美春に続いてなすのも仰天することなる。

 何故ならば―――――



 「よし、じゃあ試してみますね」

 「え?」



 マジで祐一があゆにキスしたからである。















 魔女よりも怖い女性の集うリビングにて。



 「ね、姉さん! 本当に祐一さんがキスしちゃいましたよ!?」

 「騒がない騒がない。額じゃない、騒ぐほどのことじゃあないでしょ」

 「姉さん、まさか……」

 「唇には一生で一人の女性としかしちゃ駄目、なんて言ってないわよ?」

 「……ですよね。いくら姉さんでも」

 「するなら一夫多妻制が可決してからだもの」

 「やっぱり貴女は姉さんです」















 月宮あゆは森の中をさまよっていた。

 どこまでも続く森。

 光の差し込まない暗くじめじめとしたその場所は年端も行かない少女にとって恐怖だった。

 だが、次の瞬間、あゆの頭上に天から光が差し込んできた。

 驚きと共に天を見上げるあゆ。

 光の中から人影が現れる。

 その人影には翼があった。

 人影はあゆに手を伸ばし、手を取るように促してくる。

 あゆは少しだけ迷い、そしてその手を取った。

 その瞬間、あゆの視界は光に包まれ―――――そして暗転していった。



 「……え」



 ぱちり。

 目覚めたあゆが最初に感じたのは額に伝わる暖かな感触だった。

 不思議に思っていると、その暖かな何かはゆっくりと離れていく。

 少しだけそれを残念に思いながらもあゆは自分の視界に映ったものをぼーっと見つめた。

 自分と同じくらいの年頃の少年が自分を見つめている。

 徐々にあゆの意識は覚醒してきていた。

 だが、あゆはまだ夢と現実の区別がついていなかったらしく、とろんとした目つきで口を開いた。



 「あ……天使様?」















 「……な、ななななななななな」

 「わあ、本当に起きちゃいましたね!」



 口をぽかーんと開いたままのなすのとはしゃいでいる美春。

 そんな二人を他所に祐一はどこか満足げな表情で自分を見つめる少女の姿を見ていた。



 「あ……天使様?」

 「違うよ、僕は相沢祐一」

 「違うの?」

 「うん」



 ぼんやりとしたあゆの問いかけ。

 ガタン! と大きな音が病室に響く。

 なすのが大慌てで病室を出て行った音だった。



 「おはよう、お姫様」

 「え……ボク、お姫様?」

 「そう呼ばれてるらしいよ?」

 「ここどこ?」

 「病院、どうやら君は木から落ちてずっと眠り続けていたらしい」

 「……?」



 記憶を掘り起こそうをしているのだろう。

 あゆは天井を見上げながらゆっくりと事態を飲み込もうとしていた。

 当然祐一は上からあゆを覗き込むような体勢のままである。



 ぼんっ



 数十秒後、あゆはそんな擬音をたてながら顔を真っ赤に染めた。















 (わ、わわわわ……)



 自分の状態を理解したあゆは混乱の極みにあった。

 どうやら自分は木から落ちて病院に運ばれたらしい。

 それは良い。

 少しだけ体はだるいものの特に痛いところがあるわけでもないし、平気だ。

 だが、問題なのは目の前の少年のことだった。

 さっきまでは半覚醒状態だったので気がつかなかったが、冷静になって考えると先程の感触は唇のものだったのである。

 状況から考えるにそれを実行したのは目の前の少年であることは間違いない。



 (な、なんで? どうして?)



 わたわたと病室内を駆け回りたい衝動にあゆは駆られた。

 しかし、自分はベッドに寝ていて少年に上から見つめられるような形になっている現在の状況ではそれは叶わない。

 身動きは取れず、見知らぬ少年にキスされ、そのままじっと自分の顔を見つめられる。

 恥ずかしい。

 嫌というわけではないのだが、とにかく恥ずかしい。



 (え、え? おんなの……こ?)



 祐一の視線から逃れるように横を向いたあゆは更に混乱に陥った。

 こちらを興味深そうに窺う能天気そうな少女が目に映ったのである。

 当然、今までの出来事は見られていたのだろう。

 あゆは恥ずかしさと混乱に一層の拍車がかかったことを自覚していた。



 「あ、あの……」

 「ん?」

 「なんで……その……」



 あゆは口篭もった。

 流石に見知らぬ少年に「なんでキスしたんですか?」とは聞きづらい。

 だが、祐一の方はあゆの様子から言いたいことを悟ったらしく、にっこりと邪気のない笑みを浮かべた。



 「だってお姫様は王子様のキスで目覚めるだしね」

 「え……?」

 「まあ、僕は王子様って柄じゃないけど……なんせ天使と間違われたし」



 あはは、と苦笑に表情を変えた祐一を見てあゆは胸をドキンを高鳴らせた。

 半分は目の前の少年を天使呼わばりした恥ずかしさ。

 もう半分は自分でもわからない衝動故にだった。

 あゆは祐一から目を離すこともできず、ただ気まずい沈黙を貫くことしかできなかった。















 「これで眠り三姫が二姫になっちゃうわね」

 「七不思議の修正申請しておかないといけませんね」

 「ていうかいっそ残り二人もどうにかしたら? そもそも一人はあんたの娘なんだから」

 「絶対無理です」















 「じゃあ改めて、僕は相沢祐一。通りすがりの一般市民」

 「私は天枷美春です。マスターのお供をしている最中ですっ!」



 鮮やかな手つきでリンゴを剥いていく祐一。

 びしっ! と敬礼を決める美春。

 そんな二人を見ながらあゆは若干の混乱を残しつつもなんとか落ち着きを取り戻していた。



 「ボ、ボクは月宮あゆです」

 「敬語は使わなくていいよ」

 「あ、うん。それで、祐一君と美春ちゃんはなんでここに?」

 「なんとなく」

 「お供ですから」



 あっさりと返答を返す二人。

 あゆとしては納得がいくはずがない返答。

 しかし不思議とこの二人が喋ると説得力がある。

 そんなことを思っていると、あゆの目の前に何かが差し出された。

 何時の間にか一口大に分割されたリンゴである。



 「どうぞ」

 「あ、ありがとう」



 勧められるままにリンゴを口に含むあゆ。

 元はといえばこのリンゴはお見舞いの品だったのだが、それを知る由もないあゆは祐一の手つきに見惚れながらリンゴを咀嚼していた。



 「美味しい」

 「一年ぶりの固形物だろうからね」

 「一年……? え、ボクは一年も眠ってたの!?」

 「らしいよ」



 祐一の言葉にあゆはショックを受けた。

 それはそうだ。

 寝覚めてみれば一年の時が過ぎていれば誰だってショックを受ける。



 「というわけで僕が目覚めてからの第一号ね」

 「美春が第二号です」

 「え、な、何が?」

 「友達」



 にこにこと笑いながら自分を指差す二人。

 あゆはそんな二人を見てしばし呆然としてしまった。

 だが、それはほんの僅かのこと。

 次の瞬間には、あゆはお腹を抱えるようにして笑い始めた。



 「あ、ははっ……そうだね。でもいいの? ボクは二人のこと何も知らないよ?」

 「それはこっちも同じだしね。ひょっとして嫌だった?」

 「ううん、大歓迎だよ。そうだね、友達だね」



 あゆは笑っている自分を不思議に思っていた。

 一年間眠りっぱなしだったことにショックを受けたはずなのに、今はこうして笑っている。

 だけど、その理由がわかったのだ。

 それはきっと寂しさを感じなかったから。

 この強引な二人が目の前で微笑んでくれているから。



 「それにしても、お腹がすいちゃったな」

 「もっと食べる?」

 「バナナもありますよ?」

 「うん、でも今は……タイヤキが食べたいな。焼きたてでアツアツの」

 「じゃあ今度来る時はタイヤキを持ってくるよ」

 「わっ、本当?」

 「男に二言はない」

 「じゃあ楽しみにしてるねっ」



 あゆは満面の笑みを浮かべて次のことを思い浮かべていた。

 ああ、でもその前にお母さんとお父さんにも会いたいな。

 そんなことを思いながらあゆはリンゴをまた一つ口に放り込む。

 廊下からは複数の慌てたような足音が病室へと近付いていた。
















  坊のお嫁さん候補データファイル  NO.014  月宮あゆ(つきみやあゆ)

  ・現住所…………花音市華音町。

  ・月宮家の一人娘。小学五年生。
  ・無邪気で子供っぽいところが目立つが、意外に思慮深い。
   受け身な性質なのか同学年の中でも妹分的なポジションにおさまることが多い。
  ・家事は壊滅的。ただし、知識がないだけなので本人のやる気と努力次第で改善は可能と思われる。
  ・大好物はタイヤキ。運動神経はないのだが足だけはかなり速い。
















 「じゃあ、自家製のタイヤキを作らないとね」

 「タイヤキの型、あったかしら?」

 「突然だけど、今回で病院編は終わるから」

 「え!?」




 あとがき


     「序盤のノリを取り戻そうとしたけど結局失敗したくさい第15話」
 あゆ 「今回のゲストの月宮あゆですっ。ようやく登場だよ」
     「影の薄いメインヒロインと有名ですからね。SS業界じゃあ舞さんや名雪さんはおろか、佐祐理さんや美汐ちゃんにも負けてるかも」
 あゆ 「そ、それはtaiさんの一方的な見解だと思うなっ」
     「まあこの話で人気再燃してください」
 あゆ 「してくださいねっ」
     「というわけで眠り三姫が今回で全て明かされました」
 あゆ 「ボクと名雪さんと萌さんだね。ボクだけ毛色が違うけど」
     「目覚めちゃいましたし」
 あゆ 「そういえば今回で病院編が終わるって本当? ボクまだ入院してないといけないんだけど」
     「検査とかありますからねー。まあどっちにしろもう出番はないけど、多分」
 あゆ 「酷いね」
     「ちなみに病院編は一時閉幕って形です。いい加減病院ばっか舞台にするのに飽きた(本音)」
 あゆ 「てことはまたいずれ病院編はやるの?」
     「うい、まだ出してない病院編ヒロインもいますからね」
 あゆ 「えーと、次回はどうなるのかな?」
     「帰宅の途につく祐一、そこに現れたのはっ!? みたいな」
 あゆ 「……それ、何も考えてないってことなんじゃ……」