ズッ……ズズズ



 ラーメンの汁をすする音が響く。

 それを真剣に見つめるラーメン屋店長。



 カタ、とどんぶりを置く一人の少年。

 店長はその少年―――――祐一が口を開くのを固唾を飲んで待っていた。

 祐一はお昼時にやって来た単なる客、そうであったはずなのに気がつけばその只者ではない雰囲気に飲まれ、

 何時の間にか店長と祐一の一騎打ちの状態となったのだ。

 ちなみに他の店員や客は何故かそんな二人を気にも留めていなかったのだが。



 「おじさん」

 「なんだい、坊主」

 「このラーメンの隠し味は―――――だね?」

 「…………!! そこまでわかるのか」

 「母さんに舌は鍛えられてるから。ごちそうさまでした」

 「坊主、一つ聞いていいかい? その、坊主の母さんの名前は?」

 「相沢和観」

 「……な!? するとおめえさんがあの相沢祐一か!」

 「そうです」 

 「そうか……よし! 坊主、代金はいらねえ。おっと、誤解するなよ?

  これはウチの秘伝といえる隠し味を一食で当てたお前さんへの俺からの賛辞だと思ってくれ」

 「……わかりました。その賛辞、ありがたく受け取ります。親父さん、美味しかったです」

 「なーに、その言葉だけで十分よ」



 がっはっは、と笑う店長。

 祐一もそんな店長に笑みをこぼし、まるで殴り合いの果てに仲良くなったような男同士の友情を感じさせる一幕だった。



 「店長!! 大変です!!」



 その言葉によってそんな一幕は破られるのだが。















 相沢祐一(十歳)のジゴロ列伝!  第10話 〜大食!少年が少女を先輩と呼んだ理由〜















 「どうした国崎、お客さんの前だぞ」

 「あちらのお嬢さんが『めがとんらーめんせっと』を注文しました!」

 「な、なにぃ!?」



 その言葉に驚きを隠せない店長。

 『めがとんらーめんせっと』、それはこのラーメン屋におけるスペシャルメニューだった。

 その中身はラーメン5人前、炒飯5人前、餃子10人前というもので、制限時間一時間以内に食べきれば賞金3万円である。

 ちなみにこのメニューを始めて数年、未だこのメニューを制覇したものはいない。



 「ふふふ、ここ半年誰も挑戦者のいなかったあれを頼んでくる無謀者がいようとはな……! 面白い、受けてたつ!」



 つーか、いい加減このメニュー辞めろよ、どうせ誰も食いきれねえんだから。

 そんなことを思っているバイトの国崎(旅人)の視線を後ろに受けながら店長は準備を開始する。

 祐一はふとなんとなく気になってそのメニューを注文したとか言う客を見ようと横を向いた。



 「楽しみだな♪」



 それは祐一と同じくらいの女の子だった。

 流れるストレートの長い黒髪を揺らしながらウキウキしている美少女。

 和風美少女、そんな印象を受ける少女がこれから大食い?

 祐一も、そして他の客も、店員も、無謀だと判断した。

 しかし本当に楽しげな少女の表情からは冷やかしの色は全く見えない。



 「―――――できたぜ、嬢ちゃん」



 ごとり。

 そんな大きな擬音が似合う巨大皿二枚と一つのどんぶり。

 まごうことなき『めがとんらーめんせっと』である。



 「美味しそう〜」



 しかし、少女の表情に変化はない。

 否、変化はあった。

 だがそれは獲物を目の前にした狩人のような―――――そんな恍惚の表情。



 「制限時間は一時間。用意……スタート!!」



 ストップウオッチを押す店長は知らなかった。

 祐一を含む他の人間も知らなかった。

 そう、彼女の名前は川名みさき。



 花音市七不思議の一つ、「無限の胃袋(アンリミテッド・イートワークス)を持つ少女」である。















 毎度おなじみ、祐一観測所こと水瀬家リビング。



 「……姉さん、貴女は」

 「ふっ……女は秘密の十個や百個持ってるものなのよ、秋子」

 「多すぎです」

 「それよりも秋子。これから起こることをしっかり目に焼き付けておくのよ」

 「……?」

 「あの娘、私の記憶が正しければ……只者じゃないはず」















 ―――――奇跡を見た。



 後に、このラーメン屋にいた人間は皆口をそろえてこう語る。

 淀みなく動くみさきの両手と口。

 それは一寸の乱れもなく、もはや一つの芸術だった。



 決してみさきの食べるスピードは速いものではない。

 普通の人が食べるペースとさほど変わらないだろう。

 だが、そのペースがまるで落ちないのだ。

 そして40分後。



 ガシャァァァン!―――――コト



 店員の持っていた水ポットが手から落ちる音とみさきの置いたどんぶりの音が重なる。

 ラーメン、炒飯、餃子。

 それぞれが異常な量を誇っていたはずのどんぶりや皿は空っぽになっていた。

 完食、である。



 「うーん、のどが乾いちゃったよ。店員さん、お水は……落ちてるね」



 がっかり、と呟きつつ床を流れる水を見るみさき。

 そこにすっと差し出される水の入ったコップ。

 差し出した手の持ち主は祐一だった。



 「僕の飲みかけでよければ、どうぞ」

 「え、いいの?」

 「構いませんよ。あ、口つけたほうとは反対にしてありますから」

 「じゃあ、お言葉に甘えて」



 先手を取って気を使ってくる祐一に好感を抱きつつ水をこくこく飲むみさき。

 ちなみに二人以外の人間は未だ固まったままである。



 「ふう、ありがとね」

 「いえいえ……ところで、名前を聞かせてもらっていいですか?」

 「へ?」



 突然の申し出にハテナ顔のみさき。

 祐一はそんなみさきを真剣に見つめ、そして言った。



 「僕、相沢祐一っていいます。あの、感動しました! 師匠と呼ばせてください!」

 「え!? え、あ、あの……なんでっ!?」



 静まり返ったラーメン屋に、みさきの声が響き渡った。















 「弟子入りとはまた珍しい展開ねー」

 「いいんですか、姉さん?」

 「承認」

 「はい?」

 「そこから始まる恋もある〜♪」

 「歌わないで下さい」















 「では、みさき先輩ってことで」

 「うー、まあ祐一君は年下だし、それくらいなら」



 舞台は再びラーメン屋に戻る。

 すったもんだの末に祐一のみさきに対する呼び名は先輩で落ち着いた模様。

 ちなみに二人はみさきのゲットした賞金でまたもや食事をしていたりする。

 祐一はチャーシューメン、みさきは大盛りラーメンセット。

 みさきは三回目の注文ではあるが。



 「しかし嬢ちゃん凄いねぇ。まさかあれが完食されちまうとは……」

 「今度また挑戦してもいいですか?」

 「ああ、もちろんだとも! 今度は負けねえぜ!」

 「店長、店つぶれても知りませんよ……」



 和やかな店内。

 どうやらみさきの食欲に関しては、もはや突っ込むものはいないようだ。



 「けど、みさき先輩凄いよね。僕びっくりしちゃったよ」

 「私、食べるの好きだからね」

 「いいことだね」

 「……ふふっ」

 「……僕、何か変なこといったかな?」



 いきなり笑い出したみさきを怪訝そうに見る祐一。

 みさきは「違うよ」と言うと楽しそうな、それでいて嬉しそうな表情になる。



 「雪ちゃん―――――私の友達が言うんだけどね。私みたいな子がこんなに食べることってやっぱり珍しいんだって。

  ううん、それどころか気味悪がる人だっている。なのに祐一君はそれをいいことだって言うから楽しくて」

 「なんで? ごはんを美味しそうにいっぱい食べれるならそれはいいことだと思うんだけど……」

 「そう言えるから凄いんだよ、祐一君は」

 「?」



 みさきの言葉の意味が本気でわからない風な祐一の表情を見て、みさきは心が温かくなるのを感じた。

 この男の子とは仲良くなれそうな気がすると、そう思えた。















 「ごちそうさまでした、おじさん」

 「また来ますね」

 「おう、待ってるぜお二人さん!」



 結局、更に三人前のラーメンセットを完食したみさきとそれを見ていたにもかかわらず平然とした様子の祐一を店長が見送る。

 一部始終を目撃していた客や店員の驚愕の視線を後に歩き出す二人だった。



 「みさき先輩はこれからどうするの?」

 「私は雪ちゃんと遊ぶ約束があるから。そうだ、祐一君も来る?」

 「うーん、そうしたいところだけど僕はもうちょっとこの辺を歩き回るから」

 「そうなんだ……残念」

 「ごめん、また今度ってことで」

 「また会えるかな?」

 「会えるよ、二人がそう願うなら」

 「……え」



 祐一の台詞に赤面するみさき。

 祐一は知らないのだが、今祐一の言った台詞はみさきが毎週見ているドラマの主人公がヒロインに向けて言った台詞である。

 そのドラマはラブストーリーものであり、みさきが照れるのも無理はない。



 「約束」



 すっと祐一が小指を差し出す。

 これまたドラマ通りである。



 「……うん。約束、だね」



 みさきは顔を真っ赤に染めながら小指を絡め、ヒロインの台詞を演じる。

 もう一度言うが祐一はそのドラマを知らない。

 恐るべしはその発想力と天然さである。



 「……う〜」



 ここでみさきは更に真っ赤になって俯いてしまう。

 何故ならばドラマの次のシーンはヒロインが主人公にキスをして去っていくからである。

 無論、そんなことを知らない祐一はみさきの態度にハテナ顔だが。



 「みさき先輩?」

 「ごっ、ごめんね祐一君!」

 「へ?」



 突如顔を上げたかと思うと両手を頬に当てて走り去って行くみさきを呆然と見送る祐一。

 最後の最後までさっぱり理解できないままのさよならだった。



 「やっぱり私には恥ずかしくてできないよ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」















  坊のお嫁さん候補データファイル  NO.008  川名 みさき(かわなみさき)

  ・現住所…………花音市御音町。

  ・川名家の一人娘。小学六年生。
  ・明るく朗らかでその和風美少女な容姿は将来性十分。
   かなりのボケ体質のようだが、それを補って余りあるくらいの魅力と思われる。
  ・家事に関しては一切が不明。おそらくできるとは思われるが……
  ・とんでもない大食い少女。外見とのギャップが良く目立つ。

















 「八人目〜♪」

 「しかし最後まで気がつきませんでしたね、祐一さん」

 「坊はドラマなんて見ないから」

 「なのにあんな台詞がすらすら出てくる祐一さんって…………」




 あとがき


     「ついに二桁突入の第10話でした。今回はONEナンバーワン人気ヒロインと名高い川名みさき嬢!」
 みさき「そんなことないよ〜」
     「謙遜はしなくてもいいですよ? 貴女の出番を待っていた読者は最低一人はいますから」
 みさき「び、微妙だね……あ、そういえば私ってこの話では目が見えるの?」
     「はい、原作通り見えなくても良かったんですが……それだと完全ギャグにしかならないもので」
 みさき「というか……それを除いたら私って大食いしか個性がないような」
     「何をおっしゃいますか。みさき先輩といえば黒髪ロング! 天然ボケ! 先輩! 月夜の教室! と色々あります」
 みさき「最後が気になるんだけど……」
     「気にしちゃいけません」
 みさき「うー。騙されてる気がするけど、扱いがよかったから許してあげるよ」
     「ありがとうございます」
 みさき「そういえば店員の国崎さんって……」
     「目立たなかった人のことなんて気にしないでいいのです。さあ次回予告ですっ」
 みさき「い、いいのかな……?」
     「次回からは展開が動きます。題して病院編!」
 みさき「ということは出てくるのは病院関連のヒロイン?」
     「多分そうなりますね」
 みさき「ふーん、あ、雪ちゃんの出番の時はまた出てこれるかなっ」
     「それは誰にもわからない」
 みさき「うー」