今、ここで君が笑うから

19.取り残されて



















水瀬名雪という少女について幾らか説明が必要だろうか。

クラスメイトの北川潤は語る。

「水瀬?うーん・・・・・・そうだなぁ。遅刻ギリギリか、遅刻するかしてるイメージがあるな。で、相沢の従兄妹なんだろ?」

このあたりが一般的なクラスメイトの評価である。

後輩の天野美汐は語る。

「水瀬さんですか?そうですね・・・・・・綺麗な方だとは思います。ですが、些かのんびりした方だとも思います」

周りから見た評価としては妥当な線だろう。

親友の美坂香里は語る。

「名雪?天然ね。でも、天然を装った裏でいろいろ考えてるわよ。生憎、女子って男子ほどに単純な世界では生きていないのよ」

これらの評価を聞いて回った茉莉は悩んでいた。

祐一と仲の良かった人間の中で、現在交流を持てていないのが名雪だけとなったからである。当然ではあるが、茉莉は名雪が祐一に向けていた想いの正体ぐらいは気付いている。

それ故に、敵視されていることも知っている。

(こういう話は祐一君にはできないものね)

祐一は失うことを極端に怖れる。茉莉はその理由をきちんと聞いてはいないが、“学校”のトラウマに起因するものであることは想像に難くない。もし、ここで茉莉が名雪に敵視されていることがはっきりと祐一の耳に入るようなら、祐一は断腸の思いで名雪との関係を絶つだろう。

茉莉としては、祐一にそんなことはさせられない。いたずらに祐一を傷つけるだけにしかならないことをするわけにはいかない。

(・・・・・・結局のところ、話をする以外にはできることはない、か)

言うのは簡単だ。だが、どう切り出したものかと茉莉は頭を抱えた。

そんな茉莉に、すっと影が射す。

「上星さん、ちょっといい?」

(うわぁ・・・・・・悩んでるときに本人来ちゃったよ)

声をかけてきたのは名雪だった。茉莉としてはこれはこれで困る。どう対応するかはまだ決められていない。

「上星さんって、祐一と付き合ってるの?」

「・・・・・・ストレートだね?」

あまりにもばっさり来る名雪の言葉に茉莉は引き気味だ。だが、否定はしなかった。

「否定しないってことは、合ってると思っていいの?」

「うん。合ってる。祐一君と付き合ってる。ちゃんと、お互いの抱えてきたものも全部打ち明けた上で付き合ってる」

中途半端な弁解がろくな結果を生まないことを茉莉は知っていた。だから、ありのままに真実だけを話す。

言葉数が多くなってしまうと途端に嘘のように聞こえてしまう。そのことも加味して、大切な情報だけを伝えた。

「そっか・・・・・・最近、みんな様子が違ったし、祐一と上星さんが一緒にいるのを見かけることが多かったようにも思ったから。

 わたしのこと、祐一から何か聞いてる?」

茉莉は頷いた。

名雪が祐一に思いを寄せていること。最後に残った一人であること。7年待ったこと。全部聞いていた。祐一の罪悪感と共に受け止めた。

「そっか。聞いてるんだ。ねぇ、同情してる?」

「してない。必要ないもの」

フェアではなかったのかもしれない。それでも、茉莉は祐一の心と抱えてきた事情に向き合った。逆に祐一も茉莉の心と抱えてきた事情に向き合った。その結果として今の関係になった。

そして、あゆに舞に、真琴、栞に出会い、話し、受け止めた。彼女達は彼女達なりに祐一を想ってきた。その結果に同情はしない。そのあたりは話をした全員が認めている。

「わたし、上星さん相手に笑って話せる自信はないよ」

「そう?でも、いいよ。それでも話すことを選んでくれたんだから」

「・・・・・・ありがとう。それで、お母さんから伝言があるの」

茉莉は一瞬、考え込んだ。名雪の母親とは誰だ。

祐一との会話から、出会ってきた人たちから、それらしいものを思い起こす。そして、一人の人物にあっさりと行き当たった。

水瀬秋子。この人以外にはありえない。

「えっと、秋子さんだったよね?」

名雪は頷いた。

「それで、今日、わたしと一緒に行きます。だって」

茉莉は保護者同伴、という言葉を呑み込んだ。祐一の親族で、ほぼ家族のような人。そんな人に対して言っていい言葉ではない。

「うん。わかった。何をするかはいまいち分からないけど、待ってるよ」

「よろしくね。多分、お母さんが皆のご飯を作って持っていくと思うから」

それなら祐一にもしっかり伝えておかないと、と茉莉は思う。だが、それを察したのか名雪は首を横に振った。

「わたし、まだ祐一と笑って話せる自信が無いから。夜までには、何とかするから」


























その夜。

名雪は秋子と連れ立って歩いていた。

「お母さん」

「何?」

秋子が振り返ると、名雪は立ち止まって俯いていた。

「わたし、7年も待ったよ」

「そうね」

名雪の呟きに答える秋子の声は優しい。全部、わかっている。そう言わんばかりだった。

「でも、時間は関係ないのかな」

「そうね」

秋子の答えは変わらない。名雪も分かってはいる。自分達が今、祐一の隣に立てないのは待ち続けたからに他ならない。

祐一が失うことを恐れるあまり、動かなかったのと同様に、名雪たちは祐一の行動を待った。動くよう促してもいた。だが、祐一は動かなかった。

何より、名雪は祐一が気付いていたことに気付いていなかった。

「あゆちゃんから聞いて、すごくびっくりしたんだ。祐一、わたしたちのこと……分かってたんだって」

だったら言ってくれてもよかったのにね。その言葉は口にしない。それを実際に言ってしまえば、とても惨めな思いをすることになる。

「祐一、わたしたちには何も教えてくれなかったんだよ。桔梗ちゃんのこと、上星さんのこと」

はぁ、と溜息を吐いて空を見上げた。

「でも、わたしたちも何も聞かなかった」

聞けなかった、とは言わない。

「わたし、聞かなかったことを後悔してる。会わなかった7年間のこと。家族のこと。友達のこと。聞けたはずのことはたくさんあって、でもそれと同じくらい聞かなかったこともあるの。わたし、情けないよね」

「情けなくてもいいのよ」

名雪に歩み寄った秋子はその肩を抱いた。

「情けなくてもいいの。それで、今は気付いたんでしょう?あなたの人生は、ここで終わりじゃないの。だから、今気付けてよかったのよ」

だから、と続ける。

「気付かせてくれた祐一さんには、感謝しなさい」

「……うん」

簡単には笑えない。簡単には忘れられない。そんなことくらいは、名雪だって分かっている。

だが、それでも否定はしない。

祐一に出会えたこと。祐一を好きになったこと。同じ、祐一を好きになった皆と友達になれたこと。

その全てが今の名雪を作り、歩ませてきた。

生まれて、17年が過ぎた。その人生の大半で祐一を想い続けてきた。会えない間は想いだけが募っていった。片時も忘れることも無く、想い続けてきた。

名雪は思う。これは、とても幸せな恋だ。終わりはちょっと残酷で。でも、それも含めて幸せだ。想いが通じなくても、ずっと友達でいたいと思える、仲のいいままでいたいと願える。とてもとても幸せな恋だ。

「わたし、祐一にごめんよりも、ありがとうって言いたい」

「じゃあ、はやく行かないとね」

「うん」

名雪は笑顔で頷いた。

その笑顔を前に、秋子は思う。

想いは通じなくても、娘は本当に幸せに恋することができた。そのことだけでも、祐一には感謝している。できれば、自分の娘と一緒に幸せになってほしかった。でも、それはもう出来ない。

(祐一さんは、罪作りな人ですね)

それだけの人に慕われ、幸せを運んできた。原動力は、間違いなく桔梗だろうとも。

若者の幸せの中には、恋愛も入っている。秋子もそれを否定しない。自分自身の若い頃を思い浮かべてもその節はあったと思える。恋愛を幸せに加える若者には大きく2つのタイプがある。

1つは、より多くの異性と関係を持てることに喜びを見出すタイプ。もう1つが、1人と真剣に向き合っていくタイプ。

祐一とその周りに集まった少女達は、間違いなく後者のタイプだ。皆、とても真っ直ぐだった。時には周りが見えなくなるほどに。

「……祐一さんが、軽薄な人に育っていなくて良かったわ」

ぽつり、と零した秋子の呟きは名雪の耳には届かなかった。


























所変わって相沢邸。

例によって例の如く、アップスター家の主人は仕事のため家を空けている。そのため、この日も茉莉と楓は相沢家にいた。

秋子が来るという予告を聞いていたため、夕食の準備はしていない。ただし、お茶の準備だけは済ませてある。そのあたりは茉莉が張り切って準備していた。

「ぱぱー、ここわからないんだけど」

宿題中の桔梗が教科書を差し出す。

「ここは……」

鉛筆を受け取って解き方を説明する祐一を見て、茉莉は気分が落ち着いていくのを感じていた。

名雪が来る。そのことに必要以上に緊張していた茉莉がいた。だが、そんな緊張も祐一と桔梗の前では萎んでいく。

(私は私の意志で祐一君を想い続ける。あの日、そう決めたから)

だから、誰が来ようと関係ない。茉莉がそうやって自分を奮い立たせていると、インターフォンが鳴った。

「はーい」

祐一が相手を確認しようと席を立つ。

少しして、玄関先から祐一と親しげに話す2人の女性の声が聞こえてくる。何のことはない。秋子と名雪が到着しただけのこと。

このときが来た、と茉莉も玄関に向かった。

「こんばんは」

秋子と名雪に向かって、茉莉は頭を下げた。

「桔梗ちゃんと楓は向こうで宿題をしてるから、問題は今ここで終らせておこうか」

それは、名雪への最後通牒だった。事実、茉莉は名雪に祐一と付き合っている事実を告げている。後は、桔梗の存在について説明をするだけでいい。だが、名雪はまだ何も言っていない。言う前に終ってしまった。

「……そうだね。わたし、上星さんじゃなくて、祐一に言いたいことがあるの」

名雪は祐一の正面に立った。

「わたし、ずっと待ってたの。7年、祐一がこの街に来なかった間も。その前も。ずっと、祐一のことが好きだった。でも、祐一の心はもう、こっちを向いてくれないんだね……?」

頷く祐一。

「うん。実は、真琴ちゃんが離れたときにはもう気付いてた。祐一は、みんなの事を見てたけど、誰のことも見てなかった。祐一にとっての大切なみんなと、みんなにとって大切な祐一は、違うんだよ。

 わかってたから、言えなかった。だって、誰も何も言わないから。もしかしたらって、希望を捨て切れなかった」

「ごめん。俺が、みんなを苦しませたよな。でも、俺にとってはみんなとても大切な友達なんだ」

だから、祐一は続ける。

「今は無理でもいい。でも、また俺達の前で笑っててくれよ。寝ててくれよ。わがままだけど、俺はこんなことでみんなと終りたくないんだ」

「わかってる。祐一、基本的にわがままだもん。今はまだ、忘れられないけど……好きになった人のわがままだから、叶えたい。だから、待ってて」

泣きながら笑う名雪に、祐一は頷くだけだった。

「それじゃ、名雪。俺のほうからも、言わせてくれ。名雪に会わなかった7年の間に、俺は女の子を引き取って娘として育ててきた。桔梗って名前の子なんだ。名雪には、いつか桔梗に会ってほしい。今日は無理だろうから、また今度。名雪にも、知っててもらいたいんだ」

うん、と嗚咽交じりの声で名雪は頷く。

「わたし、今日はもう誰にも会えそうにないから、帰るね。また今度ね、バイバイ」

そして名雪は相沢家を飛び出していった。

「最善では無かったですけど、間違いではないはずですよ」

祐一の肩を叩いて、秋子は上がりこんだ。

「少し遅くなりましたから、すぐにでもご飯にしましょう。今は、名雪は1人になりたいでしょうし。でも、娘一人の家というのも怖くもありますから、早めに戻ります」

「……そうしてください」

祐一は思う。やはり、秋子には頭が上がらない。

年季の違い、とも思う。だが、それだけでもないと祐一と茉莉は思っていた。人の親として、格が違う。そう思い知らされる。

だから、2人は願う。

いつか、こんな親になりたい。桔梗の、そして、まだ見ぬ子供の。


























次回予告

「名雪です。

 みんなでふられちゃったけど、祐一は友達でいてほしいっていってくれた。だから、友達になろうって思えるの。

 で、わたしと香里で祐一の家に遊びに行くことになったの。

 そこで、わたしは桔梗ちゃんと楓ちゃんに出会うの。

 うん。わたし、この子の前でなら祐一の気持ちも分かるよ。

 次回、今、ここで君が笑うから

 20.おひめさま

 わたし、間違ってないよね」

























後書き

えー何年ぶりの今ここでしょうか。間が開きすぎて大変なことになってました。

名雪も全然取り残されてないし。

それはともかく、いかがでしたでしょう。雰囲気が変わっていたりだとか、そういうことは大丈夫だったでしょうか。

今回で、ヒロインsは全員ふられました。次回で、名雪が桔梗と対面して、全員解決、になると思います。

それにしても、今更こんなこと言うなよ、と言われそうですが。

2次創作って難しいですね。