今、ここで君が笑うから

17.行末

















祐一らは桔梗を連れたまま駅前を目指した。

何が起きているかわからずに、桔梗は不思議そうにしていた。その隣で楓はこれから起きることを何となくではあるが予想していた。あまり、よくないことになる。それはわかった。

そして、その道中で潤と茉莉は並んで歩いた。

「前に、ね」

茉莉が唐突に切り出した。

「祐一君、言ってたんだ。まだ、決着をつけなきゃいけない人がいるからって。それで、私と距離をとろうとしてたの」

その告白に、潤は単純に驚いた。普段見ている祐一は何も気付いていない。少なくとも、潤や他の女の子にはそう見えていた。

だからこそ、真琴が自らその輪の中から抜け出したことを知ったときは驚きを隠せなかった。何のために、何より、祐一の傍にいたのは何だったのかと。

「それでも、私が迫ったの。あのままじゃ、祐一君は帰ってこなかったかもしれない。桔梗ちゃんを守るために帰ってこなかったかもしれない。それは、桔梗ちゃんは勿論だったけど、私もね…耐えられないから。だから、私は無理矢理にでも支える人になりたかった。帰る場所でいたかった。

 私にとっても、祐一君は帰る場所であってほしかった。だから、私は覚悟をして、伝えることを伝えたの。

 それってね、祐一君が答えを出さないまま私と一緒にいること、そのことで私に危害が及ぶことも覚悟してのことなの。前は…舞さんと、あゆさん、だったかな。その2人と話をしたときには残りの全員、誰にも何も言わなかった。そのすぐ後に私が迫った。だから、私に何かしてくるならいいの」

そこで一瞬、言葉を切った。瞬間、潤は背筋が凍りつくような錯覚を覚えた。それだけの威圧感を茉莉から感じていた。

「桔梗ちゃんや楓に何かをしようとするというなら話は別」

潤は立ち止まってしまった。怖かった。彼女の許さないという感情が。

勿論、潤とて茉莉の言いたいことはわかる。だが、それでも怖かった。

「あの子達が関係ないわけじゃない。でも、巻き込んでいい子達でもない。楓はね、悪意にも敏感だけど、桔梗ちゃんは気付かない。それは久瀬君の話でもわかるでしょう?だから、あの子達を巻き込んじゃ駄目なの」

わかる。それでも、何も言えない。

自分は人の親じゃない。まだ、少年なのだ。社会に対して、責任を負うことの出来ない、大人達の庇護下にあるちっぽけな存在。それをわかるからこそ、何も言えなかった。

いや、口を出せる権利がなかった。

一般的な倫理として子供を巻き込むのはご法度というのは言えるだろう。だが、それは第3者たる社会としての目線の話だ。

当事者の片方でもある保護者の目線にはなれない。

だからこそ、栞を諭さなければならない。自分の、友人であり、想い人の妹を、こんな形で失うわけにはいかないのだ。病を克服した頃の彼女を取り戻さなければならない。あの頃の、本当に輝いていた頃の彼女を。

「俺、あまり上手く言えないけど…」

「いいよ。変に飾られた言葉ほど胡散臭いものはないから」

「守らなきゃいけないってのはわかった。子供は、笑ってなきゃだしな」

茉莉は口元に小さな笑みを浮かべた。

(なんだ…わかってるじゃない)

その笑みは、彼の想い人である香里の笑い方にそっくりだった。

























駅前のベンチで、香里は待っていた。そこに到着した大所帯にどういうことか問い質したくもなったが、敢えて黙っておくことにした。おそらく、これが電話で潤が言っていたことなのだと。

「香里。怒らずに、騒がずに聞くだけ聞いてくれ」

最初に、そう前置きして祐一は口を開いた。

「まず、この子…桔梗は俺の娘なんだ」

「え?相沢君。もう一度言ってもらえるかしら?何だか、耳の調子が悪いみたい」

信じられないらしい。

確かに、世間一般での常識を言わせてもらえば高校生の少年に小学生ぐらいの子供がいることはおかしいのだ。香里の疑問は尤もと言えるだろう。

「俺の、娘だよ」

だが、祐一はそうとしか言えないが故に再びその言葉を口にした。

「で、俺と茉莉が付き合うことに…将来的には結婚も視野に入れてのお付き合いってことになるんだけどな」

「…そのこと、どれくらいの人が知ってるの?」

「ここにいる全員と、秋子さん、それから…舞と佐祐理さんに天野と真琴……あと、止めを刺すかのごとく、天野と真琴に知られたときに栞にも知られた」

それを聞いて、香里は深く溜息を吐いた。そりゃ、周りも見えなくもなる。

「美坂さん。誤解はしないでほしいの。祐一君は、全部に決着をつけてからの前進を望んだの。でも、私がそれに反対して押し切ったの。だから、今回の件で他の人たちを置き去りにしたのは私の責任だから」

「それが、上星さんの言い分?」

香里の口調には棘があった。

彼女は矢張り妹である栞や親友である名雪を応援していたのだから。それを、唐突にやってきた人間が横から攫って行ったのだから。それも、彼女らが与り知らぬところで。

「そう…言い訳と取ってもらっても構わない。でも、私は何からも逃げないって、決めたの。だから私が自分の意思で祐一君の傍にいることを選んで、半分…脅すような形でも祐一君の本心を聞き出したの。

 それから、もう、自分の名前からも逃げないって決めたから訂正させて。私、上星茉莉じゃない。本当は、茉莉・アップスター。母方の姓を合わせても茉莉・F・アップスター。藤乃が、F…」

睨みつけるようにしている香里に対して、茉莉はただ正面からあまり強い感情を押し出さずに立っている。暫くして、香里が溜息と共に肩を竦めてみせた。

「はぁ…栞も、もう少し決断が早ければね」

香里もわかっていたのだ。真琴が関係の終焉を試みたことを。それが、どういう意味なのかをわかった上で。

真琴は、祐一に選択を迫ったが、誰もが継続を望んでしまった。だからこそ、ここまで拗れてしまった。栞の暴走という形で。

「でも、話を聞いてもらわなくちゃ。失うことでしか解決し得ないのなら、あまりにも悲しすぎる」

「そうね」

茉莉と香里が一応の決着を見た。

それから暫くして、祐一が口を開いた。

「一応確認させてくれ。まず、どうやって栞を見つける?あいつがどこにいるかはわからないんだろ?」

「そうね…相沢君。他に協力を頼めそうな人は?」

香里に言われて、祐一は自身の交友関係を思い浮かべる。

この場にいない人間で、この状況で頼れるのは。

「佐祐理さんと舞、あゆと天野と真琴…ぐらいか」

秋子を含めないのは現状で名雪に話が伝わるとややこしくなりそうだと判断したからだ。

「次、早くしたほうがいいわよ」

それを香里は理解し、一言釘を刺した。

「取り敢えず、連絡の取れる人に連絡してみようよ。私、佐祐理さん達にしてみるから」

「じゃ、俺が真琴」

「なら、あたしが天野さんね。もしかしたら沢渡さんと一緒にいるかもしれないわね」

茉莉が佐祐理と舞。祐一が真琴。香里が美汐。最後に残った一成と潤のどちらかがあゆに連絡を取ることになった。

結果、佐祐理と舞は即答で了承。現在、買い物に出ているのでそのまま探してみるとの返事を得た。

真琴と美汐は案の定一緒にいた為、2人で栞を探すことにした。

あゆは潤が連絡を取り、先に駅前で祐一と会った後で探しに行くと告げた。

「何で月宮さんはこっちに来るんだ?」

疑問に思った潤が口を開く。

「…あゆはまだ俺と茉莉が付き合ってること知らないからな。原因を何も知らないんだよ」

「お前、絶対刺されるぞ」

違いない。そう思いながらも祐一は無言で視線を逸らした。既に一成、香里は栞を探しに行っている。

「ま、俺も行ってくる。相沢たちはここで待ってろ。見つけたらここに連れてくるようにするから」

「すまん」

祐一が小さく頭を下げると潤は軽く手を振って去っていった。

その場に残っている桔梗や楓はこれから何が起きるのかを知らないまま待ち続けている。あゆは、既に祐一が彼女を見ないことを知っている。更には桔梗という娘がいることも、茉莉と一緒にいることが多いということも知っている。だからこそ、大きな騒動には成り得ないだろう。

それをわかっているからこそ、祐一はまだ冷静でいられた。

だが、もしも栞が凶行に及ぶことがあるのなら、と思うと不安になった。

























暫く経って、あゆが祐一の元にやってきた。

「出来れば、こんな形で桔梗ちゃんと会いたくなかったな」

開口一番、あゆは言った。

それはそうだ。

できれば、普通に遊びに行った時に会いたかっただろう。その方が、この出会いを素直に喜べたはずだから。

「俺と茉莉…付き合うことになったんだ。で、栞がそれと桔梗のことを知って…」

「うん。何となく、わかるよ。きっと、名雪さんも同じことになると思うし」

やっぱり。とは、言えなかった。

真琴が終焉を望んだとき、一番必死だったのが名雪と栞だったから。名雪は待ち続けてきた。栞はドラマというものに憧れを抱いてきた。

名雪が待ち続けてきた祐一は7年の歳月の後に自分の前に現れた。栞が大好きだったドラマのように祐一は劇的に自分を救済してくれた。たとえ、本当に助けたのが祐一でなかったとしても、切っ掛けにはなった。それを思えば2人が必死になるのは当然だった。

「祐一くん。後悔、しちゃ駄目だよ。ボクは祐一くんと上…じゃない。茉莉さんを応援したいから。どこにも進めなかったボクらとは違う。あなたは、祐一くんと一緒に前に進めたから。

 今、本当に対価を支払わなきゃいけないのはボクたちなんだよ。祐一くんという柱に縋り続けてきたボクらが払わなきゃいけないんだよ」

あゆは、祐一も茉莉も責めなかった。ただ、許した。

「じゃ、ボクも行くね。桔梗ちゃん。ボクはあゆ。水瀬あゆ。また今度、遊びに行くからその時はよろしくね」

「…うん」

桔梗は小さく頷いた。

それを確認したあゆは満面の笑みを浮かべると駆け出して行った。

「あゆちゃんって、冷静だったね」

「そうだな。それから、栞と同じ扱いしてるけど、年、一緒だぞ」

「嘘!」

信じられないものを見るかのように茉莉は真顔の祐一を見た。だが、祐一は茉莉を見なかった。もう、冗談を言えるときではない。これから来る栞に、何を伝えるべきか。考えなければならない。

それを理解した茉莉は桔梗と楓を連れて近くの喫茶店に入った。

人がいるほうがいい。その方が、相手の自制心を促すことも出来るのだから。敵しかいなければ、手が伸びる。茉莉はそれを自分の体験として理解していた。

しかし、祐一はそこに残っていた。受け入れるのが、受け止めるのが自分の役目なのだと。それを理解していた。待ち続ける。どれだけ時間をかけても対話による理解を求める。それが祐一が求めるものだった。

たとえ、何者かが短絡的な解決を望んだとしても。

























1時間ほど経過して、潤が栞を連れてきた。途中で香里とも合流したのか、香里が栞の肩を抱いていた。

祐一は自分の中に生じた恐れを捩じ伏せ、栞を真っ直ぐに見た。

「裏切ったんですね…」

底冷えのする声だった。

完全に第3者である潤などはそれが栞の声なのだと信じられなかった。だが、その言葉は目の前にいる栞の口から確かに発せられていた。栞に姿をした別人か、などという考えすら浮かんだほどだ。

だが、彼女を見つけたのは自分だ。

「祐一さん。真琴さんに続いて祐一さんまで裏切るんですか?祐一さんがいなくなると、もう、何も残らないんですよ?」

表情から彩がなくなっていた。

「残るとか、残らないとかじゃない。もう、終りにしよう。真琴がやったことを無意味にしたくないしあゆや舞の勇気だって無駄にはしたくない」

ただ淡々と、伝えるべきことだけを口にする祐一。それで栞が納得しないこともわかっている。それでも、まず伝えなければならなかった。

それは栞だけに向けられたものではない。潤に、香里にも向けられたものだった。

しかし、この場で潤と香里に発言権はない。何も言えないのだ。自分達は当事者ではない。口を出す権利はどこにもないのだ。

「あゆさんや舞さんまで裏切ったんですか」

「裏切りじゃない。気付いたんだ。自分達の関係がもたらすもの、歪みとその先にある崩壊に」

祐一とて気付いてはいた。

だが、あと少し、もう少しだけ。そんなことを思っているうちに引き返せないところまで来てしまった。祐一個人ならばいくらでも引き返せただろう。その頃には、既に栞や名雪を切り捨てずに引き返すことも終りにすることも出来ないところまで来てしまっていた。

それは許されなかった。切り捨てていいものではない。だから、真琴が終りを望んだときに歪みを無視してしまった。それはあゆや舞も同じだった。

栞と名雪は歪みにすら気付いていなかった。祐一しか見えていなかった。どれだけ悩んでいたかも知らずに、2人は祐一を求め続けていたのだ。

「…歪めば直せばいいんです」

「無理だよ。もう、歪みですらない。もう、崩壊してる。俺の元に桔梗が帰ってきたそのときから。娘が戻ってきたその日から。もう、今までの関係の継続なんて出来なくなってたんだ。

 栞…目覚めてくれ。俺は…俺達はお前を切り捨てる選択はしたくない。いきなり友達は無理でも、時間をかけてもう一度、違う関係を築きたい。もう、俺はお前にも、名雪にも応えられない。もう、茉莉に応えたから。だから…もう一度、初めからやり直すチャンスをくれないか?俺達の崩壊してしまった関係から抜け出して、もう一度、出会った頃みたいに楽しく、過ごせるようになりたい…」

そう、願う。

その願いが栞に通じるかはわからなかった。だが、栞は顔を伏せ、祐一に表情が見えないよう顔を隠した。

暫くして、嗚咽が漏れ始めた。泣いていた。嗚咽交じりに言葉が紡がれていく。

それは、ただ卑怯だと。今更過ぎると。祐一を責めるものではあったが、栞なりに自分の中の感情に決着をつけようとしているのが見て取れた。

あゆや舞のように、初めから納得して祐一と会ったわけではない分、新しい関係を考えるには時間がかかりそうではある。

「祐一、さん。祐一さんの家族に、会わせてください」

ただ、泣き終えたと同時に発せられたこの言葉を聞くと希望が持てそうな気がする。祐一は素直にそう思えた。

「そんな、泣き顔で人前に出るのか?今度、遊びに来いよ。真琴や美汐を連れてきてもいい。香里や北川も一緒でもいいぞ」

笑顔で言った。

そして、背を向け、もう一度口を開く。

「待ってる」

それは一人の男としてではない。友人としての言葉だった。彼女が、新しい友人になってくれると信じて。ただ、その言葉を口にした。

気付けば、栞の瞳からはまた、大粒の涙が零れ始めていた。

まだ、そこにいてくれる。隣は無理でも、一緒に歩いていける。それを、願っていたのだから。

「栞…今日は帰ろっか」

「はい…」

香里はもう一度栞の肩を抱き、歩き始めた。

残された潤はどちらについていくべきか悩んだが、香里に声をかけることにした。

「美坂」

「何よ」

「送っていく。泣いてる女の子連れて歩くと、結構危ないからな」

きっと、これが正しかった。潤はそう考えた。

祐一に言葉をかけるのは茉莉の役目だ。だったら、自分は香里を守ろう。香里が栞を守るのならば。

事実上の、栞に対する「お友達でいてください」発言だったのだから。それは香里にとってもショックだっただろう。ただ、栞の前で弱さは見せられないのが香里だったから。

茉莉は潤に言っていた。「誰か、弱さを曝け出せる人はいなきゃ駄目なんだ」と。いなければ、抱え込んで、重さに耐え切れず倒れてしまう。

自分が、香里にとってのそういう人になれるなら…いや、なるんだと決意しながら潤は香里の隣を歩き始めた。

























次回予告

「栞です。

 まだ、はっきりと感情の整理はつきませんが、あゆさんに誘われたこともあって美汐さんと真琴さんも一緒に祐一さんの家に遊びに行くことになりました。

 少し、怖い思いをさせてしまったことに後悔はありますが、祐一さんが来てもいいと言ってくれたので。

 そして、茉莉さんとかにお会いして話をすることになって…

 わたしは祐一さんに何を求めていたんでしょうか?

 次回、今、ここで君が笑うから

 18.フルスピード

 やっぱり、小さな子の相手は真琴さんが一番ですね」




















後書き

セナ「栞編、決着」

茉莉「あまり、私達のいる意味がなかったんじゃ?」

セナ「え?ないわけじゃないよ。ただ、それよりも栞の目が覚めるのが早かっただけ」

茉莉「あれ、結局どういうことなの?」

セナ「つまり、栞は祐一の言葉をただ待っていただけなんです。だから終りを告げられたときに今更だと口にしながらもそれに同意できたんです」

茉莉「で、あと1人なのよね?」

セナ「一応は。でも、まだ秋子さんをメインに据えた話とかやってないこともあるから。そういうのも考えていかなきゃいけないし。それに要所要所でいいところを攫っていく久瀬もメインにしてみたい。北川と祐一、久瀬の3人の男話とかね」

茉莉「男って…それ、誰か喜ぶの?」

セナ「さぁ?でも、これだけ沢山の登場人物がいるわけだからもう少しだけでも掘り下げてみたいなぁ、と」

茉莉「成る程」

セナ「では、今回はこれで」

茉莉「次もよろしく」