今、ここで君が笑うから

16.はじめてのおつかい+



















ある日、祐一は桔梗にお使いを頼んだ。

それは本当に簡単なもので、楓と散歩がてら行ってくるといい、と言った上で送り出した。

そして、その道中でいろいろな人に会った。

「こんにちはー」

「はい、こんにちは」

まず、佐祐理。

いつものように笑顔で挨拶を返す佐祐理。その後ろには舞が控えている。

「今日はどうしたの?」

「おつかい!」

佐祐理の問いかけに元気良く答えると手を振って駆けて行った。

「元気だね」

「…元気」

その後姿を見送りつつ、2人はまた歩き出した。

その後、買い物袋を抱えた秋子に出会った。

「こんにちは」

「あら、桔梗ちゃんに楓ちゃん。こんにちは。今日はお使いかしら?」

「はい!」

この反応を見る限り、桔梗は変わった。

元気良く、明るく話せるようになった。その変化を祐一は素直に喜んでいた。

「そう。頑張ってね」

「はい」

秋子の激励を受けつつ、2人は駆け出した。このお使いが終われば一緒に遊ぶんだ、と約束していたから。

しかし、この約束が果たされることはない。

























お使いを終え、店を出たところで桔梗は美汐の姿を見つけた。

その両隣には真琴と栞の姿があったが、桔梗にしても楓にしても2人を知らない。楓にいたっては美汐との面識すらなかった。

そこで挨拶するかどうかを躊躇した桔梗だったが、先に美汐が気付いた。

「あれは…」

桔梗の姿を認めると1人で2人の元へと向かった。

「こんにちは。桔梗ちゃん」

「あ、こんにちは」

元々美汐を知る桔梗のみ挨拶を返し、楓は誰?と言わんばかりに首をかしげた。

「こんにちは。私は天野美汐といいます。あなたのお名前は?」

「楓、アップスターだけど」

素直に答える楓。

このあたりは普段と変わりはないが、どこかで美汐のことを測っているようにも見受けられる。

それは美汐も感じてはいたが口に出すことはなかった。その警戒心の由来を名前から察することが出来たから。どれだけ明るくても、その明るさは相手を見る眼から培われたものなのだ。まずは相手を測り、その上で決めてきたのだ。

だからこそ、楓は美汐の反応を窺った。

「楓ちゃんですか。よろしくお願いします」

「よろしく」

信用に足る。そう判断し、笑顔を浮かべた。

その先にいる真琴を見る。

(あの人、前にお姉ちゃんが言ってたマコトさんかな?だとすれば、大丈夫だけど。でも…)

楓は真琴から栞へと視線を転じさせた。

(やな感じ)

栞の中にある嫉妬心を敏感に感じ取り、嫌悪を感じる楓。そのあたりに関しては桔梗はまだ鈍かった。栞の悪意にも近い嫉妬には気付けないでいる。

それに気付いた楓は桔梗を急かして帰路を急ぐことにした。

「あ、そろそろ行かないと。お義兄ちゃんが待ってると思うよ」

「…楓ちゃんがそう言うと、何か違う」

桔梗の言葉に楓は内心で同意するも、自分の立場を明確にしておくことが必要なのだと無意識に認識しているからこそ祐一を義兄と呼ぶことに納得しているのだ。

そう呼ぶことで茉莉と祐一を結びつけ、桔梗との繋がりをより近いものへとする。それを無自覚とはいえ、楓は知っているのだ。

「おにいさん、ですか?」

「え、うん。お姉ちゃんと桔梗ちゃんのお父さんが結婚することになったから。まだ先だけど」

その言葉は栞にとっては禁句とも言えた。

自分たちの与り知らぬところで祐一を奪った泥棒猫がいる。そして、その一味が目の前にいる。ふつふつと湧き上がる悪意を栞は捻じ伏せることが出来なかった。このままでは自分の感情に任せて自分よりも幼い子を傷つける。

わかっていても止めることは出来なかった。

だが、この場にいるのは名雪ではない。真琴と美汐なのだ。

「栞。駄目」

隣にいた真琴が栞の腕を掴む。

「離して下さい。あの泥棒猫にわからせてやるんです」

「駄目。それに、祐一が決めたことを否定する気?」

理屈ではわかる。だが、今の栞は理屈では動いていなかった。

「そんなこと、関係ありません」

「栞!」

栞は真琴の手を振り払い、桔梗の元へと駆け寄った。

楓は言った。桔梗の父親が自分の姉と結婚すると。それは、桔梗と祐一、楓と祐一に何らかの繋がりがあると証明してくれている。

だったら、どうすればいい?相手は子供。言う事を聞かせる方法はいくらでもある。

「美汐!止めて」

「栞さん。駄目です。相手は子供です」

「関係ありません」

栞は美汐の制止を一言で斬って捨てた。それだけ栞には周りが見えていない。

そう、その光景を見ている男がいることにも気付いていなかったのだ。

「おや…桔梗ちゃんじゃないか。こんなところでどうしたんだい?」

一成だった。

その手には買い物袋がある。これから買い物に行くところのようだ。それが家の手伝いなのかはわからないが、真琴や美汐にとっては思わぬ援軍となった。

今、久瀬一成という男は相沢祐一の親友として校内でも有名である。祐一に近く、頭の回転も速い。そんな男であればこの状況も乗り切れるだろう。

ただ、栞が理屈で縛れる状態にないということが問題なのだが。

「えっと…お使い、だったんだけど」

あまり状況の呑み込めていない桔梗は戸惑いつつも答えた。

「そっか。あ、これから君の家にもう一人、友達を連れて行くんだけどいいかな?」

「うん。だいじょぶです」

「じゃ、一緒に行こうよ。買い物はまた帰りでいいから」

本当は今でなければならなかった。

だが、今は桔梗を守ることが優先だった。祐一が全てを賭けて守り続けてきたものをこんなつまらないことで失うわけには行かない。だからこそ、一成は自分のことを後回しにした。

ついでに、おそらく暇であろう潤を巻き込んで。

























美坂家。

栞はその日の約束を全てキャンセルし、家に帰っていた。

妹の予想以上に早い帰宅に不審を抱いたのか、香里は栞に声をかけた。

「今日はどうしたの?たしか、天野さんと沢渡さんと遊びに行く予定じゃなかったかしら」

嬉しそうに明日の予定を話す姿を、香里は昨晩に見ている。だからこそ、この状況が呑み込めないでいた。

何より、栞の瞳は今まで見たことのない色を映し出していた。

感覚的には祐一を見ているときに近い。だが、何かが違う。違和感を感じつつも、香里はその正体に気付けなかった。栞の中にある激情、それがどのようなものであるか、香里はこの時点で知っておくべきだった。

「出かけてきます」

「気をつけてね…」

こちらのことなど眼中にもない。ただ目的のためだけに行動する。

それが今の栞だった。

(北川君、何か知ってるかしら?)

そこで祐一ではなく潤を選んだことに関しては香里は正しい。

祐一はこれから起こることを一切予想していなかったのだから。

「もしもし、北川君?ちょっと、聞いておきたいことがあるんだけど」

ワンコールで潤が出てきたところで香里は躊躇なく質問をすることにした。

『挨拶もなしかよ』

「少し急ぐのよ」

潤の悪態も急ぐの一言で斬って捨てると、香里は口を開いた。

「栞が今日の約束をキャンセルして出かけて行ったんだけど、何か心当たりはないかしら?何だか、いい予感はしないのよね」

暫し、沈黙が訪れた。

「雄弁な沈黙をありがとう。心当たりあるのね」

その沈黙の意味を正しく理解した香里は更に問いただすことにした。栞の行動がどういうものであるか、知っておく必要がある。

それは姉としてだけではない。一人の人として、しなければならないことがあるから。それが、大切な友人を傷つけるものであればたとえ妹でも止めなければならない。

『ちょっと、込み入った話になるし、事情を説明するにも面倒なんだが…わかった。相沢には説明しとくから今から出て来い。駅前でいいな。全部、相沢と久瀬から説明させるから』

「わかったわ。じゃ、こっちはすぐに向かうわ」

電話を切ると、香里は上着を羽織るとそのまま家を出た。

























時を遡り、相沢家。

一成に拉致された潤はまず、最初に出会った女の子、桔梗と祐一の関係を聞いて驚いた。だが、それを語る一成、祐一の真剣さから性質の悪い冗談でもないことを悟ると、信じることにした。

そして、どうして一成が桔梗と楓を連れて自分のところに来たかを理解した。

栞が桔梗と祐一に深い関係があるということを知ってしまったのだ。それは、非常に拙い。

特に、祐一と栞の間に明確な形で決着がつけられていない現在の状況では。

「私が行こうか?」

一成の説明が終わった頃にその日も相沢家に来ていた茉莉が口を開いた。

「何で?」

事情を知らない潤は首を傾げるしかなかった。

「え?だって、私、祐一君と婚約予定だから」

「…マジかよ」

信じられない気持ちにもなったが、横で頷く祐一と一成を見ると納得せざるを得なかった。

(今日、こんなんばっかりだ)

少し、理不尽な気持ちにもなったが、そこは口にしない。

それよりも、今は栞についてだ。それを理解し、祐一は溜息を吐いた。

「じゃ、行くしかないか」

「お前、そのうち刺されるんじゃないか?」

それは潤の素直な気持ちだった。

5人…最終的には4人になったが…の女の子を侍らせておいて、実際に交際することになったのはその中の誰でもない、6人目の女の子である茉莉だったのだから。その刺す側が女性陣なのか、周囲の男性陣なのかはわからないが、実際に有り得そうで怖くもなる潤だった。

「それでも、行かなきゃ駄目だろ」

「そう、だね」

一成が頷く。

そのタイミングで潤の携帯電話が着信を告げた。

「悪い」

一言断ってから潤は電話に出た。

『もしもし、北川君?ちょっと、聞いておきたいことがあるんだけど』

香里からだった。

「挨拶もなしかよ」

理不尽だ。

そう思いながらも、潤は何も言わない。好意を寄せている相手に嫌われるようなことを態々する必要はない。

『少し急ぐのよ』

その言葉を聞きながら、潤は「少しじゃないだろ」と思った。

実際、このときの香里は焦っていた。その焦りは受話器越しに確かに潤に伝わっていた。故に、それが栞のことだと察してしまった。

(気付かないほうが良かったかもしれないな)

内心で溜息を吐くも、それを表には出さない。

『栞が今日の約束をキャンセルして出かけて行ったんだけど、何か心当たりはないかしら?何だか、いい予感はしないのよね』

予想通りの質問だった。

だが、この件について潤が全てを話すことは出来ない。そこには祐一と桔梗の関係まで出てきてしまうのだから。

潤は勝手に話すことは出来ない。

そして、黙り込んでしまう。

『雄弁な沈黙をありがとう。心当たりあるのね』

その沈黙から香里は答えを突き止めた。心当たりはあるということを。

「ちょっと、込み入った話になるし、事情を説明するにも面倒なんだが…わかった。相沢には説明しとくから今から出て来い。駅前でいいな。全部、相沢と久瀬から説明させるから」

観念して、潤は素直に答えることを選んだ。

だが、そのことについて祐一達に確認はとっていない。潤の独断だった。彼自身、今回の事情を知ったのはつい先程のことだ。

しかし、他に方法はないと考えてのことだった。

「北川君。そういう勝手は…」

「いいんだ、久瀬」

その潤の行動を批難しようとした一成を祐一が制した。本来であれば逆であっただろう立場である。

『わかったわ。じゃ、こっちはすぐに向かうわ』

そして、香里はそれだけ告げて電話を切った。

「すまん、相沢」

携帯電話をしまうと、潤は真っ先に祐一に向かって頭を下げた。

「いいさ。いつかは話すことだし。俺が蒔いた種だ。俺が摘まなきゃな」

そんな潤を制すると祐一は部屋を出て行った。

「北川君…今回の行動、あまり感心しないよ」

「わかってる」

一成は納得いかない表情で祐一の後を追った。

その場に残ったのは潤と茉莉だけになった。

「私、北川君の行動は理解できる。私も、同じことをするね、間違いなく」

茉莉は潤の行動を支持した。それは、一成とは対極に位置する意見だった。同時に、それは祐一の見解でもある。

祐一と茉莉の目線は全く同じなのだ。それ故に、お互いの見えるものはお互いに見えている。だからこそ、茉莉は祐一の代弁者と成り得る。

「祐一君は、一人にしない。そのために、少しでも桔梗ちゃんを助けてくれる人が必要なの。たとえ、祐一君が答えを濁してきたから生じた弊害でも、答えを出すことが桔梗ちゃんにとっての間違いにつながるなら。

 私はその相手を私の敵とする。汝の隣人を愛せよって言うけど…そのためには一回ぶつからなきゃわからないこともある。私、その…栞さん、でいいのかな?栞さんとぶつかるよ。桔梗ちゃんは私の家族でもあるから」

潤は何も返せなかった。

ただ、成り行きのままに連れてこられて、成り行きのままに答えていた。

茉莉は別格だった。自分とは違う次元でものを見ている。

(そういや、前に俺が喧嘩でボロボロになって帰ったときに母さん、こんな感じだったけ)

そして、潤は嘗ての自分の母と茉莉の姿を重ねていた。潤の目には、茉莉は母親そのものとして写っていた。

「北川君は、行く?」

「…行かせてもらうかな」

茉莉の誘いに乗ることにした。母親の強さというものを、もう少しだけ、見たくなったから。

























次回予告

「北川だ。

 駅前で美坂と合流して、そのまま軽く触りだけ説明すると相沢は俺達を連れて栞ちゃんを探すことにした。

 前に、あゆちゃんと川澄先輩と話をしたときには全員置いてけぼりにしたらしい。

 そう、茉莉ちゃんに聞かされた。

 それが今の関係に至る切っ掛けだったらしいが…

 次回、今、ここで君が笑うから

 17.行末

 これが正しいことなのか…?」























後書き

セナ「と、いうわけで修羅場直前の様子でした」

茉莉「…何だか、彼女崩壊してない?」

セナ「盲目的な恋と、それに対する依存を崩されたわけだからね。壊れはするよ」

茉莉「結局こうなるわけじゃない」

セナ「まだ終わらんよ」

茉莉「某大尉の真似しても無駄よ」

セナ「それはそれとして。栞と名雪の2人に関しては1つのテーマがありまして」

茉莉「言ってみなさい」

セナ「目覚め、ですね。あゆ、舞では決断、真琴は自覚をテーマにして立ち位置を決めました」

茉莉「キャラクターの選考基準は何?」

セナ「一番わかりやすいのは真琴。彼女に関しては恋人というよりも家族としての描写が大きかったような気がするんですね。だったら、祐一への感情を作者権限で置き換えやすかったのが言えます。それが現在の、自分からの戦線離脱という真琴のポジションを確立させることになりました」

茉莉「他は?」

セナ「あゆ、舞は茉莉を完全なサブキャラにしようとしていた時期にヒロインにするかどうかで検討したキャラでもあります。そして、原作においてもあゆは他のルートのときに自ら別れを告げに来ますし、舞も自らの手で終焉を迎えようとしました。

 そういった意味でも2人には決断、というものがしっくり来るのかなと思いました」

茉莉「で、目覚めは?」

セナ「それは次以降でネタを明かす予定。もう既に決着がついている人物ならどれだけ説明してもいいけど、まだ本編で決着がついてないから」

茉莉「わかったわよ」

セナ「では、また次回でお会いしましょう」