今、ここで君が笑うから
15.ここにいるよ
ある日、祐一に舞から連絡が入った。
『今度の休みに遊びに行っていい?』
以前、来るといいと言った手前、断るわけにもいかず、祐一はそれを承諾した。
『佐祐理も来るから』
最後に、取って着けたように付け加えられた言葉に祐一は少しだけ悩んだ。
何をどう説明しようか、と。
現在、祐一の周囲の人物で桔梗の存在を知らないのは名雪、香里、栞、真琴、佐祐理、潤の5人である。そのうちの1人にどう説明したものか。
少し悩みはしたものの、佐祐理は気遣いの出来る人だ。そんな人が根掘り葉掘り聞くという無粋な真似をするはずもない。そう判断し、舞と佐祐理の訪問を承諾した。
そして、当日。
最近では家を空けがちなアーネストらに頼まれた形で茉莉と楓が家にいる。もはや同棲と言っても差し支えないだろう。
更に、この日は蘭が遊びに来ていた。
随分と国際色豊かな風景がそこにはあった。
当然、何も知らなかった佐祐理は一瞬何も言えなくなった。
(えっと…)
どうしたものか。
真剣に悩んでしまうが、人様のお宅の交友関係に首を突っ込むわけにもいかない以上、何も言わないことを選んだ。
だが、やはり茉莉や楓の綺麗な銀髪は気になってしまう。それを祐一が誤解したのか、2人の紹介を始めた。
「あぁ…姉のほうが茉莉・アップスターで俺の彼女。妹のほうが楓。将来の義妹だよ」
あっさりと結婚宣言に等しい発言をする祐一。それだけ心が決まっているということなのだが、何も知らなかった佐祐理は驚くしかなかった。
「祐一さん、彼女さんがいたんですか」
「そういえば、誰にも言ってなかったですね」
隠すつもりはなかったですけど。そう続けながら祐一は茉莉に対して手招きをして呼び寄せた。
「茉莉。こっちが川澄舞で、こっちが倉田佐祐理さん。2人ともよくしてもらってた先輩なんだ」
「茉莉・アップスターです。祐一君とお付き合いさせてもらってます。よろしくお願いしますね、川澄さん、倉田さん」
茉莉が頭を下げ、自己紹介をする。
佐祐理に関して言えば、感心するしかなかった。見るからに欧風の出で立ちで、きっと戸惑いながら挨拶するだろうと思っていたのに、こうして日本語が堪能であることを証明してくれたのだ。
何より、礼儀正しい。それが一番大きかった。
「舞でいい」
そんなことを思っているうちに、舞が茉莉に対して口を開いていた。
こっちはまだまだ。まだ言葉も拙いままで。でも、それが彼女らしさだった。
「佐祐理も佐祐理でいいですよ。よろしくお願いしますね、アップスターさん」
「や、こっちこそ茉莉で結構です。それに、姓で呼ばれても妹と被っちゃいますし」
若干照れつつ、茉莉は言った。
まだ、自分の苗字を肯定的に受け入れてからそこまで日が経っていない故に照れ臭さは抜けない。でも、自分の名前なのだ。家族の繋がりが形として残っているのだ。それがわかるからこそ、そうやって呼ばれることもまた嬉しい。
「そうですか?では、茉莉さんと呼ばせていただきますね」
「どうぞ。私は佐祐理さん、舞さんと呼びますから」
「はい」
「はちみつくまさん」
空気が凍った。
今、何が起きたのか、茉莉には理解できなかった。
後ろで桔梗と遊んでいた楓と蘭にしてもそうだった。
だが、桔梗に関しては何となく理解していた。自分の大好きな父のことだ。あまりにも無愛想な舞のために何かしてあげたかったのだろう。そのために少し女の子が可愛らしいと思えるようなことを言わせたのだろう。
ただ、返事で言わせるのはどうかと思うけど。
考えつつも桔梗は口に出すことだけはやめておいた。そして、それは賢明だった。
「あ、はちみつくまさんっていうのは舞にとっては『はい』の意味なんです。祐一さんが可愛く聞こえるかと思って言わせてみたんだそうです。
因みに、いいえはぽんぽこたぬきさんです。あと、舞ってば動物の名前をつけるときに『さん』ってつけるのが抜けないんです。だから、しりとりをするといつも舞が負けちゃうんです」
若干の蛇足説明までしてしまう佐祐理。
結果として、舞の照れ隠しチョップを受けることになった。
「痛いよー、舞」
「…余計なこと言わない」
そう言われては何も言えない。親友の嫌がることは出来ない。まぁ、からかうくらいならするのだけども。
「何だか、楽しそうですね」
「そう見えますか?」
「はい」
茉莉にとっては、未だ得ることの出来ないでいる親友という存在。そんな間柄である舞と佐祐理が羨ましかったが、それ以上に微笑ましかった。
仲良くじゃれ合う2人の姿を見ていると、自然と自分まで笑ってしまう。
そんな関係の2人が、素直に羨ましい。そんな相手が、祐一以外にもいてくれると、茉莉はもっと楽しく毎日を過ごせるかもしれない。そんな考えも浮かんできていた。
(今度、美坂さんとも話してみよう)
密かにそんな決意を固めつつ茉莉は笑いながら舞達と話をした。
何でもない話ばかりだった。でも、それを楽しいと思えるのは相手の人柄のなせる業だろう。どうでもいい相手から聞いていると本当にどうでもよくなる。だが、そう感じないというのはそれだけ自分も相手のことを気に入っているということ。
それは、今までの茉莉が経験したことのないものだったので、とても新鮮だった。
純粋に、友人と話すことがこんなにも楽しいということを知った。
それが嬉しかった。
「祐一」
そんな雑談の折、舞が声を発した。
「誰か来た」
まだチャイムも何も鳴っていないのだが、舞は敏感に反応していた。その舞の言葉から数秒遅れてチャイムが家の中に鳴り響いた。それに苦笑しつつ祐一は立ち上がった。
それを見送りつつ、茉莉は舞と同様に気付いていながらも何も言わなかったことを少し後悔していた。
(言っとけば良かったかも)
舞はかつての戦いの中で気配を読むということを覚えた。
そして、茉莉は苛められる日常の中で力を求めて、周囲の気配を読むことを覚えた。
本来、望ましい形ではないのだが、それでも2人はそれを覚えていた。
祐一が戻ってきた。その表情はなんとも読み辛い。
「どうしたの?」
「秋子さんが来た」
その言葉に反応できたのは桔梗と舞、佐祐理だった。
茉莉、楓、蘭はどういうことなのかわからなかった。
「そういえば最近はお会いしていませんね」
佐祐理が笑いながら言った。そのときには秋子は既に祐一の後ろに立っていた。
「では、お会いしましょうか」
「もう会ってますよー」
冗談を飛ばしながらも軽く挨拶をする佐祐理。それに倣って桔梗も軽くお辞儀をした。
「久しぶりね、桔梗ちゃん」
「はい」
実際、始めてこの街に来た日以来、桔梗は秋子に会っていない。
祐一が名雪、あゆとの決着を恐れて意図的に水瀬家を避けていたのだ。会うわけがない。
「舞ちゃんも久しぶりですね」
秋子の言葉に、舞はコクリと頷いた。
「それで、祐一さん。皆さんを紹介していただけますか?」
「あ、はい」
そこから自己紹介が始まった。
まだ、秋子を知らないものは祐一と秋子の関係を図りかねていた。祐一よりは年上なのだろうが、佐祐理や舞を相手にしているときほどの気さくさはない。かといって、他人行儀なわけでもない。
誰もがあまりに若々しい秋子の姿を見てそれが祐一の叔母であるという可能性に辿り着けないでいた。
「こちらは俺の叔母に当たる人…母親の妹で、水瀬秋子さん。前はこの人の家でお世話になってたんだ」
蘭や楓にもわかるように若干の補足説明。そして、認識した。
秋子と祐一は、本来親子といって差し支えないほどに年齢が離れていることを。
(ゆ、祐一君。秋子さんって随分若くない?)
口には出してみたいが、それを実際に言うのが怖くて心の中だけで留める茉莉。蘭と楓は素
直に驚いていた。
どうやったらあんな大人になれるのだろうか、と。
その日の食事は豪華だった。
秋子が腕を揮ったのだ。それはそれは豪勢な食卓で、かつ、賑やかだった。
流石に蘭は帰ったものの、残りの面々はそこで秋子の料理に舌鼓を打っていた。
祐一や茉莉、佐祐理の料理とてそう劣るものではない。
だが、積み重ねてきた年季が違った。ずっと、家族の為に頑張ってきた人の料理なのだ。それにそうそう追いつけるわけがない。
それを理解したうえで、茉莉は自分の目標を秋子とした。あんな人になりたい。素直にそう思えた。
「秋子さん。これ、美味しいです。何か隠し味とかあるんですか?」
「それはですね…」
まずは、この料理を盗む。その魂胆で茉莉と祐一は秋子の話を聞いた。
秋子は女性である前に母親だった。だからこそ、それに気付きながらも敢えて無視していた。好きなようにさせよう、と。
結果として、ある意味気まずい食卓になったのだが、探究心を満たそうとする傾向のある祐一を知る桔梗、舞、佐祐理は半分諦めつつ、今までにないほどに熱心な茉莉を見ることの出来た楓は嬉しくてその気まずさを逆に気にすることはなかった。
「そうそう。この前、新しいジャムを作ったんですよ」
秋子がその言葉を発した瞬間、そのジャムを知る祐一、舞、佐祐理が一斉に立ち上がった。
「…ただの苺ですよ」
残念そうな秋子の言葉に3人はほっと胸を撫で下ろしつつ席に着いた。あれを食べさせられるのは勘弁してほしいというのが3人の共通見解だった。
そして、秋子が鞄の中から瓶を取り出す。中には赤い苺ジャム。
ゴト、と音がした。
鞄から落ちる形で、オレンジ色の瓶が転がっていた。それを目にした瞬間、場の空気が凍りついた。
祐一たちは、やっぱり持っていたのか、と。
桔梗は、周りの反応が理解できなくて。
茉莉と楓は、あのオレンジの物体は何なのだろう、と。
マーマレードであればあの3人の過剰な反応はないだろう。だとすれば、これは何なのか。
「つかぬ事をお聞きしますが、秋子さん…それ、新作ですか?」
「はい。これがサンキストカラージャムです」
騙しに来た。
「秋子さん。それ、オレンジジャムではなくて、オレンジ色ジャムなんですね?」
「それは、企業秘密です」
「秋子さん?」
「企業秘密です」
何を訊いても答えるつもりはないらしい。それはそれで困ったものだが、取り敢えずは仕舞うことにした。そのときの表情はとても残念そうだったと後に誰もが口を揃えて言ったという。
舞と佐祐理、秋子が帰宅し、親の帰ってこない茉莉と楓が泊まりということで家に残った。
子供たちは早々と寝つき、今は祐一と茉莉だけがダイニングでお茶を飲んでいた。
祐一は長袖のシャツとスウェット。茉莉は普通のパジャマだった。ワンピースではない。
以前、祐一が訊いたところ、「ワンピースは朝起きたときに大変なことになってるから」と、答えた。
その時点で寝相の悪さを露呈しているのだが、祐一はそこには触れなかった。
「今日は楽しかった?」
「うん。初めて、友達がほしいって思えた」
それはそれで寂しい発言だが、ある意味で言えば人間不信に陥っていた茉莉が前向きな発言をしたという意味では喜ばしいことだった。
「じゃ、明日は香里と北川と話をしてみるか?」
「うん。そうする」
生憎と、祐一がクラスで紹介できるのはこれくらいだった。
本来、広い交友関係は祐一にとっては邪魔にしかならなかったので、最低限の人間とだけ話をして、後は当たり障りのない挨拶程度に留めていたのだ。
そういった意味では祐一の交友関係も高が知れている。しかも、多くが女性である、というのもどうかと思われる。
「茉莉はさ…小学校の頃に友達百人作れるって信じてた?」
「どうしたの?」
答えつつも、そんな童謡があったな、と思い出していた。
「俺は、出来ると思ってたけど…入学して理解したよ。無理だって」
何せ、1学年で60人しかいないんだから。
そう言って、祐一は笑った。
茉莉は先輩を含めれば出来るんじゃないかと思ったが、仮にそんなことをしたとして、100人分の名前を覚えられるのだろうかという問題が発生した。彼女としては、無理、としか思えなかった。
「俺たちは、本当に大切な人を友として生きてく。それでも、1人でも多くの人を必要とするなら、それはそれで嬉しいことかもね」
「そうね」
祐一はそんな生き方は自分には出来ないと理解していた。失ってしまったからこそ、もう一度手に入れることを恐れてしまっていた。
そういった意味では茉莉は強かった。
失っても、もう一度手に入れようと頑張れるのだから。
(俺も、強くなれるのか?)
自分に問いかけつつも、何となく、茉莉を見ていれば自分にも出来る気がしてきた。
だったら、一緒に頑張っていこうか。そう心の中で呟いてお茶を一気に飲み干した。
次回予告
「久瀬です。
どうやら、相沢君が桔梗ちゃんにお使いを頼んだらしい。
とても微笑ましい光景だね。
でも、その先にいるのは…
これ、ちょっとまずいんじゃないのかい?
次回、今、ここで君が笑うから
16.はじめてのおつかい+
僕は手を出すべきなのか?」
後書き
セナ「ほのぼのっぽいサブタイトルですが、次回は軽く毒を含みます」
茉莉「言い切った」
セナ「何せ、桔梗の姿を見つけるのはあの人なので」
茉莉「私と面識ある?」
セナ「ない。相手は一方的に知ってるけどね」
茉莉「相手がわかれば月のない夜に叩きのめしに行くのに」
セナ(教えなくて良かった…)