今、ここで君が笑うから

14.絶対、終わらせない















ある日、唐突に蘭が学校を休んだ。

次の日に登校してきた蘭の表情にはいつもの元気がなかった。流石に、誰もが心配し、声をかけるのだが蘭はそれを拒絶していた。

いつもならば率先して遊び出す蘭であったが、その日は決して席から動こうとせず、ただ窓の外ばかりを眺めていた。

そんな折、緊急の保護者面談――鈴家、相沢家、アップスター家の、蘭と仲の良い家族が学校に呼び出された。

「御雪先生。この面子が呼び出されたってこと、それは桔梗と楓の家族だから話しておきたいってことですか?」

そして、祐一は鈴家に起きた問題が何であるかを知っていた。

それは、この面談にやってきていた茉莉と楓の父であるアーネスト・F・アップスターも同様であり、言ってしまえば当事者たる彩芽も同じであった。

「…えぇ。今回の件で、蘭ちゃんの元気がなくなってしまったんです」

事の発端は、数日前のこと。

蘭の祖父の入国管理法違反が発覚し、強制送還となってしまったのである。

蘭の曽祖父は中国系日本人で、日本で育った後、中国に渡り、そこで結婚し、子を設けた。それが蘭の祖父だった。

そして、蘭の祖父はそのまま中国で育ち、結婚。彩芽を設けた。後、彩芽は日本の大学に留学。元々日本人であった祖父――蘭の曽祖父の影響もあり、日本語に関しては非常に堪能だった。在学中に知り合った男性と恋に落ち、卒業後に結婚。同時に、彩芽は日本国籍を取得した。

その後、蘭を設ける。その頃から、蘭の祖父はよく日本へとやってきていた。

暫くして、彼は日本に留まるようになった。何度聞いても、問題ないとだけ答え、彼は中国に戻ることはなかった。

彼は、初孫であった蘭を可愛がるあまり、祖国へ戻ることを拒絶したのだった。だが、それでも定期的に帰るべきだった。今回のように、強制送還になるくらいであれば、素直に戻っておくべきだったのだ。

その結果で、蘭を悲しませるくらいならば。

「蘭は、この街を離れたほうがいいのかもしれません…」

俯きながら彩芽が言った。

誰も、自分たちのことを知らない場所に行けば、後ろ指を差されながら生きることもない。

その代わり、多くのものは失うけれども。

そんなことを、祐一が認めるわけがなかった。

「それじゃ、この街で培ってきた蘭ちゃんはどうなるっていうんですか。失うだけ失って、何にも取り戻せないまま逃げ出して…それで、何が残るって言うんですか」

「でも、このままここにいても、失うだけしか出来ない。このままじゃ、何も残らないかもしれないのに。それなのに悠長に頑張れなんて、どの口が言えるって言うんですか!!」

彩芽の感情が爆発する。

彼女にしてみれば祐一の言い分はあまりに勝手だった。

だが、アーネストは祐一の考えに同調した。

「…足掻く前に、全てを終わらせてしまってはもったいないとは思わないかい?足掻いて足掻いて、足掻き続けたからこそ得られるものがある。私たち家族は、そうすることで茉莉を取り戻せた。無論、それは私たちだけの力ではない。

 ここにいる、祐一君がいてくれてこその結果だった。それは、我々の問題は、我々だけで抱えるべき問題ではなかったということなのだよ。もっと、扉を大きく開き、皆に手を差し出してもらわねばならなかったのだよ。我々にとっては、それが祐一君だったということさ。

 蘭ちゃんの為に、既に楓や桔梗ちゃんは必死になって頑張っているんだ。その前に、子供たちの前に、親が諦めてしまっては駄目だ。大人たちはね、夢を諦めない子供たちを見ているからこそ自分たちの目標に向かって突き進んでいけるんだよ。そうすることで大人は強くなり、子供は夢を持ち続けることの大切さを覚えていく。諦めるのは簡単すぎる。全てを手放すだけでいいんだから。

 だけど、もう一度手に入れるのはとても難しい。手放してしまったものを全て探し出して、拾い上げて、また、捨ててしまった道に戻らなくてはいけないからね。それよりも、今だからこそ足掻いてみるべきだね。諦める前に」

アーネストが貿易商となったのは世界中、見たことのないもの、美しいものを知りたいと思ったからだった。切っ掛けは些細なことで、たまたま近くに来ていたサーカス団の団員と出会ったことだった。

その団員は語った。

『僕らは、知らない場所で、知らない人たちの前で楽しんでもらうために最高の演技をし続ける。僕らはお客さんの驚いた顔、楽しそうな顔を見て喜ぶんだ。お金じゃない。素直な表情、楽しんでくれているっていうことが最高の報酬なんだ。

 僕は、あれに勝る美しいものを知らない。世界中、きっとまだまだ美しいものはある。でも、今まで、どこに行っても変わらないのはそれだった』

彼は美しいものは素晴らしいものを素晴らしいと素直に言える人の心だと言った。それ以来、アーネストも美しいと呼べるものを探したくなったのだ。

鮮やかな模様と色の皿。綺麗な色の花。雄大な自然。自然のまま生きる動物たち。

それらは本当に美しかった。

そして、一生をかけて愛していくと決めた女性の心もまた美しく、生まれた娘の繊細で傷つきやすかった心もまた美しかった。

だからこそ知っている。

人は、打ちのめされた後に立ち上がることで、輝きを増すのだと。それは、とても美しいのだと。

「勝手を言わないでください。あなたとは、立場も何もかもが違います」

だが、それでも彩芽は否定した。

「…あの、さ。俺、思うんです」

そこに祐一が口を挟んだ。

「蘭ちゃん、ただ、自分が失くしてしまったものがあることには気付いていても、それで、いったいどこまで失くしてしまったのか、わかってないんじゃないんですか?

 多分、お祖父さんがいなくなったのはわかってるはずです。でも、それで友達を全て失ったような錯覚に陥ってるんだとしたら?子供は、大人が思っている以上にこちらの思惑や感情を理解しています。

 きっと、外で、差別的な目で見られて、家でも、今みたいにここから逃げたほうがいいみたいな考えを読んでるんだと思います。それって、残酷です。親ですら、あの子を否定してしまってる。

 よく、桔梗は可哀想って言われます。でも、俺は桔梗のことを可哀想だなんて思ったことはありません。桔梗はきっと、たくさんの人に愛されるために生まれてきた。その中で、別離があるのは仕方がないんです。でも、桔梗は可哀想なんかじゃない。いくら拾い子であっても。今、桔梗は笑ってくれてる。たくさんの人の愛を受けて、まっすぐに育ってくれてる。それは、絶対に可哀想なんかじゃない。俺は、そう信じてるんです」

よく、祐一と桔梗の関係を推し量り、可哀想などと言う人がいる。

その度に、表情がなくなる桔梗を見るたびに祐一は思っていた。ちっとも、可哀想なんかじゃない。寧ろ、そう思うあなたこそが可哀想なんじゃないか。

本当の親がいないことがそんなに不幸に思えるのですか?何も知らないことがそんなに不幸に見えるのですか?

だったら、今ここにいる桔梗の笑顔は何だって言うんですか?

この子は、心の底から自分を信じ、笑ってくれている。それを、可哀想だなんて言わないでもらいたい。そんな権利があると勝手に思っているのなら、それこそ可哀想だ。

境遇が可哀想なんじゃない。そう思われてしまうこと、それが可哀想なんだ。幸せを理解してもらえないことが、桔梗にとっての不幸。

相反するものでありながら、それは確かに存在する。

だからこそ、失くす前に見つけ出すことがどれだけ大切かを知っている。嘗て、失くしてしまったことも踏まえて。

「蘭は…本当に父が大好きだったんです。これで、あの子の心が壊れてしまうかもしれない。そう、思うんです」

「あの…差し出がましいようですが、最近、蘭ちゃんとお話しはされましたか?」

唐突に、菫が口を挟んだ。

「え…いえ、最近はあの子、部屋に篭りがちで」

戸惑いはしたが、すぐに答えは返ってきた。

「だったら、まずはお話をしてみてください。皆さんの仰ったことも踏まえて、ゆっくり、時間をかけて。周りのことは間違いなくここの2人が何とかするでしょうから」

既に行動が読まれていたことに少し複雑そうな顔をする祐一とアーネストだったが、それはそれで良かった。一時でも、和やかな空気がこの場に流れたのだ。それは、良いことのはずだから。

「…帰ってから、話をしてみます」

「はい」

彩芽の言葉に、菫は笑顔で頷いた。

























所変わって、天野家。

夕方、あまりに酷すぎる世間の目に、半ば切れかけた人たちがそこに集結していた。どうしてここなのか。

言いたいことは山のようにあったが、美汐は黙っておくことにした。

近所でも元気で評判の良かった蘭を助けたいと願う人がこれだけいたということなのだから。

しかし、そこにいまいち納得のいかない人が混ざっている。

「相沢さん。それに、あの子は…」

祐一と桔梗の姿があった。その隣にはアーネストと茉莉の姿もある。

「天野。ちょっと、桔梗と遊んでてやってくれ」

美汐の姿を認めた祐一が桔梗を託す。

「これからの話、あんまり聞かせたくないから」

一部の人であれば、過激な意見すら出るかもしれない。それは、桔梗にとってはあまりよくないことなのかもしれない。そう思って、祐一は桔梗にここでの話しを聞かせないことにした。

何より、少しでも桔梗を知る人を増やしておきたいという個人的な願望のほうが強いのだが、そこは黙っておくことにする。

「わかりました。えっと…」

頷き、名前を思い出そうとする美汐。

「桔梗、だよ」

祐一が助け舟を出し、解決。

「では、桔梗ちゃん。私は天野美汐といいます。よろしくお願いします」

美汐の自己紹介。それを聞きつつ、祐一は内心、固い。と思っていた。どう聞いても小学生にする自己紹介ではないような気がする。

そういった面で、美汐もまだまだなんだな、と一人納得し、一時的に桔梗のことを思考から切り離した。

今は、蘭の今後がかかっているこの話が優先だ。

「今回の強制送還は不当だ。断固抵抗すべきだと思う」

無茶苦茶だ。そう思いながらも祐一は黙って聞いた。当然の如く、そこで論争が起きた。

これではまとまる話もまとまらない。それを思う。

祐一は隣のアーネストと茉莉に目配せをすると立ち上がった。

「これ以上は埒が明かない。法律上、蘭ちゃんと彩芽さんの日本国籍が証明されている以上、その件に関してはどうでもいいです。また、強制送還についても違法性は一切認められません。

 今、ここで議論すべきなのはこの街で生きていくのが辛くなってしまう鈴家の人たちが、また笑って生きていけるにはどうすればいいのか。そういうことでしょう?」

この場で、もっとも冷静な大人としてアーネストが仕切り始める。

「私は、子供たちと、その家庭に任せるべきなのだと思いますがね。周りの目に関して言えば、私たちが今までと同じようにしていけばいい。私たちと、子供たち。その2つが噛み合って、その積み重ねで変わります。それでいいでしょう?」

アーネストと祐一の中で既に答えは出ていた。

言ってしまえば、この場はそれを確認するための場でしかなく、彼らに出来ることはいつも通り接することだけなのだ。それを態々確認することもない。

「じゃ、アーネストさん。俺、桔梗のとこ行ってきます」

「うん。茉莉も行っておいで」

「あ、はい」

祐一と茉莉がその場を後にし、美汐と一緒にいる桔梗の元へと向かう。

そこではお手玉に興じる桔梗と美汐の姿があった。

相沢家ではお手玉に関しては冬希が教えていた。祐一は男ということもあってお手玉をした事がなかったからだ。それでも、基本的には祐一にべったりだった桔梗がそれほど上手なわけはなく、まだ2つのお手玉しか扱えていなかった。

それでも宙に舞ったお手玉は桔梗の手に収まり、次々に宙に舞っていく。

お手玉を追う桔梗の表情は真剣そのものではあったが、どこか楽しそうではあった。

「こういう時間ばかりなら、誰も傷つかないのにね」

そう言った茉莉はどこか悲しそうだった。

「そうだな。でも、傷つかない人生なんて偽物なんだよ。皆、傷ついて強くなる。大人になるんだ。だから、こういう時間ばかりが続くのは終わる時でしかないのさ」

「そう、だね」

だけど、笑ってくれてるから未来に希望が持てるんだよ。

そう言いたい茉莉だったが、敢えてその言葉は口にはしなかった。そんなこと、言うまでもなく祐一ならば知っているはずだったから。

それを教えてくれたのが、他ならぬ祐一だったのだから。

























数日後。

蘭はまた笑うようになった。笑顔の蘭の元には嘗てのように多くの友達がやってきていた。休み時間には中心となって遊ぶ。いつもの光景。

それが、容易に崩れるということを菫も知った。

だからこそ、この光景が戻ってきたことが嬉しかった。

彩芽は、どんな話をしたかは誰にも言わなかった。ただ、それ以来蘭の表情に笑顔が戻った。それはとても喜ばしいことで、歓迎できた。

「君は、誰の傍にいたいのかな?」

菫が、笑顔の戻った蘭に訊いたことだった。

蘭は笑って答えた。

「みんな!!」





















次回予告


「初登場の佐祐理です。

 今日は舞と一緒に祐一さんのお宅にお邪魔することになりました。

 そこでは、随分と国際色豊かな光景が待っていました。

 それにしても、祐一さんと茉莉さん、随分仲がよろしいんですね。

 え?あ、そうなんですか。それなら納得できます。

 次回、今、ここで君が笑うから

 15.ここにいるよ

 これだけいれば、淋しいなんてこともないですよね」



















後書き


セナ「蘭編終了」

茉莉「祐一君、何かした?」

セナ「直接は何も。今回は、祐一個人では解決できない問題だしね」

茉莉「…で、次は」

セナ「佐祐理さんの初登場」

茉莉「プラス、私のお披露目、と」

セナ「正解。ということなので、次回もよろしくお願いします」