今、ここで君が笑うから

13.私が守る


















どれだけ走っただろう。

気付けば茉莉は郊外の方まで出てきていた。流石に、そろそろ裸足で走り続けるには足が痛くなってきた。

「…ここ、どこ?」

口に出してみるが答えはない。

だが、祐一を追いかけていたはずなのに気付けばここにいた。まるで、何かに導かれるかのように。

「祐一君…どこにいるの」

ここにはいない。

それを感じながらも茉莉は歩き始めた。目の前にある森。その奥へと。

一歩一歩、足元に気を遣いながら歩く。

それでも、傷は増え、大きな傷も出来た。

進む。

何かに囚われたかのように。その先にあるものを知らない。

でも、行かなければならない。そんな気がしていた。

そして、視界が開けた。

「まつ…り?」

そこに祐一はいた。

大きな切り株に腰掛け、突然現れた茉莉の姿に驚き目を見開く。

「ここに、いたんだ」

そこで落ち着いたのか、自身の状態を痛みとともに実感する茉莉。脚はもうぼろぼろだった。傷だらけで、泥だらけだった。

穿いていたロングスカートの裾もぼろぼろになっていた。

茉莉自身の表情も疲労の色が濃く、見るからに消耗しきっていた。

「茉莉!」

落ち着いたことでその場に崩れ落ちそうになったその体を祐一が支えた。

「茉莉…どうしてこんな無茶を」

「はは…何だか、祐一君が戻ってこないような気がして、それが怖くて」

だからって。

その言葉を祐一は呑み込んだ。今、口にしていい言葉ではない。茉莉は以前、言っていた。祐一のことが好きなのだと。だからこそ、茉莉は無茶をしたのだ。

自分の前から祐一が消えてしまうことが怖くて。

何かを失う覚悟を決めた祐一は強く、儚かった。消えてなくなってしまいそうだった。

「私、祐一君とずっと一緒にいたいよ。祐一君が倒れそうなときには支えたい。祐一君が桔梗ちゃんを守りたいように、私が、祐一君とその大切なものを守りたいの。

 私が守る。そのために出来ることは全部する。何もかもを抱え込まなくてもいいように、強くなる。私が守りたいから。だから、私は傍にいたいの」

茉莉は抱きかかえられたまま涙ながらに語った。

その必死さを伴った言葉は確かに祐一に届いた。

「俺は、まだ、2人、きちんと決着をつけなきゃいけない」

それでも、祐一は全てを清算してからという思いのほうが強かった。

「そうして、また桔梗ちゃんを置いていくの?周りを不安にさせるの?だから私が守りたいの。祐一君が傍にいられないときは私が。私がいないときには祐一君が。

 私は、桔梗ちゃんの母親になりたいんじゃない。

 私は祐一君と桔梗ちゃんの家族になりたいの」

祐一にはまだ躊躇があった。

それは、自分の因縁に茉莉を巻き込んでいいのかという葛藤。

「私は、祐一君に惹かれたよ。それは否定しない。だけど、私が私の意志で祐一君をこれからずっと愛していくって決めたから。相性とかそういうのじゃなくて、私がそう決めたから。それを否定されれば私は退くよ。

 だから、答えを頂戴」

「…後悔、するなよ」

それは、一瞬だった。

祐一は自分の腕の中にいる茉莉を強く抱きしめると、そのまま唇を塞いだ。

一秒、二秒、三秒…

時間が過ぎていく。

そして、一つになっていた影は離れた。

「ゆう、いち…くん?」

まだ、何が起きたのか理解できていない茉莉。

「俺も、決めた。俺の意志で、これから先、ずっと茉莉を愛していくって。だから、俺たちの傍にいてくれ」

もう一度、夕日に染まる世界の中で二つの影は一つになった。

決して離れない。決して離さない。

絶対に守り抜く。

夕日と、想いに誓い、二人は、桔梗とともに家族となることを決めた。

























何度繰り返しただろうか。

かつて、二度の別離を経験した場所で、祐一は永遠の誓いを結んだ。死してなお共にいるという誓い。

そして、祐一は口を開く。

「ここは、俺と月宮…もう、水瀬だったな。とにかく、俺と水瀬あゆの学校だった」

「学校…?」

学び舎という意味ではあまりに不釣合いな風景。

それが理解できず、茉莉は鸚鵡返しに祐一に尋ねた。

「この切り株も、昔はとてもとても大きな木だったんだ。ここで、俺はあゆと一緒に遊んだ。

 でも、ある日、俺を驚かそうとしたあゆは木に登って、そして、落ちた」

一瞬、茉莉が息を呑む。

だが、祐一はそれにかまわず続ける。

「それから俺は全部拒絶して、この街を後にした。それから、7年が過ぎて、俺はもう一度この街にやってきた。ここで何があったかなんて、全部忘れて。ただ、桔梗の安息の場なにれたらいいなって、それだけ思って。

 でも、そこで待ってたのは再会と、出会いと、罪の清算だった。

 7年間眠り続けたあゆ、俺との約束の場所を守り続けていた舞、俺が与えた一方的な優しさから俺を憎んだ真琴、俺の絶望から拒絶してしまった名雪。死病で、もう、余命幾許もない状況だった栞。

 皆、助け出してほしかったんだ。俺も、助けてほしかった。少しずつ、昔のことも思い出していった。そして、俺は罪を自覚してしまったんだ。皆が助かっても、俺は罪の意識から、どうしていいかもわからず、みんなの望むままにいようって思った」

けど、それは間違いだった。

祐一はそれを呟くと俯いてしまった。

「皆、祐一君のこと、とても好きだったんだよね?」

茉莉が問いかけると祐一は頷いた。

「祐一君はそれに決着をつけるんだよね?」

「ああ…後は、名雪と栞。今日、あゆと舞と話をした。真琴とはもっと前に話をした。俺も、皆もずるずると先延ばしにしてしまった。そのツケを払うときがきたんだ」

先延ばしにしてしまった代償が、今この葛藤なのだとしたら。

祐一は後悔するしかなかった。もしも、もっと早く決着をつけていたのならば茉莉に桔梗の話をした時点で今の関係になることを選択していたはずだ。

もしかしたら、あの五人の中の誰かと今の茉莉との関係になっていたのかもしれない。

何より。

名雪と栞に、自分にはもう相手がいるから諦めてくれと告げるのは辛かった。皆が牽制しあっていたのに、唐突に現れた茉莉が横から攫っていってしまう形になったのだから。

「…そんなに、思いつめないでいいよ。多分、今までの何かが違っていたとしたら、私は祐一君と家族にはなれなかったから。だから、祐一君の今までの行動が今の私を作る要因になってるんだよ。

 私は、今の私でいることに、今は後悔はないから。だから、そんなに思いつめないで」

茉莉だって、今の話を聞いてしまえば多少は罪悪感は感じてしまう。

だが、茉莉は自分を強く持つことを祐一から学んだ。

その強さで祐一を守ることを選択したのだ。

「私が、守る。私が守りたい。あなたのこと、あなたの夢。その全てを」

その想いだけで、無我夢中でここにたどり着いた。

それだけ、茉莉の中で祐一の存在は大きかった。

「だったら、俺は、茉莉を守る。桔梗のことを守るのと同じくらい。強く、君を守り続ける」

そして誓う。

「椿さん」

ポケットから銀の懐中時計を取り出す。

「茉莉。指輪じゃないけど、受け取ってくれないか」

「いいの?大事なものじゃないの?」

「大事なものだからこそ、受け取ってほしいんだ。これは、桔梗の母親の遺品なんだ。いつか、桔梗の母親になってくれる人がいたら、これを渡そうと思ってたんだ。

 俺は、十分に約束も誓いも胸に刻み込んできたんだ。だから、その思いを共にする人に持っていてほしい」

約束の証の時計が沈もうとしている夕日を反射して輝く。それを見ていた茉莉は心が決まったのか、そっと、手を伸ばした。

差し出された時計を手に取り、その鎖を外し、首に回し、留める。

「私も、約束。祐一君と一緒に守ってく」

そして、笑う。そっと、静かに、穏やかに。

微笑んだ。

「…ありがとう」

沈む夕日を背に、2人はもう一度、その影を一つにした。

























帰り道。

祐一は茉莉を背負い、森の中を歩いた。もう日は沈み、満月が輝いている。

「遅くなったな」

「うん…」

祐一の呟きに、茉莉は小さく頷く。

「桔梗も楓ちゃんもお腹空かせてるだろうな」

「うん…」

また、小さく頷く。

茉莉は、祐一の背のぬくもりを決して忘れないよう、決して失くさないよう、必死にしがみついていた。祐一の首に回した腕に、少しだけ力を込める。拳を握るだけ。

大切だから、自分から傷つけるようなことは絶対にしない。相手は、自分じゃないけど、この拳が誰かを傷つける前にきちんと話をしよう。そうすれば、解決できることだってあるんだ。

茉莉は自分の中の黒い感情も何もかも認めた。そして、頼ることを覚えた。

確かに、まだ幼かったあの日、茉莉は暴力を振るい、他人を傷つけた。だが、茉莉がそれを間違いと認識し、どうすればいいかも学んだ。ならば、茉莉はもう間違えることはない。

それが正解からは遠くても、間違えはしない。

「茉莉」

「うん…」

呼びかけて、返事が返ってくることだけ確認すると、祐一は笑った。

すぐそこにいてくれる。

これから先、ずっと愛していくと決めた相手が。だから、早く桔梗に知らせたかった。

新しい家族になる人が出来たんだって。

楓に伝えたかった。

いつか、自分が義兄になるんだと。

「今、幸せか?」

「…うん。幸せ」

これ以上ないくらい。茉莉は心の中でそう付け加えた。これ以上を望むのは、我儘かもしれない。そう思ってしまうほどに、茉莉は幸せを感じていた。

「これから先、いろんなことが待ってる。そして、俺たちはどんどん幸せになっていくんだ。前に進んでいくんだ。今以上に幸せになっていくんだ。

 だから茉莉。早く、帰ろう。それで、桔梗と話をしよう」

「…うん」

許された気持ちになった。

我儘でもいいんだと。今以上を願ってもいいんだと。それが、当たり前なんだと。

「私、祐一君に会えてよかった」

「そういうのは、今際の際に言ってくれ。今は、ただ喜んでくれればいいから」

「…うん」

パキ、と枝を踏む音がする。

そして、目の前の風景が変わった。

街並みがそこにあった。戻ってきたのだ。

「俺たちの歩みは速くない。でも、ゆっくりでも進んでいけるんだ。だから、今は帰ろう。皆のいるところに」

























「おそい」

楓の第一声はそれだった。

「晩ご飯」

お腹を空かせて、もう切れそうだった。

「…じゃ、どこか食べに行こうか」

「めずらしいね、ぱぱがそんなこと言うの」

祐一の一言に、桔梗が首を傾げる。

確かに、祐一はどんなときでも自分の手料理を食べさせてあげたいと言って、滅多なことでは外食にはしなかったというのに。たとえ、自分が遅くなっても、桔梗が待っている限りはそうしていたはずだ。

「今日は、ちょっとした記念日だから」

新しい親友が出来た日。

新しい、家族の出来た日。

何より、新しい出発の日。

それを知っているからこそ、祐一は今日を記念に出来る日にしたいと思った。それは、茉莉も同じで、既に財布の準備をしている。

こと財布に関しては一般家庭の出である祐一よりも、いいとこのお嬢さんである茉莉の方が潤っている。

実際、茉莉の父親は貿易商である。母親は一般家庭の出ではあるが、母親の旅行先だったイギリスで出会った父親と恋に落ち、結婚に至った。国籍などの壁はあるが、父親のほうが日本国籍を取得。同時にアップスター家が全員イギリス国籍を保有すると同時に日本国籍を保有することとなった。

そして、父親の日本好きが由来して日本に定住を決めた頃に茉莉が生まれたのだった。

そんな家に生まれた茉莉はお嬢様だったのである。

もっとも、本人はそういう扱いをされることに関しては不満なのだが、実際の立場がそうである以上何も言えなかった。

「じゃ、楓。着替えてきなさい」

「じゃ、俺たちもいったん帰ろうか。それから、一番いい服を着て、もう一度ここに来ような」

「うん」

祐一がアップスター邸を後にし、茉莉と楓もそれぞれの部屋へと向かう。

(多分、これから先、この家に長くいることはないんだろうな。両親もあんな性格だし。多分、楓と一緒に祐一君のところに行くことになるんだろうな)

それは予感だった。

とはいえ、その予感は的中する。それを理解しているからこそ茉莉は溜息を吐いた。

「少しくらい、2人の時間を持ちたいって思うのは贅沢なのかな」

半ば諦めるように言うと、クローゼットの中からドレスを出した。そんな豪勢なものではないが、これから行く店に行くときなどではいつも着ている服。

おそらく、楓も着替えて来いと言った時点でどこに行くかなど理解しているはずだ。

理解できなかったのは桔梗くらいだろう。

「ずっと、一緒にいるんだよね。これから、ずっと」

未来まで。ずっと、ずっと。

























四人がやってきたのは市内のホテルの最上階にあるレストランだった。

祐一は修学旅行でこういう場所に来たことはあったが、桔梗に関しては全くの初めてで、ただただ戸惑うばかりだった。

「…よめない」

そして、メニューを放り出すことになった。

流石に、全てフランス語で書かれているなどとは思いもしなかった。

「じゃ、このコースで。この子達は、こっち。飲み物は全員未成年だから、その辺を考慮しておいて」

「畏まりました」

読めないであろうことを予測していた茉莉が全員分のメニューを頼むと暫くしてジュースが運ばれてきた。

「じゃあ、祐一君」

「わかった」

祐一がグラスを取り、口を開く。

「この度、俺と茉莉は、将来のことも考えた上で付き合うことになりました。つまり、結婚も考えた上での行動です。俺が楓ちゃんのお義兄さんになって、楓ちゃんが桔梗の叔母さんになるということになります」

「…ぱぱ。いいの?」

桔梗の問いかけにこくりと頷くと、祐一はグラスを静かに掲げた。

「今後、新たに家族になる俺たちに、乾杯」

「「「かんぱい」」」

チン、とグラスが乾いた音を立て、全員がジュースを口に含んだ。

「これからが、大変だな」

ぽつりと漏らした祐一の言葉を聞いた者は、誰一人としていなかった。

























次回予告


「彩芽です。

 ここでは2度目なのですが、色々問題が起きてしまいました。

 父の不法入国が発覚してしまったのです。

 幸いと言うべきか、私はこちらで日本の男性と結婚して…いまの亭主なのですが。とにかく、私の代からは日本国籍を持っているのです。

 でも、周りはそんな目で見てはくれなくて。

 このままでは、蘭が折角仲良くなれた友達と別れてしまうことになってしまうんです。

 次回、今、ここで君が笑うから

 14.絶対、終わらせない

 皆さん、本当にありがとうございました」




















あとがき


セナ「はい。結婚前提です」

茉莉「…」

セナ「何も言えないようなので今回はこれで。次回は呼んでて少し欝になるかもしれません」

茉莉「…け、結婚」