今、ここで君が笑うから

10.ホントウ





















茉莉にはずっとずっと誰にも言えなかった悩みがあった。

家族にすら話したことはない。ただ、気づいてはいるだろうが、そこには触れてこなかった。触れられなかった。

自分自身にありもしない罪を着せて傷つけ続ける人にかけられる言葉を誰も持っていなかった。

それを、隠し事だけはしたくないという理由で祐一に打ち明ける。

どれだけの覚悟をしたのか、茉莉自身あまり理解はしていない。

だが、話さなければならない。

そんな気がしていた。

祐一を前にして、緊張をしていても、それだけは変わらなかった。

「私、誰にも言ってこなかったことがあるの」

そして、切り出した。

「…小学校のときくらいかな、好きな人…いたんだ。初恋だった。誰だってするよね、初恋も失恋も。だけど」

笑う。

しかし、その笑顔はいつもの笑顔ではなく、自虐の笑みだった。

自分を嘲り、自分を貶す。そんな笑みだった。

「私はその後自分から誰かを好きになることを放棄した。その初恋の決着のつけ方が、最低だったから」

茉莉の初恋は小学校4年だった。そこで、同じクラスのとある男の子を好きになった。やや内向的で、髪の色などで苛められることの多かった茉莉だったが、それでも彼の明るさに憧れ、好きになった。

関われなくても、同じ空間にいて、声が聞けるだけでよかった。

それだけで嬉しい気持ちでいられたし、その日1日頑張れる気がした。

だが、その初恋を終わらせたのは裏切りだった。

ずっと仲のよかった友達がいた。その子は彼とも仲がよかった。その子に言ってしまったのだ。彼が好きだと。

それが間違いだった。

その子は彼にそれを告げてしまった。

それから数日過ぎて、放課後に茉莉が偶然忘れ物を取りに学校に戻った際のこと。

彼は茉莉が自分のことを好きだということを仲間内でネタにして話していたのだ。それも、明らかな嫌悪の感情とともに。

信じられなかった。

何もかもが信じられなくなってしまった。

そして、今まで感じたことのないほどの激情が茉莉を支配した。

ずっとずっとガイジンと呼ばれ続けた。

日本国籍を持っていても、生まれも育ちも日本でも、見た目が違うだけで人を好きになることも許されなくなる。

そう思い込み、感情に全てを任せて茉莉は彼に襲い掛かった。

苛められても絶対に負けないと決めて、格闘技を習っていたが故に、茉莉が叩き込んだ怒りの一撃は容赦がなかった。彼の鼻の骨を折るほどの拳を叩き込んだ。

彼が噴出した鼻血をその銀髪に受け、ところどころ赤く染まった状態で彼の仲間のほうを睨み付け、全員散らせた後に、茉莉は自分が何をしたのかを冷静に理解した。

どんなに許せなくても、自分がしたことは暴力。自分がされて嫌だったことをどんな形でも人にしてしまった。

衝動で暴力を振るい、怪我もさせた。

原因は、自分が人を好きになったから。

だったら、人を好きになってはいけない。

そう決めてから8年が過ぎた。

そして、今目の前には好きになってしまった人がいる。

相沢祐一。

出会って早々に騒動に巻き込まれ、不謹慎にも楽しいと思ってしまった。

それから彼に惹かれていく自分を自覚するのは時間はかからなかった。そんな自分を止められなかった。

今、茉莉は全てを終わりにする覚悟で祐一に全てを告げた。

この想いは絶対に自分だけで留めるんだ。そうしないと、また前みたいになってしまうかもしれない。

「私は、もう絶対に恋なんてしないって思ってきたの。こんな人間、嫌だよね」

終わろう。

そんな覚悟をして茉莉は言葉を吐き出した。

「嫌とか、そういうのじゃないだろ。人間だから、人を好きになったりするし、怒るときもある。俺だって、今まで許せないと思ってきたことはいっぱいあるし、それで暴力に訴えるようなことだってあった。

 それを罪だと思うんだったら茉莉は皆のために自分を許してあげないといけない。自分を傷つけて、いいことなんて何もない。茉莉が罪を意識することは何もない。本当に罪を背負うべきなのは、幼さゆえに人の痛みを考えられなかった相手と、裏切った人だ。

 それに、人を好きになるなんていうのは理屈や打算じゃない。だから、止めようっていうのには無理があると思うぞ。茉莉は一人じゃない。家族がいてくれる。俺もいる。もっと、いろんなことを話そう。そうじゃないと、自分が正しいのか、周りが間違ってるのかもわからなくなる」

祐一はそこまで言って、言葉を切った。これ以上は何も言わない。あとは、茉莉が答えを出さなければならない。

「…私は罪なんてないの?」

「ない」

不安げに問いかける茉莉に対し、祐一は短く断言してみせた。

「寧ろ、いい薬だったんじゃないか?ちゃんと友達を選ばないと痛い目を見るぞって。相手にとっては迂闊なことを口にすると痛い目に遭うって」

「ふふ…そうかもね」

何故か可笑しくて、茉莉は笑った。

先に見せた自虐の笑みではなく、本物の笑顔だった。

「やっと笑った。茉莉は笑ってるほうが似合うな、やっぱり」

そう言って祐一も笑ってみせた。

「や…そんなこと言われたら恥ずかしくなる……」

一方で、茉莉は照れて顔を真っ赤に染めて俯いてしまった。

「…さて、茉莉。俺もちょっと大事な話があるんだ」

























所変わって相沢家。

大事な話があると言った祐一だったが、それ以上は何も言わなかった。ただ黙って、茉莉について来るように促した。

それがどうしてなのか、茉莉は知らない。

ただ一つ、言えるとするならば間違いなく相沢祐一という人間は自分に対して何かを、とても大切なことを伝えようとしているのかもしれない。

それは、今まで誰かに語って聞かせたことのない、本当に大切で、全ての裏側にあるホントウ。

そして、茉莉は留美と浩平が待つ相沢家のリビングの扉を開けた。

「…えと」

見知らぬ男女を見て、茉莉は硬直してしまった。

「あぁ、あなたが相沢が“選んだ”娘なの?」

ツインテールの、留美が笑顔とともに話しかけた。

「選んだ…?」

その言葉に何か意味深なものを感じ、茉莉は訝しげな表情を作ってみせた。

「深い意味はないのよ。そっか。あなたならね。理解できる気がするわ」

そう呟いてから留美はそっと、手を差し出した。

「あたし、七瀬留美。あなたは?」

「茉莉。上星…じゃない。茉莉・アップスター。私は、この名前でいられることを誇りに思いたい」

「え?」

いつも使ってきた苛められないための名前を封印し、本当の名前を留美に告げた。

それは、留美の想いを、心のどこかで感じ取ったからなのだろうか。そう、相沢祐一という強いようで弱い人間を見守ってきたという人間の想いを。

そして、それを自分に託そうとしている想いを。

「茉莉、でいいかしら?」

「えぇ。留美でいいかな?」

「勿論」

ここに友情を超えた絆が生まれた。

祐一の過去を見守った少女と、これからを見守る少女。2人は一瞬で打ち解け、想いを通じ合わせた。

これから知ることは、きっとこれまでの祐一と、これからの祐一にとって重要なことなはず。

それを、心のどこかで理解していた。

























人数分のお茶を用意した祐一はリビングに足を運んだ。

桔梗は瑞佳と一緒に買い物に出ている。人見知りする桔梗だったが、世話焼きの瑞佳にはすぐに打ち解け、仲良く出て行った。

これから話すことは、瑞佳は知る必要はない。

大切な人のことを忘れることなく待ち続けた親友と、世界から切り離された親友の想い人。桔梗のこれからを、共に見ていてほしいとさえ願ってしまった人。

彼らだけが知っていればいい。

ゆっくりと、扉を開いた。

3人が、ソファーに座って待っていた。

「多分、ちょっと長い話になると思う。桔梗と出会ったところから始めないと駄目だから」

そして、口を開く。

「桔梗と出会ったのは交通事故の現場だった。車がこれでもかってくらいに真正面から桔梗の母親…桐野椿っていう人だったんだけど。その人に突っ込んでた。

 ドライバーの証言では、椿さんを認識できなかったらしい。ぶつかって始めてその存在に気付いて、そのまま壁に激突した」

茉莉が息を呑むがわかった。

だが、留美と浩平が違う反応を示している。

それを理解しつつ、祐一は話を続けた。

「事故の後に学校から帰る途中だった俺は現場にやってきてしまった。いつもの帰り道だったから。

 そこで、俺は椿さんに会って、桔梗を託された。守るっていう約束と共に。俺がその約束を今、本当に守れているかっていう自信はあまりない。でも、あの子は笑っていてくれるし、友達だってできた。それだけでも、あの子の父親を引き受けた甲斐はあったと思う」

ふぅ、と一息ついて、自分のお茶を一口飲んだ。

「あの子の父親が誰なのか、それはまったくわからない。この世界に存在していったていう記録さえも存在しない。最初はわけありで母子手帳にも書けないのかと思った。

 でも、違うんだ。あの子の父親は、“存在していない”ことになってるんだ」

「それってどういう…」

茉莉が口を挟んだところで、浩平が神妙な顔で口を開いた。

「盟約。永遠を誓う、盟約だな」

「あぁ。そのことに関しては、椿さんの日記にも記されていた。あの人を止めることができなかったと。そして、今すぐにも会いに行きたいとも」

瞬間、留美がその顔に激しい怒りを浮かべ叫んだ。

「そんなの!!そんなの逃げじゃない!!だったら残される桔梗ちゃんはどうなるのよ」

「勿論、椿さんはそのことをきちんと考えていた。この子だけは、絶対に一人にはさせないって。元々、施設の出身で周囲との関係が希薄だった椿さんだ。一瞬でも盟約を望んでしまえばすぐだったらしい。次第に自分が周囲に認識されなくなって、桔梗と二人で、路頭に迷うことになったらしい。それでも、何とかこの子だけは守り抜きたいって、たとえ自分が消えてしまっても、この子だけは一人にはさせない。そう思って、何とか世界に残ろうとしてた」

「待って」

茉莉が口を挟んだ。それは、まったく理解できていないことがあるから。

「今、何の話をしてるの?盟約って何?永遠?世界に残るって、どういうこと?」

茉莉はこの件に関しては当事者ではない。故に理解できないのは仕方がなかった。

だが、祐一は茉莉を蚊帳の外に置く心算はなかった。

「永遠の盟約。大切な人を失ってしまったとき、その人のいない今の世界を否定して、その人のいる架空の世界を望み、それを実際に作り上げてしまう。その架空の世界こそが“えいえんの世界”で、不変の世界。それを作るための契約が盟約。

 そして、そこにいる折原浩平は、嘗てその世界を望み、実際に盟約を叶え、それでいてこの世界に戻ってきた…いわば、生き証人さ」

「えいえん…そんな世界が、あるの?」

「…誰かがいたはずなのに、それが誰なのかわからない。そんなことって身近ではなかったか?」

浩平が、静かに茉莉に語りかけた。

「それが、その世界の存在する証拠さ。世界に繋ぎ止めておくはずの楔が抜かれ、後は連れて行かれるだけになった人間は、多少の痕跡を残していくのに、その存在はきっかり忘れられてしまう。それがルールだった」

「じゃあ…何故、あなたはここにいるんです?実際に行ったんでしょう?」

「行ったさ」

浩平は笑う。その笑みが何を意味するのか、茉莉には読み取れなかったが、悪いものではないと感じた。

「行ったけどさ、世界の完成までに時間がかかりすぎたことで、俺がその世界を忘れ、この世界で絆を願い作り上げた。ここにいる、留美と。それでも、世界は俺を保てなくなり、手放さざるを得なかった。

 けど、世界には存在しないはずの俺を覚えてた奴がいたのさ。留美と…相沢がな」

「え?」

「俺と相沢は話なんてしたことはなかった。だから、本当は真っ先に俺のことを忘れてしまうはずの人間だった。なのに、覚えていた。

 答えろ、相沢祐一。お前は何を知っている。氷上シュンと同類でないとすれば、お前は何者だ」

祐一はもう一度、お茶を飲んでから口を開いた。

「人間さ。この世界で生まれ、絶望しつつも世界を望み、生き続けた。けど、桔梗との出会いが世界の形を教えてくれた。えいえんに囚われた桔梗の父親、その後を追おうとした椿さん。

 盟約に翻弄され続けた桔梗を知っているからこそ、桔梗がいるからこそ、俺は世界を知ってる。世界がどんなものなのかを知ることができた。俺は、傍観者であり続けることができた。他人の夢の中でいき続けることができたからというのもあるんだがな。

 まぁ、俺は本質的には傍観者であり続けたのさ。それが、結果としてはお前の楔となったわけだが」

とん、とコップを指で弾くと祐一は全員に目を向け、一息ついた。

「さて、話を戻そう。

 世界に残ろうとしてた矢先の事故だった。あれだけの事故だったのに、俺が行くまで誰も気付いていなかったのは、椿さんの存在ゆえだった。だから、俺は桔梗と出会うことができた。

 それからは必死だった。桔梗の手続きをしてもらうと同時に、椿さんたちにことを調べ上げた。結果としては実りのない調査ではあったけどな。収穫は、桔梗が本当は双子だったってことかな。桂苗(かなえ)。そんな名前の女の子だったらしい。生まれて一週間で亡くなったらしいんだが。それが原因で彼はこの世界を否定した」

ゆっくりと、視線を浩平に向ける。

「納得したか?」

「あぁ」

今度は茉莉と留美に。

「伝えたかったのはこの話だ。2人には、桔梗のことちゃんと知っててほしかったから」

「うん。何となく、わかってた。あたしが“今まで”で茉莉が“これから”でしょう?だから、知っていてほしかったんでしょ?それぐらいわかってるから」

「うん」

「…ありがとう」

















〈次回予告〉

「えっと、瑞佳です。

 暫く桔梗ちゃんとお出かけして、戻ってきたらなんだか変な話になってました。

 水着?市民プールにお出かけ?

 …浩平、そんなことしてると七瀬さんに殺されちゃうよ。

 次回、今、ここで君が笑うから

 11.忘れないでね

 お別れかぁ…折角仲良くなれたのに、ちょっと寂しいよね」


















後書き


セナ「はい、昔話終了です」

留美「早。ていうか、茉莉の話がすぐ終わったんだけど」

セナ「まぁ、祐一からしてみれば、そこまで重たい悩みじゃないってことかな。それに、もともと、比重は桔梗のほうが重たいわけだし」

留美「まあ、そうだけど」

セナ「因みに、君たちは次回で降板の予定だから」

留美「え?」

セナ「だってゲストだし」

留美「…横暴」

セナ「いや、ゲストだから」

留美「だったら、次回はもっと目立たせてよ」

セナ「頑張ります」