今、ここで君が笑うから
8.保護者茶話会
相沢家への留美の訪問が決まった翌日。
祐一は桔梗を連れて買い物に行っていた。留美のために何か準備しようというのだが、これを期に祐一は桔梗にクッキーの作り方を教えるつもりでいた。一緒に作る分には問題はない。薄力粉と卵を混ぜる辺りでは腕力も必要となるためさせるつもりはないが、生地を伸ばしたり、型抜きをするのは全部任せてもいい。
そういうわけで、休日の昼食の材料などと一緒にクッキーの材料を買い込んでいく。
「ぱぱ、こんどは何をつくるの?」
「今度、お客さんが来るんだ。だから、クッキーを焼こうかなって」
チョコチップを手に取りながら祐一は答える。
「クッキー!」
そんな祐一の言葉を聞いた桔梗は目を輝かせる。それは祐一の作るクッキーを楽しみにする娘の眼差し。
そして、今回はそこに少し違うものを与える。
「一緒に作ろうか?お客さんは、桔梗も知ってる人だからね」
「しってる人?」
鸚鵡返しに訊ねる桔梗に、祐一は微笑みながら頷く。
「だれ?」
「それは、秘密」
おしえて、と桔梗が寄ってくるのを笑って誤魔化しながら祐一は必要なものを次々に籠に入れていく。
密かに、キムチの素と中華蕎麦の生麺が混ざっていたがそれはご愛嬌。
次の日。
休日でよく晴れたこともあり、祐一と桔梗は散歩に出かけていた。
ふと、桔梗が祐一の袖を引いた。
「どうした?」
「蘭ちゃんだ」
蘭、と聞いて祐一は桔梗の友達の名前を思い出した。
鈴、蘭。
先日は会えなかった子だったが、これから先も桔梗の友達でいてくれるなら自ずと接点は増えていくことだろう。だったら、覚えてもらうのもいいかもしれない。
そう考えて祐一はベンチに座っている蘭の下へと歩き出した。
真っ白なチャイナドレス風のワンピースを着た蘭が桔梗の姿に気付きパッと顔を上げた。
「こんにちはっ」
大きな声で祐一と桔梗に挨拶する蘭。
「こ、こんにちは」
少しどもりながらも桔梗は挨拶を返した。
「こんにちは。桔梗の友達かな?」
「うん!おじさんは?」
一瞬、祐一の頬が引き攣った。
「お…おじさんは桔梗のお父さんだよ。仲良くしてくれてありがとう」
それでも何とか父親としてあるべき対応をする。
最早プロフェッショナルだ。
「あ、そうなんだ。わたしは鈴蘭っていうの」
自己紹介をする欄に祐一は微笑みかけた。
「そっか。じゃあ、蘭ちゃん。これからも桔梗と仲良くしてやってね」
「うん!」
元気よく頷く蘭。そのすぐ傍では桔梗が少しだけ恥ずかしそうに頬を赤く染めて俯いていた。
恥ずかしそう、ではなく照れているだけなのだろうが。
「あら…お友達かしら?」
3人のもとに1人の女性がやって来た。
「あ、お母さん。桔梗ちゃんに会ってお話してたの」
蘭にお母さんと呼ばれた女性は一瞬、何かを考え込む素振りを見せたがすぐに笑顔になった。
「蘭のお友達ね?蘭が迷惑とかかけてないかしら?こんなで元気の塊だから」
「い、いいえっ!そんなこと…」
話し掛けられた桔梗が緊張で固まりながら女性に答える。
「そう?これからも蘭のことよろしくね」
「う、うん」
少し戸惑いながらも桔梗は頷いた。
「蘭ちゃん。もし良かったら今から桔梗と遊んでもいいよ。今日は暇でね、散歩してたところだから」
「うん!桔梗ちゃん、行こ!」
戸惑う桔梗の手をとりながら蘭は駆け出した。目指すは目の前の公園。
「元気なお子さんですね」
「元気ばっかりが取り柄ですから」
女性は苦笑しながら返す。それなりにその元気さに手を焼いているようだ。
だが、それすらも嬉しいのだろう。苦笑しながらもその表情はどこか誇らしげだった。
「そうですか。申し遅れましたが、僕は相沢祐一といいます。桔梗の父親してます」
「私は鈴彩芽と申します。蘭の母親です」
2人自己紹介が終わり、自然とその視線はお互いの娘へと向けられる。
「いい子ですね」
彩芽が呟く。
その表情は柔らかい。一切の邪気も悪意もない。
「ええ。自慢の、目に入れても痛くないくらいの娘ですから」
「入れてみます?」
祐一の言葉に、彩芽は冗談で返した。勿論、祐一もそれには笑顔で返す。
「物理的には無理ですよ。でも、本当に真っ直ぐ育ってくれてよかったって思ってますよ」
「私もです。こうして元気に、みんなの中心になれるくらい明るくて真っ直ぐに育ってくれて感謝してるんです」
このとき、お互いがお互いの娘に対して何か裏があると感じた。それは概ね正しかった。
無論、それを口に出す事はない。それをした時、失うものは娘の友人と、娘からの信頼である事など容易に分かる事だったのだから。
「もし良かったら、今から娘さんと遊びにきますか?桔梗も今まで家に友達を呼ぶことはなかったんでいい機会でもありますし」
その状況を打開すべく、祐一が一石を投じる。
「いいですね。あの子も友達の家に行くのが楽しくてしょうがない子ですから」
彩芽もそれに乗る。その表情はかなり楽しげだ。娘が元気印と称しておきながら自分自身もかなりの御転婆だった事を少しだけ露見させていた。
(あの娘にしてこの親あり…)
そんな彩芽を見ながら祐一は心の中だけで納得する。
そうして、鈴親子の相沢家訪問が決定したのだった。
相沢家。
家の近くで偶然会った茉莉と楓も誘い、3世帯によるささやかなホームパーティーが開催される事になった。
年少組がおしゃべりに花を咲かせている間に年長組…保護者たちは料理を用意する。丁度昼食時だったこともあり、それぞれがそれぞれに腕を奮い、自分の実力を披露している。
祐一の作る洋食。
茉莉が作る和食。
彩芽の作る中華。
それそれが完成し、挙句の果てにはデザートまで完成した頃に料理がおしゃべりをしていた3人の元へと届いた。
そして、言葉を失った。
「……作り、すぎじゃない?」
楓だけがやっとの思いで口を開く。
3人の目の前にはフルコースと言っても差し支えないほどの料理が並べられている。祐一が用意したスペイン料理での前菜、タパスの盛り合わせ、大皿に用意されたパエリア。茉莉が用意した御浸し、お吸物、魚の煮付け。彩芽が用意した麻婆豆腐、水餃子などなどありとあらゆる料理が並べられている。
誰も何も言えなかった。
楓に対する反論も、追従も何一つとして出来なかった。
だが、保護者たちは一つの正論を盾にして無理を押し通す事を決めていた。
「出された料理は残さない。それが食材への感謝になるのです」
誰が言ったか、子供たちは理解できなかったが、自分たちの保護者にそう言われては逆らう事など出来なかった。同時に、今まで食べた事のないものも幾つか並んでいる。それに対する興味もあったのだ。
「「「いただきます」」」
そのまま全員が食事へとシフトしていく。それに倣い、保護者たちも手を合わせて食べ始めた。
まず、その見た目で全員を圧倒したのが祐一の作ったタパスだった。
どこで用意したのか、ムール貝の貝がらの上に小さく色とりどりの前菜を盛り付けてある。それが一人当たり7枚。合計42枚もあるのだ。これには一緒に暮らしている桔梗も驚いていた。
何せ、ここに来てからムール貝を食べた記憶などなかったのだから。
実際のところは祐一が水瀬家や茉莉の家などを駆け回った成果なのだが、茉莉本人に承諾を取らずに実行したプランなので真実を語るわけにはいかなかった。相沢祐一という人間はこういう場面で一切手が抜けない人物なのだ。だからこそここまで徹底したやり方になってしまった。
次に意外性で周りを驚かせたのが茉莉の和食だった。
そもそも、アップスター家では基本的に料理は家政婦に任せてある。というのも、茉莉の父親は世界を駆け回る貿易商で、それなりの資産家。家に居ない事が基本であり、母親も基本的には父親について周ることが多い。そんな状況では家政婦を雇うしかなく、その家政婦の気遣いで、父親の好みに合わせて料理が作られていたのだ。その彼の好みが故郷の味だった。つまり、普段は洋食しか食べないのだ。そんな茉莉が和食を作った。それだけで驚きに値する自称だったのだ。
とはいえ、茉莉自身はその父親の経歴ゆえに苛められる事が多かったのだ。それに対する反抗の現われがこの料理だった。
そして、ある種当然と思われてしまったのが、彩芽の中華料理だった。何人かは何故水餃子なのかと疑っていたが、日本でメジャーな焼餃子は、中国では余った材料で作るいわば賄いに近い料理だったのだ。本来は水餃子が正しいのだ。
そんなこんなで、子供たちの交流と保護者たちの親睦を深める会は進んでいった。
「それにしても、相沢さんは随分とお若いんですね?苦労とかはなかったんですか?」
「苦労ですか…確かにありましたけど、桔梗の事を想えばそんなこと、些細な事でしたね。約束もありますし」
そして、次第に保護者の話は深い部分にまで踏み込み始めていた。話していくにつれ、この人ならば自分の抱えているものを共有しても構わないと思い始めていたから。
「素敵なお父さんをされてるんですね」
「勿論、桔梗に対して胸を張っていられるように頑張らないと駄目ですからね」
「…私、胸は張れそうにないけど」
誇らしげな祐一の陰で茉莉が落ち込んでいた。たしかに、楓の親代わりをしてきて保護者というポジションではあるものの、自分の行動が妹に対して胸を張れるかと言われれば無理としか答えられないのだから。
それぐらい、茉莉は自分自身に負い目があった。
「張れるさ。何も、完璧な人間こそが親になれるってわけじゃない。俺だって、まだまだ足りないものはあるし、一つだけ、本当に大切な事を話せていない。でも、桔梗の前じゃ胸を張っていたいんだ。それが、親の勤めでもあるからね。
そうでしょう?彩芽さん」
「そうですね。子供の前で、特にまだまだ小さい子供ですから迂闊に弱みは見せちゃ駄目なんですよ。そういう意味では、私は相沢さんが心配ですけども。
弱さを見せられる人が傍にいないでしょう?だから、いつか潰れてしまわないかって…会って早々に告げることではないでしょうでしょうけど」
茉莉を励ます事から祐一への警告へと代わっていく。
その警告の内容自体、祐一はわかっていた。昔は留美がいた。彼女には親友として自分の弱さも見せていた。だが、ある時から、留美は他人の弱さを受け止める余裕を失っていった。そこから祐一が弱さを見せる相手は居なくなってしまった。
溜め込んでいく弱音やストレス。それは、いつか爆発する。それを防ぐには全てを受け止めてくれる人が必要なのだ。
(…私はまだ、祐一君にとっては弱さを見せられる存在じゃないんだ。どうしたら、私は祐一君の支えになれるんだろう?)
時刻は夕方も近くなり、それぞれが帰路に着き始める。
特に、家が少し離れている鈴親子はすぐに帰っていった。
「祐一君。私は、祐一君になら自分の弱さ、全部見せられるよ。だから、私、頑張るね。祐一君が弱さを見せられる、ちょっとした支えになれるように。友達なんだから、それぐらいはいいよね?」
帰り際。茉莉はそれだけ言い残して帰っていった。
言うなればある種の宣戦布告だった。
祐一にとって、自分の弱さを見せられる人というのは親友か、それを超えられる存在なのだから。
つまり…
〈次回予告〉
「どうも、七瀬です。
連休の初日、あたしは相沢のところに行くために早朝から浩平を起こして相沢の待つ北の街を目指す事に。
そして知らされる、桔梗ちゃん出生の秘密。
ていうか、あたし、そんな大事な事知ってもいいの?
次回。今、ここで君が笑うから
9.七瀬、襲来
どうでもいいけどこのタイトルはなんなのよ」
後書く
セナ「と、いうわけで保護者に集合していただきました」
茉莉「それはわかったけど、私、無自覚に祐一君の事意識してない?」
セナ「そりゃ、憧れから始まる恋ってやつ」
茉莉「それ、中学生とかが部活の先輩にほれるのと同じ話でしょ?」
セナ「別に、そういうところだけじゃないと思うよ。中学生じゃなきゃ憧れから恋に発展しちゃいけないなんてことはないんだから」
茉莉「そう?それはともかく、昔の女が来るのね」
セナ「人聞きの悪い事を言わない。親友がくるだけ」
茉莉「どこが?もうキャラ的には昔の女よ。そして私は今の女」
セナ「…どうしてこんなに黒くなってしまったんだろう」
茉莉「それはどうでもいいとして、次回で今まで触れられてなかった桔梗ちゃんの出生に関しての話が」
セナ「うん。どうして母親である椿さんはたった一人で桔梗を育てていたのか、どうして母子手帳に父親の名前が記載されていないのか。そこの辺りの謎が解決すると同時に、祐一がどうして浩平の事を覚えていたのかのあたりも解明するはず」
茉莉「解決編?」
セナ「昔の話のね」
茉莉「ふうん」
セナ「では、次回もよろしくお願いします。」