今、ここで君が笑うから

7.七瀬の思い出




















祐一が転校する前、祐一と桔梗の関係を知りつつ、その支えになっていた少女がいた。

名を、七瀬留美。

「え…祐一?」

そんな留美に、祐一は連絡を取った。

『おう、久しぶり。最近どうだ?あいつも帰ってきたんだろ?』

「うん。ついこの前ね。何でかな?結構早かったと思う」

留美は携帯電話をぎゅっと握った。

昔は、ある男と色々とする前は、祐一の事が気になっていた。

今は、違う。

「ねえ、そっちはどうなの?それに連絡してくるなんて初めてじゃない?」

『そうだっけ?……そうだったな』

言って、祐一は電話の向こうで笑った。留美にはその光景が目の前のことのように浮かんでいた。

それだけ、2人の距離は近かった。物理的には離れても、心は離れていなかった。

「うん。で、どうしたわけ?祐一がわけもなく連絡してくるなんてことないでしょ?」

いつまで経っても世間話を続けてしまいそうな状態だったので敢えて本題を切り出す。

『あぁ。今度の連休でこっちに来れないか?あいつを連れてきたって構わない。ちゃんとさ、桔梗の事を知ってもらいたいんだ。七瀬には』

桔梗の事。

留美は祐一と桔梗の関係を知っている数少ない人物だった。そして、良き理解者として祐一達を支えていた。

祐一も桔梗もそのことに純粋に感謝していた。だが、祐一は拒絶されるかもしれないと思い、桔梗との出会いを語ることはなかった。

それを、語ろうというのだ。これを聞いて、留美に拒否する事など在り得なかった。

「行くに決まってるでしょ。折原も連れて行くから。それでもいいんでしょ?」

『あぁ。ちゃんと、七瀬の想いが形になったのを見たいから』

「…そんな恥ずかしい事素面で言わないでよ」

留美の批難を祐一は笑いで返した。

「でも」

しかし、こうして会話をしていて留美には納得のいかないことがあった。

「何であたしのこと“七瀬”って呼ぶの?」

留美の知る相沢祐一は彼女の事を留美と呼んでいた。だから彼女も祐一と呼んでいた。互いが互いを認め合う関係だからこそできたことだった。

『お前さ、俺があいつを差し置いて名前で呼び続けるわけにもいかないだろ?多分、あいつからすりゃあんまり面白くない事だと思うぞ』

祐一は、留美に大切な人がいることを知っている。それを理解しているからこそ、自分の立っているラインを1つ後ろに下げているのだ。そうでもなければ、祐一はいつまでも留美の隣に立ち続ける事になる。

それは、留美を大切に想う彼を追い詰める事に繋がってしまう。それは祐一の本意ではない。

だからこそ決めた事だった。

「もしかして、折原に気を遣ってる?」

『もしかしなくてもだ。漸く帰ってこれたと思えば大切な彼女が他の男と親しくしてるなんて面白くないに決まってる』

そういうところに無頓着なんだよ、お前は。そう続けて祐一は溜息を吐いた。

それは呆れなどではなく、純粋に親友として心配している。大切に想う相手と、その大切な人の関係を。祐一自身、その2人の関係が、絆がそう簡単に途切れるものでない事を知っている。だが、けじめは必要だ。

親友というラインで、ある一線で踏み止まる。これが祐一なりのけじめだった。

2人は恋人ではない。あくまで、友人なのだから、と。

「…そう、よね。折原だって、面白くはないわよね。わかった。じゃ、昔みたいに相沢って呼ぶことにするわ」

留美も祐一が作ったラインを理解し、自分もそれに倣う事にした。

『それだけじゃなくて、あいつも名前で呼んでやれよ』

「え!?」

祐一の言葉に留美は心底驚いた声を出した。

『いつまでも名字のままじゃ、先に進めてないんじゃないのか?まぁ、急げとは言わないさ。七瀬の問題だからさ。でも、真剣に考えてやってほしいな。俺があいつの立場だったとしても、やっぱり、悩むから。

 っと…結構長話になっちまったな。じゃ、今度の連休よろしくな。到着する時間とかわかったら連絡してくれ。時間になったら桔梗と一緒に迎えに行くから』

「うん。絶対行くから」

ばいばい、と最後に言って留美は電話を切った。

(ゆ…じゃなくて、相沢か。久し振りに声を聞いたなぁ)

電話を切った後でも、留美の思考を祐一が支配していた。

そもそも、その出会いが強烈だった。

彼女の彼氏である折原浩平との出会いもかなり強烈な方だったが、祐一との出会いも中々強烈過ぎるものだった。
























一年前。

留美が今の家に引っ越してきたその日、彼女は頼まれた買い物に行くために先に確認したスーパーに向かって歩いていた。

そこで途中で会ったのが祐一だった。

当の祐一は桔梗と一緒にベンチに座り、しりとりに興じていた。

最初こそ兄妹かと思った留美だったが、少し観察をしていると違和感に気付いた。桔梗の二人称と祐一の一人称がおかしいのだ。兄妹ではまずありえない“ぱぱ”という発言。

その時点で何かがあると判断した。

だが、それだけだった。他人の事情に首を突っ込む必要はない。少なくとも、彼らは困ってはいない、楽しそうに遊びに興じているだけだ。

だったら、と思うのだが、留美は彼等から目を離せなかった。彼女は、所謂“乙女”を目指していた。可憐な少女。それは彼女の憧れだった。自分のがさつさに目を向け、嫌気がさしてしまったのだ。だから彼女は乙女でありたいと思った。

そして、幼い桔梗は乙女としてあるべき姿だった。それはただ純粋であるだけ。だが、それこそが憧れるものだった。

更に祐一。

桔梗と共にある彼の姿は父親でありながら、母親でもあった。父性を感じさせると共に、母性も感じさせる。そんな姿に、純粋に留美は憧れ、羨ましいとさえ感じた。

「…どうか、しましたか?」

ずっと彼等を見続けていた留美に気付いたのだろう。祐一が声をかけていた。

「あ…いえ。ただ、ちょっと楽しそうだなって思って」

言ってから、留美は自分の失言を理解した。これではただの寂しい女だ。

「あ、違うんです。他意はないんです」

慌てて手を振って後退る。

「って、あ!!」

それから大声をあげた。今の今まで完全に忘れてしまっていたのだが、留美は買い物に行く途中だった。それを思い出し、腕時計で時間を確認した。家を出てから既に40分が過ぎていた。

どう考えても既に買い物も終わっているような時間だ。

「すみません!お騒がせして。用事があるので失礼します」

慌てて頭を下げて留美は駆け出した。

急がなければ。

幸い、体力はある。引っ越すまで続けていた剣道で培った体力がある。だから急がなければならない。

一方で、取り残された祐一は地面に落ちたメモを拾っていた。

「買い物メモ…だよな」

それをしっかりと眺めてから桔梗を呼んだ。

「どうしたの?」

「そろそろ買い物行こうか」

元々買い物に行くための外出だった。その途中で公園によってしりとりに興じていただけなのだ。そろそろ買い物に行ってもいいはずだ。

何より。

「あの人。これなきゃ困るんじゃないか」

ご丁寧に店までの地図まで書かれたメモが祐一の手元に残っている。これは届けたほうがいいだろう。

そう判断すると、祐一は桔梗と手を繋いで留美が走り去った方向へと歩き始めた。
























暫く走ってから、留美は立ち止まり呼吸を整えた。そして、ポケットに手を伸ばし店までの地図の書かれた買い物メモを取り出そうとして、固まった。

ない。

メモがないのだ。

「ない!?嘘!どこかで落としたの!?」

そろそろ辺りも暗くなり始めていて、探し物をするには厳しい時間になろうといている。さらには、適当に走った所為で家までの道すらもわからなくなってしまっていた。

「…どうしよう」

家に連絡はできるが、家族もまだこの辺りの地理には明るくない。

それを踏まえて留美はもう一度口を開く。

「どうしよう」

どうしようもないのが現状なのだ。だが、どうしようもないでは駄目なのだ。

これが現実。

それから暫くして。

「やっと追いつきました。随分と足が速いんですね」

留美の耳にどこかで聞いた声が届いた。

「え…?」

その声に振り返ると、そこには祐一がいた。

「これ、落としていきましたよ。それに、ここはその店までの道から外れてしまっていますよ」

そう言って、祐一はメモを留美に持たせた。

その横では桔梗がきらきらと目を輝かせながら留美を見ている。桔梗からすれば、留美はある意味で憧れだった。

顔立ちが整っていて、髪は真っ直ぐで綺麗で。そんな大人びた存在は桔梗からすれば遠い存在で、なりたい姿でもあった。

長い髪を後ろで縛って、そのまま垂らしている。見た目よりもいくらか機能性を求めた結び方だった。

「あ…ありがとう、ございます」

桔梗の視線に戸惑いながらも、留美はメモをしっかりと受け取った。

だが、それを見ても現在地が分からない。そんな留美を見て祐一は微笑んだ。何となく、面白かった。

「自分たちも今からその店に買い物に行く途中だったんですよ。良かったら一緒に行きます?狼にはなりませんよ。この子もいるわけですから」

面白くて、そして、どこか放っておけなかった。

ここで無視してしまうと、いつか後悔する。そんな予感が祐一にはあった。

よく鈍いなどと評される祐一だが、実際はそんなことはない。気付いていてそれを表に出さないだけの事。それは優先すべき事が桔梗の事であり、他の事に構っている余裕がないというだけのこと。

気付いているのだ。留美がまだこの街に来て間もないということ、このままにしていると暫く迷い続けて大変な事になるということが。

だからこそ、こういう場面では手を差し伸べる。

少なくとも、相沢桔梗の父親である祐一は、娘の模範とならなければならないのだ。だからこそ、こうして見ず知らずの他人に善意を向ける。

そして、留美もここで差し出された手を振り払うほど最低な人間ではない。

確かに、意地っ張りな面もあるが、流石に意地を張る場面ぐらい選ぶ。今は、そんな場面ではない。

「いいんですか?」

「ええ。あまり遅くなってしまうと家族の方も心配するでしょうし」

祐一は安心させるように、いつも桔梗にしているように笑顔を向けた。

「あ、ありがとう…」

それを見て少しだけ顔を赤くした留美は視線をそらしつつお礼を言った。

「では、取り敢えず自己紹介しておきましょう。自分は相沢祐一、この子は相沢桔梗です」

祐一が名乗り、紹介された桔梗が頭を少しだけ下げた。教育の賜物である。

「あたしは七瀬留美。年とか同じぐらいだろうし、普通でいいわよ。あたしもそうするから」

漸く相手のことも少しわかったこともあってか、留美は砕けた口調で言った。

「そうか。わかった」

祐一もそれに倣い、いつものように言った。

それから3人で買い物に行き、祐一たちは留美を家に送ってから家に戻った。
























そんな出会いから、まだ1年程度。

1年で色々あった。

祐一に出会い、桔梗に出会い、2人の関係を知り、親友になった。

いつも突っかかってくる馬鹿にも出会い、いつしか、その馬鹿に惹かれている自分がいることにも気付いた。

想いが通じ合ったと思ったのに、その馬鹿は突如として世界から忽然と消えてしまった。彼が存在していた事など、誰一人として覚えていなかった。彼の幼馴染さえも、忘れてしまっていた。

この世界から彼の存在だけが抜け落ちてしまったかのように。自分だけが、異質な存在であるかのようにも感じた。

そんな時、留美を支えたのが祐一だった。祐一はその世界の理の外側にいた。それがどういう理由だったのかはわからない。だが、理の外側にいる者は、零れ落ちてしまった存在を確かに覚えていた。第3者として、確かに記憶していた。

それが留美にとっては確かな支えだった。

あの幸せすぎた日々は決して幻なんかじゃなかった。そして、自分と色々な感情を共有してくれる人はまだいてくれる。それが嬉しかった。

だが、そんな人とも別れる時が来た。

祐一が親の仕事の都合と引っ越す事になったのだ。家族は海外へと旅立っていったが、祐一は1人で国内に残った。行き先は、北のほうにある親戚の家。

そこに、ずっと桔梗と一緒にいるために家を捜しに行った。

留美は、感情を共有してくれていた人とも物理的に引き離されてしまった。

そんな留美に祐一は言葉を残していった。見送りに来なかった本人に確実に伝わるように、手紙で。

「懐かしいなぁ…これ、瑞佳からもらってすぐにあいつ帰ってきたんだよね」

祐一は手紙を2種類用意していた。

1つは桔梗からの手紙。

これは、純粋に留美の事を慕っていた桔梗が贈ったもの。

もう1つが、祐一からある人物を経由して贈られたもの。

「…何か、忘れている事を思い出したら留美に渡してくれって、言ったらしいけど。それって、あいつが帰ってくることが分かる瞬間なんだよね」

他人が忘れている何かを思い出すとき。それは、彼の帰還の瞬間だった。

『これを読んでいる時には、きっと、折原浩平は再びこの世界に形作られる瞬間だと思う。それは留美にとっては本当に喜ばしい事なんだと思う。
 
 俺は、覚えているだけだった。けど、留美は確かに彼との間に絆を持っていた。それは世界が持つ強制力にも負けない強い絆だった。だから、留美はもう決して一人になることはない。必ず、あいつが傍にいてくれる。俺も、お前との間に作ってきた絆は絶対に切れないと思う。

 これを読み終わったら早く約束の場所に約束の衣装で行くといい。多分、あいつは全速力で迎えに行くはずだから』

手紙自体はそこまで長くはない。

だが、たしかな説得力があった。

だから留美は手紙のとおりに行動して、折原浩平との再会を果たした。ここまで、端的な言葉で人を動かせる祐一。その存在は遠く、手の届かないところに位置している。

留美は、そんな手の届かないところにいる優しい存在である祐一に、誰よりも憧れていた。

「ありがとう、“相沢”。あたしも、あんたに会えてよかった」
























〈次回予告〉

「こんなところが初登場の鈴彩芽です。蘭の母ですね。

 さて、娘にせがまれましてお友達のおうちに行くことになりました。

 そこで始まるささやかなホームパーティーの場で、それぞれの保護者との顔合わせになりました。

 あらあら。2人とも随分と若いですね。

 え?あぁ…そういうことですか。

 次回。今、ここで君が笑うから

 8.保護者茶話会

 ふう…あれで自分の料理がまだまだ何て言うんだったら、自信なくしてしまいそうです」

















後書き


セナ「よし、七瀬登場」

浩平「何で七瀬なんだ?」

セナ「僕が七瀬好きだから。それ以外に理由はないっていうのと、君と関わる前に実は祐一と桔梗にあ   っていたっていう設定なら無理なくやれるし。瑞佳は色々周り見るんだろうけど浩平以外の世話   を焼く姿が浮かばないし、茜は前に小ネタで使ったから無理だし、みさき先輩は根本で無茶だし   、澪も無茶だし、繭は桔梗の友達にしかなれないし。そうやって考えると七瀬ってぴったりじゃ   ない?」

浩平「まぁ、社交性っていう意味じゃある意味ぴったりなんだろうけど」

セナ「七瀬って本編で苛められたっていうか、あれはまだ嫌がらせの域だろうけど、そんなことがあっ   たから人間関係狭そうなイメージだろうけど、喧嘩相手とは言ってもすぐに浩平と打ち解けた事   を考えると結構社交性あるんだよね」

浩平「自分を作ろうとしてたのが一番の理由なんだろうけどな」

セナ「うん。あ、それから今回、ONE本編の時系列がかなり捏造されてます」

浩平「具体的には?」

セナ「七瀬の転校は春先です。それから浩平の消失は夏、祐一の引越しから暫く経った年度末に浩平が   帰還します」

浩平「ハード…ってほどじゃないか。出会いが早まって、帰って来る時期が早くなっただけだよな」

セナ「まぁ、それにも理由はあるんだけど。その辺は追々本編で」

浩平「じゃ、今回はこれまでってことで」

セナ「お疲れ様でした」