今、ここで君が笑うから

6.乙女の戦場











祐一達が保育園を出てから歩くこと数分。無事に小学校に辿り着いた。

「あ、いた」

茉莉が校門前に立っていた楓の姿を認め、その隣に桔梗が立っていることにも気づいた。

同じ転校生同士、何か通じるものがあったのだろうと思いながら2人はそれぞれの目的の人物に駆け寄った。

「お待たせ、桔梗」

そう言って、頭を撫でる祐一。完璧な親馬鹿である。

だが、桔梗もそれを嫌がる様子はない。無論、今でも『ぱぱのおよめさんになる』と言い張るほどのお父さんっ子だということは言うまでもない。

「ぱぱ!ともだちできたよ」

本当に嬉しそうに言う桔梗。そんな姿を見せられては祐一も嬉しくなってしまう。そして、その友達である楓、その姉の茉莉も嬉しくなってしまう。

転校初日にして友達ができるというのは桔梗にとっては確かな進歩だったのだ。今までを考えればそれがどれだけ勇気が必要だったか。それができたというのは確かな進歩なのだ。

「良かったな。友達は大事にしなきゃな」

「うん!」

祐一の言葉に精一杯頷く桔梗。その奥では楓が照れ笑いを浮かべている。

「君が、楓ちゃんでいいのかな?」

それまで桔梗しか見ていなかった瞳が楓に向けられる。

「う、うん!」

それに少し驚き、少し緊張し、返事をする。

楓から見ても祐一という存在は異質だった。だが、まだその異質さ、違和感を説明するべき言葉を彼女はまだ持たない。だから、何かが違うと感じるしかない。

「桔梗と友達になってくれてありがとう。これからもよろしくね」

だが、その異質さもすぐに消し飛んだ。今見せられた顔は、滅多に帰ってこない父親が帰ってきたときに自分に向けてくれるその顔だった。どこまでも優しい、包み込んでくれそうな、そんな表情。

そこで気付いた。

この人は何も変わらないのだと。父親と。

「楓です。よろしくね、おじさん」

だが、流石にこの発言には祐一も傷ついた。

分かっている。祐一とて理解はしている。先の発言には悪意など欠片ほども無く、ただこれからもよろしくお願いしますと伝えただけなのだ。

理解は、している。感情は別だが。それを伝えたところでどうなるというわけでもないことも理解している。今までだって通ってきた道だ。それに過敏に反応してしまったのは何故なのか。

そこで祐一は気付いた。

茉莉がいた。茉莉には、あまり情けない姿を見せたくは無かったのだ。それを理解して、祐一は笑った。

傷ついたままでいるのが一番情けない。だったら、すぐに立ち直ればいい。そして祐一にはそれができる。父親として、娘に情けない姿を晒し続ける事などできなかったから。

たとえ、それが焼き魚を焦がし、塩で誤魔化そうとして味○素をかけてしまい、わけのわからない味になってしまったというわけのわからない失敗をした時でさえも。

「あ、あぁ……よろしくね、楓ちゃん」

それでも、つけられた傷は深かったらしい。あからさまな動揺を示す祐一を見ながら茉莉は小さく笑った。祐一が笑われる事を望んでいない事は容易に見て取れたので祐一にだけは気付かれないようにと気を使ったのだが、幸い、祐一はそれに気付くことはなかった。

「それでね!今日はもう1人ともだちができたんだよ!」

この桔梗の言葉に、祐一はどうしようもなく嬉しくなった。あの人見知りする桔梗に、転校初日から友達が2人も。これを嬉しいといわずしてなんと言うべきか。

「そっか。今日はいないみたいだけど、今度家に呼んだらいい。そのときはパパも歓迎するから」

「うん!」

それから4人は帰路に着くこととなった。
























美坂栞は、香里の妹である。そして、祐一の知人であり、友人であり、祐一に想いを寄せる少女たちの1人でもあった。

そんな彼女は、祐一が桔梗、茉莉、楓と共に歩いているところを目撃する事になる。

「あれは…祐一さんと、誰でしょう?」

呟いてから、香里と名雪に祐一が家を出ていること、転校生が来た事などを聞かされた事を思い出す。

1人は転校生として、残りをどうするか。

それ以前に、全員、随分と祐一と仲がいい。栞が一緒の時でもあそこまでの笑顔をした事はそうそう無い。

もっとも、それは間違いなく桔梗がいるからに他ならないのだが。栞がそんな事を知る由も無い。

「まさか…ライバル出現、ですか」

今でさえ自分を含めて4人もいる。栞はその状況を確実に把握していた。同じ家にいるんだからこっちのものだよ、と密かにたかをくくっていた名雪はこの状況に慌ててはいたが、栞にとっては変わらない。元々、祐一と同居しているわけもなく、同じ学年、同じクラスというわけでもない。

彼女にアドバンテージは無かった。いや、1人だけ。もう卒業した先輩だけは学業とアルバイトで中々祐一の元に来る事すらままならなくなっていた。その点に関してのみ、栞はアドバンテージを握っていた。

だが、祐一が家を出たことにより、名雪、あゆ、祐一の生活の基盤が変わってしまった。確かに、同じ学年、同じクラスである名雪は若干有利かもしれない。しかし、今まで同居という状況に甘えてきた部分がある名雪にとって、同じクラスであるというアドバンテージを有効活用はできない。

つまり、ここに来て祐一に想いを寄せている4人が同じラインに並んだのである。

(…本気で皆さんに宣戦布告をしてみるべきでしょうか?)

これほど分かりやすいスタートはない。

ただ、1つだけ問題があった。

(あの人。心の面でも祐一さんと距離が近いように感じてしまいますね)

その問題とは、茉莉だった。

桔梗と楓に関しては栞の眼中にはない。流石に小学校低学年の児童に手を出すほど祐一は飢えていないというのが栞の認識。

残ったのは茉莉。そして、今茉莉は祐一と楽しげに話をしている。

「ライバル、確定ですね」

言いながら栞は携帯電話を操作し、名雪、あゆ、先輩である川澄舞を呼び出した。
























一方、祐一は茉莉と楓を家まで送り、実は5件隣だった事を知った。

「結構近かったな」

「うん」

その帰り。家の鍵を開けながら祐一は桔梗に話し掛けた。

桔梗も近所に友達がいることが嬉しいのか、笑顔で頷いた。

「じゃ、ご飯の準備をしようか?」

引っ越して2日目。祐一は桔梗と料理をするようにしていた。それは、不本意ながら空けてしまった時間を埋めるかのように。

傍にいられなかった時間以上に濃い思い出を作りたい。そんな想いがある。傍に居続け、害為すものから守り続ける。そんな想いもある。祐一にとって桔梗は何より優先すべきものだった。

(悪いな、皆)

だから、祐一は密かに心の中で謝り続ける。それは、自分に想いを寄せる4人の少女たち。

名雪、あゆ、栞、舞。この4人は冬の出来事以来、祐一に想いを寄せている。周りもそれを応援していた。

一方で祐一は気付かない振りをしながらも、決起の瞬間を少しでも遅らせようとしていた。何だかんだで、自分を大切に想ってくれる人たちと過ごす時間は彼にとっても大切だったのだ。だが、祐一は彼女等のうちの誰かに振り向く事を良しとしなかった。彼女等の存在が桔梗を超えるものであってはならない。少なくとも、まだ。

だから祐一は彼女等のアプローチに気付いていながら気付かない振りをする。それが、彼女等の望まない事であると気付きながらも。

「じゃ、今日はオムライスにしようか」

言いながら、祐一は家に入り、荷物を置き、手を洗う。

そのまま壁にかけてあるエプロンを身につけると腕まくりをした。

「じゃ、卵を4個出してくれ」

「うん」

祐一の後ろについてきていた桔梗に卵を出すように頼み、その間に調理器具などを準備する。ボウルに菜箸、フライパンに油。塩胡椒に鶏肉、ケチャップ。玉葱にグリンピース。

幸い、桔梗は野菜の好き嫌いはない。

炊飯器からご飯を取り出し、それを少しだけ冷ましておく。

軽く熱したフライパンに油を流し、それを馴染ませたところで油を油壷に戻す。

そこに鶏肉を入れて軽く炒める。ある程度火が通ったところで野菜を入れ、ケチャップを混ぜ込む。しっかりと混ぜ、全体に火が通ったところで出来上がったチキンライスを皿に盛り付ける。

フライパンを流しに置いて、水でしっかりと冷ましたところで使った調理器具なども一緒に置く。

「じゃ、桔梗。お願いな」

「うん」

桔梗が嬉々として洗物を始める。やはり、最初はこういうところからだろう。

さて、話を戻そう。

チキンライスを作り終えた祐一は卵をボウルに割り入れ、混ぜ始める。白身が完全に混ざり見えなくなるまでしっかり混ぜると、塩胡椒を入れた。そして、また別のフライパンにチキンライスの時と同様の手順で油を引いた。

そこにレードルで卵を流し込み、すばやくかき混ぜる。ある程度火が通ったところで卵をフライパンの先のほうへと集める。一番端のフライパンについている部分を菜箸で外してやるとフライパンを支える左手とは逆の右手で取っ手を軽く叩き始める。その動作と同時にフライパンの中の卵がゆっくりと回転する。衝撃で浮かして火の通る面を変えているのである。

そして、全体を回ったところでそれをチキンライスの上に載せる。

そこに包丁で切れ目を入れると中は半熟のままで卵がチキンライスを覆う。これで完成だった。ちょっとした洋食店などで出されるやり方である。

同じことをもう一度すると市販のデミグラスソースを卵にかけた。

「ちょっと、早かったか」

「だいじょうぶだよ。べんきょうになったから」

夕食にはまだ早い時間ではあったが、これからまだ桔梗には宿題などがあったりするのでそういった意味ではちょうどいいのかもしれない。

実は、今回の調理法。冷めてしまった後に加熱すると折角半熟にした卵が加熱されて固まってしまうので意味がなくなってしまうのだ。つまり、暖かいうちに食べなければならないということだ。

そういった事情で、相沢家では少し早い夕食が始まった。
























栞に呼び出された名雪、あゆ、舞は呼び出した本人が何も言わない事に若干の不信感を抱いていた。

無論、栞は何かを言わなければならない。だが、どこから言うべきかが分からなかった。

「…栞ちゃん。ボクたちを呼んだってことは祐一くんに関することって思っていいんだよね?」

あゆが事態の打開を試みて言葉を発する。

それが後押しになった。

「はい」

栞が確かな口調で返事をする。

「今回、皆さんを呼んだのは祐一さんと私たちの関係についてです」

言ってから、全員の顔を見渡す。そして、口を開いた。

「今日、祐一さんが私の知らない女性と小さな子と歩いていました。祐一さんは水瀬の家を出たとお姉ちゃんから聞いています。だから、これが、祐一さんがそこで新しく築いた人間関係の形だと思うんです。

 そこで、私たちは今のままでいいと思いますか?寧ろ、今度こそ、きちんと始めるべきだと思うんです。そろそろ、決着をつけませんか?この中に祐一さんの想いを射止めることができる人はいないかもしれませんけど。それでも、今のままじゃ駄目だってことぐらいはわかります。

 名雪さんとあゆさんが同居してるっていうアドバンテージも消滅しました。少しだけ、舞さんが不利かもしれませんけど。でも、これで皆が殆ど同じラインに並んだはずです。どう、ですか?」

言い終わり、もう一度全員の顔を見渡してみる。

名雪は不安そうにしていた。元々、自分の持つアドバンテージの上に胡座をかいていた部分があるのだ。だからこその不安だろう。

あゆは、どこか悟ったような表情だった。一度は祐一の前から消える事を覚悟したからなのだろうか。それ故に、ある程度どんな結果が来ても受け入れる事ができるという意思の現われなのかもしれない。

舞は、変わらなかった。ただ、少しだけ、寂しそうな顔をしていたが。

(…ほんと、それぞれですね。でも、何も言わないってことは賛成でいいんでしょうか?)

ふう、と溜息を吐いてから栞は笑った。

誰が勝っても、負けても、誰も勝てなくても。それでいい。自分たちは相沢祐一という男に救われ、想いを寄せた。たとえどんな結果になったとしても、そのことで友情に皹が入る事も無い。

「皆さん。フェアにいきましょうね」

「うん」

「そうだね」

「はちみつくまさん」

全員が笑顔で応えた。

栞は思う。

祐一さんに出会えて、皆に出会えて、本当に良かった、と。これだけでも、幸せなんだ、と。





















<次回予告>

「唐突な登場ですが、七瀬留美です。

 折原が消えてから引っ越していった祐一から電話があった。

 今度の連休で桔梗ちゃんに会いに来ないかって。

 そして、あたしは思い出す。祐一との出会い、桔梗ちゃんとの出会い。

 あたしは…あのころのあたしは、祐一に憧れてたんだ。

 次回。今、ここで君が笑うから

 7.七瀬の思い出

 あたしは北の街になんかいないわよ」























後書き

セナ「よし。みんな綺麗なままだ」

栞 「最近の作品だと私たち、凄く黒いですからね」

セナ「うん…一時期はそれを嬉々として読んでたんだけどね……冷静になってみると、僕も凄く曲がっちゃったんだなぁって思って。だから、皆が白いままでいたらいいなって」

栞 「わかります。私もよく薬狂とか変な書かれ方してますし」

セナ「それはともかく。この作品も久しぶりで、前回とは文章の書き方が違うんじゃないかなって結構心配になったりもしたんです」

栞 「でも、書きたかった展開ではあるんですよね?」

セナ「それは、ね。でも、以前とは作風が変わってる部分もあって、実はテンションの高い作品を巧く書けなくなって」

栞 「それは…前からじゃ」

セナ「や、そうなんだけどね。あの頃以上にってこと。ついでに言えば、昔の作品を読み返すのもかなり恥ずかしいんだけど、今回続きを書くに当たって読み返してみました」

栞 「どうでした?」

セナ「うん。誰か穴掘って」

栞 「掘ったらどうするんです?」

セナ「入る」

栞 「………」

セナ「………」

栞 「そんなこと、しなくてもいいんじゃないかと」

セナ「うん。実際にする気はない。でも、そんな事をしたい気分になったのも事実でして」

栞 「そ、それはともかく!!次回もお楽しみに」