「怪盗 ストロベリー・キャッツ」 第四話
「待て〜っ!」
古今東西の逃走劇においてそう言われて待った人間など居ない、と言われているが今回もその例に漏れていなかった。言われた側
は無論待つつもりはないし、言った側も追う相手が待ってくれるとは思っていないが、つい叫んでしまうのも逃走劇の常だった。
今現在北川邸内において、ストロベリー・キャット−−名雪−−を追って祐一達の追走劇が展開されていた。窓には金網が張られ
ているのでそこからの脱出は不可能だった。時間をかければ金網を切るなりして脱出は可能だが、すぐ後ろに祐一達が迫っているこの
状況では同じ事だった。
「相変わらず足が速いわね!」
発砲する事も出来ずに香里が忌々しそうに言う。狙いをつけようとすれば、立ち止まらざるを得ないのでその間に引き離されてしまう
し、動いている物に狙いをつけるのは容易ではない。かといって適当な狙いで当たるはずも無い。仕方なしに、これ以上引き離されない
ように走り続けるしかなかった。
「(祐一達もだけど、美汐ちゃんも足が速かったんだ)」
名雪を追う祐一達は、祐一と香里が先頭で、そのやや後ろを美汐が走っている。そのペースは最初から変わっていない。名雪は学生時代
は陸上部で、優秀な成績を残すほどの実力者だった。それに追いすがっているのだから祐一達の脚力も大したものである。
「(お母さんは時間を稼げって言ってたけど……)」
秋子の指示通りに名雪は時間を稼ぐべく、屋敷中を走って祐一達を引っ張りまわしていた。ガスや睡眠薬の効果は残っており、警官や
屋敷の人間は眠り続けているので祐一達の応援が来る事は無い。
『もう良いわよ。逃げなさい』
猫のマスクを通して秋子の声が聞こえた。
「(じゃぁ、そろそろ祐一達を引き離さないと)」
名雪は、腰につけてあるポーチからパチンコ玉を取り出すと、床一面にバラ撒いた。
ジャラジャラジャラ……
「なんだ?……げっ!」
ストロベリー・キャットが床に撒いた物が何か分かると、祐一達はソレが引き起こす事態を想像してしまうが、次の瞬間
「「「なんとぉっ!」」」
床を蹴って跳躍していた。香里と美汐もそれに続く。全員パチンコ玉が撒かれた範囲を無事に飛び越えて着地し、再び追撃が始まった。
「(う〜、しつこいんだよ〜)」
次に名雪はリモコンのようなものを取り出すと、そのスイッチを押した。
「(ポチッとな!)」
ボンッ!
突然、廊下の天井の一部が爆発した。同時に白い煙が立ち込める。
「な、何?」
これは名雪がしかけた隠しカメラを自爆させた事によるものだった。さらに目くらましも兼ねて、煙幕を発するようにしてある。
しかし、そんな事情を知らない祐一達は、つい足を止めてしまった。
タタタ……
「構うなっ、追うぞ!」
遠ざかる足音に気が付いた祐一は、香里達に叫ぶと同時に走り出した。香里と、それにやや遅れて美汐も駆け出す。
「(立ち直りがはやいよ〜)」
祐一達が足を止めたのは僅かな時間だったので、名雪は未だ彼らの視界に捉えられていた。名雪は逃げながらリモコンを操作して
カメラを自爆させていくが、祐一達はそれには目もくれずひたすらに自分を追ってきた。そして何度目かのスイッチを押す。
ドオォンッ!
「(え?)」
今までに無い大きな音がしたので、つい名雪は後ろを振り返る。すると名雪の目に映ったのは、
爆発のショックで落下していくシャンデリアのついた天井の一部と、その真下にいる美汐の姿だった。美汐は動こうとしなかった。
本来なら急いで走り抜けるなり飛びのくなりするのだが、大きな爆発音に驚き足を止めて音の方を見てしまい、自分に迫った事態に
身体が硬直してしまったのだ。それでもなんとか身体を動かしてその場から飛びのこうとしたのだが、思うように動かず転んでしまう。
「美汐さん!」
立ち止まった香里は叫ぶ事しか出来ず、祐一は美汐の元へと走り、
「クッ!」
転んでいる美汐を抱きかかえると、その場で美汐に覆いかぶさるようにして彼女を庇う。そしてその上に天井が落ちた。
ドォンッ!
天井裏に溜まっていた埃が舞い上がり辺りを覆う。埃が収まり、香里がそこで見たのは廊下一面を覆いつくす天井の残骸だった。
「あ……相沢、君?……美汐、さん……?」
姿の見えない二人を呼ぶが、答えは無い。
「(祐一! 美汐ちゃん!)」
名雪もその場に立ち竦んでいた。祐一達の名をもう少しで叫びそうになる。
「相沢君! 美汐さん! 無事なの!? 返事をしてっ!!」
変わりにという訳でもないが香里が叫んで、二人の無事を確認しようと残骸に近づく。名雪も近づこうとした所に、インカムを通して
秋子の声がする。
『どうしたの。何かあったの?』
「あ……天井が落ちて……祐一が、怪我しちゃったかもしれないんだよ……」
『祐一さんが?』
「助けなきゃ!」
祐一達へと近づこうとした名雪を秋子は止めた。
『……駄目よ、それより今の内に逃げなさい』
「そんな!?」
母の言葉が信じられなかった。だが、次の言葉で名雪は冷静に戻る。
『私達は掴まるわけにはいかないのよ。祐一さん達に正体を知られるわけにもいかないわ。心配なのは私も同じよ。でも今は……』
そうだった。自分達はある目的の為にこんな事をしている。目的が達せられるまで自分達は掴まったり正体を知られるわけには
いかないのだ。しかし祐一が……
「俺も天野も大丈夫だ。行け! ヤツを捕まえるんだ!」
冷静に戻りはしたが、未だ躊躇いを見せる名雪の耳に祐一の声が聞こえた。
「(祐一、無事なの!?)」
叫び、祐一の元へと行きたかったが香里がこちらを向き、走り出したのを見て名雪はその場から逃げ出した。
「(祐一、無事だよね? 美汐ちゃんも平気だよね? ごめん! ゴメンね、祐一、美汐ちゃん……)」
名雪は走りながら、心の中でひたすら祐一達に謝っていた。
★ ★ ★
「あ……相沢、君?……美汐、さん……?」
立ち込めていた埃がおさまり、香里は現状を確認する。天井は壁面も抉って落下したので、廊下の壁も下地を晒していた。この一画
だけは足の踏み場もないほどに破片が散乱している。
「相沢君! 美汐さん! 無事なの!? 返事をしてっ!!」
香里の悲痛な叫びが廊下中に響くが、返事は無い。最悪の事態が頭を過ぎる。破片が散乱する中で大きく盛り上がった箇所がある。
そこは祐一と美汐が居たところだ。今もそこに……一歩、一歩と恐る恐る近づく。今この瞬間、香里の頭の中から自分たちが追うべき
ストロベリー・キャットのことは綺麗さっぱり消えていた。
「……ぅ」
「!!」
瓦礫の山の中から小さいが声が聞こえた。それは香里が良く知る祐一の声だった。
「相沢君!」
香里は弾かれたように駆け寄った。
「相沢君、無事なの!?」
「香里か?」
意外と平気そうな声に安堵したが香里は、もう一人の声が聞こえない事に不安を覚えた。
「美汐さんは!?」
「ああ。天野も……大丈夫みたいだ。今は気を失っているようだが」
「良かった……今助けるわ」
香里は近くの瓦礫をどかそうとしたが祐一達の上にある天井材は殆ど壊れておらず、また重量もあるために香里の力では動かせなかった。
「ク……私の力じゃ……待ってて、直ぐに人を呼んでくるから……」
香里が応援を呼ぼうとしたが、それは祐一に止められた。
「いや香里、俺達のことはいいからヤツを追うんだ」
「な? 何いってるのよ。そんな事出来るわけ……」
「俺も天野も大丈夫だ。行け! ヤツを捕まえるんだ!」
その声の迫力に、思わず香里は自分たちが走っていた方を見る。そこにはストロベリー・キャットが逃げもせずに佇んでいた。
「……分かった、彼女を捕まえてすぐ戻ってくるから。いいわね、それまで無事でいるのよ!?」
「あぁ。頼むぞ、香里」
祐一の励ましに力を得た香里は、ストロベリー・キャットを追って走り出した。祐一達のことは心配だが、コンビを組んできて信頼
出来る(と、同時に自分が想いを寄せる)祐一が「大丈夫」と言ったのだ。ならば自分はストロベリー・キャットを逮捕するべく全力
を出すのみだ。見れば彼女も背を向けて走り出していた。
「逃がさないわよ!」
★ ★ ★
ポタ……ポタ……
「(ん……)」
何かが頬に当たる感触で、美汐の意識は覚醒しつつあった。
「(わたし……は……たしか、天井が落ちてきて……)」
「俺も天野も大丈夫だ。行け! ヤツを捕まえるんだ!」
意識が未だはっきりしないのか、祐一の声が何処か遠くから聞こえてくるような気がする。
「(そうだ、たしかあの時相沢さんが……)」
美汐は意識がハッキリしてくると目を開けた。暗くてよく分からないが自分の上に誰かが覆いかぶさっていた。しかし重さは感じない。
「あぁ。頼むぞ、香里」
その声は自分に覆いかぶさっている人物が発していた。この声は……
「うっ……あ、相沢、さん?」
搾り出すような声で問いかけると、目の前の人物から安心したような返答が返って来た。
「お、天野。大丈夫か?」
僅かな隙間から光が差し込んできていたので、それに慣れてくると祐一の顔が見えた。安心したように微笑んでいるが、何処か辛そう
にしている。言われてから美汐は自分の身体を調べてみる。尤も身動きが取れない今の状況では、何処か痛みや痺れを感じる所が無いか
感覚で推し量るしかなかった。その結果、足の上に何か乗っているのを感じた。
「足の上に何か乗っています。おそらく天井材かと」
「足、動かせるか?」
「……はい、何とか引き抜けそうです」
少し動かしてみると足が自由に動くようになった。
「後は特に痛むような所もありません。それより相沢さんは大丈夫なんですか?」
「あぁ、俺は……平気だ……」
ポタ……ポタ……
相変わらず、雫のようなものが美汐の頬に当たっていた。
「先程から、私の頬に何か当たっていますが、コレは……」
「ああ、すまんな。多分俺の……汗だ」
そう言うが、美汐は信じなかった。汗では感じられない臭いを感じていたから。コレは血の臭いだった。
「これは血の臭いです。相沢さん、何処か怪我をされたのですか!?」
「……すまん、嘘ついた。後頭部をちょっと切ったみたいだ」
「相沢さん!?」
祐一が負傷した事に慌てた美汐は上体を起こそうとするが、僅かに身じろぎする程度だった。
「おい天野、俺と密着して嫌なのは分かるが暴れないでくれ!」
「あ……」
祐一が苦しそうに言うのを聞いて美汐は動きを止めた。
「その、怪我の方は……」
「あぁ、大丈夫……と言いたいが、このままだとやばいかもしれん。背中に乗ってる天井材も重いしな」
だが美汐は、その重さはおろか、祐一の重さも感じていない。自分と祐一の身体の間には僅かながら隙間まで存在していた。
「まさか、ずっとお一人で支えていたのですか?」
「俺一人しかいないしな。仕方ないだろ」
「そんなっ!……香里さんは? 香里さんは無事なんですか!?」
「ああ、香里は無事だ。それでストロベリー・キャットを追うように言った」
「何故!?」
「香里しか追えるやつがいなかったからな。それに香里の力じゃコレをどかすのは無理っぽかったし」
「だからと言って!」
「すまん天野。いちいち喚かないでくれ、耳が痛い」
「あ……」
美汐が黙ると、二人の呼吸音だけがその小さな空間に聞こえていた。祐一の呼吸は荒く、その辛さが美汐にも伝わってくるようだ。
「これからどうするのですか?」
今の時点で助けは期待できない。香里はこの場にはいないし、他の警官達もいまだ眠ったままだ。もう少し時間が経てば警官達も
目覚めて助けに来てくれるかもしれないが、それまで祐一が持つか疑問だった。美汐の腕は祐一に挟まれている格好なので腕を引き
抜いて変わりに天井材を支える事も出来なかった。尤も美汐の腕力で支えきれる重さではないが。
「ん〜、それなんだが……」
祐一はこんな時でも余裕を感じさせる言い方だった。それを聞いた美汐は「この人ならなんとかするかもしれない」と素直に感じた。
「天野、抱き付いて良いか?」
「は?」
余りに予想外の言葉が聞こえたので、美汐は間の抜けた返事しか返せなかった。意味を理解するにつれて、顔が赤くなっていく。
もし自分達が今どんな体勢にあるか冷静に判断していたら、もっと先に赤くなっていたであろうが。
「な、なな……こんな時に何を考えているのですか!?」
「まて、落ち着け天野! 俺の話を聞け!」
「……」
美汐の興奮は収まらなかったが、一先ず祐一の話を聞く事にした。
「さっきから腕立て伏せの要領で、身体を起こして天井材をどかそうとしているんだが……両肘を突いた体勢なんでこれ以上身体を
持ち上げられないんだ」
「はい」
「それで、手を付きなおしたいんだが、その為には……」
美汐は理解した。その為には一時的にどこかに身体を預けなくてはいけない。この場合、美汐の身体の上に祐一の身体を乗せるしか
無い。加えて背中に乗っている物の重さも加わるので、どうしても二人の身体は密着するし、美汐にも苦しい思いをさせてしまう。
「わかりました。私なら……その、平気ですから」
「スマンな。それじゃ、いくぞ」
祐一が一声謝ると、美汐は目を閉じた。次いで自分の胸に、腹部に温かく、堅い身体が乗ってくる。その重さに、美汐は息が出来なく
なった。
「(こ、これが男の人の……相沢さんの重みですか……それと……匂い……)」
一方の祐一にも、美汐の女性特有の感触が伝わっていた。
「(やっぱり柔らかいよな……しかしボリュームのほうは……ゲフンゴフン。今はそんな事考えている場合じゃないな)」
表情を引き締めると、先ずは右手から自由しようと動かす。この間左腕側に重心をおいて、少しでも美汐への負担を減らしている。
右の掌を床につくと、今度は左腕。同じように動かして掌をつくと、身体を支えた。
「天野、いいか? 俺が身体を持ち上げたらなんとかここから抜け出してくれ」
「……」
「おい、天野!」
「は、はい!」
「大丈夫か?」
「は、はい……平気です……」
顔が紅潮しているのは息苦しさからでは無い。美汐は祐一に抱かれている気分になっていた。
「それじゃ、行くぞ!」
そんな美汐の様子にも気付かずに、祐一は身体を持ち上げ始めた。
「フンッ……ヌヌヌヌ」
祐一の身体が徐々に美汐から離れていく。上の方でも細かい破片が動いているのか物音がする。
ポタ、ポタ……
美汐の頬に落ちる雫の感覚が短くなっていた。祐一が力を込めた為に、出血が多くなったのだ。
「相沢さん!」
「も、もう少し……」
美汐の悲痛な叫びに力を貰ったのか、終に祐一は腕を伸ばしきった。開いた所から、廊下の光が差し込んでくる。
「天野……今だ」
祐一が苦しげに言うと、美汐は最大限に身体を動かして先ずは足を引き抜く。先程よりは自由に動くようになった腕を動かして、
美汐は脱出に成功した。祐一は美汐が無事に抜け出したのを確認すると、今度は自分の足を引き抜いて腹部の下に置く。両足を
置いてしゃがんだ体勢になり、今度は両足に力を込めた。
「ヌオオォォーーーッ!」
再び気合の声と共に、天井材を持ち上げる。美汐も手を掛けて共に持ち上げた。そして終に、
バターンッ!
祐一が立ち上がると共に、背中に乗っていた天上材は床に落ちた。そのまま、廊下の壁に立てかけたようになる。
「はぁ……はぁ……」
フラリ
「相沢さん!」
息を切らし、倒れていく祐一を見て、美汐が駆け寄って身体を支えた。そのまま自分もすわり祐一の頭を自分の膝に乗せる。
自分も足に痛みがあったがそんな事は構わなかった。落ち着くと祐一を眺める。
そこで初めて美汐は、祐一の状態を知った。後頭部だけでなく背中にも数箇所の出血がある。そして後頭部。ここからは出血
が続いていて美汐のズボンを濡らしていく。美汐はハンカチを取り出すと傷口に宛がった。
「天野……無事か?」
「はい」
「そうか……よし、香里の後を追うぞ」
言うなり身体を起こそうとするが、美汐に頭を抑えられて再び美汐の膝の上に乗せられる。
「その怪我では無理です。ここは大人しくしていましょう」
「……くそぉ」
自分の状態を把握したのか、一言だけ呟くと祐一は大人しくなった。だがその目はストロベリー・キャットが走り去った廊下を
見つめている。
「私の膝枕は嫌でしょうけど、我慢してください」
「へ?」
祐一はここではじめて、自分が美汐に膝枕をされている事に気付いた。
「やっぱり私の膝枕では満足できませんか?」
「い、イヤ。ソンナコトナイゾ……うん、しなやかで、それでいて心地よい張りがあって……温かくて実にヨイゾ!」
相沢祐一……『膝枕判定協会名誉会長』の肩書きを持つ男
「そうですか。ではもう少し堪能していただいて構いませんよ」
美汐の膝の温かさを感じていると祐一は意識がまどろんできたので、そのまま身をゆだねた。
「(ストロベリー・キャット。お前は俺が絶対に捕まえてやるからな)」
★ ★ ★
一方その頃、ストロベリーキャットを追いかけていた香里は、北川邸の外塀に来た所で漸くストロベリー・キャットに追いついた。
「さぁ、もう逃げられないわよ。観念なさい」
ショットガンを構えながら香里が言う。その動作に隙は無い。ストロベリー・キャットが塀を乗り越えようとすれば、彼女は躊躇わずに
発砲するだろう。中に込められているのは実弾ではなく特殊ゴム弾だが、当たれば暫く動けなくなってしまう。
「(うぅ……香里、目が怖いよ)」
マスクの中の名雪の顔に汗が流れる。
「私は早く戻らないといけないの」
今の香里は怒りと焦りに突き動かされていた。ストロベリー・キャットを追う途中で、彼女の仕掛けた罠(不可抗力だが香里は罠と
思っている)に引っかかった美汐を庇って負傷しているかもしれない祐一が心配だった。また、そんな罠を仕掛けたストロベリー・
キャットが許せなかった。
祐一達が心配なのは名雪とて一緒だったが、自分は一刻も早くこの場を脱出せねばならない。
「……いよいよ貴女も終わりね、ストロベリー・キャット。そのマスクの下にはどんな顔が隠されているのかしら」
ショットガンを構えた香里が徐々に近づいてきた。名雪は僅かな隙を見て苺カードを投げようとするが、
「動かないで!」
香里の鋭い声に名雪の動きが止まった。
「動いたら撃つわよ。いいえ、動かなくても撃つ! むしろ動かないと撃つわ!」
「(どうやっても撃たれるよ〜)」
「フフフ……。往生しなさいっ!」
興奮している香里に、心の中でツッコミを入れつつも名雪にはどうしようも無かった。そして香里の指が銃の引き金に掛かったその時、
ヒュン!
暗闇を引き裂いて何かが飛んできて、香里のショットガンに当たる。そのショックで銃口はストロベリー・キャットから逸れてしまう。
ダァン!
さらに香里は指を止める事が出来ずに発砲してしまった。逸れた銃口から発射された弾は、ストロベリー・キャットの足元に当たる。
「な!?」
香里は銃に当たった物の正体をみて驚きの声を上げた。それは自分が良く知っているものだった。
「苺カード!?」
文面こそ書かれていないが、それはまさに目の前に居る怪盗が予告状などに使うカードだった。猫と苺のイラストが描かれたカード
が照明の光を反射している。
「一体誰が?」
目の前のストロベリー・キャットが放った筈は無い。飛んできた方向が違うし、何より彼女にそんな隙は与えなかったのだから。
香里はカードの飛んできた方を見た。そこに居たのは……
月明かりを背に受け、塀の上に立つ黒いレオタードを纏った一匹の猫だった。
身体に密着したレオタードが示す身体のラインは、その人物が女性であると示している。メリハリのきいたラインは成熟した女性の
それだった。顔はデフォルメされた猫のマスクを被っていて素顔は窺えない。
「ストロベリー・キャットが……二人!?」
自分が追い詰め目の前に居る者と、自分にカードを投げた者。レオタードの色が違うと言えども、この場に二匹の雌猫がいた。
スッ……
黒猫が無言で何かを取り出し、水色猫と香里に見せ付けるようにソレをかざす。
「それは……『黄金のアンテナ』!?」
照明に照らされ、まばゆいばかりに光を反射している物は、まさに自分達が必死に守ろうとしていた『黄金のアンテナ』だった。
偽者か? と香里が思ったが、丁度のタイミングで入ってきた無線がそれを否定した。即ち「盗まれた」と。
「(目の前の彼女が囮で、黒い方が本命だったというの? でもストロベリー・キャットが二人いたなんて)」
黒猫の出現に気を取られた香里だったが、即座に立ち直ると、こんどは黒猫に向かってショットガンを構えた。
「うご……」
「動かないで!」と言おうとした香里より早く、黒猫が苺カードを投げてきた。それは香里の足元に突き刺さるが、当たると思った
香里はその場から大きく飛び退いてしまった。その隙をついて水色猫は北川邸の塀を乗り越えてしまう。黒猫も塀から飛び降りて
水色猫と一緒に走り去った。
「!! しまった!」
慌てて塀をよじ登った香里が見たものは、遠くを走り去る二匹の雌猫の後姿だった。一応非常線の手配はしたが、香里の心の中は
「今回もしてやられたわね……」
という敗北感が漂っていた。
★ ★ ★
「……」
美汐は、自分の膝の上で眠る祐一の顔を見つめていた。出血はとまっており、祐一の顔からも苦しさは窺えない。とは言え頭部
の負傷であるから油断は出来ないので、病院に連れて行く必要があった。救急車の手配は済んでいるからもう間もなく到着する筈だ。
「……」
そこへ、誰かがやってくる足音がした。美汐が顔を上げるとそこには救急隊員ではなく、ショットガンを片手に落ち込んだ表情を
した香里だった。その表情を見て美汐は失敗を悟った。先程、無事だった美汐の端末から『黄金のアンテナ』が盗まれたという
報告があり、この事態を半ば予測していた。
「香里さん……」
「逃げられたわ」
香里は言い訳じみたことは一切言わずに、事実だけを報告した。
「ストロベリー・キャットは二人いたのですか」
「えぇ……」
それきり二人の間に会話が無くなる。
「うぅ……」
ふと、何か呻き声が聞こえた。香里達が声のした方を見ると、それは美汐に膝枕をされている祐一の口から漏れた声だった。
「うぅ……ストロベリー・キャットめぇ……次こそは……」
夢の中でも彼女に逃げられていたのか。うわ言から推測される祐一の夢に、香里と美汐は苦笑をかわす。
「相沢さんは……彼女に夢中なんでしょうか……」
美汐は無意識のうちにそう口に出していた。祐一の顔に掛かる前髪をはらいながら、何となく寂しさを感じさせる口調で言った。
それを見ていた香里は、面白くなかった。また美汐がどんなつもりでそんな事を言ったのかも気になっていた。
膝枕されている祐一、それを愛しげに見つめる美汐。
「(私がしてあげたいのに)」
と思っていたが、怪我人の祐一を強引に動かす訳にもいかず、救急隊員が駆けつけるまで香里の気持ちは治まらなかった。
★ ★ ★
市内の道路を、一台の何の変哲も無い軽ワゴンが走っていた。車を運転しているのも助手席に乗っているのも女性だった。
「ふぅ……今日は危なかったよ」
助手席に座っている名雪が呟いた。名雪の服装は既にレオタードに猫マスク姿ではなく、私服姿になっている。
北川邸を脱出した名雪達は、隠してあったこの車に乗り込むと着替えを済ませて、この車で逃走していた。
「ふふふ。貴女もまだまだね、名雪」
車を運転している女性が、そう言うと名雪は頬を膨らませて抗議した。
「う〜、そんな事無いよ……」
と言ったが、直ぐに自信無さげな顔つきになる。
「って言いたいところだけど、今日は本当に助かったよ。あのままだったら『黄金のアンテナ』も盗み出せなかったし、
きっと香里に捕まっちゃっていたよ。ありがとうね……お母さん」
そう言って名雪は、隣で運転している女性−−水瀬秋子−−に微笑んだ。
「いいのよ、私達は掴まるわけにはいかないのだから。……貴女にストロベリー・キャットを継がせてから結構経つけど
私もまだまだ現役でいけるわね」
「うん。お母さん凄かったよ〜」
「でも、ごめんなさいね名雪。貴女を囮にするような真似をしてしまって」
「ううん。いいんだよ、お母さん」
先程の様子を思い返した名雪が興奮気味に語る。母の仕事振りを直接見たのはこれが初めてだった。名雪がこの仕事を受け継ぐ
にあたって色々と教えてくれたのも、この実力があってのことだった。
「やっぱりお母さんがいてくれれば、心強いよ。祐一達も最近は手ごわくなって来ているし」
「……そうね、バックアップだけじゃなくってもっと手伝うようにするわね。でも名雪、今のストロベリー・キャットは貴女なのよ。
それを忘れないでね」
「うん、大丈夫だよ」
「……名雪、一つ失敗したわね」
「え?」
「祐一さん達の事よ」
そう言われた名雪は、祐一の事を思い出した。
「あ! そうだ……隠しカメラに仕掛けた火薬の量が多くて天井を落としちゃって、美汐ちゃんが巻き込まれそうになったんだけど、
それを祐一がかばったんだよ! 祐一達、大丈夫かな……」
「大丈夫だ」という祐一の声は聞いたが、無傷とも思えなかった。名雪の祐一達を心配する顔を横目で見ながら、秋子は
前を見たまま表情を引き締めると名雪に言った。
「名雪、私達は人殺しは勿論、出来る限り人に怪我させてもいけないのよ」
「うん……お母さん、ごめんなさい」
「謝るなら祐一さん達にだけど、謝るわけにはいかないわね」
自分達の立場を考えれば当然だった。謝りたくても出来ない事に名雪も秋子も苦しんだ。
「そうだ! お見舞いなら行けるよね。そして祐一達が退院したらいっぱいご馳走作るよ」
「そうね。それがいいわ」
直接謝罪できない名雪達の、精一杯の償いのつもりだった。名雪に同意した秋子が話を続ける。
「名雪。祐一さんが来た時に出したいから『新作』の試食、宜しく頼むわね」
「だぉっ!?」
一気に名雪の顔が青ざめた。車内の空気の質も変わったように感じられる。逃れられない状況に名雪は、これは罰? と思わずに
いられなかった。
「え……えっと、それ……は」
奇跡でも起きて状況を打開できないか? と外を見ていた名雪は、前方に警察の検問があるのを見つけた。
「お母さん、検問だよ!」
前を見て運転していたので、当然気付いていた秋子は慌てずに誘導の警官の指示に従って車を止めた。ウィンドゥを開いて警官に
応対する。
「何かあったんですか?」
警官に聞かれる前に秋子が口を開く。警官は華音署の人間で秋子達の店にも顔を出す『秋子さんファン』の警官だった。
「あ、秋子さん。それに名雪ちゃん」
車に乗っているのが猫苺の母娘だった事に驚きつつも、自分の職務を果たそうとする。
「すいません、一応規則なので免許証を」
「はい、ご苦労様です」
秋子は動揺したそぶりなど見せず落ち着いていた。
「こんな時間にお出かけですか?」
免許証を返しながら警官が、世間話でもするかのように聞いてきた。真夜中過ぎのこんな時間に車を運転していれば不審がられて
当然だった。
「えぇ、ちょっと遠くまで買出しに出かけていたものですから」
変わらずの微笑でそう言うと、警官は何の疑いも持たずに信じ込んでしまった。普段の彼女達を見ているだけに、またファンである
だけに彼女たちを疑うものはいなかった。その後も2,3の質問を受け、何も問題なしと判断されると「お気をつけて」と敬礼付きで
見送られる。秋子も「また、お店の方にいらしてくださいね」と答えてからその場を走り去る。
「上手くいったね」
検問で質問されている間は、眠ったふりをしていた名雪が目を開けた。朝が弱いという事になっている名雪がこんな時間に起きて
いるのはおかしいと思わせない為だ。本来の名雪は朝が壊滅的に弱い訳ではなかった。だが、母の後を継ぐと決めた時から夜遅く
でも起きていられるように身体を調節していた為に朝が弱くなり、学生時代などは『眠り姫』などという称号(?)を持つに
至ったのである。
「えぇ……でも最後まで油断しては駄目よ」
しかしその後は何事もなく、自分たちの家へと帰ってこれた。ガレージに車を入れて家の中へと入っていく。
「今日も無事に帰って来れたね、お母さん」
「えぇ。今日もご苦労様、ゆっくり休んでちょうだいね」
お互いの苦労を労った所で、ようやく二人の顔に本来の笑みが浮かんだ。
「あ、そうそう名雪。朝から早速『新作』の試食頼むわね」
名雪の笑みが消えた。
★ ★ ★
数日後
とある北の街……華音(かのん)……その街にある、華音警察署……の道路を挟んだ向かい側にある一軒の喫茶店
『猫苺(ねこいちご)』
「くそ〜、ストロベリー・キャットめ〜」
そこで祐一が機嫌の悪そうな顔でコーヒーを飲んでいた。頭に巻かれた包帯が痛々しい。病院に運ばれた時は大層心配されたもの
だが、検査の結果脳に異常はなく数日の入院で済み、先程退院して現在ここ猫苺でコーヒーを飲んでいた。
『俺はギャグキャラじゃない!』
僅か数日で復活した祐一に驚いた者達への、祐一の返答である。
閑話休題
相変わらず祐一は不機嫌だった。またしてもストロベリー・キャットを取り逃がしてしまったからだ。さらにはここ数日の入院
生活で溜まったストレスも、彼の不機嫌さを増すのに一役買っている。
「あらあら……祐一さん、悔しいですか?」
そんな祐一の様子を見ていた秋子が苦笑混じりに祐一に声をかけた。
「悔しいというか……まぁ、そうですね。俺達が馬鹿にされたみたいで……」
そう言いながらコーヒーを一口啜る。猫苺特製、祐一のお気に入りのコーヒーでも祐一の気持ちを抑える事は出来なかった。
「それにしても……ストロベリー・キャットめぇ……」
また悔しさとも怒りとも取れるものがこみ上げてきたのか、祐一がそう漏らす。
「あらあら祐一さん、違いますよ」
「え?」
「香里ちゃん達から聞いたんですけど、彼女達は二人いたんですよね? だったら『ストロベリー・キャッツ』と呼んだ方が
良いんじゃないでしょうか?」
そのことは入院中に、見舞いに来ていた香里から聞き、祐一も驚きを隠せなかった。
「そうですね。二人いるから複数形の『キャッツ』か。一人だけでも厄介なのに……」
そう考えると、負傷した事とは別に頭が痛くなってきた。だが同時に”必ず捕まえてやる”という闘志も湧き上がってくるのだった。
「絶対に捕まえてやるからな!」
決意してコーヒーをまた一口飲んだ。秋子はそんな祐一の様子を少し寂しげな表情で見つめていた。
「秋子さん、どうかしましたか?」
そんな秋子の様子に気付いた祐一が声を掛けると、秋子は即座に表情を取り繕って答えた。
「いえ、ちょっと考え事をしてまして……祐一さんの退院のお祝いをどうしようかと」
「え? あ、いやそんな大げさな。怪我だって大したことありませんから」
「でも……祐一さん、前に『無茶はしない、気をつけます』と言ったのに病院に運ばれるような怪我をして……本当に心配した
んですよ?」
言われて祐一は言葉に詰まった。確かに以前気をつけますと言ったのに、美汐を庇う為とは言え負傷してしまった。これでは秋子
との約束を破ったのと同じだ。更にやや涙目になっている彼女の顔を見てしまったら、祐一は彼女の言われるがままになるより無かった。
「はい……すいません秋子さん。心配かけてしまって」
見舞いに来てくれた時から何度目になるか分からないが、祐一は頭を下げる。何故お祝いの事を考えていたのに寂しげな顔を
していたのかが気になったが、自分の事を心配していた為だろうと結論付けた。
「ふふふ。沢山ご馳走を作らないといけませんね。名雪も張り切っていましたから、楽しみにしてくださいね」
秋子が笑顔でそう告げると、祐一は名雪がこの場にいないことに漸く気が付いた。幾ら朝が弱い名雪でも、もう起きていていい時間
である。
「そういえば名雪はどうしたんです? 何時もならとっくに店に出てきているでしょう?」
「それなんですが……あの娘ったら、寝込んでしまって」
困った顔で告げる秋子の様子に、祐一は名雪のことが心配になって詳しく尋ねる。
「名雪のやつどうかしたんですか? 風邪でもひいたとか?」
「いえ、あの娘に『新作』の試食をしてもらったんですが、それ以来寝込んでしまって……」
「!?」
祐一の心に緊張が走る。本能がこの場からの撤退を全力で促していた。以前にも何度かあった展開だ。おそらくこの次の秋子の言葉も
「そうだ祐一さん。折角ですから祐一さんも試食を……」
やはり予想通りの展開だった。ポケットに予め用意しておいたコーヒーの代金をテーブルに叩きつけるように置き、同時に
立ち上がりながら慌ててまくし立てた。
「あ、俺そろそろ署に戻らないと! コーヒーご馳走様でした。退院祝いのことは香里達と相談します! それじゃっ!!」
「ご馳走楽しみにしてます」とは言えなかった。言えば確実にその『新作』とやらが出てくるだろうから。
カランカラン♪
カウベルが扉を乱暴に開けたことに抗議するかのように強く鳴る。だが祐一はそんな事にもお構いなしに署へと走っていく。
「あらあら」
店を飛び出していく祐一を見ていた秋子だったが、店内に目を向け、ふと何かを愛しむような顔になる。
ストロベリー・キャッツの目的……有名な作品等を闇雲に集める事ではなかった。彼女達が盗んできた物にはある共通点があった。
それは作品の製作者が、実は失踪した秋子の夫である事、宝石であれば彼が加工した物だという事。
何故そんな事をするのか、それは……
「(あの人の作品を狙う苺と猫の名前を持つ怪盗。それが有名になってあの人の耳に届けばきっと連絡が来る。そうでなくても
何かしらの情報が手に入るはず)」
その一念で秋子はストロベリー・キャットを名乗り、夫の作品を盗んでいった。それから娘に名前を譲ったが、
今再び娘と二人で『ストロベリー・キャッツ』となって夫の作品を集め始めようとしていた。
「(生きていれば……いいえ、必ず生きている。だから……きっと私達の元に戻ってきてくれますね? あなた……)」
何処かで生きているであろう夫に向かって、秋子は心の中で呼びかけた。
★ ★ ★
「ふぅ、折角退院したのにまた『アレ』の所為で寝込むなんてことになったら洒落にならんからな」
猫苺を飛び出し、暫く走った所で祐一は足を止めて呟いた。既に道路は渡っているので直ぐ目の前に華音警察署があった。
「それにしても、ストロベリー・キャッツか……」
先程の秋子との会話に出てきた事を思い出す。自分達が追い続けている怪盗。突然スリーサイズが変わったのだが、二人いたの
だとすればそれも納得がいった。
「そういえば、アイツ達って秋子さんと名雪のスリーサイズと一緒なんだよな……どことなく身体のラインも……まさか……」
そこまで考えに浸っていた祐一だったが、突然何か思いついたようにハッとなり頭を振った。
「イカンイカン! 何を考えているんだ。秋子さんは母親みたいな存在だし、名雪は……そう、家族みたいなものだ。その二人を
そんな風に見るなんて……名雪ははっきり言ってトロイし、秋子さんだっておっとりとした性格だし……あの二人がそんなはず
無いよな、うん」
神ならぬ身の祐一には真実が分かるはずも無い。
考え事をしながら歩いていた祐一だったが、気が付けば既に署内の廊下を捜査課に向かって歩いていた。すれ違う署員達と
挨拶をかわしていく。
「ハ……ハックシュン!」
祐一は、唐突に鼻がムズ痒くなりその場で大きなクシャミをする。
「むぅ……風邪でも引いたか? 或いは『退院したが、まだ身体が本調子でないので今日はサボりなさい』という啓示か?」
などと自分に都合のよい解釈をしていた。
★ ★ ★
祐一と秋子が猫苺で話をしていた頃の華音警察署、捜査課
「相沢君、今日退院してくるはずなのに……猫苺でコーヒーでも飲んでいるのかしら?」
自分の机の隣−−今は空席の祐一の机−−を見ながら香里は少し寂しげに呟いた。祐一の行動パターンから、自分の推測は間違って
いないだろうとの確信はあった。迎えに行っても良いのだが、彼女にしては珍しく報告書などの書類整理が残っていて、大人しく祐一
がやってくるのを待つしかなかった。尤も、書類整理が残った原因は、祐一が気になって手につかなかった所為なのだが。
「相沢のやつ、今日退院だろ? まだ来てないのか?」
近くを通った斉藤がそんな事を言ってきた。頭に刺さったアンテナを抜くと元に戻った斉藤は、あれから変になることもなく
日々を平穏無事に(?)過ごしていた。
「えぇ、そうなんだけど……どうせまた猫苺でコーヒーでも飲んでいるわよ」
香里のどこか悟ったような口ぶりに斉藤も、「そうだな」と苦笑混じりに同意していた。香里も斉藤もそれ以上話すことなく、
お互いの仕事に戻る。
「……」
何の気なしに香里は、自分の向かいにある机を眺める。そこは普段は誰も使っていないが、数日前までは美汐が使っていた机だ。
「美汐さん。どうしているかしら?」
一週間だけだったが、同僚として働いていた刑事の事を思い出す。美汐はストロベリー・キャッツが現れた次の日に、期限の日が
来てしまい、元の職場へと戻っていった。自分の所為で祐一が怪我をしたと思っている美汐は、時間ギリギリまで祐一を見舞っていた。
駅まで見送りに行った香里は、美汐が去り際に見せた表情が印象に残っていた。
「(彼女、凄く寂しそうな顔をしていたけど……まさか、ね……)」
「お、みんな集まっているな。……相沢のヤツがいないが、まぁ良いだろう」
入ってきたのは石橋課長だった。その声に課内の全員が石橋に注目する。だが直ぐに注意は石橋の隣に立つ人物に向けられた。
香里もその例にもれずにその人物に注目し、これまた他の皆同様に驚いた。
「紹介しよう。といっても皆はもう彼女の事は知っているな。本日付けで正式にこの課に配属になった『天野美汐』刑事だ」
「天野です。この度は正式にこちらに配属になりました。また皆さんと一緒に仕事が出来て嬉しく思います。今後とも宜しく
お願いいたします」
天野の礼儀正しい挨拶に、男性達から歓声が上がった。そんな中を美汐は、自分が使っていた机に歩いていった。美汐が以前と
同様にこの机を使うのは決められていたらしかった。
「香里さん。今後とも宜しくお願いいたします」
「こちらこそ。宜しくね、美汐さん」
お互いに笑って挨拶を交わした。
「驚いたわ。まさか正式にウチの署に配属になるなんて」
「はい。転属願いを出して、受理させ……イエ、していただきましたので」
何か不穏な言葉が聞こえたような気もしたが、香里としても、仲良くやっていけそうな美汐が戻ってきた事は嬉しかったので深く
追及する事はしなかった。
「相沢さんは……まだ戻られていないのですか?」
美汐はそう言って香里の隣の机に目をやった。
「えぇ、今日退院するはずなんだけどね。大方猫苺でコーヒーでも飲んでいるわよ」
「そうですか。ではその内にやってきますね」
そしてそこに祐一がいるかのように微笑みかける。
「(美汐さんって、こんな風に笑えるのね。でも、この笑顔を見たら彼女のファンが出てくるでしょうね)」
香里のこの考えは、後日証明される事になる。美汐の上品な物腰と、めったに見せない微笑みにやられた署内の男性職員を中心にした、
『みっし〜ファン』なる新興勢力(?)の存在が確認されるのだがそれはさておき、香里にとって笑顔自体は問題では無かった。
問題はその微笑みを向ける相手にある。
「(まさか、彼女も……?)」
その答えは、先程からの美汐の笑顔が物語っている。それは自分も知っている顔−−恋する女の顔−−だった。
「(美汐さんが戻ってきてくれたのを喜ぶのは早まったわね)」
香里はそんな事を考えていた。そして大きなため息をつくと、美汐に忠告とも取れる愚痴をもらした。
「美汐さん……前に貴女が来た時にこの事を言っておくのを忘れていたわ」
「何でしょうか?」
「この街にはね、ストロベリー・キャッツの他にもう一人、とんでもない怪盗がいるのよ」
それは美汐も初耳だった。更なる情報を得ようと香里の言葉に耳を傾ける。今では真剣な刑事の顔になっていた。
「それは?」
「それはね……女心を専門に盗む怪盗『相沢祐一』よ」
香里の言葉を聞いた途端、美汐の顔は真っ赤になった。次いで香里の言いたい事を理解し、冷静に戻った美汐は先程までの
笑顔に戻ると香里に言う。
「そうですか……私は早速被害に遭いました。……香里さんも、ですよね?」
美汐とて、香里の気持ちには気付いていた。祐一の事を話す香里の顔は今の自分と同じ−−恋する女の顔−−だったから。
これは美汐の、香里へのライバル宣言のつもりだった。聞いた香里も受けて立つ。
「えぇ……でも安心して美汐さん。彼は必ず私が捕まえてみせるから」
「いいえ、それには及びません。私も刑事ですから自分で捕まえてみせますよ」
「彼は手強いわよ? 私だって随分と彼を追っているけど全然捕まえられないから」
「手強いのは認めます……ですが、負けませんよ」
「ふふふ。何はともあれ……宜しくね、美汐さん」
「はい。宜しくお願いいたします、香里さん」
お互いに握手をかわした。
「(こんなことを話しているって知ったら、相沢君はどんな反応をするかしら?)」
「(こんなことを話していると知ったら、相沢さんはどんな反応をするのでしょうか?)」
どこかで誰かがクシャミをする音が聞こえた気がした。
美坂香里と天野美汐
仕事では良き同僚として
私生活では良き友人として
そして、相沢祐一を巡っては良きライバルとしての二人の関係はここから始まる。
★ ★ ★
喫茶『猫苺』の住宅・水瀬家
「う、う〜〜ん……だ、だぉ……」
名雪の部屋では、この部屋の住人である名雪がうなされていた。部屋には猫のぬいぐるみ等が立ち並ぶ。またカーテンやカーペット、
布団のシーツは苺柄だった。名雪がいかに猫と苺が好きなのかを物語っていた。
「う、う〜ん……ゆういちぃ〜」
秋子の『新作』を試食してから寝込んでいたが、うなされつつも祐一との甘い日々の生活を夢で見ていた。
「うぅ、いつか……いつか祐一の心を盗んでみせるんだぉ〜」
★ ★ ★
今宵もまた、一枚の苺カードが舞う。
夜の闇の中を2匹の猫が駆け巡る
『怪盗ストロベリー・キャッツ、参上だよ!』
終わり
あとがき
こんにちは。『ストロベリー・キャッツ』4話(完結)お届けの
うめたろです。
はい、なんとか完結できました。ふ〜ヤレヤレ。
4話は殆ど書き上げてあったので、早くに投稿できました。
(でも連続投稿は無理でしたorz)
これで終わりですが、あと番外編らしきものでも一本書こうかな?
と考えていますので、その際にはまた色々とよろしくお願いしますm(_ _)m
今回はこの辺で
最後に
今作品を掲載してくださった管理人様
今作品を最後まで読んでくださった皆様に感謝して
後書きを終わりにいたします。ありがとうございました。
では。 うめたろ