I0  前編




その日、とある国立大学に通う21歳、椎名月詠の様子はおかしかった。

日頃から子供っぽい言動と行動を繰り返す彼女は、その童顔も手伝って仲間内ではマスコット的な存在だった。

だが、この日は話し掛けても、からかっても返ってくるのは気のない返事だけだった。

「月詠、今日どうしたの?何か変だよ」

いつも変だけど、という言葉を呑み込みつつ、友人は月詠に声をかけた。

「さっちゃん…」

21の女が同じ21の女にさっちゃんはないだろ、と何度目かはわからない文句も呑み込みつつ、笑顔を浮かべる。

「悩みとかあるならさ、話してみなよ。それで楽になるかもしれないし」

「そうかな…?」

月詠の行動を見て友人は思う。

そこは悩むとこじゃない、と。

「じゃあ、話すね。じつは…」










その日、某公立小学校5年生、11歳の葵翠(よくミドリと呼ばれるが、正しくはスイ、である)は普段ならやらないことをしていた。

日頃から家業である喫茶店の手伝いを学校に次ぐ生活の中心としていた彼だったが、この日はクラスメイトの女の子の家に行っていた。

「ホントに読むの?」

そう言って、女の子は紙袋を差し出した。

「うん……どんなかなって思って」

翠が受け取ったのは少女漫画だった。

普通、この年頃の少年は「どんなかな」と、思ったところでクラスの女子から借りようとは思わない。

精々、姉か妹の部屋に入り込んでこっそりくすねてくるくらいだ。

だが、生憎と翠は一人っ子だった。










大学構内カフェテリア。

「はぁ…」

月詠の相談を受けた友人だったが、今度は彼女が溜め息を吐く番だった。

女子校育ちで、性行為等には呆れるほどに無知で、初恋の“は”の字も知らなかった月詠が恋をした。

それはいい。それはよかった。

だが、問題が二つあった。

一つ目は、月詠がそれを恋と自覚していないということ。まぁ、初恋なので仕方ないか、と友人は納得しているが。

そして、二つ目。これが最大の問題だった。

そう、恋をした相手である。

あくまで、月詠の推測だったが、相手は小学校高学年程度だという。十近くも年が離れている。

(うん、あれだ。この娘が恋をしたことなかったのってショタコンだったからだね)

それが友人の結論だった。

「ねぇ、さっちゃん…私、変になっちゃったのかな?」

大丈夫。ずっと変だから、とは口が裂けても言えない友人。

「べ、別に変じゃないよ。誰でも一度は通る道だから」

その言葉の通り、この友人は四年前に通っている。

「さっちゃんも?」

「うん、私も」

そこまで聞いて月詠は笑顔になった。

「もしかして、これが恋なのかな?ねぇ、どうかな?」

「うん、きっとそうだと思う」

社会的に問題があっても、逆紫の上化計画だと思えばいい。

呆れるほどに一途な月詠なら何年でも想い続けることだろう。

それが友人の至った最終的な結論だった。

(それに、初恋なんてそんな実るものでもないし)

因みに、この友人の初恋の相手は自分で作ったわけではないが、ハーレムを作ったとか。

尚、この“さっちゃん”の名前は弓塚さつき、だったりする。










そもそもの発端は、前日に月詠が一人で行った喫茶店にあった。

葵屋という喫茶店は知る人ぞ知る穴場として一部の人間に知られており、彼女はその存在を聞いたその足で向かったのだった。

「いらっしゃいませ」

バイトの女子高生が彼女を出迎える。

席――一人ということもあってカウンターに通された月詠。

その斜め前ぐらいの位置でグラスを拭いている少年――翠。

月詠は翠をじっと見つめた。いや、目を離すことができなかった。

見ての通りの小学生だったが、手慣れた手つきでグラスを扱い、落ち着いた表情で仕事をこなす翠の姿は、自分でも子供っぽいと自覚している月詠にはとても眩しかった。

「あ…」

注文をしようと翠に声をかけようとして、月詠は躊躇った。

(何か…カッコイイんだもん)

だが、このまま注文もせずに見ているわけにもいかないと思い、結局は翠に声をかけた。

「オーダーいいかな?」

「あ、はい」

翠は手元にあった伝票を掴むと、エプロンのポケットからボールペンを取り出した。

「この、ケーキセットと、ダージリン。それから…」

月詠は一拍、間を置いてから、

「君」

カシャン、と音がした。

翠が伝票とボールペンを落として固まっていた。

(え…?どっかで聞いたような台詞……)

真剣に悩む翠。

(あ、何か可愛い反応。って、あれ?私、何て言ったんだっけ?)

一方の月詠も悩み始めた。

(注文で『君』って…私、小学生をナンパしたの!?)

すぐに解答に至った月詠だったが、今度はまた別の理由で悩み始めた。

「翠くん、オーダー。通さなきゃ」

「あ、はい」

一人ぐるぐると悩み続けていた翠にバイトの女の子が助け船を出した。

翠はすぐに伝票とペンを拾って厨房にオーダーを通した。

(どうしよう……何であんなこと言っちゃったんだろう)

この日、月詠は出されたケーキの味もわからないほどに悩み、そのまま店を後にした。










「セカンドコンタクト…」

大学から帰ってきた月詠は翠と出会った日のことを思い出してから呟いた。

「あの通りに…なってる」

彼女の視線が本棚に向けられる。

そこに並ぶ少女漫画『セカンドコンタクト』

立場と年齢だけが逆ではあったが、状況はその漫画の通りだった。

「このまま…このまま進んだらどうなるかな?」

本棚に手を伸ばす月詠。

手に取ったセカンドコンタクトの第一巻を捲る。

主人公の小さな女の子が家業の手伝いをしていたら大学生の男が冗談半分で口説いたことがきっかけで始まる物語。

女の子は悩んで、大学まで出向き男に告白をし、大学生と小学生の奇妙なカップルが誕生する。

これが第一巻の内容だった。

「来るの…かな?」

不完全ではあるが、光源氏計画と言って差し障りない。

そして、月詠もその第一歩を踏み出してしまっている。

だが、彼女は自分が待つタイプではないことをよく理解していた。

「どこに行けば…会えるかな?」

小学校。学区の想像はできる。

しかし、正確な学年、クラスは不明。挙げ句に名前も『スイ』と呼ばれていることしか知らない。

逆に、翠は月詠を知らず、大学も当然知らない。

つまり、

「葵屋だけ、か」

二人の接点は葵屋だけなのである。

ただ、問題があるとするならば、月詠の財力にある。

バイトも売春もしていない(前者はともかく、後者は彼女の知人は誰一人としてやっていない)月詠の財源は親からもらう小遣いに限定されるのである。

「お金なくなるまでに告白しよう」

決意を口に出して気合いを入れる月詠。

因みに、彼女は完全に失念していたが、葵屋でバイトをすれば財力は関係なくなったりする。










「何、これ」

翠は借りた漫画を見て呆然とした。

彼が借りた漫画、実はセカンドコンタクトだったりする。

つまり、内容が自分の体験そのものなのである。

「じゃあ、あの人はこれを真似ただけ?」

翠がこの漫画を借りた理由は月詠の件があって、その意図を少しでも悟ることができれば、と思ったからだった。

「こんなの…」

苛立ちと共に、翠は本を閉じた。










セナ「すみませんでした」

月詠「第一声がそれ?」

セナ「まずは謝らないと」

月詠「そうだけどさ…」

セナ「さて、設定段階ではコンビニ店員、さらに19歳だった月詠ですが」

月詠「若い…」

セナ「中編にするにあったって箱入り娘になってもらいました」

月詠「年は?」

セナ「インパクト」

月詠「…鬼」

セナ「さて、話はかわって、さっちゃんこと弓塚さつき嬢ですが、完全なゲストキャラです。

ついでに真人間です」

月詠「無視した…」

セナ「では、後編でお会いしましょう」