*** 姉妹の悲劇〜再び 第三話 ***
栞が学校を休むようになってからは、今度は香里の様子までおかしくなった。
俺が香里に栞の様子を聞いても「えぇ大丈夫よ」位しか言わない。
さらに「ちょっと寝込んでいるのよ」とも言い出す。
そんな日の放課後……
「なぁ、香里。栞のお見舞いに行こうかと思うんだが?」
「あ、うん。そうだね、私もいいかな、香里?」
慌てて帰ろうとする香里に声をかけると
名雪も参加してきた。どうやら今日は部活は無いらしい。
だが、香里は……
「え、栞?……誰?」
「誰って……何言ってるんだよ、香里。妹の栞ちゃんだよ?」
その言葉に困惑する俺と名雪。そして……
「私に……栞なんて、妹なんていないわ」
「「!!!」」
それはかつて同じ少女が口にした言葉。
だが、あの奇跡以来二度と口にすることは無かった言葉。
「え、ちょ、ちょっと、香里?」
「ごめんなさい、今日は用事があって急ぐから。」
「香里?」
「来ないで!」
「えっ……?」
「あ……ご、ごめんなさい。本当に急ぐから」
香里は、慌てて引きとめようとする名雪を振り払うかのようにして、教室を出ていった。
後姿なので表情を見ることは出来なかったが、その背中でも「来ないで」と語っていた。
名雪にしてみれば、何故香里があんなことを言ったのか、何故あんな行動に出たのかが理解
できなかったのだろう。追いかけようともせず、ただ香里の出て行った教室の出入り口を見つめて
立ちすくんでいた。
俺は、あの「妹なんていない」の後は、香里に声をかけることすら出来ずにいた。
「(何が……何があったんだよ、香里)」
帰り道
あの後、俺と名雪は一緒に下校していた。名雪に声をかけられるまで、ただ呆然としていた。
いつもの俺ならこのまま美坂家に行って事の真意を問い詰めただろう。だが、「来ないで」という
香里の俺をも拒絶する意思がそれをさせなかった。
「う〜ん、一体どうしちゃったんだろうね?香里と栞ちゃん。喧嘩でもしたのかな?」
「……」
名雪の疑問に答えられなかった。俺の頭の中は「何故?」という疑問で一杯だったから
『俺では香里を支えてやれないのか』という不安も……。
「「妹なんていない」なんて普通じゃないよ。祐一は何か聞いていない?」
「ああ、俺にも何も話してくれない」
「う〜ん、栞ちゃんまた酷い病気になっちゃたのかなあ?」
「いや、それは無い……と思う。香里が否定していたからな」
「う〜ん、それはそうだけど」
栞の一連の出来事は名雪も知っている。全てが終わった後、香里と俺が話したのだ。
香里が「今まで黙っていてごめんなさい」と謝った。親友の名雪に今まで相談はおろか、栞の
存在をも隠し通していたことを。その理由も全部喋った。全てを話した後、名雪が言ったのは
『妹さんが助かって良かったね。栞ちゃんって言ったっけ?今度一緒に遊ぼうよ。みんなで』
だった。いつもはぽけぽけした雰囲気だが、名雪だって小さい頃に父親を亡くしているから
大事な人を喪う悲しみを知っている。だから香里の気持ちも理解できたのだろう、香里を責める
ような事は一言も言わず、全てを話し終えた香里をただ優しく抱きしめていた。
「……いち、祐一!」
「ん、あ、なんだ?」
どうやら、また例の疑問で一杯だったらしい。
「ぼ〜〜っとしちゃって、駄目だよ祐一!」
「ぼ〜〜っとしてたか、俺?」
「うん、いつもより更にぼ〜〜〜〜〜〜っとしてたよ。某赤い人みたいに通常の3倍だったよ」
む、何を言いだすかな?コイツは。俺は隣で笑っている名雪の頬っぺを思いっきり引っ張ってやった
みにょ〜〜〜〜ん
「はわわわ、いひゃい、いひゃいよ、ゆういひ〜〜」
「えーい、うるさい!誰が『キング・オブ・ぼ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとしてる』だ!?」
さらに引っ張ってやる。おぉ、伸びる伸びる
「うぅ〜〜〜〜ふぉこまれ、いっれらいよ〜〜〜〜ふぁなひれよ〜〜〜〜」
「大体『万年居眠り姫:プリンセス・オブ・ぽけぽけ』のお前に言われたくないわぁ!」
「うぅぅぅう〜〜〜〜(涙)」
名雪が涙目になってきているのでこの辺で許してやるか。手を離すと少し赤くなった頬を
さすりながら睨んできた。怖くないが。
「う〜〜酷いよ祐一〜〜でも、プリンセスなんて照れるよ〜〜へへへ〜〜」
「ソコは反応するのか。それはともかく、俺は酷くない。
お前が、ぼ〜〜〜〜っとしてるなんて言うのが悪い」
ここまでは日常のやり取りだった。いつもの俺たちの……いつもの?
そんな考えが顔に出ていたのか、名雪が笑って言った。
「ふふ、よかった。いつもの祐一に戻ってくれたよ。元気でた?」
「名雪?」
「だって、栞ちゃんも香里も何処か様子が変だったし、その上祐一までおかしくなっちゃったら
駄目だよ。」
「名雪……」
「でもまだ、本当の祐一じゃないよ。本当の祐一だったら香里の家に押しかけてでも理由を聞く
筈だよ。祐一は、香里の……彼氏さんなんだから、力になってあげなきゃ駄目なんだよ!」
「!……そうか、そうだよな。俺、これから香里の家にいってみる。また、来ないでなんて
言われるかもしれないけど、無理にでも香里の、あいつらの支えになってやるさ。」
「うん、そうだよ。おせっかいは祐一の良いところだよ」
「??そうか?何か納得できないけど……ありがとな、名雪」
「どういたしまして、だよ。……もし祐一が香里と栞ちゃんに振られても私がいるから平気だよ」
「馬鹿いえ。ま、とにかく行って来るさ」
「うん。ふぁいとっ、だよ!………………ふぁぃとっ……だよ」
名雪のいつもの台詞で激励を受けた俺は、すでに美坂家に向かって走り出していた。
……本当にありがとうな、名雪。
俺は美坂家への道を走っていた。
いくら方向音痴の俺でも、何度も行った事のある道を間違えたりはしない。
何故何度も行った事があるかって?
栞が検査で病院に行くときは両親も付き添って行く事もある訳で……
そういうときは『なぜか』泊り込みになって……
そうなると家には香里が一人になってしまう訳で……
そうすると香里の恋人としては心配だから、美坂家に行くのは当然(?)の成り行きな訳で……
で、夜は……ゲフゴフゴッホン!そんな事より、今は美坂家に行く事の方が大事だ!
(誰に言い訳してるんだ、俺?)
毎朝(強制的に)鍛えられている脚力を駆使して夕暮れの住宅街をひた走る。やがて「美坂」の
表札が掛けられた一軒家の前で立ち止まる。が…………
玄関にも、そして外から見えるどの窓にも明かりが付いていなかった。
「居ない……のか?」
玄関のチャイムを鳴らしてみる。
「ピンポ〜〜〜〜ン」
反応は無かった。それから何度鳴らしてみてもやはり結果は同じだった。
「何だよ、なんなんだよ」
今まで走ってきた疲労が一気に出たのか、玄関戸に背を預けると、そのまま座り込んでしまった。
……何時までそうしていただろうか、ふと気が付くと空はすっかり暗くなり、星空となっていた。
(一旦、帰ろうか?)
そう思って立ち上がった時だった。
♪〜〜〜♪♪〜〜♪〜
「!?」
俺の携帯電話が着信を告げた。そうだ、電話だ!何で電話で連絡とろうとしなかった?
そんな事にも気が付かないほど俺は動揺していたらしい。
とにかく、電話にでよう。それからだ。
ポケットから取り出して着信欄を見る。そこには……
『美坂栞』
「!?」
今会いたい人物の一人、事の発端となった張本人。彼女が電話をかけてきている。
話したいのに、話をしなくてはいけないのに、いざその機会がきてみたら、
なぜか俺は電話をとれなかった。
(ふぁいとっ、だよ!)
名雪の言葉が思い出される。
そうだ、俺は決めたはずだ。あいつらの力になってやると。
「もしもし、栞か?」
『はい……栞です』
数日ぶりに聞くそれは、紛れも無く栞のものだった。多少弱々しくはあったが、はっきりと
自分の事を主張していた。
「なあ栞、一体……」
聞きたい事があった。
今どこにいるんだ?
なんでここ数日休んでいるんだ?
香里も様子がおかしかったし、どうしたんだ?
一体、何があった?
どの質問からすべきか迷う俺に、栞のほうから答えが提示された。
『あの……まずは、色々心配かけてごめんなさい。お姉ちゃんから聞きました』
「香里、香里は一緒なのか?今何処にいるんだ?」
『はい、今ここには居ませんけど。えっとですね、今は病院です。今日も検査なんですよ。
両親と、今日はお姉ちゃんも一緒にきたんです』
「そうだったのか」
『はい。あ、安心してくださいね。結果は問題無しでした。今一人なので祐一さんに連絡
してみたんです』
「なあ、栞。ここ数日どうしていたんだ?あの怪我と何か関係があるのか?一体何があったんだ?
…………それに、香里が……お前の事を、その……」
最初の停滞が嘘のように、俺は質問を続けた。だが『香里が妹なんていないと言ってた』
という言葉は言えなかった。
『はい、知ってます』
「一体何が……」
『祐一さん。今はそれらの質問に答えられません』
「何故だ!?」
『ごめんなさい。……祐一さん、明日の放課後、時間とれますか?』
「明日か?ああ、いいけど」
『明日、全てお話しします。私の事も……お姉ちゃんの事も』
「今日これからじゃ駄目なのか?」
『まだこれからしなくちゃいけない事がありますから、ごめんなさい』
この場はこれ以上の事は聞けないだろう。とにかく明日に全て話すと言ってるし、
ここは栞を信じるしかないか。
「分かった。明日の放課後だな?」
『はい、ありがとうございます。今は何も言えなくてごめんなさい。でも、
私と……お姉ちゃんを信じて下さい』
「ああ、大丈夫だ」
『それじゃそろそろ切りますね。……明日は私もお姉ちゃんも学校は休みますから、
明日は……あの公園で待っていて下さい』
「ああ、噴水の前で待ってる。それじゃ切るぞ。お休み、栞」
『はい、お休みなさい。祐一さん』
その挨拶を最後に電話が切れる。…………全ては、明日だ。
次の日
「祐一、放課後だよ!」
「あぁ分かってる。じゃあ名雪、行ってくるぞ」
「うん。二人の事頼んだよ!」
昨夜……
帰宅した俺を出迎えた名雪に、電話での事を話した。てっきり名雪も明日は付いてくると言い出す
かと思っていたが、
『二人の事は気になるけど、祐一なら解決できるって信じているから。
でも、後で話をきかせてよね』
と言ってくれた。
公園に着いた俺は噴水の前にいた。どうやら栞はまだ来ていないらしい。
「ふぅ、この公園には何かと縁があるよな」
栞と出会った場所であり、スケッチしたりデートコースにもなっていた。
そして、奇跡の起こった場所。
噴水の淵に腰掛けて、物思いに耽っていた俺に一人の少女が近づいてきた。
肩口で切り揃えられたボブカット
小柄な身体。だが以前の病弱で儚げな印象などない。
学校の制服姿に、ストールを羽織っている少女は…………
「栞……」
紛れも無く栞本人だった。
「久しぶりだな」
「昨日、電話しましたよ」
「実際に会うのは久しぶりってことさ」
「まだ数日ですよ」
「数日会ってなかったら十分久しぶりだろ?」
「……どこかであったような会話ですね」
「……そうだな。……栞、制服姿なのはともかく、もうストールは暑くないか?」
「大丈夫ですよ。それにこれは私の『トレードマーク』ですから」
本当はこんな会話をする為に来たわけじゃない。だが栞を目の前にしてみると、あれほどの決意
も空しく、言葉が出てこなかった。無意識のうちに真実を知るのを回避しているのだろうか?
いや先ほどの、いつもの俺たちがするような会話から、普段の日々が戻ろうとしているのを
感じて、安心しているのかもしれない。だが、それでは駄目だ。
「それで、今日は全てを話してくれるんだよな?」
「はい。それでですね、祐一さん、百花屋に行きましょう。そこで全てが分かりますから」
「でもなあ、聞かれたくない話とかだったら、むしろここの方が良いんじゃないか?」
「いいえ、百花屋でないといけないんです。お願いです祐一さん。一緒に来てください」
ここまで言われれば否も応も無い。俺は栞と一緒に百花屋へと歩いた。
道すがら、俺たちは何も話さなかった。
カランカラン
ドアを開けて百花屋の店内に入る。明るい雰囲気の内装や置かれた観葉植物が出迎えてくれる。
いつもと変わりない店内は、まだ少し時間が早いのか学校帰りの女生徒の姿も少なく
閑散としていた。
「いらっしゃいませー。百花屋へようこそー」
そう言って見事なまでの営業スマイルで応対してくれたのは……
「(メイドさん?)」
メイドさんチックな制服を着たウェイトレスさんだった。
基本は所謂『メイド服』なのだが(カチューシャ、フリフリえぷろん、チョーカーetc)
『胸元が大胆にカット』されていて『谷間さん』が確認できたりとか、
『スカート丈がウチの学校の制服と争える程』だとか(えぷろんの丈も同程度)色々だ。
「(メニューや店の雰囲気なんかは女性向なのに、何故ウェイトレスの制服は『漢向き』なんだ?
以前は『巫女服』だったし。店長の趣味……だろうな、やはり)」
「どうかなさいましたかー?」
「うおっ!?」
思考の海に沈んでいた俺をサルベージしてくれたのは応対に出てきたウェイトレスさんの
ちょっとかがんで、下から見つめる愛くるしい瞳だった。(With笑顔)
しかも、俺が見下ろす形になるので視線が……『谷間さん』に……
「イヤ………何でもないぞ、気にしないでくれ」
「そうですかー。ハイ、お席の方にご案内しますねー。こちらへどうぞー」
「祐一さん、いきましょう。」
ミニスカメイド、もといウェイトレスさんの案内で窓際の席へと通される。
うーん、後姿がぷりちーデスヨ!(サムズアップ)
「祐一さん、さっきから変なこと考えていませんか?」
席に着いた栞の第一声。
「ソンナコトナイゾ。以前学会でミコ=サント=メイ=ドスキー博士が発表した
『視覚効果と状況がもたらす欲求の大きさの相違性』の論文をだな……」
「ハイハイ、わかりました。要するに『メイド服(風制服)を着た彼女に萌えて』いたんですね」
「うぅ……(涙)」
久しぶりだというのに冷たいです、栞さん。
「それにしても…………着る人を選ぶ制服だよな」
俺のふと漏らした呟きと、何気ない視線は
「そんな事言う人嫌いです」
しっかり悟られていた。
閑話休題(それはさておき)
「それで、栞。いい加減、全て話してくれるんだよな?」
もう何度この問いかけをしただろうか?
「はい。でも、話す、というよりこれからの私の事を見届けてほしいんです。それで全てが
わかりますから」
「どういうことだ?」
「言葉通りです」
「いや、だからな……」
姉の台詞で答えてくれる栞。俺がさらに聞こうとすると、
「ご注文は、お決まりですかー?」
『谷間』さん、イヤ、先刻のウェイトレスさんがお冷を持ってきた。ふむ、まずは注文するか。
「俺はコーヒー。栞はバニラアイスか?」
ここにくるといつも頼む俺達の定番。だが栞は
「いいえ……あの、予約していた美坂ですけど……」
「あなたがそうなんですかー?」
「???」
真剣な表情で注文する栞、予約したのが目の前の小柄な少女だというのが信じられないとばかりに
驚く(顔は驚いていないが)ウェイトレスさん。そしてまったく話についていけない俺。
だがそんな俺を放置して話は進んでいく。
「はい……
『ハイパーグレートウルトラスーパージャンボデラックスパフェ(HGUSJDパフェ)』
をお願いします」
「っな!!?」
「はーい。ご注文繰り返しますねー。コーヒーがお一つにHGUSJDパフェですねー。
少々お待ちくださいねー」
HGUSJDパフェ……
それはあの『ジャンボDXパフェ』をも上回るという百花屋幻の逸品
何故幻かと言うと、現在メニューからは削除されているから。無論俺も現物を見た事が無い。
だが、以前店内に張り紙がしてあったので存在だけは知っていた。張り紙には
『貴殿も百花屋スペシャルメニュー『HGUSJDパフェ』に挑戦しませんか?
制限時間は30分。但し、お一人で挑戦してください(要予約)』
とあったのだ。風の噂によると幾人もの強者が戦いを挑んだらしいが誰一人として
勝利した者はいないらしい。
それなのに……あの『ジャンボDXパフェ』でさえ、5人でも無理だったのに『HGUS』と
付いて、栞一人でしかも30分以内だと?思考する必要も無く出た結論は
「無理だ栞!一体何を考えているんだ、正気か?落ち着けよ!」
今は話云々の事は頭に無かった。栞の行動を止めるべきだと思っていた。
「私は冷静です。アレに挑戦するのが、ここに来た目的ですから」
「どういうことだ?今までの事と関係があるのか?」
「はい。全ての答えですから」
「なあ栞、俺はもう訳が分からないよ。怪我したり、筋肉痛だって言ったり、ここ数日休んだかと
思えば、香里は『あんな事』言い出すし。挙句にはパフェに挑戦するだなんて。
何がどうなっているんだ?」
本当に訳が分からなくなっていた。冷静になれないのは俺のほうだった。
「祐一さん。これは必要なことなんです。私が……私が、美坂栞であるために」
「栞…………分かったよ。イヤ、何が何だか全然わからんが。とにかくだ、この状況に身を任せて
いれば良いんだな?」
こうなったら開き直るしかないよな。
「ハイ、すいません祐一さん。それと……ありがとうございます」
そう言って微笑む栞、ここにきてようやく栞本来の表情が戻ってきたようだ。
「それにしても、復活したんだな。『HGUSJDパフェ』」
「今日だけ復活させてもらったんです。私の為に」
「そうか。それで俺は何をすればいいんだ?言っとくが手助けはできんぞ。
一人で挑戦とあるからな……まさか、代金を集ろうと言うんじゃないだろうな?」
「違います。そんなんじゃありませんから……ただ、祐一さんには一緒に居てほしいんです。
あの冬、私が助かったのは祐一さんに出会えたからだと思うんです。
祐一さんが奇跡を起こしてくれたって、そう思えるんです」
「栞、俺にそんな力は……」
「私がそう信じているんです。……信じさせてください。
今度も祐一さんが側にいてくれれば、きっと……」
確かに栞が助かったのは奇跡としかよべないものだった。
俺がその奇跡を呼び込んだ?少なくとも俺はそう思っていない。
勿論栞が助かって欲しいと心から願っていたが、栞自身が『生きていたい』と頑張ったからだろう。
しかし、
俺を信じる事が栞の力になるのなら、試練に立ち向かう栞に勇気を与えてやれるのなら
その通りにしてやろう。『力になる。支えてやる』と決めたのだから。
奇跡だって起こしてやれるかもしれない。
「お待たせいたしましたー」
暫くしてウェイトレスさんが戻ってきたが、その手には何もなかった
まあアレをも上回るであろうパフェだから手で持ってこれる筈もないのだが、台車で品物を
運んで来た風でもないし、俺のコーヒーも運ばれてきた様子もない。
「準備が整いましたので、特別室へご案内致しますねー。コーヒーをご注文のお客様もそちらの
方にご用意させていただきますので、ご一緒にどうぞー」
「はい……祐一さん、行きましょう」
どうやら『HGUSJDパフェ』に挑戦する者は特別室とやらに通されるようだな。
まあ当然だろう。ドラム缶パフェ(祐一想像)を店内で食べていたら確実に周りの客に
悪影響がでるだろうから……(汗)
俺達はウェイトレスさんの先導で店舗から『特別室入り口』と書かれたドアを通って、
薄暗い通路を歩いていく。途中曲がったり、階段を上ったり降りたりしていくうちに
方向音痴な俺の感覚は半ば麻痺していた。
「(それにしてもこの通路は……)」
俺たちが今歩いている通路はまるで『選手控え室から試合場への道』という雰囲気だった。
それはあながち間違いでもないだろうな。そんな事を考えていた。
隣の栞は、先導するウェイトレスさんから色々説明を受けているようだ。
「……ってくださいね。制限時間は30分です。手助けは認められません。
途中ギブアップは可能で……あと、……は禁止です、また……
己の肉体のみを駆使してくださいねー。それから……」
己の肉体のみって、スプーンを使うなってことか?ちょっと想像してみる…………
『手掴みでドラム缶パフェを貪り食う栞』
コワイ、コワすぎるっ!!実際にそんな光景を目の当たりにしたら、俺、もう笑えないよ……
「祐一さん、顔色悪いですよ?大丈夫ですか?」
「あ、あぁ平気だ。なあ栞、やっぱり……」
「はーい、到着ですよー」
栞を止めようとする俺を遮ったのは。特別室への到着を明るく告げるウェイトレスさんだった。
目の前には、通路の天井一杯までの両開きの扉が鎮座していた。この向こうに……
「それでは、行きますよー。準備はよろしいですかー?」
「はい。お願いします」
答える栞の表情には微塵の不安もなく、これから戦いに赴く戦士のように真剣な顔をしていた。
もっとも、顔のつくりが可愛らしいので、どこと無く愛くるしさが出ていたが。
扉が開かれる。まず目に飛び込んできたのは『光』だった。
「うっ!」
薄暗い通路に目が慣れていた俺達は眩しさのあまり、目を閉じる。やがて目も慣れてきて
部屋の中の様子が分かってくる。そこでまず視界に入ってきたのは
『テーブルに置かれたドラム缶パフェ』
ではなく
白いマットがかけられた正方形の舞台
舞台の4角に立てられた鉄柱
鉄柱の間に渡されたロープ
それはまるで…………
「リング?」
そう、プロレス等で使われるあのリングだ。そのリングを照らす天井の照明。この部屋の
明るさはそこからきていた。
後は、壁に掲げられた制限時間を示す電光掲示板。
リングから少し離れたところにある折りたたみのテーブルとパイプ椅子が2つ。
そのテーブルの上には湯気のたっているコーヒーが一つ。
それだけだった。その部屋には他に何も…………いや、
居た
そこに……リングの上に
赤く塗られたコーナーポストの前に立っていた
それは、俺がよく知る人物
俺が会いたかったもう一人の少女
「香里…………?」
栞の姉ーーー
俺の恋人ーーー
美坂香里がいた…………
続く