「ひだまりの夢」
ゆのは、私立やまぶき高校の美術科一年生。両サイドの髪にバッテン形のヘアピンを止めた小柄な少女だ。
「今日もいい天気だね、宮ちゃん」
「うむ。本日晴天なりー」
隣で相槌を打った少女の名は宮子。ゆのと同じく美術科の一年で、天真爛漫なムードメーカーである。
「ところでゆのっち。何故かいま、キャンバスにミルクのアイスを描きたくなってきたのだ」
「えー、宮ちゃんお腹すいてるだけじゃ……あ、でも、私もラムネの絵を描きたくなってきたような」
「これはもしや――コラボレーションのお告げ?」
「あはは。いつかやってみたいね」
突然のインスピレーションに突っ込むものなどいないわけで。
昼休み。昼食を終えたゆのと宮子が校内を散歩していると、同じ一年らしい女生徒二人が困った様子で会話しているのが目に入った。
「あの、どうしたんですか?」
声をかけると、たちまち二対の視線が集中する。思わず一歩引くゆのと入れ替わるようにして、
「困ったことがあるなら相談にのろうではないかっ」
胸を張った宮子に、二人の女性徒は眼を丸くした。
簡潔に自己紹介を終えて事情を聞く。
明日の絵画授業のテーマに合う屋内の写真を撮る事にしていたのだが、夕方に用事ができてしまってさあどうしようということらしかった。
宮子が得意げに頷いた。
「よし、任せなさーい」
「即答ーッ!?」
ゆのどころか女生徒二人もびっくりである。
「ただしギブアンドテイクで」
「お金取るのーっ!?」
また三人の声がきれいにハモった。
「いや、明日のお弁当用におにぎり二個を、と」
「……」
しんと静まった。言葉も出ないとはこのことだ。
宮子は金欠&腹ペコでいることが多かった。
「あれっ、欲張りすぎ? じゃあせめておにぎり一個」
「あー……いえ、学食二日分おごらさせてもらいます」
「こ、こんなところに仏が!」
眼をキラキラさせた宮子に拝まれ、女生徒は苦笑い。
やまぶき高校の学食は、カレーライス二九〇円、かつ丼みそ汁付き二五〇円など。
――安くてボリュームのある仏だ。
「ああ、そこなら知ってるよ。十年前に空き家になってから誰も住み手が現れないらしくて、今じゃお化け屋敷って評判の廃屋だよ」
眼鏡をかけたスレンダーな少女が、ゆのと宮子にそう語った。美術科二年生でプロの小説家でもある沙英だ。
「噂だと、自殺した画家の幽霊が成仏できずに屋敷内を彷徨っているって……」
沙英の隣で少し顔を青ざめさせたのは、同じく美術科二年のヒロ。穏やかな雰囲気の少女である。
「あんたら二人じゃ心配だから、私も一緒に行くよ」
「沙英さん、お言葉は嬉しいですが、学食をおごってもらえるのは私だけですぜ?」
「誰が報酬よこせっつったか。――って、じゃあゆのはボランティア?」
「あ、はい。私も夕方はちょうど暇ですし、宮ちゃん一人だと心配だから」
「いや、そんなに心配されると照れますな」
はははと線目で笑う宮子にジト汗たらーり。
「それなら私も一緒させてもらうわね」
「えっ、でもヒロさん、いいんですか?」
極度の怖がりなのに――眉を下げるゆのに、ヒロは温かな微笑みを返した。
「みんなが一緒だから。それに、沙英がいるなら大丈夫よね?」
「えっ……あ、うん」
ヒロにウインクされ、かあああっと赤面する沙英。直球に弱いのであって、決して百合ではありません。
「ま、まあ、とにかく、私たちだけじゃ何かあったとき問題だから、先生に引率をお願いしよう」
「あら、何か御用ですかー?」
たまたま近くを通りかかったらしき、ストレートロングの髪をなびかせた女教師が、ほがらかに立ち止まる。
ゆのと宮子の担任である吉野屋先生だった。
「構いませんよ。先生が責任を持って見届けますね」
事情を聞いた吉野屋先生の即答だった。
「あっ、でも、いくら人のいない廃屋だからって、ヌードモデルなんて危険なまねしちゃダメですよっ」
真顔であたふたと注意する担任教師に、ゆのは茫然と立ちすくむばかり。
あんた以外に誰がそんなことするか。――沙英たちの心の中でツッコミが一つに溶けた。
夕方、ゆのたちは準備をするためにひだまり荘へ帰宅した。ひだまり荘はやまぶき高校の真ん前に位置する小さなアパートで、彼女たちの一人暮らしの場だ。
ゆのの部屋は二〇一号室。宮子は二〇二号。ヒロが一〇一号で沙英は一〇二号。見事な上下左右揃いといえた。
二十分後、ラフな私服に着替えて件の屋敷前に到着。
いかにも何か出そうな外観にあれこれ感想を漏らしていると、何故か布のローブに身を包んだ吉野屋先生が現れた。
「皆さん、すみませーん、遅れました。……可愛い生徒たちのために早退しますって言ったら、校長先生に、ひどく怒られてしまって……」
そりゃそうだ――あいた口がふさがらない。
「えっと……その格好は?」
「ゆのさん、よく訊いてくれました」
途端に笑顔を見せてローブを脱ぎ捨てる。次の瞬間、メイド服の女教師がそこに立っていた。
「お屋敷といえばこれですよね〜」
「……」
ど う す れ ば い い ん だ
「と、とりあえず中へ」
もうさっさと用事を済ませるに限る。
入り口の扉を開いて一歩踏み出す四人の少女。
一人の大人は立ち止まったままだ。
「吉野屋先生、来ないんですかー?」
最後尾のゆのが声をかけると、メイド服の引率者は、いやいやと首を振った。
「こんな廃屋の中に入ったら、せっかくの衣装が汚れちゃうじゃないですかっ」
ダメだコリャ。
美術クラス一斉清掃のやりとりを思い出すゆのたちであった。
薄暗い屋内を携帯の写真に収めていく。
「ゆのさん、足もと気をつけてね」
「はい、ヒロさんも気をつけてくださいね」
「うん、だいじょう――きゃっ!」
べキッと床を踏み抜く音。
足を引き抜くヒロに、沙英とゆのが駆け寄る。
「あーあー、言ったそばから」
「怪我はないですか、ヒロさん」
「うん……床が腐ってたみたい」
どうやら軽く足をひねっただけのようだ。
そのとき、宮子が何も考えずに思ったことを口にした。
「ヒロさんが踏んだから床が抜けたのでは――」
「……宮ちゃん?」
穏やかな少女の全身から噴き出るオーラに、ゆのと沙英は背筋が震え上がりそうになった。
宮子は感心したように、
「おおー、この威圧感――まさに横綱級」
怖いもの知らずのストレートな一言。
一瞬、時が凍った。
我に返ったゆのの目に映ったのは、ぷんぷん拗ねた顔で沙英に慰められているヒロと、床穴に顔が埋まり頭に大きなコブができている宮子だった。
ゆのと宮子は二階の一部屋にいた。そこはアトリエだったらしく、朽ち果てた画材や用具やらが、十年の歳月の残照に静寂の影を落としていた。
「ほうほう、使えそうなものが色々とっ」
「宮ちゃんー、いくら空き家だからって、勝手に物取っちゃダメだよ?」
眼を輝かせて周囲を物色する宮子の様子に苦笑しながら、ゆのも携帯を閉じて室内を見回した。
ふと、用具に埋もれた一枚の絵に目が吸い込まれた。
「ねえ宮ちゃん……」
「んー、なにゆのー」
返事する宮子は、ガサゴソと埃の山と格闘していた。
「この屋敷の噂って本当なのかな」
「自殺した画家の幽霊が〜ってやつ?」
「うん……」
「さあ、わかんないけど。――もし本当だったら、こんな広い屋敷に住んでて自害など贅沢極まりなし天誅ーッ! て感じかなあ」
「あはは、宮ちゃんらしいね」
「そういうゆの殿はどう思っておるのだ?」
「私は……」
そっと、両手に持った絵に視線を落とすゆの。
格闘を終えたらしい宮子が、服についた埃を払い落としながら近づいてきた。
「んー?」
「私は、違うと思う」
覗き見る宮子に、ゆっくりと絵を傾ける。
「だって――こんな温かい絵を描く人が、そんなことするなんて考えられないもん」
色褪せたキャンバスには、在りし日の屋敷と澄み渡る青空が、優しく爽やかに広がっていた。
感慨に浸るように眼を伏せるゆの。
本当のところは分からない。だからこそ、何か事情があって家を捨てただけなのだと、そう思いたかった。
そうして暫く経過して、ハッとしたように、
「あっ、ごめん宮ちゃん、つい物思いにふけっちゃって。がさがさしてたみたいだけど、何か見つかった?」
にっこりと振り向いた先――無表情な青白い生首。
「〜〜〜〜〜〜っ!?」
声にならない悲鳴を上げて尻餅をついたゆのの眼に、天衣無縫の笑顔が映った。
「なんだかよくわからない彫像の顔部分ー♪」
「も、もうー、腰が抜けるかと思ったよ〜」
「悩めるゆのっちにサプライズをー」
「……ありがとう、宮ちゃん」
気づかってくれる優しさに感謝。
「さてと、そろそろ行きますか」
「うん――って……あ、あれっ」
起き上がろうとしたゆのだが、固まった。
「どったの?」
「……ほんとに腰が抜けたみたい」
「……」
ぽかんと見つめ合う二人。
どこか遠くの空でカラスが鳴いた。
ゆのを背負った宮子が、階段を下りて玄関ホールまでくると、ヒロと沙英が心配そうに待っていた。
合流したところで、それぞれの写真を、例の女生徒の携帯へメールで送信。
「よしっ、依頼遂行! これで二日分のライフラインが確保されたっ」
満足気な宮子につられるように、ゆのたちも晴れやかに顔を綻ばせた。
何かいい気持ち。なればいい感じ。
元気よく玄関の扉を開けた。
鮮やかなオレンジの下、吉野屋先生が泣き顔で振り向いた。隣には警察官らしき人が立っていた。
「あっ、皆さん聞いてください〜。この人が、私のことを怪しい人物だって、職務質問してくるんですよ〜っ」
「うわぁ……」
茫然と開口する四人。
台無し。