しんしんと、しんしんと。
まっしろいゆきがふってくる。
そのゆきはとても、つめたくて。
かなしいこころを、こおらせる。
つめたいゆきが、ふりつもり。
じめんをしろく、そめていく。
こころもしろく、そめていく。
しんしんと、しんしんと。
しずかに、しずかに、ふりつもる。
そのつめたさで、こころをとざす。
つめたいつめたいゆきがふる…
「雪…か」
頬に冷たいものを感じ空を見上げてみると、鈍色をした雲から雪が舞い落ち始めていた。
「初雪だな…」
呆けた様に視線を空に向けたまま、一人ごちる。
枯れ草色に染まった草原も、もう少しすれば純白のヴェールに覆われてしまうのだろう。
「あいつが居なくなってから、初めての雪。初めての冬、か」
リン…
静かに吹き抜けた風に手首に捲き付けた鈴が揺れて、微かな音をたてた。
鈴の音に笑う、少女の面影を思い浮かべる。
そして、あいつと出会い、あいつと別れた丘から。
あいつと再会し、あいつと過ごした街を見下ろした。
「そっか、もう冬が来るのか」
早いものだ。
あいつと再会してから、もう季節が一巡りしようとしている。
あいつが居なくなったときの哀しみも、徐々にだが薄れつつある。
そう、まるで降り積もる雪が、その白さで地面を覆いつくしていく様に。
俺の周りに居てくれる皆の優しさが、ゆっくりと、けれど確実に、心の傷を覆い隠していく。
「相沢さん」
物思いに耽っていると、背後から俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
声に応じ、振り返ると。
少し強くなり始めた雪の中、一人の少女が立っていた。
あいつが居なくなってから、俺の一番近くに居てくれた少女。
俺と同じ想いを持ち、哀しみを乗り越え、俺に「強く在って欲しい」と願った少女。
俺よりも、ずっと強くて、ずっと優しい少女。
その少女が、嫋やかな微笑を浮かべ、俺を見つめていた。
はつゆきと、ぬくもりと
「天野か」
「どうかなさったんですか、こんなところにおひとりで」
相変わらず微笑んだまま、けれど若干責める様な響きを持たせて、俺へと問いかける。
「ん、特にどう、ということもないんだがな」
「そうですか」
言葉の上では興味無さそうにしながら、けれどその言葉の響きは変わらない。
お互い見つめあったまま、沈黙が訪れる。
「大丈夫だよ」
何時までも必要のない心配をかけているのも気分が悪いので、此方も笑みを浮かべ言った。
「…そうですか」
じっと、こちらを窺うように瞳を見つめた後。
再びそう言った天野の声からは、先程までの響きは消えていた。
「それで、天野こそどうしたんだ?」
「相沢さんがこちらの方に向かっているのを見かけましたので」
「それで心配になった、か?」
天野の言葉に対し、多少のからかいを含んだ声で尋ねる。
「…はい」
少しの間の後、若干申し訳無さそうな顔をしながら天野が答えた。
「はは、構わないさ。実際、今までのことがあるんだしな」
少し自嘲気味に笑いながら、続ける。
「けど、もう大丈夫だよ。皆が居てくれた。何よりも、天野が居てくれた。お前との、約束があった」
「相沢、さん…」
「確かに、思い出せばまだ、胸が痛む。楽しい思い出すらも、哀しみを呼び起こす。
けど、それでも忘れたくない思い出だ。あいつが、確かに存在していた証。この痛みが
消えることはないだろうけど、それでも、それを大切にしたいと思う」
それは、嘘偽りのない本心。
あいつへの想いは、決して色褪せることはない。
それは、痛みも決して消えないということ。
けれど、それで良いと、俺は思う。
否、そうでなくては、そうあるべきだと、思うのだ。
想いの形は、変わるかもしれない。もう、変わり始めているのかもしれない。
多分、今の俺の、あいつに対する想いは、既に男女のそれではないのだろう。
愛しい、という想いは変わらない。
あいつとともに在った時、俺は確かに女性としてのあいつを愛していた。
だが、今、俺の中にある愛しさは、女性としてのあいつに向けたものではなく。
ただ一個の存在としての、あいつに向けてのものなのだと思う。
だから、その愛しさを胸に抱いたまま、俺は進んでいく。
「相沢さんは、強いんですね」
再び舞い降りた沈黙を破ったのも、天野だった。
俺が、強い…か。
「そうじゃない。そうじゃないよ、天野」
天野の言葉に、軽く首を振りながら応える。
「俺は強くなんてない。多分、俺はまだ、この丘であいつと別れたときからほんの少ししか進めてないんだ。そのほんの少しすら、皆に、そして天野に手を引かれて漸く、なんだよ」
「そんなこと」
「そんなことあるんだよ。俺が強く見えるのなら、それは天野達が居てくれるからだ。天野達が、俺のこと支えてくれるからだよ」
「そんなことありません!」
自嘲を含んだ俺の言葉を遮る様に。
滅多な事では声を荒げたりはしない天野が、叫んでいた。
「天野…?」
「相沢さんが強くないなんてことは、絶対にありません。私はあの子を失った時、心を閉ざしてしまいました。周りの方達が、私のことを気に掛けてくれても、それを拒絶して
自分の殻に閉じこもったんです。でも、相沢さんは違いました」
「それは! 俺には、支えてくれる人達が、天野が、居たから…」
「私にも居ましたよ? お爺様や、お婆様、仲の良かったお友達…色んな人が私を支えようとして下さいました。けれど、私は。皆が優しく差し伸べてくれた手を、拒絶したんです。
そして、心を閉ざして。そうすれば、誰とも仲良くならなければ、別れの哀しみに打ちのめされる事はないから、と。逃げたんです。私は、弱かったから」
「……」
「だから、相沢さんはやっぱりお強いんですよ。哀しみに打ちのめされても、立ち上がったんですから。例えそれが、周りの人達の手を借りたのだとしても。そうして前を見て、
手を引かれながらでも、ご自分の足で、歩き始めたんですから」
そう言って、天野が微笑む。目尻に、大粒の涙を浮かべながら、とても綺麗な笑みを浮かべる。
リン! リン!
また、鈴が鳴る。
自分を卑下している俺を、叱るように。
「それに、相沢さんは約束を守ってくれるのでしょう? 強く在って下さい、などと言う一方的なお願いじみた約束を」
「…はは。そう、だな。約束したもんな。強く在るって」
「そうです」
「ん、それに、情けない顔をしてたら、あいつに何を言われるか…スマンな、ちと弱気になってたみたいだ」
「いいんですよ。また、前を向いて下さったのなら、それで。それに、こうして支えることが出来ているという実感があるのは、私も嬉しいですから」
その言葉とともに、天野の目から涙が一粒、零れ落ちた。
「あ、あれ? どうしたのでしょうか…悲しくなんて、ないのに」
ぽろぽろ、ぽろぽろと。
涙は止め処なく、零れ落ちる。
「泣くな、天野…」
天野へと一歩近づき、親指で涙を拭ってやる。
「天野は、自分のことを弱いって言ったけどな? やっぱり、強いと思うぞ。前は、弱かったのかもしれない。けど、今は俺を支えてくれる。俺のせいで、二回も悲しい奇
跡を経験してしまったのに、俺を責めたりなんかしないで、自分からも逃げないで、俺のそばに居てくれる」
「相沢、さぁん…」
「天野は、強いよ。天野自身が思っているよりも、ずっと」
「それ、は…相沢さんが、居て下さるから、です…相沢さんが傍に居てくれるから、そう在ろうと、努力できるんです…!」
どくん。
天野の言葉に、胸が震える。
天野の顔に、見惚れてしまう。
また一粒、天野の目から、涙が零れる。
リン! リン、リリ、リン、リン!!
「きゃっ」
「ぬ」
唐突に吹き抜けた風に、鈴が激しく鳴り響く。
冷たい風に、体だけでなく心まで凍てつかされそうな錯覚を覚える。
もう一度、すぐ近くにある天野の顔を見た。
そして、自分の腕の中で光に還ったあいつの事が、不意に脳裏によぎる。
リン! リン!
次の瞬間、気が付いたら天野を抱きしめていた。
風に、攫われてしまうんじゃないかと、怖くなったのだ。
だから、何処にも行けない様に、捕まえようとした。
「あ、相沢さん…!?」
腕の中から、天野の戸惑った声が聞こえる。
当然だろう、突然抱きしめられたのだから。
けれど、俺は言葉を発することは無く、ただ、天野を抱きしめる腕に、力を込める。
「…っ!」
天野が苦しそうにする気配。
それを感じて、慌てて腕に込めた力を緩める。
でも、天野を解放することは無かった。
「相沢さん…」
「ゴメンな、天野。いきなり抱きしめたりなんかして」
そのままの姿勢で、天野に謝罪する。
「構い、ません。嫌では、無いですから。それに、暖かい、ですし」
「そう、か?」
「はい」
天野の返事に安心して、もっと天野を近くに感じようと、細心の注意をこめて抱き寄せる。
それに対し、天野はおずおずとその手を俺の背中へと回すことで応えてくれた。
天野の温もりを心地よく感じながら、目を閉じる。
二人とも、言葉を紡ぐことなく、ただ、抱きしめあう。
「相沢、さん?」
「…何だ?」
どれ位の間、そうしていただろうか。やがて天野が、静かな声で俺に問いかけてきた。
「相沢さんは、私のことをどう、思っていますか?」
「どう、って…」
怖々、といった感じで。
天野は質問を口にした。
「私は、相沢さんにとって…」
「ストップ、ちょっと、待ってくれ。少しだけ、考えを纏める時間が欲しい」
「…はい」
天野をどう思っているか、か。
あまり、天野を待たせるわけには行かないが、それでも天野の問いかけは真摯な物だった。
ならば、こちらもきちんとした答えを返すべきだろう。
「俺にとっての、天野…」
考える。
日頃使わない、しょぼい脳をフルに稼動させて。
俺にとっての天野は…
物静かな後輩。
俺と同じ傷を持つ少女。
かつて、心を閉ざしていた少女。
今、俺を支えようとしてくれている少女。
(かつて…今…それじゃ、これから先は?)
其処まで考えたとき、不意に頭に浮かんだ答え。
何故、俺は天野を抱きしめているのか。
其処に思い至れば、後は簡単だった。
そうだ、俺は、これからも天野に傍に居て欲しいのだ。
色んな人が、俺を支えてくれている。助けてくれている。
けれど、その中で。
天野は特別だった。
同じ傷を持っているかもしれない。
それは、傷の舐め合いからだったのかも知れない。
けれど、今、俺が天野美汐という少女に抱いている想いは。
「そうだな、俺にとっての天野は…」
「相沢さんにとっての、私は…?」
「大切な、女の子、かな。俺のことを支えてくれる。俺のことを支えていて欲しい。そして」
「…そして?」
抱きしめあい、互いの顔を見ることなく会話を続ける。
「そして、俺も支えて生きたいと思う、そんな、女の子、だな」
「そ、れは…」
ほんの少し、俺の腕の中で身じろきして、天野が俺のほうに顔を向けた。
俺も、天野に顔を向けて、見詰め合う。
「簡単に言えば、な。大好きだ、ってことか」
「…ほん、とう、に?」
天野の瞳が揺れる。
信じられない、とでも言うように。
「ほんと、だよ。俺は、どうやらお前のことが好きで好きでたまらないらしい」
「あ、あぁ…」
再び、天野の目から、涙が零れ落ちた。
リン! リン、リリン!!
吹きぬける風に、また鈴が鳴り響く。
零れ落ちた涙が、風に攫われて宙に舞う。
長い間この場所に居たせいで、俺達の上に薄っすらと積もり始めていた雪とともに。
リン! リリリン!! リン!!!
「だから、さ。美汐。俺の、恋人になってくれないか?」
天野が、いや、美汐が目を見開いた。
驚きに、目をまん丸にして。
そして。
「は、い…はい!」
花がほころぶように。
応えとともに、その顔に満面の笑みを浮かべる。
目が少し腫れてしまってはいるが、けれど、そんなことは気にもならない様な、綺麗な笑顔。
それに魅了されてしまった俺は、衝動的に行動した。
「…!!!」
気が付けば、天野の唇を奪っていた。
柔らかく、湿った感触。
寒空の下に居たせいで、冷え切ってしまった美汐のそれに、ぬくもりを取り戻そうと。
己のそれを重ねる。
美汐は一瞬、身を強ばらせたものの、すぐに力を抜き、目を閉じて俺に体重を預けてくれた。
永遠にも感じたひと時の後。
ゆっくりと、美汐の唇から離れる。
そしてお互い、無言で見つめ合った。
「あー、その、ゴメンな。いきなりで」
「い、いえ。私も、嫌では無かったですから…」
お互いテレて、けれど目を逸らす事も出来ず、見詰め合ったままで話す。
美汐の涙に潤んだ瞳を見ているうちに、再び、キスをしたいという衝動に駆られる。
「な、なぁ、美汐。もう一回、いいか…?」
「え、あ、もう、一回…? う、あ、あの…はい」
俺の問いに、美汐が消え入りそうな声で答えた。
美汐の照れた顔と、甘く濡れた声に、理性が吹き飛びそうになる。
が、何とか自制して、ゆっくりと顔を近づけた。
「…ん、む」
「…ぅん、ちゅ」
一度目よりも長く、深く。
美汐と接吻けを交わす。
甘い感触に、脳が溶けそうな気がしてくる。
「は、ぁ…」
お互い顔を離し、もう一度見つめあう。
「はは…」
「ふふ…」
自然と、笑いが出た。
多分、美汐も同じなんだろう。
もう一度確りと美汐を抱きしめ、そのぬくもりを感じる。
「一緒に、居ような」
「はい。ずっと、一緒に」
リン!
手首の鈴が、一際澄んだ音をたてた。
―――幸せにならなきゃ、美汐を幸せにしなきゃ、承知しないわよっ…!
そんな、あいつの声が聞こえた気がした。
しんしんと、しんしんと。
まっしろいはながふってくる。
そのはなはとても、やさしくて。
かなしいこころを、つつみこむ。
やさしいはなが、ふりつもり。
じめんをしろく、つつみこむ。
こころをしろく、つつみこむ。
しんしんと、しんしんと。
しずかに、しずかに、ふりつもる。
そのやさしさで、こころをいやす。
やさしいやさしいはながまう…
(最後に)
ここまで読んでくださいまして、有難う御座いました。
拙い作品ですが、少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今回は、萌のみの丘のミリオンヒット記念ということで、この作品を送らせて頂きました。
taiさん、ミリオンヒットおめでとう御座います。
これから先も、なお一層のご活躍を期待しております。
それから、私信になりますが、文章校正を手伝って下さったお二方、まことに有難う御座いました。
この場を借りて、お礼申し上げます。
それでは、これにて失礼させて頂きます。
禍津夜 葬月