「……え?」


 何だ?

 今、携帯の向こうの彼女は、南空の母親はなんと言った?


「南空が……車に?」


 ワカラナイ。

 心臓がバクバクと早鐘を打つ。

 カタカタと、全身が震える。

 携帯から聞こえてくる言葉の半分も理解できない。

 思考が空転する。


「それで、南空は、何処に?」


 ようやくそれだけの言葉を返す。

 告げられた場所は、近くの救急指定病院。

 当然といえば当然だ。

 今の時刻は深夜の二時を回っている。

 普通の病院が開いているわけがない。

 気が付いたら俺は走り出していた。


「南空……南空っ!」


 ペース配分など考えず、がむしゃらに駆ける。

 月明かりの射さぬ新月の夜を、ただ独り走り続けた。





 







晴れた空に、願いよ届けと

      外伝 星降る夜、遠い日の約束 後編
       
                ―――もう一度、夜空を見上げて















 コンタットで昼飯を食べた後、明理ちゃんと別れて南空と二人で帰途につく。

 高校の制服を着た南空と二人きりで歩くのは、なんだか新鮮だった。


「あ、そうだ敬君」

「ん、どうした?」

「あのね、私ね、天文部に入ろうと思ってるんだ」

「え?」


 南空の言葉に少し驚いた。

 南空と天文部のイメージが、どうやっても結びつかなかったからだ。


「敬君って高校のときから天文部だったんだよね?」

「ああ」

「それで、敬君が続けてること、私も興味あるから」

「そうか」

「うん。だからいろいろ教えてね?」

「そうだな。勉強ともども、わからないことがあったら聞いてこい」

「うん!」


 嬉しそうに返事をする南空の頭をぐりぐりと撫でる。

 なかなか可愛い事を言ってくれる奴だ。


「はわわ」

「望遠鏡はどうするんだ?」

「んー、結構高いんだよね……?」

「ま、ピンキリだがな。それなりのものは相応の値段するよ」

「んぅー……」

「あー、その、だな」

「何?」


 悩み始めた南空に、ふと思いついたことを話す。

 せっかくやる気を出している事だし、ちょっと位は甲斐性も見せたいし。


「ああ、そろそろ俺の望遠鏡を買い換えようと思っててな。それで、お古でよければ、やるぞ?」

「本当っ!? 嬉しいっ!!」

「あー、まぁ、物は悪くないが、結構古い代物だぞ?」

「全然気にしないよ! 大切にするからっ!」

「……そか」


 嬉しそうに飛び跳ねる南空を見ながら、じわりと心の奥が暖かくなるのを感じる。

 ああ、やっぱり俺は南空のことが好きなんだなと、改めてそう思った。


「じゃあさ、じゃあさっ! 今度一緒に天体観測しようよっ!!」

「ふむ……ああ、再来月にちょうど流星雨があるから、それの天体写真撮影を目標にちょっとやってみるか」

「うん!」

「んじゃ、ま、先に俺の望遠鏡を買わんとな……日曜、暇か?」

「もちろん」

「よし、じゃ、日曜買いに行こう。ついでに他の道具も揃えないといけないしな」

「わーい、デートだねっ」

「はは、そうだな」


 そんな約束をして、その日は別れた。




 日曜日。

 約束どおり、南空と二人で街に出てきていた。


「望遠鏡って何処に売ってるの?」

「デパートなんかでもあるけど、俺は専門店に行ってる」

「専門店?」

「ああ、高校の頃からの行きつけの店だよ」

「そうなんだ」


 そんな話をしながら目的地へ。

 大通りから外れた寂れた路地に、その店はひっそりと建っている。


「ここ?」

「ああ。外見はこんなだけど、中はちゃんとしてるよ」

「ふーん」


 南空と連れ立って店に入る。

 ごちゃごちゃした薄暗い店の奥に向かって、挨拶をした。


「こんちはー」

「おや敬坊。久しぶりだねぇ」

「いい加減敬坊は勘弁してくださいよ、春婆さん」


 軽く声をかけると、すぐに店主の春婆さんが出てきた。

 もう随分な歳になるはずだが、まだまだぴんしゃんしている女傑だ。

 そんな春婆さんが俺の隣の南空を見やり、ニヤリと笑う。


「おや、その子はあんたの彼女かい?」

「あー、ま、そんな所だよ」

「あらあら、坊やが色気づいてまぁ。で、今日は何の用だい?」


 春婆さんの物言いに肩をすくめつつ、本日の目的を口にする。

 春婆さんの言う事にいちいち言い返してはいけない。

 口じゃどう足掻いても勝てないのだし。


「ああ、金も溜まったんで例のアレを買おうと思って。

 それと、コイツ、南空って言うんだけど、天文部に入ったからさ。道具一式揃えるのにね」

「ふむ。望遠鏡はどうするんだね?」

「流石にそれはちょっと金額が金額だから、俺のお古をやることになってる」

「成る程ね。んじゃ、あっちの方は準備しといてやるから、その間に小物の方見といで」

「あいよ。ほら、南空こっちだ」

「あ、うん」


 春婆さんとのやり取りを終え、物珍しげに店内を見回していた南空を促して小物が置いてあるコーナーに向かう。

 南空に必要なものを教えながら一通り選んでレジに運んだ。


「お、選び終わったかい」

「ああ」

「荷物は宅配にしといた方がいいかね」

「ああ、どうせ望遠鏡は頼むつもりだったし。お願いするよ」

「はいよ、んじゃ会計は……んー、送料込で十五万円ちょうどでいいよ」

「あれ、そんなにまけてくれるの?」

「ああ、敬坊は常連だし、そっちの南空ちゃんも常連になってくれるんだろう? 先行投資とかいうやつさね」

「ま、安く上がるんならこっちは問題ないしな」


 そう言って今日のために下ろしてきた金を財布から抜き出し、春婆さんに渡した。

 婆さんは確り札の枚数を数えてから、領収書を取り出す。


「ん、十五万円ちょうどだね。領収書切るからちょっとまっとくれよ」


 春婆さんから領収書を受け取り、礼を言ってから店を出る。

 外に出ると、隣を歩く南空が感心したように俺に話しかけてきた。


「ふぁー、敬君ってお金持ちなんだねぇ……」

「ばーか、このために貯めてたんだよ。おかげで貯金はもうほとんど残ってない」

「なんだ。いろいろおねだりしようかと思ったのに」

「残念だったな」


 南空の残念そうな顔を見ながら、つい笑ってしまった。

 そして、こんな顔も可愛いな、等と思ってしまう俺は、傍から見ると随分と緩んだ顔をしている事だろう。


「むー、笑うなんてひどいよぉ」

「スマンスマン、お詫びに昼飯は奢るから許してくれ」

「いいの? お金ないんでしょ?」

「ああ、今日の分が予定より大分安く済んだんでな。飯代位なら余裕だよ」

「わーい」
 

 無邪気に喜ぶ南空と二人で、ちょっと奮発した昼飯を食べてその日のデートはお開きとなった。






 そんな風に幸せな時間は瞬く間に過ぎて行った。

 デートをして、なんでもないような話で笑いあって、星空を二人で見上げる。

 当たり前の幸せが、ずっと続くのだと思っていた。

 南空の入学式の日に約束した、その日が来るまでは。






「南空の奴、遅いな……」


 約束の日、流星雨の降る夜。

 待ち合わせの場所になかなか現れない南空に少し苛立っていた。

 南空は時間には正確な奴だった。

 連絡もなく待ち合わせに遅れたことなど、今まで一度もなかった。

 何故か、胸騒ぎがした。


 〜〜♪


 根拠の無い不安を何とか誤魔化そうとしていると、携帯電話が着信を告げた。


「ったく、南空の奴、連絡してくるのが遅いんだよ」


 きっと遅刻の言い訳だと思い、携帯をポケットから取り出す。

 何故か胸騒ぎは止まってくれない。


「もしもし?」

「もしもし、敬司君っ!?」


 携帯から聞こえてきたのは、馴染みのある声だった。

 だが、俺の求めていた声ではない。


「敬司君、南空が……南空がっ……!!」

「みさき……さん?」


 電話は、南空の母親からだった。

 酷く慌てているようで、要領を得ない。

 胸騒ぎが、酷くなってきた。


「みさきさん、落ち着いてください。何があったんですか? 南空がどうしたんですか?」

「南空が……事故に……車に、撥ねられてっ」

「何……ですって……?」


 頭の中が真っ白になった。

 心の奥の何処かで、何かが壊れた音を聞いた気がした。






 南空の母親、みさきさんからの電話を受けた俺は、無我夢中で病院へと駆け込んだ。

 何処をどう走ったのかさえ覚えていない。

 たどり着いた先で、俺が見たのは。

 幾つかの機械を取り付けられ、横たわっている南空と。

 声を上げて泣きながら、その南空にすがり付いている南空の父親、満(みつる)さんと。

 満さんの隣に、涙を拭いながら佇むみさきさんと。

 ベッドの脇に控えた医師と看護士らしき人間達と。

 フラットを刻み続ける、南空に繋がれた心電図だった。


「み……そ、ら……?」


 ふらふらと、南空のベッドへと歩み寄る。

 夢の中にいるかの様に、まるで現実感が無い。


「……敬司、君?」

「貴様っ……」


 俺の姿に気付いた南空の両親が、こちらを向いた。

 みさきさんの、哀しみで揺れる弱々しい瞳と。

 満さんの、悲しみを覆い隠すほどの激情に揺れる猛々しい瞳が、俺の姿を捉える。


「貴様……よくもっ……!」


 ゆらり、と。

 満さんが立ち上がった。

 そして次の瞬間。

 ガツンと、激しい衝撃に見舞われた俺は、病院の廊下に崩れ落ちた。


「貴様が……貴様さえ、居なければっ……!!」


 先と同じか、それ以上の衝撃が、体に叩き込まれる。

 俺に覆いかぶさるようにしている満さんの姿と、振り下ろされる拳と、体に走る鈍い痛みと。

 それらを他人事のように、どこか遠く感じながら、俺は殴られているのだとようやく認識した。


「あなたっ、やめて……やめてくださいっ」

「落ち着きなさい、ここは病院ですよっ!」

「貴様がっ、貴様が居たから南空は死んだっ! 貴様が南空を殺したんだっっ!!」

「くっ、手の空いてる人間を呼べっ! それと鎮静剤をっ!!」


 みさきさんと医師たちが、満さんにしがみ付いて必死に止めようとしている。

 慌てた様子で駆け寄ってきた看護士から無針注射器を受け取った医師が、押さえつけられた満さんに鎮静剤を投与する。

 糸が切れたように崩れ落ちた満さんが、何処かへ運ばれていく。

 みさきさんは俺の様子を気にしながらも、満さんに付き添って行った。


「君、大丈夫かね?」


 乱れた白衣を正しながら、医師が問いかけてきた。


「……大丈夫かね? 何処か酷く痛んだりする場所は?」

「あ……いえ、大丈夫です」

「そうか。君は、南空さんの……?」

「恋人……です」

「立てるかね?」

「……はい」


 思考が纏まらない。

 医師に促されるままに立ち上がり、南空のベッドへと歩み寄る。

 ベッドに寝かされた南空の顔は、ただ眠っているようで。

 今にも目を開き、いつものように笑ってくれるんじゃないかと思えた。

 そっと、手を南空の頬へと添える。

 まだ、暖かかった。


「……ぁ」


 涙が、零れ落ちた。

 一度堰を切ったそれは、留まる事無く溢れ出して来る。


「……みそ……ら」


 名を呼ぶが、応えは無い。

 二度と、その声を聞く事は出来ない。


「ぁ、ああ……アアアアアアアアアァァァァッッ!!!!!!」


 恥も外聞もなく泣き叫ぶ。

 南空の名を呼び、その亡骸に縋り付きながら。


「みそら……」


 どれ位、泣き続けていたのか。

 いつの間にか涙は途切れ、声も枯れ果てていた。

 目元に残る涙を拭い、立ち上がる。

 俺が縋り付いていたせいで乱れたシーツを直し、もう冷たくなってしまった南空の頬に触れる。


「……」


 そして、南空にそっと口付けてから、病室を後にする。

 何も考えることが出来ず、ただ機械的に足を進める。


「敬司君」

「みさきさん……」


 ロビーで、みさきさんに声をかけられた。

 長椅子に腰掛けたみさきさんは、随分やつれて見えた。


「すみませんでした」

「どうして謝るの?」

「それは……」

「貴方は、私に対して謝らなければならないような事をしたの?」

 
 みさきさんが真っ直ぐな瞳で俺を見つめている。

 俺はみさきさんの問いかけに答えることができず、俯いた。


「それに、謝るのは私の方よ」

「え?」

「ごめんなさい、痛かったでしょう?」


 そう言い、みさきさんの手が俺の頬に添えられる。


「怪我とか、しなかった?」


 そこまで言われ、ようやく満さんに殴られたことを心配しているのだと思い至った。


「いえ、大丈夫です。それに、俺は殴られて当然の……」

「ストップ。それ以上自分を責めては駄目よ。そんな事をしたって、南空は喜ばないのだから」

「……」


 みさきさんに優しい言葉をかけられるのが辛かった。

 そして、同時に疑問を抱いた。

 何故、みさきさんは俺を責めないのか。

 俺との約束が無ければ、南空が事故に遭う事もなかった。

 俺のせいで、南空は死んだのに。


「どうして……」

「何?」

「どうしてみさきさんは、俺を責めないんですか?」


 結局、どれだけ考えた所で答えは出そうに無かったので、みさきさんに直接尋ねた。

 俺の言葉を聞いたみさきさんは苦笑して、ゆっくりと答えてくれた。


「貴方を責めても、何も変わらないから、よ」

「……」

「それで南空が帰ってくる訳でもないのだし。

 それに私は、誰かを責める事で悲しみを紛らわせる、なんて器用なことは出来ないみたいだから」


 そう言って、みさきさんは哀しげに微笑んだ。


「さあ、とりあえず敬司君はお家に帰りなさい。そして眠るの。

 そうすれば、少しは気分も変わるでしょうから」

「は……い」

「あの人が乱暴な事をして、本当にご免なさい。それじゃ、また会いましょう」


 立ち上がり、一度俺に頭を下げると、みさきさんは病室の方へと歩いていった。

 恐らく、満さんの所へ行ったのだろう。

 そして、彼女は俺の為に、俺の事を待ってくれていたのだと気付いた。


「有難う、ございました……」


 あまりの情けなさに涙が、また出てきた。

 それと同時に、みさきさんの強さが、羨ましくもあった。

 俺は、みさきさんが去って行った方へ深く頭を下げてから、病院を後にする。

 とりあえず、彼女の言っていた様に帰ろう。

 そして、眠れそうには無いけれど、無理にでも寝よう。

 今ここに居た所で、俺に出来ることなんて何一つ無いのだから。





 
 そして翌日の夜。


「貴様、一体何をしに来たんだ?」


 南空の通夜へと足を運んだ俺へ、満さんが憎しみの篭った目で睨みつけながら問いかけてきた。

 そして俺が答えるより早く、言葉を継いだ。


「貴様の顔なんぞ見たくもないんだ。即刻この場から立ち去れ」

「そんなっ」

「黙れっ!! 貴様が南空を殺したんだ。そんな奴が、どの面を下げてこの場に顔を出すっ!?」


 怒声が辺りに響き渡る。

 周囲の人達も何事かと、此方へ目を向ける。


「さっさと帰れっ! そして二度と顔を出すなっ!!」


 その言葉を最後に、目の前で扉が閉まる。

 暫く呆然と立ち尽くしていたが、結局俺は踵を返してアパートへと帰った。

 この分では、葬式への参列も許されはしないだろう。

 だけどせめて、少し離れた場所からでもいいので見送ろう。

 せめて、それ位は……。
 
 重く澱む気持ちを抱えたまま、俺はベッドに身を沈めた。
 
 
 

 夜が明けて、南空の葬式の当日。

 降りしきる雨の中、周囲は悲しみに包まれていた。

 雨音に混じってかすかに聞こえてくるのは、すすり泣きと悲嘆の声。

 夕月 南空の葬儀は重く沈んだ雰囲気の中で、しめやかに執り行われている。

 満さんに参列を許してもらう事の出来なかった俺は、離れた場所からその様子を、ただ虚ろに見つめているだけだった。

 独り、雨の中で立ち尽くす。

 悲しみにくれる人の輪を外から眺めているせいか、俺の心は不思議な位平静を保っていた。

 棺が霊柩車へと運ばれ、火葬場へ向けて出発した。

 それを見送り、俺は家路につく。

 機械的に足を運び、程無くアパートへと辿り着いた。

 そして、自室に置いてある天体観測や星に関する物を乱雑に纏める。
 
 もう、きっと天体観測なんて出来はしないのだから。
 
 だから、要らなくなった道具を押入れの奥へと詰め込む。
 
 そうする事で、南空との想い出と果たされなかった約束もこの悲しみも全部一纏めにして、心の奥に閉じ込めるのだ。
 
 
「さよなら、南空……」


 小さく呟き、押入れの戸を閉じた。

 その日、俺は一粒の涙も零さなかった。 








 〜〜♪
 
 目を覚ますとラジオのスピーカーから懐かしい曲が流れていた。
 
 何年か前に流行った歌。
 
 俺が、果たす事の出来なかった約束と、良く似た歌。
 

「ちっ」


 舌打ちと共にラジオのスイッチを乱暴に切る。
 
 携帯電話を手に取り、電源を入れて時間を確認してみると午前一時半を回った辺りだった。
 
 身体を起こし窓の外に視線を向けると、雨は止んで空には月が浮かんでいた。
 
 美しく弧を描く、銀の三日月。
 
 俺は魅入られたように、夜空を見上げていた。
 
 どれ程そうしていただろうか。
 
 ふと、視界を過ぎるものがあった。
 
 一瞬見えた、白銀の軌跡。
 

「流れ……星……」



『敬君敬君、流れ星だよ! ほら、流れ星!!』

『んー?』

『あー、もうっ、のんびりしてるから消えちゃったじゃないー!!』

『やれやれ。流れ星なんざ流星雨の夜に幾らでも見られるよ。

 それよりほら、さっさと観察レポート仕上げちまえ。俺は眠いんだよ』
 
『うー……』



「南、空……」


 何故だろう。
 
 涙が溢れてきた。
 
 
 
『流星雨、楽しみだねぇ』

『そうだな』

『きっと、綺麗なんだろうねぇ』

『そうだな』

『晴れると良いねぇ』

『そうだな』

『むー、敬君そればっかり。楽しみじゃないの?』

『楽しみだよ。夜遅くまで、南空と二人っきりで過ごせるしな』

『け、敬君っ!?』

『はははは、南空、顔が真っ赤だぞ?』

『もう、敬君のバカーッ!』



 また一つ。
 
 星が流れた。
 
 そして、徐々に、徐々に、その数が増えてゆく。
 
 
「流星雨……」


 無数の光が夜空を翔ける。
 
 刹那の時を輝いては消え、幾千、幾万の星が流れる。
 
 寝静まった住宅街の空に、光の雨が降り注ぐ。
 
 

『敬君、流星雨ってきっと、とっても綺麗なんだろうねぇ』



「ああ……綺麗だよ。凄く、綺麗だ」


 星を見るのが大好きだった。
 
 星を見るのが苦痛になった。
 
 暇が出来ると、夜空を見上げていた。
 
 無意識に、夜空を見ることを忌避していた。
 
 それでも、やはり。
 
 
「本当に、綺麗だな……」


 俺は、星を見るのが大好きみたいだ。
 
 呆けたように、ただ流星雨を見ていた。
 
 そうしている内に、心の奥で凝り固まっていた重たいモノが、ゆっくりと溶けて無くなっていく。
 
 そんな、不思議な感覚があった。
 
 やがて、流星雨が終わる。
 
 それを見届けた俺は、あの日以来決して触れ無かった、押入れの奥に仕舞い込んだ箱を引っ張り出した。
 
 中に入っている道具を、一つずつ丁寧に確かめていく。
 
 その中から、一本のロケット鉛筆が出てきた。
 
 
「あ……」


 南空が愛用していたロケット鉛筆。
 
 南空の通夜の後、みさきさんが『形見分けに』と届けてくれたものだ。
 
 俺が持っていた方が、南空も喜ぶだろうから、と。
 
 

『てか、ロケット鉛筆って使いにくくないか? いや、それ以前にまだそれの替え芯って売ってるのか?』

『いいじゃない、気に入ってるんだからっ』

『ホント変な趣味してるなぁ、お前……』

『敬君から貰ったプレゼントだから大事にしてるのに……』

『ん、何か言ったか?』

『何でもないよっ』



「俺がプレゼントしたから、ね……」


 また、涙が出た。
 
 無造作にそれを拭い、ロケット鉛筆を脇に避けて道具の点検を再開する。
 
 どれも一通り見てみたが、特に傷んではいなかった。
 
 この分なら軽く整備してやればそのまま使える。
 
 俺は早速、道具の整備に取り掛かった。
 
 長い事触っていなかったせいか、思うように進まずもどかしさを感じながらも、夢中になって道具の手入れをする。
 
 漸く全てを終える頃には、夜が明け空は白み始めていた。
 
 
「くぅっ……眠い、な」


 あちこち強張った体を、思い切り伸びをして解す。
 
 それから欠伸を噛み殺しつつ、広げていた道具を片付けた。
 
 
「とりあえず、一旦寝よう。で、夜になったら……」


 星を、観に行こう。
 
 余計な光に邪魔されない、満天の星空を。
 
 あいつはもう、俺の隣に居ないけれど。
 
 それは凄く、寂しいけれど。
 
 だからって一人で拗ねていたって、何も変わらないのだから。
 
 これから先、どうするのか。
 
 何がしたくて、何が出来るのか。
 
 そんなものは解らないけれど、とりあえずは星を観に行くんだ。
 
 そこから先は、その後で考える。
 
 きっと、どうにかなるさ。
 
 そんな事を考えつつ、ベッドへ身を投げ出した。
 
 そして俺は直ぐに、久方ぶりの心地よい眠りに落ちていった。









後書き



 おぼえてますか? わすれててもいいです。
 
 とりあえず外伝はこれで終わりです。
 
 そうそう、前中後編の三編構成から前後編に変更しました。そっちの方がすっきりしそうだったので。
 
 名前を使わせてもらったりした方々、有難う御座いました。不出来でゴメンナサイ。
 
 それから読んでくださった方々、有難う御座いました。やっぱり不出来でゴメンナサイ。



 追伸
 
 多分バレバレだと思いますが、一応BUMPの『天体観測』がモチーフです。全然描ききれていませんが。
 
 
 
 追伸の追伸
 
 これはとある件の罰ゲームSSでした。お題は「ロケット鉛筆」でした。これも殆ど意味無くなってますが。
 
 自分の文才のなさにしょんぼりです。













 追伸の追伸の追伸
 
 このお話の数年後、敬司さんはひょんなことから再会した南空の親友、明理ちゃんからの熱烈ラヴコールに屈し、結婚します。
 
 で、紆余曲折を経て行きつけだった喫茶店の雇われマスターに収まり、さらに数年後、独立して一国一城の主となるのです。
 
 そんな、どうでもいいエピローグ。






                                               二○○六年 十月某日 禍津夜 葬月