「…うそつき」
 待っててねって言ったのに。
 わたしは商店街の入り口でため息をついていた。
 きっと先に帰ってはいないと思う。
 また何かを見つけたんだね。
 祐一は何か面白そうなものを見つけるとまわりが見えなくなるところがある。
 ここで待っててという約束を忘れてはいないだろうけど……
 思い出してくれるのは何分、何時間先になるんだろう?
 先に帰ったと思い込めるならまだよかった。
 わたしも怒って家に帰ればいいだけだから。
 でも、わたしは祐一のことをよく分かってる。
 だからここで待つしかない。
「…うそつき」
 もう一度ため息。
 でも……
 ゴメンね祐一。
 わたしも嘘ついちゃった。
 やっぱり外はとっても寒いよ。
 わたしがここで待ってるのをはやく思い出してくれると嬉しいな。






 朝は祐一と一緒にお勉強。
 と言っても冬休みの宿題だけど。
 去年は遊びすぎて冬休み最後の日に大慌てしちゃったんだよね。
 今年はちゃんと計画的にやろうって二人で約束した。
 一人で宿題をやるより二人でやったほうが楽しい。
 お互いに自分の宿題より相手の宿題の方が面白そうで、こっそり交換もしてみた。
 わたしが、『祐一の学校は楽しそうで羨ましい』って言ったら、
 祐一は『俺はお前と同じ学校に行きたかった』って言ってくれたよね。
 わたしはそれを聞いてとても嬉しかったんだよ。
 だってわたしは祐一のことが……
 でも、祐一はそう言った後悪びれもせずに、
 『同じ学校なら名雪の宿題写せばいいだけなのにな』
 と言ってのけた。
 いじわる……
 本気でそう思ってるんだから余計極悪だよ。
 祐一はわたしのことどう思ってるのかな?
 やっぱり、口で言わなきゃダメ…だよね。
 でも、祐一は応えてくれるのかな……
 怖い。
 わたしは今の祐一との関係が好き。
 もしそれを言ったら、この関係も壊れちゃうかもしれない。
 言うのは……
 来年でもいいよね。






 窓から差し込むお日様のあたたかさにつられてお昼寝。
 ベッドの中で丸まるわたしを見て祐一は、『猫みたいなやつ』って呆れてた。
 猫さんがいれば祐一が帰っちゃってもこの家も寂しくなくなるのに。
 でも、わたしは猫アレルギーだから……
 猫さんと一緒にお昼寝できたらきっと楽しいと思う。
 祐一が同じベッドに入るのを確認してわたしは目を閉じた。
 お日様と祐一と……
 二つのぬくもりで心が満たされていく。
 わたしはこの晴れた日のお昼寝の時間が好き。






 目を覚ますと空は赤くなっていた。
 祐一は…いない。
 先に起きちゃったんだね。
 わたしはお昼寝が好きでついつい夜まで寝ちゃうこともあるけど、祐一はあまりお昼寝は好きじゃない。
 好きじゃないというより、すぐに目を覚ましちゃうらしいけど。
 でも、起こしてくれたっていいのに……
 家の中を見回しても祐一はいない。
 お母さんに訊いてみるとどこかに出かけたらしい。
 また秘密基地を探しに行ってるのかな?
 わたしも一緒に探したいって言ったら、『秘密の意味がない』って断られちゃった。
 いつものイタズラなのかな?
 それとも……
 わたしと距離を置いてるの?
 わたしは祐一のことをもっと知りたいよ。
 わたしはこの街にいる間の祐一しか知らない。
 わたしの知らない祐一が増えていくのは……怖い。
 この街にいる間だけでも、祐一のことを全部見ていたいのに……
 わたしの気持ち……言えるのは来年。
 ううん、もっと先になっちゃうのかな……
 でも、いつかはちゃんと言いたいよ。






 今日も祐一はどこかに出かけていった。
 今までこんなことなかったのに……
 今年の祐一は少し変だと思う。
 変なのはいつものことだけど、そういう意味じゃなくて行動が変だった。
 わたしに黙って出て行っちゃうなんてひどいよ。
 『宿題の時間以外はめいっぱい遊ぶぞ』って意気込んでたのに。
 それに何でわたしにお金なんか借りたんだろう?
 しかも1000円も……
 今までそんなことは一度もなかったのに。
 もうこの冬休みの習慣になりつつあったかもしれない。
 お母さんに何度目かの祐一を見ていないかを訊いた時のこと。
 お母さんは笑いながらこう言った。
「好きな子でも出来たのかしら?」
 きっとお母さんは冗談のつもりだったのだろう。
 でも、わたしには冗談じゃなかった。
 馬鹿だよわたし。
 どうして気付かなかったんだろう。
 祐一がずっとわたしを待ってくれるとは限らない。
 ううん、祐一が誰かを好きになるのは当たり前の話。
 わたしも祐一もいつまでも子供じゃないんだから……
 言わなきゃ。
 伝えられないまま終わっちゃったらきっと後悔する。
 気付いて欲しいから。
 祐一にだけは素直なわたしでいたいから……






 昨日の祐一は本当に変だった。
 夕ご飯の時間に遅れて帰ってきて……
 服や手足もちょっと汚れていた。
 何をしてたのかな?
 でもそうかと思ったら、夕飯を食べた後張り切ってわたしの部屋に入ってきて、
 『残ってた宿題を一気に仕上げよう』と言った。
 そうだよね。
 明日は祐一がここにいられる最後の日だもんね。
 祐一は明後日に自分の街に帰っちゃう。
 だけど、宿題を早く終わらせたら明日はめいっぱい遊べるよ。
 だからわたしは祐一の提案に笑顔で『うんっ』って頷いた。
 なのに……
 今日の朝、祐一は手早く朝ご飯を食べると家を飛び出して行ってしまった。
 わたしはそれを追いかけることはできなかった。
 祐一はわたしより足がずっと速いから。
 あの日から祐一の後ろはずっとわたしの定位置だった。
 でも……
 もうわたしは置いていかれちゃったのかな?
 わたしがもっと速く走れたら……
 また祐一の後ろにいられるのかな?
 追いつける…のかな?
 そう思ったとき、わたしは言いようもない寂しさを感じて、人知れず自分の部屋の中で泣いた。

 コツコツコツ

 お母さんが階段を上ってくる足音。
 いけない、涙を拭かなくっちゃ。
 わたしはベッドのシーツで潤んでいた目を拭う。
 そして急いで鏡を確認。
 うん、いつもの顔だね。
 『お母さん』には辛いや悲しいを見せちゃダメ。
 だからがんばらないと。

 カチャ……

 ためらいがちに扉を開けてお母さんが入ってくる。
 その顔を見てほっとした。
 あの『お姉さん』の顔だったから。
 ちょっと涙を拭くのが遅れてたら大変なところだったよ。
「名雪、お母さん……ちょっとお出かけしなきゃいけないの」
「うん、お留守番?」
「ええ、お願いできるかしら? お昼ご飯は抜きになっちゃうかもしれないけど……」
 お昼ご飯抜き?
 どうもお母さんの真剣な顔を見る限り、とても大切な用事らしい。
 さっき鳴ってた電話と関係があるのかな?
 って、ダメっ!
 わたしはそんなことを訊いちゃダメ。
 訊かれたくもないことを訊いたら『お母さん』が困っちゃう。
 笑わなきゃ、いつもの顔で。
「大丈夫だよ。お昼ご飯くらい自分で作れるからお母さんは心配しないで」
「そう、ごめんなさいね。じゃあ…お母さん行ってくるから留守番お願いするわね」
 お母さんはそう言い残すと、急いで家を飛び出していった。
 何かよく分からないけれども、きっと大事な用事なんだろう。






 お昼前にお母さんは一旦帰ってきた。
 でも、その隣に祐一はいない。
 お母さんは何か忙しく荷造りをすると、またいそいそと家を出ていった。
 『何時に帰ってくるかは分からない』
 と、言い残して。
 わたしが不安になったのは言うまでもない。
 どうしてお母さんは慌てていたのか?
 普段持ち歩かないような大きなバッグまで持ち出していた。
 祐一に…祐一に何かあったの?
 でも、そんな質問をお母さんにするわけにはいかなかった。
 することはできなかった。
 不安が募る。
 それは予感のようなもの。
 今祐一に会えなかったら、もう二度と祐一に会えない気がして……
 気がついた時にはわたしは家を飛び出していた。
 『お母さん』の言いつけへの、多分最初で最後の反抗。






 街中の祐一とわたしで行ったことがある場所をあちこち走り回る。
 雪が降っていて視界が悪いけれどそんなのは関係ない。
 探さなきゃ…探さなきゃもう会えない。
 雪が邪魔で前が良く見えない。
 祐一がどんどん遠くに、見えなくなっていく気がする。
 お願い!
 邪魔をしないで!
 早く祐一に会わせて欲しいの!
 わたしの祈りが通じたのか……
 突然激しく降っていた雪が小降りに変わる。
 そして、その先には……
 駅前のベンチに座っている祐一の姿があった。
 よかった、やっと見つけたよ。
 でも…祐一の様子が何か変。
 去年、一緒に雪遊びする時言ったよね?
 雪だるまを作るならきれいな雪が一番だって。
 勝手に歩き回って雪を踏み固めたわたしをそう言って叱ったよね?
 じゃあ……
 なんで祐一の周りにある雪はそんなに真っ黒なの?
 祐一が…祐一が何度も踏み潰したの?
 わからない。
 こんなに近くにいるのに、目の前に見えているのに……
 ここまで祐一が遠く、かすんで見えたのは初めてだよ。
 どうしよう……
 どうやって話しかけたらいいの?
 助けを求めてまわりを見回す。
 でも、助けなんかあるはずがない。
 だって、わたしが頼れるのは他でもない祐一だけなんだから。
 目に映るのはさっき降ったばかりの白い雪だけ。
 まっしろできれいな……
 そうだ、これだよ。
 わたしはふと何かを思いつき、雪を手に取った。
 二人でやった雪遊び、楽しかったよね?
 いっつもいっつもわたしは要領が悪くて馬鹿にされたけど……
 上手にできたら、褒めてくれるよね?
 崩れないように慎重に慎重に雪の形を整えていく。
 緊張のあまり汗が滴った。
 祐一はこれを作るのをいとも簡単にやっちゃうけど……
 わたしには一世一代の大仕事のように大変だった。
 脇の植え込みにあった葉っぱと赤い木の実を付けて完成。
 うん、これならきっと祐一も褒めてくれるよ。
 できあがったそれ…
 雪うさぎは、白い毛並みがとってもきれいなうさぎさんだった。
 それを頭に乗せて恐る恐る祐一に近づく。
「…家に帰ってなかったから…ずっと探してたんだよ…」
「…見せたい物があったから…」
「…ずっと…探してたんだよ…」
 祐一、何で泣いてるの?
 一人より二人だよ。
 話してくれない…かな?
 雪うさぎさんに勇気をもらって言葉を続ける。
「ほら…これって、雪うさぎって言うんだよ…」
「わたしが作ったんだよ…」
「わたし、ヘタだから、時間かかっちゃったけど…」
「一生懸命作ったんだよ」
 祐一は何も答えない。
 なんだかもの凄く怖い気がする。
 何か、祐一から溢れ出した黒いものがわたしを飲み込んでいく感じ…
 こうして目の前にいるのに、祐一はどんどん遠く見えなくなっていく。
 ダメッ!
 行かないで!
 祐一がいなくなったら…
 わたし…わたし…
「…あのね…祐一…」
「…これ…受け取ってもらえるかな…?」
「明日から、またしばらく会えなくなっちゃうけど…」
「でも、春になって、夏が来て…」
「秋が訪れて…またこの街に雪が降り始めたとき…」
「また、会いに来てくれるよね?」
 わたしは何かに押されるように言葉を続ける。
 遠のいていく祐一を呼び止めるために。
「こんな物しか用意できなかったけど…」
「わたしから、祐一へのプレゼントだよ…」
「…受け取ってもらえるかな…」
 心臓が高鳴る。
「わたし…ずっと言えなかったけど…」
「祐一のこと…」
「ずっと…」
 これで最後の言葉……
 お願い、届いて!

「好きだったよ」

 その瞬間、何かが手からこぼれ落ちた。
 潰れて真っ黒になった雪の中にある真っ白な雪。
 かつては何らかの形を成していた形跡。
 緑の葉っぱと赤い木の実。
 雪…うさぎ?
 地面に叩きつけられてつぶれた雪うさぎ。
 それは今まさにわたしが差し出したものだった。
「…祐一…?」
 どうして?
 祐一は何も答えない。
 視界が真っ黒に染まっていく。
 白いはずの雪が真っ黒に……
 周りの景色も真っ黒に……
 祐一の顔も真っ黒に……
「…祐一…雪…嫌いなんだよね…」
 思わずつぶれた雪うさぎをかき集める。
 それはまるでわたしの心そのもののような気がしたから。
「…ごめんね…わたしが、悪いんだよね…」
 かき集めなきゃ、壊れちゃう。
「…ごめんね、祐一…」
 もう壊れちゃってるけど。
 少しでも元に戻さないとわたしは…もう…
「…祐一…」
「…さっきの言葉、どうしてももう一度言いたいから…」
「…明日、会ってくれる?」
 つぶれた雪うさぎをなんとか塊にして、精一杯の笑顔で祐一に語りかける。
「…ここで、ずっと待ってるから…」
「…帰る前に…」
「…少しでいいから…」
「…お願い、祐一…」
 堪えていた涙が、頬を伝っていった。
「…ちゃんと、お別れ言いたいから…」
 もう…何も見えないよ。
 どこなの?
 ゆう…い…ち…






    夢。

    夢を見ている。

    毎日見る夢。

    楽しい夢。

    黒い雪。

    黒い夕焼け。

    黒一色の世界。

    夢の終わりはいつも黒だった。

    そして泣き声。

    「どうして……」

    だけど誰にも聞こえない。

    夢の終わりはいつも悲しかった。

    だから夢の中で願った。

    夢が終わらなければいいのに……




















 不思議な夢を見た。
 夢の中の俺は幼い日の名雪だった。
 懐かしい日の楽しい思い出……
 そして、あの事件の日の名雪の気持ち。
 目覚めたばかりで頭がぱっとしない。
 何故こんな夢を見たのだろう?
 昨日、秋子さんの話を聞いたから?
 でも、名雪が俺に好意を抱いていただなんて、そんなのは俺の都合のいい『夢』じゃないか。
 馬鹿げてる。
 名雪を心配しすぎて変な夢を見てしまったんだろう。
 だいたい、名雪が秋子さんを信用してなかったり、あんなに俺を頼ってたり……
 どこまでも馬鹿げた夢だった。
 そう思ったその時だった。
 目覚めた頭にある日の言葉が……
 染み出すように浮かび上がってきた。






     「オレは相沢祐一。お前は?」
          「え?」
        「名前だよ、名前」
       「なゆき……水瀬名雪」
   「よし名雪、あのババアのことは任しとけ」
         「…えっと」
       「オレが守ってやる」
         「う、うん」






「あ、あ、あああああっ!!」
 声にもならない叫び声。
 思い…出した。
 初めて会ったあの日、名雪にかけた言葉を。
 そして初めて会ったときの名雪と秋子さんの関係も思い出した。
 そうだったんだ。
 名雪が一番頼りにしていたのは……
 俺だったんだ。


 吐き気がこみ上げてくる。
 起こした自分の体を自ら抱きしめ、右手で左腕を、左手で右腕を爪が食い込まんばかりに握りしめた。
 最低だ。
 俺はそんな名雪の気持ちを裏切ったんだ。
 それも、これでもかといういうくらい最低に。

 裏切った。
 裏切った!
 裏切った!!

 涙が止まらない。
 こんなにも自分を最低な人間と思ったことはなかった。
 名雪がどんな気持ちで冬休みを……俺が来るのを待っていたのか。
 俺はこれっぽっちも気づいてなかった。
 何が果報者だ。
 ずっと名雪は一人で辛いものを抱えてきたっていうのに……
 俺はそんな名雪をあの冬、置き去りにして、どんどん追い詰めて……
 そのあまりの罪の意識に胸が張り裂けそうになる。
 そう、俺の知る水瀬名雪はあの日……
 俺に殺されてしまったのだ。
 俺が殺してしまったのだ!
「くそっ、くそっ!」

 ガッ! ガッ!

 すぐ横の壁に頭を何度もぶつけながら心の中で繰り返した。
 すまない!
 すまない! すまない!





     12月22日(水曜日)











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