12月15日(水曜日)
…………。
「…寒い」
寒くて当たり前だった。
何で俺は床で寝ているんだ?
身体を起こして時計を確認する。
時刻は6時半。
ようやく朝日が差し始めたところだ。
普段は当然ながら寝ている時間。
しかも昨日寝たのは2時過ぎ。
で、当然眠い。
体がそこまで冷えてないところを考えると……
ちょっと前まではベッドで寝ていて、で、床に落っこちて寒さで目が覚めたのだろう。
寝ている最中にベッドから落ちたのは初めてだな……
「もう1時間寝よう」
そう思ってベッドに潜り込もうとすると……
「足?」
枕に布団から突き出た足が乗っていた。
やわらかそうなちっさい足で、『あんよ』という表現の方が正しいかもしれない。
思わずくすぐってみたくなる。
じゃ、なくて…
何で枕に足が乗ってるんだ? ていうか、誰の足なんだ?
寝起きではっきりしない頭をフル回転させて昨夜の記憶を探る。
そうだ、確か昨日はあゆと一緒に寝たんだよな。
で、二人で抱き合いながら寝てたはず……
「何で枕に足が乗ってるんだ」
考えるまでもない。
俺はガバッと布団をはねのける。
案の定、あゆは寝た時とは頭と足の位置を逆転した形で寝ていた。
「普通、180度も回転するものなのか?」
寝相が悪いにもほどがある。
どうやら俺はこいつにベッドから叩き出されたらしい。
しかし……
「なんつう格好だ…」
180度も回転するような寝相の悪さである。
となると、服がはだけてるのも当たり前なのかもしれない。
腹が丸出しで、胸も下の部分が完全に露になっている。
もちろんブラもない。
ていうか、それ以前にあゆは普段からブラなんかしていない。
「目のやり場に……そこまで困らないか」
平和そうな寝顔を見てるとまるっきり子供だった。
色気とはまったく別次元の存在に見える。
ていうか、ある意味これはこれでかわいらしい。
「うぐう……」
ポリポリ
あゆは奇妙な寝言を上げながら、ズボンに手を突っ込んで腹の下を掻いた。
「オヤジかお前は…」
まあ、子供っぽい寝姿とのギャップがまた微笑ましくもあるが……
さて、それはともかく、どうしよう?
こうまで気持ちよさそうに寝ているあゆを叩き起こすのはさすがに忍びない。
ていうか、俺と同じ時間に寝たんだから、今起こせば間違いなく寝不足だ。
仕方ない、刺激しないように脇にやって寝直すか……
俺はそう思ってあゆに手を伸ばした。
と、同時にあゆの目がパチッと開く。
身体を起こし目をゴシゴシ。
続いて両手を広げて、大きく伸び。
「うーん、と。おはようっ、祐一君」
「あ…ああ、おはよう」
普段名雪の寝起きの悪さに手を焼いてるせいか、ここまで寝起きがいいやつをみると調子が狂う。
「祐一君って早起きなんだね」
ベッドから俺を見上げて感心するあゆ。
「誰のせいだと思ってるんだ、お前の寝てる場所をよく見ろ」
「え?」
あゆはきょとんとして、俺とベッド周りを眺める。
「お前は夕べその方向で寝てたのか?」
「あっ……」
ようやく悟ったらしい。
そして、涙目で俺に頭を下げるあゆ。
「ご、ごめん、祐一君」
「…まったく、寝相が悪いにもほどがあるぞ」
「うぐぅ、やっぱり慣れないベッドで寝たからかも」
「床で寝てたら違うのか?」
「うん、頭と足の位置がひっくり返るところまでは行かないよ。手と頭くらいだね」
手って、90度も回転してれば十分寝相が悪いだろう。
と、待てよ……。
「名雪の部屋で寝たときはどうだったんだ? あと秋子さんとも時々一緒に寝てるよな?」
「えっと、あれ?」
「どうした?」
「普通に起きた気がする」
「おいおい、ベッドから叩き出された奴は俺だけか?」
「あ、でも、秋子さんには『寝相が悪いのね』って言われたことがあるよ」
…………。
ああ、そういうことか。
秋子さんのことだ。きっとあゆが変な方向に行くたびに、元の体勢に戻してやったのだろう。
昔俺がこの家に来た時も、よく蹴飛ばした布団を何度もかけ直してくれたりしたものだ。
名雪は…無意識下でも快眠というベクトルに行動の全てが向けられるようなやつである。
大方あゆに弾かれたら弾き返すという壮絶な拮抗状態を作り出したのだろう。
…ある意味壮絶だが、とてつもなく次元が低く思えるのは気のせいか?
「ま、朝からいい物見れたからいいけどな」
「いい物?」
俺の目の先にはあゆのはだけたパジャマが…
その視線の意味を理解して慌てて、前のボタンをとめるあゆ。
「うぐぅ、変な目で見ないでよ〜」
あゆは顔を真っ赤にして照れていた。
もっとも、照れてるだけで怒らないところがやっぱり子供っぽい。
相手が名雪や栞だったらしばらく口をきいてくれないだろう。
まだまだあゆはその手の羞恥心に疎い。
「自分から見せたんだろうが」
「うぐぅ」
さすがに、これには反論できないようだ。
「まあ、それはともかく…今からどうする? 寝るなら自分の部屋に行ってくれよ」
名雪はまず俺達より早く起きないだろうし、秋子さんは俺達を起こしに来たことなんてないので安心だが…
栞の行動は読めない。
ていうか、あゆと一緒に寝てるところであいつに乱入されたら様々な意味でたまらない。
秋子さんなら恥ずかしいだけで済むが…
あいつの場合、後であることないこと構わず周りにばらまきかねない。
「ボク? いつもの時間だからこれから台所」
俺がそんな心配をしていると、あゆはベッドから降りてこともなげにそう言った。
「台所?」
「うん、秋子さんと朝ご飯の準備」
「ああ…変なもの作るなよ」
殻付き卵焼きとか。
「うぐぅ…それは昔の話だよ。今は朝ごはんほとんどボクがやってるんだから」
不満げに横を向いて、文句を言うあゆ。
「何? マジか?」
「うん」
秋子さんについて皿運びとかしてるだけで、料理は少しだけだと思ってた。
でも、よく考えたら最近朝食が以前より華やかになったような……。
彩りのいいサラダとかがパンについて出されたりしている。
あゆが秋子さんを手伝ってるおかげで秋子さんにも余裕が出来たってことだろうか?
「今日はボクがお味噌汁で、秋子さんが塩鮭だよ」
「へえ」
「じゃ、ボク行ってくるね。祐一君はいつもの時間までまだ寝るの?」
「ああ」
「ごめんね、ボクのせいで起こしちゃって」
「気にするな、まあ味噌汁に卵の殻とか入れないように頑張ってくれ」
俺はそう言ってあゆがのいたベッドに潜り込んだ。
これ以上1分も睡眠時間を無駄にしたくない。
「うぐぅ、卵を割るの以外は大丈夫なんだよ〜。あれだけはどうしても苦手で」
「そういう事にしておこうか、じゃ、おやすみ」
「秋子さんみたいに片手で割ろうとしたらどうしても潰れちゃうんだよ〜」
あゆがまだごちゃごちゃ言ってる。まったく、早く寝かせてくれ…
って、何!? 片手で割ってたのか?
「両手でやれ、馬鹿!」
「うぐ、馬鹿は酷いよ」
「どうでもいいから早く寝かせてくれ。お前も秋子さんを待たせるな」
「あっ、うん、ごめんね。じゃ、ボク行ってくるから。おやすみ、祐一君」
あゆはそう言い残すと、パタパタと部屋を出て行った。
しかし…あゆが料理か。
あの殺人料理しか作れなかったやつがなあ…。
しかも今日はあいつが味噌汁を作るらしい。
今の話だと、今までも多分気付かないうちにあゆの味噌汁を何度かご馳走になってるということだろう。
つまり、秋子さんが作った物と勘違いさせられるくらいにうまい物を作れるようになっているのだ。
俺は、台所に立って秋子さんと一緒に手際よく料理をしているあゆの姿を思い浮かべた。
「…ほとんど若奥さんって感じだな」
寝姿は子供みたいなくせに、別のところではしっかりしてるというか…
やれやれ、うかうかしてると俺の方が置いていかれるかもしれないな。
俺はそう思いながらもう一度眠りに落ちた。
『朝〜、朝だよ〜』
『朝ご飯食べて学校行くよ〜』
カチッ!
「……眠い」
さすがに50分程度じゃ寝た気になれない。
いや、むしろかえって余計に起きるのが嫌になった気が……
ジリリリリ…ッ!
ジリリリリ…ッ!
隣の部屋から容赦のない騒音が俺の耳を襲う。
「へいへい、起きればいいんだろ、起きれば」
さすがにこの大音量の中で寝られるほど、俺の眠気はタフではなかった。
名雪を起こして、一階に向かう。
あゆの部屋が開いているところを見ると、もう栞も起きているのだろう。
「おはようございます、祐一さん」
「おはようございます、祐一さん」
「おはようっ、祐一君」
「おはようございます」
ダイニングの扉を開けると、先に食卓に座っていた秋子さん、栞、あゆが出迎えてくれる。
爽やかな笑顔を見せているところを見ると、栞は一晩寝て落ち着いたようだ。
しかし…
「あゆ、お前だけ言葉使いが悪い。言い直しだ」
「え、ええっ?」
「全員『おはようございます』と言ってるのに何でお前だけ『おはよう』なんだ? なってないぞ」
「だ、だって、いっつも『おはよう』だよ?」
あたふたと慌てるあゆ。
「悪い癖は直さないとな。さあ、言い直すんだ」
「う、うん…」
あゆはすーっと大きく息を吸って、緊張を解こうとする。
そして…
「お、おはようございます、祐一君」
「…………」
「うぐっ、何で黙るの?」
あゆは挨拶に何も返さない俺を、非難するように涙目で見上げた。
「いや、なんか寒気が」
『おはようございます』だけでも既に違和感ありまくりだが、続く『祐一君』がおかしいことこの上ない。
「あのなあ…それはなんか違うだろう」
「どう違うの?」
「『おはようございます』なら、秋子さんや栞みたいに『祐一さん』にするか……」
と言ったところではっとした。
あゆが俺に『さん』付け?
こいつに『あたし』と言わせてみたとき並に寒気がしそうだ。
あゆはやっぱり自然体が一番だと思う。
「いや、やっぱいい。忘れてく…」
ガンッ!!
何かが後頭部を直撃した。
「おはようございます…うにゅ?」
「わ、わ、祐一君大丈夫!?」
扉の前に突っ立っていたものだから、後から来た名雪に扉をぶつけられてしまった。
しかも思いっきり……。
…名雪、いい目覚めの一発ありがとよ。
「あらあら、バチが当たりましたね」
「あゆさんをからかった天罰ですね」
俺そこまで悪いことしましたか?
あゆをからかうのは神に弓引く行為なんですか!?
外野で微笑んでる二人が悪魔に見えた一瞬だった…。
全員で席について朝ご飯を食べ始める。
献立はあゆの言ってた通り、鮭と味噌汁とご飯というごく普通の和食だった。
「…くー」
ぽかっ
「いきなり寝るなっ!」
「うー、イチゴジャムがないと…力が出ない…」
わけのわからない寝言を言いながら箸を進める名雪。
よくこんな状態で飯が食えるな…。
「イチゴジャム持って来る?」
「真に受けるな」
イチゴジャムをご飯、味噌汁、ましてや鮭にかけて食べられたら、見ているこっちが気分が悪くなる。
「栞も朝は強いみたいだな」
「私の家族はみんな、朝強いです」
爽やかな顔で答える栞。
「羨ましい限りだ」
起きられないことはないが、俺はもう少し寝ていたい。
正直言うと学校に行くまでの時間がもっとも辛い気がする。
俺の周りで朝が弱い奴と言ったら、名雪みたいな極端な奴しかいないだけに何か不公平だ。
「くー」
それに関して、焦る気持ちがまったく感じられないのには腹立たしさを感じないでもない。
「祐一さんは、朝は苦手なんですか?」
「苦手じゃないなら、わざわざギリギリの時間に起きたりしない」
「それもそうですね。でも、今日の祐一さんは普段より顔色悪いですよ。寝不足ですか?」
うーむ、言われてみたら確かにかなりだるい気が…
これは、今日の1時間目は死亡確定だな。
「いや、寝不足は受験生だしいつものことなんだが」
「このあいだ会ったときはそんなに目は赤くなかったですけど」
「そうね、今日の祐一さんはいつもより少し体調悪そうね」
栞の言葉に相槌を打つように、秋子さんは言った。
「実は、あゆの寝相が悪くて…」
「うぐぅ、祐一君ごめん」
まったく、あんなくそ冷たい床に人を転がしやがって…
寝不足だけじゃなくて、少し風邪気味になってるかもしれない。
「あらあら」
は!?
秋子さん何ですか? その微妙な笑みは?
「祐一さん大胆ですね。わざわざ私のいる日を選ぶなんて」
にこー。
「…………」
ひょっとして俺、墓穴掘ったのか?
『あゆの寝相が悪くて…』
別におかしなところはないはずだが…
はっ!
しまった! それって『二人でいっしょに寝てました』って言ってるようなものじゃないか!
「待て、誤解を招くようなことを言うな栞」
「昨日私が寝た時にあゆさんは部屋にいませんでしたけど?」
指を口に当てて、横目でこちらを見る栞。
ぐっ、この野郎…意地でもそっちに持っていく気か?
「あはは…ごめんね栞ちゃん、昨日は祐一君と寝たんだ」
顔を赤らめながら、栞に言うあゆ。
おいあゆ、そんな顔をしながらそんなことを言うな。
思いっきり誤解を招くだろ!
しかも目の前にはわざと誤解したがってるヤツがいるのに。
「大胆ですね祐一さん。私も名雪さんも近くにいたっていうのに。それともそういうほうが盛り上がるんですか?」
にこにこ。
「違う、それは絶対にない」
と、後々まで言い切れるかはわからないが…
ああいうのは目覚めるとやみつきになるなるらしいし…
って、何考えてるんだよ俺は。
「ふふ、栞ちゃん、そのくらいにしてあげてちょうだい」
頬に手を当てて微笑みながら秋子さんは栞を制止した。
「はい」
同じく笑顔で素直に引き下がる栞。
なんだか栞と秋子さんって凄く気が合ってる様な気がするな。
というか、性格的に同質のオーラを感じる。
「最初から祐一さんにそんな勇気があるとは思ってませんけど」
ガクッ!
栞はくすくすとまったく含みなしに笑っているが、その一言の方が傷ついたぞ。
そこまで言うなら、お前の滞在中に目の前でやってやろうじゃないか。
…って、それじゃ完全に変態だ。
俺ひょっとしてそういう性癖の素質あり?
頭の中では常識人としての相沢祐一が必死にそれを否定していた。
「でも、祐一さんはちゃんと後先考えているみたいですから安心です」
「そりゃ、まあ」
「焦らないであゆちゃんを大事にしてあげてくださいね」
秋子さんは突然真剣な顔をして一言そう言った。
「え、ああ…はい」
普段ほとんど見せない顔だけに驚いてしまって、声がすぐには出ない。
「昨日祐一君は優しくしてくれたよ」
「ふふ、ちょっと余計でした。祐一さんは言わなくても分かってましたね」
あゆの言葉を聞いた秋子さんは、穏やかに目を閉じながらそう言うと、空になった食器を持って台所へ消えていった。
なんだろう? 秋子さんは珍しく深刻だった。
まさか…でもあの若々しい秋子さんを見れば考えられないことでもない。
ひょっとして秋子さんが名雪を生んだのって……
いや、やめとこう。
こんなこと詮索するのは失礼だ。
でも、あゆにはちゃんと高校は卒業させてやりたい。
最後まで通えたのが幼稚園だけじゃかわいそうだもんな。
「さて、そろそろ行かないとまずいな」
俺は名雪の首根っこを掴んで立ち上がる。
「にゃ〜」
どうやら寝ぼけてる名雪は子猫になってるつもりらしい。
ま…外に連れて行けば寒気で目が覚めるだろう。
「あ、ボクも行くよ」
俺が立つのを見て慌てて立ち上がるあゆ。
「お前は留守番だ」
「な、何で?」
「秋子さんももうすぐ仕事に出るのに、栞をほったらかしにするわけにはいかないだろ」
ちなみに、あゆは鍵を持っているので、俺達と一緒に学校に行っても問題はない。
「じゃあ、栞ちゃんも一緒に……」
「言っておくが、今日は走るぞ。昨日の今日で栞を走らせる気か?」
「え、えっと…」
「ついでに言うと、学校に行く途中で栞の家出の原因と出会う可能性もあるんだぞ?」
「う、うぐぅ」
正論をずらずら並べ立てられて、あゆは何も言い返せなくなった。
「というわけでおとなしく留守番してろ」
「う、うん」
しょんぼりするのも無理ないな。
いつもは走ってでも一緒についてきてたんだから。
仕方ない。
「いい子にしてたらたい焼き買ってきてやるぞ」
「えっ、ほんと?」
たい焼きと聞いて途端に明るくなるあゆ。
しかし、今の台詞にその反応でいいんだろうか?
慰めのつもりで買ってきてやろうとは思ったが、今のはからかうつもりで言ったんだが……。
「…………」
少し考え込んだ後、栞に目を向ける。
「栞もいい子にしてたらバニラアイスを…」
「私をおちょくっているんですか?」
「いえ、滅相もございません」
全部言う前に凄い形相で睨まれてしまった。
しかも微妙に口が悪い。
しかし、これが普通の反応だよなあ?
俺だってこの歳でそんな慰められ方されたら怒るぞ。
7年前でも多分怒ると思う。
「うにゃ〜ん」
いや…こいつもイチゴサンデー餌にしたら素直に喜びそうだな。
やっぱりこいつらはどこかおかしい。
「んじゃ、行ってくる」
「ごろにゃ〜ん」
秋子さん、あゆ、栞の『いってらっしゃい』の声を背中に受けながら…
俺は手元でだらしなく垂れているドラネコ大将を引っ張ってリビングを後にした。
いつもどおりの時間に教室に滑り込む。
北川達に軽く挨拶はするが、話し込んでる時間はない。
とりあえず、急いで席につく。
教室に入る前に石橋が向かいの廊下から歩いてくるのを見たからだ。
程なくして、石橋が教室に入ってくる。
と、同時に香里が教室に駆け込んできた。
ギリギリセーフというところだろう。
しかし、相変わらず余裕のない切羽詰った顔だ。
一時間目の授業終了のチャイムで目が覚めた。
疲れているときはいっそ開き直って寝るに限る。
無理に起きていたところで、その後の授業がどんどん辛くなっていくだけでいいことは何もないからだ。
ていうか、起きてても授業が頭に入らない。
こういう時、後ろの席というのはありがたかった。
教師が教材をまとめて、教壇を離れるのを見て背伸びをする。
次の時間からは起きてよう……。
と、思いつつ横を見てみると名雪が気持ちよさそうに眠っていた。
「くー」
…完全に熟睡してる。昼まで起きそうにないな。
まあ、俺と違って名雪は受験の方は余裕なんだ。好きにさせてやろう。
以前悪戯で、寝ている間にあの長い髪を蝶結びにしてやったら思いっきり睨まれたしな。
触らぬ髪に祟りなしというやつだ。
「相沢君」
ん?
呼ばれたので後ろを振り返る。
「香里か、何か用か?」
思いがけず香里から俺に話し掛けてきた。
昨日のこと考えると、今日も避けられると思って、捕まえる余裕のない小休憩の時間は気にしないで置こうと思っていたので意外だった。
「ちょっと話いいかしら」
そう言って、目を廊下にやる。
「わかった。俺も話がある」
俺が応えると、香里はそのまま振り返らずにさっさと教室を出て行った。
いい機会だ。こちらからも言いたいことを言ってやろう。
香里の話はあのことだろうしな。
向こうの手が読めていれば、香里のあの鬼気迫る顔にも結構余裕を持って対応できるものだ。
後ろの北川をちらっと横目で見ると……
何も言わずに小さく相槌を返してきた。
『何か知らんが、頑張れ』って意味だろう。
俺は北川に軽く頷いて、小走りに香里の後を追った。
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