それから数時間、俺とあゆは文化祭を存分に楽しんだ。
 もう少しでその文化祭も終わる。
 俺とあゆは校門前で名雪たちがやってくるのを待っていた。
 もう5時前。校舎は赤く染まっていた。
 少し、いやかなり寒いが、この町にしてはまだ暖かい方か。
「祐一君、今日はとても楽しかったよ」
「俺も楽しかったぞ」
 普段ならわざと思ってもいないことを言っているところだが、今日ばかりは本当に楽しかった。
 あゆをからかおうという悪戯心が入り込まないくらい純粋に。
「でも…今日で最後なんだよね」
 しんみりとあゆが言う。
「そうだな」
 俺達の学校生活は7年前の冬休みのようにほんの一瞬でしかないのだ。
「うぐぅ」
 ちょっと涙ぐむあゆ。
「泣くなよ、来年は栞と一緒に通えるんだし」
「うん…でも」
 本当は俺も残念だった。
 この学校に転校してきて以来、今日ほど楽しい日はなかった。
 俺・あゆ・名雪この3人で学校に通えたらどんなに楽しい学園生活が送れただろう?
 たった一日だったというのに、あゆのいないこれからの学校はなんだかつまらないもののように思える。
「にしても、栞には驚いたな」
「そうだね」
 校門前に来る前にコンテストの結果を見に行ったのだが……
 栞が1位になっていたのだ。
 ちなみに、名雪は3位、香里は5位、4位は俺の知らない1年の女子だった。
 しかし、あの生徒会長らしき2年の女の子が2位とは。
 あの地味そうな顔のどこに人を惹きつける魅力が……?
 生徒会がらみの組織票でも入ってるんだろうか? かなり謎だ。
 天野美汐……名前は他に負けてないかもしれない。
 けどなあ、香里とタメ張るくらいの仏頂面の写真で何故2位?
 まあ、気にしないでおこう。
 きっと俺が知らないだけで何か魅力のある子に違いない。
 ていうか、票自体は栞が全投票数の半数以上持っていってしまって栞の独壇場だったのだが。
「栞ちゃんってかわいいもんね」
「黙ってれば…だけどな」
 あの写真写りの良さと話題性はある意味反則だろう。
 しかもあんな過剰な紹介文を添えられれば誰だって注目する。
 『あんな予断を抱かせる紹介文は不正だ』とかなんとか、講堂から出る前に会った委員長がブツブツ言ってたのも当然だろう。
 来年以降は写真の紹介文の規格化が進みそうである。
「栞というと、あゆ……お前そんなにお化けなんか怖がる必要はないだろ」
「怖いものは怖いよ!」
 お化けときいて一瞬で涙目になるあゆ。もはや条件反射の域だ。
「お化けはお前の仲間だろうが」
「お化けなんかに知り合いはいないもん」
「だったら今年の1月のお前はなんなんだ?」
「あ……」
 それを聞くやいなや、あゆの顔から血の気が失せていく。


「うぐぅ〜〜〜〜〜〜!!」


 で、次にあゆの口から出てきたのは悲鳴だった。
「祐一君怖いよ〜」
 あゆは俺にしがみついてがたがた震えていた。
 その顔はかなり必死だ。
「お前なあ……今考えたらお化けのくせにお化けを怖がっていたのか?」
「ボクお化けじゃないもん」
 ……自分の存在を否定してまでもお化けを嫌うなんて。
 あゆのお化け嫌いは重度どころか、もはや重態の部類だった。
 ま、嫌いな人は本当に嫌いらしいからな。
「あー、分かったから泣くな。もう言わないから」
 栞にもお化けの話だけは止めておけと釘をさしておいたほうがよさそうだな。
「う、うぐぅ」





「あ、やっぱりあゆさんですね」
 小走りに栞が俺たちのほうにやってきた。
 『やっぱり』というのはさっきの珍獣たい焼きイーターうぐぅの咆哮を聞きつけてのことだろう。
「お、栞、そっちも見終わったのか?」
「はい。楽しかったです」
「名雪たちは?」
「えと、それがちょっと事故というか日常茶飯事なことというかに巻き込まれちゃいまして」
「栞、日本語おかしいぞ」
「お姉ちゃんが『いつものことよ』って言ってたんです」
「……?」
 何があったのだろう?
「とりあえず、もう少ししたら校門に来ますから」
「わかった、なら別にいい」
「栞ちゃん、コンテスト優勝おめでとう」
「薄幸の美少女としては実力相応のことですよ」
 えっへんとばかりに胸を張りながら、例のポーズをする栞。
 あゆは素直に『さすが栞ちゃんだね』という羨望の眼差しを栞に注いでいた。
「自分でそういう事言って恥ずかしくないのか?」
 それ以前にお前はもう薄幸でもないだろ、と心の中で突っ込みを入れておく。
「あゆさんや祐一さん相手だと少し恥ずかしいです」
「……だったら言うな」
「こういうのは月宮さん相手にしか通じませんね」
 通じるんかい、あの親父。
 相変わらずつかめない人だ。


「あ、栞ちゃんのお姉さんたちだ」
 あゆが昇降口から出てくる香里たちを見つけて声をあげる。
「あれ?」
「ん?」
 だが出てくるのは香里と北川だけだった。名雪はどうしたんだ?
「どうしました?」
「名雪がいない」
「あ、名雪さんですか。北川さんがおぶってますよ」
「どういうこと?」
 よく見るとたしかに北川が何かを背負っている。
 いや、何かじゃなくて名雪なんだが……
「実はですね」
「いや、言うな。香里の言葉の意味がよくわかった」
 俺は苦笑しながら事情を話そうとする栞の口を遮った。
「どうせまた、文化祭をまわっている最中に寝だしたんだろ」
「よくわかりましたね」
「ええっ、そうなの!?」
 栞はともかく、何故あゆまで驚いているんだ?
 名雪と暮らしていればそれくらい……
 いや、あゆは名雪が学校でもよく寝ていることは知らなかったか。





「北川、ご苦労だったな」
 とりあえずあゆと栞を校門前に残して香里と北川の下に駆け寄り、ねぎらいの声をかけてやる。
「……いくら水瀬が重くないといっても、さすがに1時間は堪えた」
「1時間も背負っていたのか?」
「模擬店の前でちょっと座っている間にこの調子よ」
 呆れ果てたような顔の香里が状況を説明してくれた。
「さすがに今回ばかりはオレも驚いたぞ。まさかあそこで寝てしまうなんて」
「名雪を侮るな、それくらい朝飯前だ」
「誇らしげに言うことじゃないわよ……相沢君、あとはお願いね」
「ああ、北川、名雪を下ろしてくれ」
「おう、ちゃんと家まで運んでくれよ」
 俺は北川の背から名雪を受け取った。
「くー」
 名雪は平和そうに寝ていて、起きる気配はまったくない。
「しかし、何で北川に背負わせていたんだ?」
 いとこの俺ならともかく、北川にはおいしすぎるシチュエーションだ。
 げんに俺の背中にはやわらかい感覚が……って何考えてるんだ俺?
 名雪相手に興奮してどうする。
「何が悲しくて名雪を背負いながら文化祭を楽しまなければならないのよ」
 確かに一般客までいる校舎の中を、名雪を背負いながら歩き回るのは恥ずかしいな。
「それに、寝ている名雪を背負っているとろくな事ないわよ」
「は?」
「相沢、頑張ってくれ」
 やたらに疲れた表情をして北川がそういう。
「どういうことだ?」
「こういうことだ」
 そう言って北川は俺に背を向けた。特に変わったところはな……
「……それ何だ?」
 北川の後頭部の髪が乱れている。
「水瀬の涎だ……帰ったら頭を洗わないと」
「そういう事よ」
 ……最悪だ。
 おまけに、身長もあるせいか少し重い。
「名雪の馬鹿野郎……」
「くー」
 背負っている者の気も知らず、水瀬家の眠り姫は呑気な寝息を立てていた。
「北川みたいになるのはごめんだ。はやく帰ろう」
「まあ、がんばってくれ……」
 もはや嫌味を言う気も起きないらしい。
「ところで、栞知らない? 何かに気付いて先に出て行ったみたいなんだけど」
 『何か』ってたい焼きイーターうぐぅの咆哮だな……。
 名雪は寝ているわけだし、意味を知っているのは栞だけか。
「ああ、栞なら校門前にいるぞ」
「そう……えっ!?」
 俺にそう言われて校門の方を見た香里がなんとも言えない声をあげる。
「…………」
「どうした?」
 香里は瞬きもせずそっちを凝視している。
「おい、美坂?」
 北川も香里のただならぬ雰囲気に気付いたようだ。
「…………」
「かお……」
 あまりの恐ろしさに『香里』とは言えなかった。
 香里は鬼のような形相をして校門を睨み、そして体をわなわなと震わせている。
 そして、その視線の先には栞とあゆ……いや、あゆの姿があった。
「…………」
 香里は何も言わず早足で二人に歩み寄っていく。
 その足音は恐ろしく冷たい感じがした。


「おい、相沢」
「あ、ああ」
 香里に気圧されて動けなかったが、北川の一言で我に返り、俺達は慌てて香里の後を追う。
 そして、校門前で何とか香里に追いついた。



「あ、お姉ちゃん」
 俺が向こうに行ってる間あゆとの話に花を咲かせていたらしい栞が笑顔で香里の方に振り返る。
 だが……
「おねえ…ちゃん?」
 栞も香里のただならぬ雰囲気に気付いたようだ。
 怯えたような表情で姉の様子を伺う。
 横にいるあゆも鬼気迫る香里の様子に怯えているようだった。
「栞、帰るわよ」
「え?」
「帰るのよ。帰らないの?」
 有無を言わせぬ口調。
 それは問いかけというよりは強要だった。
「え…えと、ちょっと待って下さい。あゆさんと今度商店街に行くやくそ……」
「帰るわよ!」
 おどおどしながら話す栞の言葉を遮り、香里が一喝する。
「えぅ」
 それに驚いた栞は小さく叫んでそのままうつむいてしまった。
「おい、香里!」
「何よ」
 今日体育館で感じたことはもはや確信に変わっていた。香里はあゆを……
「お前あゆの何が気に入らないんだ?」
 そう、香里はあゆを避けている。
 さっき栞が『あゆさん』と言った瞬間、香里の表情が更に険しくなったのを俺は見ていたのだ。
「…………」
 図星のようだった。いきなり核心をつかれた香里は気まずそうな顔をする。
 だが次の瞬間…
「ええ、そうよ! あたしはその子が近くにいるのが気に入らないの!」
 と逆に開き直ってきた。
 が、こうもストレートに言われると俺もカチンとくる。
 何より理由がわからない。
「何でだよ? あゆがお前に何かしたか?」
 しているわけがない。
 あゆと香里は今までほとんど会ったことがないのだから。
「…………」
 また黙る香里。それは『理由なんかない』と言っているようなものだ。
「理由もないのに気に入らないって言うのか?」
「何か悪い!? あたしはその子と馬が合わないのよ!」
 香里は拳を振り下ろしながらそう言い切った。
「言いたいのはそれだけ? 栞、帰るわよ」
「あ、え……お姉ちゃん!?」
 香里はそのまま栞の手を掴み、引きずるようにして去っていった。












 香里の姿が消えてからしばらく、香里のあまりの剣幕に俺達は何も言えないでいた。
 一体なんだったんだ? あれは……
「くそっ! なんだよあれは?」
 冷静になってから俺は吐き捨てるように言った。
 『馬が合わない』だけであそこまでの態度をとるのか?
 いや、『馬が合わない』とそういうものかもしれない。
 だが……
「美坂ってあんな奴だったっけ?」
 茫然とした様子で独り言のように呟く北川。
 そうだ。俺達の知っている香里はそんな心の狭い人間ではない。
 それに、あの栞の怯えた様子……
 あれは栞ですら知らない姉の顔だったのだろう。
「うぐっ…ボク、何か悪いことしたの?」
 あゆは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
 目の前であんな風に『気に入らない』と言われたら傷つくだろう。
 ましてやあゆはまだ子供なのだ。
「北川すまん、名雪を頼む」
「え、ああ」
 俺は背負っていた名雪を北川に預けてあゆを抱きしめる。
「ゆ…ういち…くん?」
「あゆは何も悪くない。だからもう泣くな」
「う、うん」
 俺はあゆが落ち着くまで背中をさすってやった。
 その様子を見た北川が面白そうに軽く口元を緩ませる。
「なんだか、彼女というよりは父親と娘みたいな感じだな」
「まあ、こいつは子供だしな」
「うぐぅ、酷いよ祐一君」
 恨めしそうな目で俺を見上げるあゆ。
「そんな顔が出来るならもう安心だな」
 俺はそう言ってあゆの体から離れた。
 あゆの心は本当に不安定だ。
 いつもは俺達と変わらない年の女の子に思えるが、少しでも心が乱れると途端に子供のようになる。
 そう、あの冬いつまでも泣いていたように……
 それにしても、香里の奴……
 『理由がない』というのは嘘だ。絶対に何か理由がある。
 これは確信だった。
 香里のあれは『気に入らない』どころか憎悪まで感じられた。
 ただ気に入らないだけであそこまで恥も外聞もないような態度をとるとは思えない。
 いずれにしても、このままではあゆと栞の仲が引き裂かれるおそれもある。
 何とか出来るなら何とかしてやらないとな……


「おーい、用が済んだならはやくこれを持って帰ってくれ」
「くー」
 ……一気に気が抜けた。
「わかった。帰るか、あゆ。もう大丈夫か?」
「うん。じゃあね北川君」
「おう。せっかくの文化祭、最後の最後にこんなことになってごめんな」
「気にするな、お前のせいじゃない」
「そうだよ」
「じゃあな北川、また明日」
「明日は休みだぞ?」
「…………」

 ドスッ!(ボディ)

「ぐえっ!」
「一言多いぞお前は」
「やったな!」

 ビシッ!(ツッコミ気味の裏拳)

「野郎!」

 ポカッ!(チョップ)

「何でボクまで!?」
「ついでだ」
「うぐぅ、ボク女の子」
「悔しかったら『あたし』って言ってみろ」
「祐一君のいじわる!」

 バキッ!(右ストレート)

「って何でオレがぶたれるんだ!?」
「おまけだ」
「んなもんいるかあああ!」

 ボカッ! ボカッ!(二人同時に攻撃)

「北川、殺す!」
「もう怒ったよ!」
「おい、いきなり物騒なこと…ってくそ。こうなりゃヤケだ。二人まとめてやってやる!」

 ドスッ!
 ビシッ!
 ポカッ!
 バキッ!

 訳のわからないうちに俺たちははたきあいを始めていた。
 だが、今はそれがなんとなく楽しかった。
 3人とも意味なんかなくただ暴れたかったのだろう。
 そしてさっきの嫌な空気を忘れたかった。


「相沢に北川、そこで何をしている?」


 ぴたっ。
 呆れたような部外者の声で俺たちは我に返った。
「…………」
 声の主は…我らが担任石橋だった。
「先生も混ざります?」
 乾いた笑い声で軽口を叩く北川。
 少しは空気を読めっ! 石橋はどう見ても不機嫌そうだろっ。
「面白い冗談だな北川。周りを見てみろ」
 周り?
「げっ」
 北川と二人して絶句。
 他の生徒たちが俺達に非難の眼差しを送っている。
 よく見ると向こうで他の先生方もこっちを指差して渋い顔をしながら何かを話していた。
「ひょっとしなくてもオレ達悪人!?」
「外来の小学生に絡んで暴行しているだけにしか見えんな」
 ごもっともです、石橋先生。
 周りの視線の意味がよくわかった。
「うぐぅ、暴行はされてません。それにボク…」
 なんだかその先の言葉を言えないあゆが哀れだった。
 しかし、やばい状況だ。
 既に恥さらしな挙句にこのまま職員室に連行されてお説教なんて格好悪すぎる。
「どっちの妹かは知らんが、先生の肩身が狭くなるような真似は止めてくれ」
「えーと、はい。すみません」
「よし、じゃあもう帰ってよろしい。他の先生にはそう説明しておく」
 妹じゃないとか口ごたえするとややこしくなりそうなので話を合わせることにした。
 なんだかあゆが後ろから恨めしそうに見ている気がするが、ここは我慢してもらうしかない。
 …許せ、あゆ。
「ところで、何故水瀬が地面で寝ているのだ?」
 石橋が俺達から目を逸らし、その後ろの地面に視線を向ける。


 ……地面?


 あああああああああああっ!
 しまった、忘れてた。
 さっき北川から受け取る途中ではたき合いに突入したものだから……
「相沢、お前が悪い!」
「何、責任転嫁するつもりか!?」
 期せずして第二ラウンドに突入しようとする俺達。
 だがっ!
「貴様等……」
 殺気!?
「どこまで私に恥をかかせれば気が済むんだ!」
 げ、石橋がキレた!? 言葉使いが変わってる。
 やばい…せっかく事なきを得たところなのに。
「し、失礼しましたっ!」
 俺と北川は名雪を抱えると逃げるように学校から走り去った。
「うぐぅ…名雪さんなんでこんな冷たい地面で眠れるの?」
 俺達のあとを追いながらあゆがそんなことを呟いていたような気がする。




 結局俺達は通学路の途中まで逃げたところで別れた。
 しかし、名雪の眠りぶりも凄い境地に達したものだ……







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