「げっ、相沢」
教室に入ってきた俺達の姿を確認するなり、北川はいきなり時計を確認する。
「どういう意味だ?」
言いたいことがよくわかっているので、俺は声を強張らせながら聞いた。
「よかった、遅刻じゃない」
「殴るぞ。チャイムが鳴っても、ここに石橋がいなければ遅刻じゃない」
「それもそうだな」
北川は腕を組んで満足げに頷いていた。
「でも5分前に入れたのは久しぶりだね」
「そうだな…確か前に日直とか抜きで5分前に来れたのは……」
いつだ?
「相沢が来てからは10度目だ。ちなみに、相沢が来る前含めて水瀬が5分前に来れたのは15度目」
「お前はストーカーか?」
よくそんなくだらないデータをとったものだ。
「そんなわけあるか! 水瀬の知り合いの間じゃ有名だぞ」
「何、マジか?」
「英語の田中が語尾に『ね』をつける回数が、一時間に200回以上というのと同じくらいに有名だ」
それは俺も知っている。
授業中に暇な奴がカウントしていたらしい。
「名雪」
「何?」
俺は問答無用とばかりに名雪の右頬をつねった。
「ひゅういひ、いはいよ〜」
「文化祭の美人コンテストに向けてアピールポイントでも作っているのか?」
思い返してみれば、あゆが水瀬家に来てから、こんなに余裕を持って登校できたのは今日が二度目だ。
つまり、それ以外の日はほとんど走らされていたことになる。
北川から具体的な数字を聞くと、名雪の迷惑ぶりに少しばかり腹が立った。
「なるほど、水瀬が去年ベストスリーに入ったのはそれでか…」
「そんなわへなひひょ〜」
北川の話だと名雪は去年、校内美人ベストスリーに選ばれたのだとか。
まあ、容姿はあゆが見とれるだけあってなかなかだしな。当然といえば当然か。
「どうでもいいが、教室でそれは恥ずかしくないか?」
「…………」
周囲から俺と名雪に何ともいえない視線が降り注いでいる。
『いとこ同士にしても仲いいよね〜』と茶化すような視線が。
落ち着け、ここで名雪の頬から慌てて手を離したら脈ありと思われてしまう。
俺は更にもう一回堂々と名雪の頬を引き伸ばしたあと、ゆっくり手を離した。
「いきなり酷いよ」
「酷いのはお前だ。毎朝俺だけじゃなくて、病み上がりのあゆまで走らせやがって」
「うー」
さすがにこれには反論できないらしい。名雪は唸るだけだった。
「そういや、去年2位の美坂は今日も休みか?」
俺は時計と香里の席を見比べる。
もう3分前だ。香里が来る気配はない。
「みたいだな」
俺は淡白に答える。
はじめ、香里が休み始めた頃はみんな騒いだものだが、今では当たり前のようになっている。
慣れというのは恐ろしいものだ。
「美坂出席日数やばいらしいけど、大丈夫かな」
「え、そうなの?」
名雪がびっくり、といった表情で言った。
「ああ、なんかそういう噂を聞いた。あと5日とか」
確かに、この数ヶ月香里は休みがちだ。
勉強のし過ぎで体調をよく崩しているのは知っているが…
最近は人付き合いを煩わしく思って来ていないような節がある。
「香里が留年なんて悪い冗談だ」
「だろ」
「香里……」
名雪は不安そうに誰もいない机を見つめていた。
「ここんところ美坂は学校に顔出してないし、今年は水瀬がコンテストで優勝かな?」
「去年の一位はどうしたんだ?」
「あー、去年の一位はもう卒業してる。一位で当然って感じの人だった」
「そんなに凄かったのか?」
「前の3年の卒業式で答辞やってた人だ」
「ああ、あの人か…納得」
人の容姿を一目見て判断するのもなんだが、確かに卒業式の答辞に立った女生徒は別格だった。
全てにおいてほぼ完璧にまとまった姿、そして行動の端々から感じられる礼儀正しさ。
それでいてそれを嫌味と感じさせない穏やかで優しげな声。
かったるい卒業式の行事進行にあくびをしていた全員の目がその瞬間輝いたのを覚えている。
男子も女子も関係なく。
あのとき隣に座ってた名雪も見とれていたくらいの絶世の美女だった。
まるでどこかのお嬢様、いやお姫様みたいな人だった。
いや、実際お嬢様だったらしいが。
「しかし、名雪が美人コンテスト優勝候補か……信じられないな」
「わたしも、去年は気が付いたら選ばれていたんだよ」
「寝てただけじゃないのか?」
「うー、違うよ」
あゆが言うように、名雪が綺麗だというのは納得できるが、身近にいるとあまり実感が湧かない。
「一部の連中がやってることだからな、どうしても有名な奴が選ばれるんだ」
「名雪はやっぱり奇行で有名なのか?」
「奇行って何?」
名雪が頬を膨らましながら尋ねてくる。
「色々だな」
脈絡なく寝ること、天然なこと、猫を見ると人格が変わること、ぱっと思いつくだけでもこれだけある。
最近ではいちご中毒とかいう属性まで付加されたらしい。
いうまでもなく、食堂のAランチと百花屋のイチゴサンデーを食べまくっているのが原因だ。
「まあ、それもあるだろうが、やっぱり陸上と見た目だろうな」
「北川君までなんだか酷いこと言ってない?」
「褒めているんだ」
「え、そうなんだ。ごめんね」
あっさり騙されるなよ……
半分は間違いなく馬鹿にしてる発言だったぞ。
そう思っているとチャイムが鳴り、同時に石橋が入ってくる。
俺達は話を切り上げて自分の席に戻っていった。
といっても俺達の席は去年からほとんど変わらず、今学期は去年と同じ配置になっていた。
いや、北川は誰かと席の交換して俺の後ろ、つまり香里の隣に来たらしいが。
ホームルームの間、北川が小声で話しかけてくる。
「相沢、お前もし投票用紙もらったら誰に投票するんだ?」
「俺は名雪か香里しか知らん。ここのところ香里は怖いし、入れるなら名雪だな。お前は?」
「オレは多分美坂だと思う。よっぽどのダークホースでも出てこないかぎり、あの二人がトップだろうな」
「二人とも色々と有名だからな。しかし、そのコンテスト、どこが主催してるんだ?」
「たしか写真部だ」
「写真部?」
何故にそんなマイナーそうな部が?
「もともとは写真部が運動クラブの大会で撮った写真を使ってでっち上げたイベントらしい」
「なるほど」
「なんか冗談企画だったのが受けて毎年毎年エスカレートしていったんだとか」
…つくづくよく分からん学校だ。
そんなコンテストがあると知ったときも思ったことだが。
「ま、日曜日参加するならのぞいてみたらどうだ? 結構面白いぞ」
「そうだな、日曜は参加予定だし、最初で最後の文化祭楽しませてもらおうか」
喋っているうちにホームルームは終わり、授業が始まった。
校舎のいたる所から金槌や、のこぎりの音がする。
1・2年が文化祭に向けて最後の大仕事をしているのだろう。
3年はいつもどおり授業だが。
学校が終わると俺は名雪と一緒に一直線に家に向かっていた。
数ヶ月前は商店街にもよく寄っていたが、最近は帰って勉強が多い。
最初の関門、センター試験はもう目の前だ。
「なあ、名雪お前この前のセンター模試の自己採点どうだった?」
俺は名雪に来週返却予定のセンター模試の自己採点の結果を訊いてみる。
「500点ちょうど……」
名雪は伏し目がちに答えた。
「お前試験中寝てただろう」
「……英語のときにちょっとだけ」
寝てなかったら550くらいは、いってるはずだ。
どう考えても鈍そうなのだが、名雪は受験界でも平均的な成績だったりする。
「本番大丈夫なのか?」
いくら練習とはいえ、普通この時期の試験で寝ていられるはずもないのだが、そこはやはり名雪。
睡眠に関しては、一般論なんか通じない。
「12時間寝ておくから大丈夫だよ」
名雪はにっこりと微笑む。
俺は12時間も寝てたら色々忘れてしまいそうで怖い。
試験前は6時間くらいが妥当だろうな。
「祐一はどうだったの?」
「あ、俺か? たしか671だったと思うぞ」
「わ、凄いよ。前から30点あっぷだね」
「まあな、部活やってた名雪と違ってずっと勉強してたわけだし。でもまだまだ合格は遠いぞ」
文系の連中からすれば決して悪い点ではないのだが、医学部志望だと話は別だ。
本番までにせめて一度くらいは700以上を取りたい。
はっきりいって今回は運がよかった方だ。
冷静に見て、本番では650くらいが俺の実力だろう。
「この近くにある国立大学の医学部に行くんだよね?」
「まだ行けると決まったわけじゃないぞ」
「それはわたしも同じだよ〜」
「せっかくこの近くに大学があるわけだし、そこにしない手はないだろ。だいいち一人暮らしなんて親父達が認めてくれるとは思えないしな」
もっとも近くとはいえ電車で1時間はかかるのだが。
「じゃあ大学も一緒に行けるね」
「二人とも通ればな」
「祐一…夢がないよ〜」
「事実を言ったまでだ」
名雪もこの街の大学を受けるつもりだ。
学部はセンターの結果次第。
つまり、大学には入れればそれでいいのだ。
将来は大学で陸上でもやりながら適当に考えるつもりらしい。
できるなら教育学部に行きたい、と言っていたが。
「まあ、俺もあゆや名雪と一緒にいられるほうが嬉しいぞ」
「うんっ、そうだよね」
名雪は笑顔で頷いていた。
正直、俺はもうこの街を離れたくなかった。
水瀬家は俺の居場所なんだと思う。
一度は嫌った街なのにな……
そう思うとなんだか皮肉で笑えた。
「あら、わたしといるのは嬉しくないんですか?」
「うわっ!?」
「わ、お母さんだよ」
いつの間にいたのか、秋子さんが後ろに立っていた。
全然気配を感じなかったぞ。
「そ、そんなことないですよ。もちろん、秋子さんがいてこその水瀬家じゃないですか」
「今更言い訳ですか?」
秋子さんは目を閉じながら穏やかに言う。
……無茶苦茶怖いです。
「い、いえ、いるのがあたりまえで…というか秋子さんが水瀬家で……」
もはや何を説明しているのか自分でもわからない。
「冗談よ。先に帰って夕飯の用意をしてますね」
秋子さんは頬に手を当ててにっこりと微笑むと、早足に家へ帰っていった。
「び、びっくりした」
「買い物の帰りだったみたいだね」
「これからは秋子さんに関する言動には気をつけよう」
噂をすれば影…の的中率はあの人に限って100%の気がする。
「はい、祐一」
「ん?」
名雪が何かを俺に差し出す。何だ?
「……たい焼き」
「お母さんが渡してくれたんだよ」
俺が慌てふためいている間にそんなことを……
「あゆちゃんへのおみやげのおすそ分けかな?」
「だろうな。あいつはたい焼きなら5匹くらいは当たり前だし」
秋子さんが持っていた紙袋は結構膨れていたような気がする。
「5匹……わたしそんなに食べられないよ」
……イチゴサンデー5杯を食べた後に夕飯まで食べている奴が何を言ってるのやら。
そして、予想通りというか、家に帰るとあゆがホクホク顔で三匹目のたい焼きをかじっていた。
ふぁーあ、もう1時か。
トイレに行って寝るとしよう。
俺は勉強を切り上げて廊下に出た。
当たり前だが、名雪は寝ていた。
あゆは、と……電気の光が漏れている。
まだ起きているのか、頑張っているな。
俺はそう思いながらトイレに行った。
その帰り、あゆの部屋を通り過ぎようとすると……
「うぐう……」
何だ…独り言か? 難しい問題でもやっているのだろうか?
「うぐう…うぐう」
ちょっと待て。
『うぐう』ってなんだ?
あゆの口癖は『うぐぅ』だったはずだ。微妙に発音が違う。
「あゆ、入るぞ」
とりあえずノックしてお邪魔する。
「うぐう……」
案の定、あゆは机に突っ伏していた。
「やっぱりいびきか」
風邪をひいたらまずいし、今すぐ叩き起こしてやろうと思ったが……
「さぼってるわけじゃないしな、あと一時間は寝かしてやろう」
とりあえず、俺は部屋に戻って少し作業をしてからあゆの部屋に戻った。
「これでよし、と」
俺はあゆの耳元に、ラジカセを置いておいた。
「…俺、受験生なのに何やってんだ?」
ふと、自分のやっていることが馬鹿らしく思えてきた。
いや、馬鹿らしいどころか、馬鹿そのものかもしれない。
「寝よ」
俺はそそくさとあゆの部屋から出て、眠りに入った。
…………。
……。
「うぐぅーーーーーーっ!!」
突如闇をつんざく絶叫が聞こえたかと思うと
ガラガラガッシャーン!
何かが階段を転がり落ちる音がした。
想像をはるかに上回る反応だった。
「死んで…ないよな」
あの音だし、その可能性もある。
俺は慌てて部屋を飛び出し、階段を降りた。
「うぐぅ…い、痛いよ」
どうやら無事のようだ。
と、そこで電気がつく。
「何事よ?」
騒音で目を覚ましたパジャマ姿の秋子さんだった。
「あゆが寝ぼけて階段から落ちたみたいです」
「違うよ、テープが」
痛みで冷静さを取り戻したらしい。
「テープ?」
「これのことじゃないですか」
『朝〜、朝だよ〜。朝ご飯食べて学校行くよ〜』
ラジカセからあの眠気を誘う声が再生される。
例の目覚ましをカセットテープに録音したものだ。
「違うよ、ボクが聞いたのはもっと怖い……」
「寝ぼけて名雪の声をお化けと勘違いしたか?」
「ちがうもん」
むきになって反論するあゆ。
だが、その頭に秋子さんの手がおかれる。
「はいはいそこまでよ。あゆちゃん、怖い夢を見たのね」
「うぐぅ…なんだかそんな気がするようなしないような」
「あゆちゃん、わたしと一緒に寝ますか?」
「え、ううん、いいよ。まだもう少し勉強するから」
「そう、あまり無理をしたら駄目よ」
「うん」
秋子さんは、少し残念そうな表情をして部屋に戻っていき、それに続いてあゆも自分の部屋に消えた。
……ふう、どうやら事なきを得たようだな。
証拠隠滅のために、名雪のテープを用意しておいてよかった。
実際にタイマー再生で鳴ったのは俺のポケットに納まっているお化け屋敷のBGMである。
ホラーゲームのBGMでもよかったのだが、ステレオタイプなものの方が効果があるのでは?
と思って、実行してみたのだが……まさかここまで効果があるとは。
あゆの怖がりも相当なものである。
文化祭でお化け屋敷に連れて行くのはやめておこう。
どんな怪我をするかわかったものではない。
…………。
……。
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