12月10日(金曜日)


「寒い……」
 あの眠気を誘う目覚ましで、目を覚ますなり俺は呟いた。
 この街に来てもうすぐ一年。
 この街の生活は楽しいものだが、冬の寒さは絶対好きになれそうもない。
 俺は簡単に身支度を整えて部屋を出た。
 名雪の部屋の扉を叩く。
 ……反応なし。


「またか……」
 冬はけろぴーとともに冬眠しているのじゃないかと思うくらい名雪の寝起きは悪い。
 この一年、名雪と生活しててわかったことだ。
 俺は遠慮なく扉を開けて名雪の部屋に入った。
 受験勉強で多少寝不足の頭にあの目覚ましの音はこたえる。
 鳴る前に起こした方が身の為だ。
 俺は部屋に入ると、名雪には眼もくれず窓を開け放った。
 寒いことこの上ないが、眠気覚ましにはちょうどいい。
「くー」
「……よくこれで眠っていられるな」
 冷水をぶっかけられるのと変わりないこの寒さの中、名雪はパジャマ1枚で寝ていた。
 さすがは名雪である。
「どうしたものか……」
 と俺は部屋のあたりを見回していいことを思いついた。
 窓から手を出し、積もっている雪を手にとり、
 名雪の背中に放り込む。

「わっ!?」

 さすがの名雪もこれにはびっくりしたようだ。
 目をこする過程を通り越して、いきなり目が全開になる。
「何てことするの祐一」
 名雪は非難の眼差しを俺に向けながら、背中の雪を取り出して窓の外に放る。
「おはよう名雪。こんないい武器が身近にあるとはな」
「うー」
「明日からは前の方に放り込んでやろうか?」
 と俺はにやにやしながら言ってやる。
「わっ、それだけはやめて」
 名雪は胸元を押さえながら顔を赤くする。
「まったく、少しはあゆを見習え」
「絶対無理」
 即答だった。
 実際俺でもあゆの真似は無理だ。
 あゆは朝に強いどころか、睡眠時間5時間で十分というから驚きである。
 今ごろはもう秋子さんと一緒に朝食の用意をしているはずだ。
 最近は簡単な料理にも慣れてきたらしく、あゆの作った目玉焼きが食卓に並ぶこともある。
 もっとも、3割の確率でスクランブルエッグに変更されるのだが。
 ちなみに更に1割くらいの確率で異物混入(殻)が起こる。
 食べられないものを作られるのよりはましだが、それでも当たりをひいてしまった時の精神的ショックは痛い。
 その日一日中、歯に嫌な感覚が残ってブルーな気分になる。
「俺は先に下に行ってるからな、名雪も着替えてから来いよ」
「うんっ」
 笑顔でうなずく名雪。
 今日はもう安心そうだ。
 っと、待った!
「名雪、目覚ましは止めておけよ」
 起こしてやると、名雪は時々目覚ましをかけたまま食事に現れる。
 俺は、ドアに手をかけながらそう注意しておいた。



 顔を洗ってダイニングに行って驚いた。
「あ、おはようっ祐一君。どうかな?」
「ど、どうかなってどうしたんだお前」
 あゆはあの冬の格好をしていた。
 赤いカチューシャにダッフルコート、羽リュックそしてミトン。
 あの日のあゆが目の前にいた。
「おはようございます祐一さん。あゆちゃんの格好どう思います?」
 台所の奥から秋子さんが顔を出す。
「あ、おはようございます。どうって言われましても…どうしたんですかこれ?」
 俺はそう言ってあゆを見る。
「前の髪型に戻したんだよ。そしたら秋子さんがこの服を出してくれて」
「月宮さんがあの冬のあゆちゃんを見たいって言うんですよ」
 秋子さんは頬に手を置いて微笑んでいた。
 ……月宮さん、相変わらず子煩悩な人だ。
 俺があの冬のあゆはかわいかったなんて漏らしたばっかりに。
「まあ、たしかにそっちの方が似合ってるぞあゆ。男の子みたいだしな」
「ボクは女の子だよっ」
 あゆが頬を膨らまして憤慨する。
 本当はかわいいのだが、あゆにそれを直接言うのは気が引けた。
「ところでどうしたんです? このコートとリュック」
 膨れるあゆを無視して秋子さんに訊く。
「コートはわたしがよく似たのを見つけて買ってきました。リュックは月宮さんが見つけてくれたんです」
 月宮さんはどこでこんな奇天烈なリュックを見つけてきたんだろう?
 秋子さんにつづいてよくわからない大人だ。
「羽が布製なのが少し残念ですけど……」
「あ、本当だ。前のはプラスチックだったよな」
 俺は直に羽を触ってみて確認した。ふかふかしている。
 でも、よく考えると、あんなプラスチックの出っ張りなんて危ない。
「うーん、でもなんだかこの格好落ち着くよ」
「前の格好が変すぎたんだ」
「うぐぅ」
 あゆは退院のとき、月宮さんと別れて俺との待ち合わせ場所に行く前に髪を切った。
 床屋で切ったものだから似合わないなんてどころではなかった。
 俺が『似合わない』と言い出したのを皮切りに、栞や月宮さんにも『似合わない』と言われ、
 挙句の果てには名雪にまで『ごめん、わたしも似合わないと思う』と言われてしまったぐらいだ。
「あゆちゃん、次はもっと計画的にね」
「うんっ、名雪さんと相談して切りに行くよ」
「名雪と一緒なら前みたいにはならないだろうな。でも名雪みたいにロングにしてみるとかどうだ?」
 栞によると、髪を切る前のロングのあゆは綺麗だったらしい。
「だめだよ。なんだか一気に大人っぽくなりそうだし……」
「あ…そうだな」
 あゆは、あの冬の日々を克明に覚えていた。
 それはまさに奇跡だった。
 あの冬の記憶があるおかげで、俺たちは自然に家族のようになれたのだから。
 しかし、少し違っているところもある。
 あの冬のあゆは大人っぽい自分に憧れている年相応の女の子だったが、
 目覚めたあゆの心は『小学生らしくないよ』と俺に言った子供のままだった。
 そのため、いきなり大人っぽくなっている自分の姿に戸惑いを感じているようだ。
 もっとも、俺から見たらまだ小学6年生と間違われてもおかしくない幼児体型なのだが。
 どうしてあの時は大人になりたかったのか訊いてみると、『よくわからない』という答 えが返ってきた。
 まあ皆が夢の中にいたような冬の出来事だ。
 深刻に考えるだけ無駄だろう。
 月宮さんから俺とあゆの関係は認めてもらっているのだが……
『あゆの心が成長するまでは絶対に手を出さないこと。いいね、祐一君』
 という念押しをされている。
 実際今のあゆに大人の男女の関係を持ち出すことは、あゆを傷つけるだけのだろうから 俺も同意した。
 もっとも、この発言のあとで
『それはそうと早く初孫の顔がみたいな』
 と言うものだから台無しだ。あゆに子供が生まれたら溺愛することは間違いない。


「おはようございます」
 今日はばっちり目を覚ました名雪がダイニングに現れる。
「あら、おはよう名雪」
「名雪さんおはようっ」
 ダイニングの二人組が挨拶をする。
「あ、あれ? あゆちゃんどうしたの?」
 名雪はきょとんとした目であゆを眺める。
「月宮さんの希望であの冬の格好を再現しているそうだ」
「そうなんだ。でもこの格好の方がかわいくて、あゆちゃんって感じがするよ〜」
 名雪がにっこりしながら言う。
「ありがとう名雪さんっ」
 あゆは美人と言われるよりもかわいいと言われる方を好んでいる。
 子供のままということもあるだろうが、秋子さんと月宮さんの影響だろう。
 俺たちは各々自分の席について食事を始めた。


「……あゆ」
 トーストを食べようとしたところで見かねて声をかける。
「何?」
「ミトンは取れ。ついでにコートも」
「あ…あはは、なんだか食べにくいし暑いと思ったよ」
 あゆは照れ笑いをしながらミトンを取って机に置き、コートを椅子にかけた。
 相変わらずどこか抜けたやつだった。






 いつものように、俺と名雪、そしてあゆと一緒に通学路を歩く。
 もちろん学校に行くのは俺と名雪だけだ。
 あゆは朝の散歩を兼ねて俺たちについてくる。
 名雪が寝坊した日は、律儀に一緒に走ってくれるのだから健気なものだ。
 しかし、まだ足の弱いあゆはとにかくよくこける。
 あゆがこける度に名雪があゆに手を貸すものだから、かえって遅刻してしまう。
 まったく、俺も難儀な幼なじみ達を持ったものだ。
 ……いや、登校の件に関しては名雪が一番悪い。
 そもそも名雪が寝坊しなければ、俺もあゆも問題なく歩いていけるのだ。
 しかし、一度俺が名雪を置いてあゆと家を出ようとしたとき、あゆは頬を膨らまして動こうとはしなかった。
『名雪さんがまだだよっ』
 俺が何度『ほっとけ、あいつが悪い』と言ってもあゆは譲らない。
 あゆにとって、名雪は大好きなお姉さんで、離れるのは嫌らしい。
 名雪も名雪であゆを妹のようにかわいがっている。
 一応二人は同年齢なのだが……
 あゆは外見も精神年齢もアレだし、姉妹って言っても違和感が全然ないんだよな。
 以前、栞がそんな二人の様子を寂しそうに眺めていた。
 それは二人が、仲のよかった頃の美坂姉妹よりも仲のいい姉妹に見えるということだろう。


「祐一、明日の文化祭どうするの?」
 中ほどまで来たところで名雪が俺に声をかける。
「そうだな、明後日もあるわけだし、俺はとりあえず明日は帰って勉強する」
 舞踏会があるだけに、俺たちの学校は文化祭まで変わっていた。
 クリスマスパーティーを兼ねた形で、こんな2学期末の時期に開かれるのだ。
 当然、それに合わせて期末テストは11月の末に終わっている。
 しかし、考えてみれば悪い話ではない。
 祭りを盛り上げる1、2年は試験が終わっているので、祭りに集中できるし、受験を控えた3年にはいい息抜きになるイベントだ。
 しかも、3年は自由参加となっている。
 文化祭の間は出席さえしたら、あとは家で勉強しててもいいのだ。
「名雪はどうするんだ?」
「陸上の後輩達が雪像作るから、その手伝いだよ」
 小さくガッツポーズを取りながら意気込む名雪。
 クラブはもう引退しているが、こういうイベントには先輩方も駆り出されるということか。
「名雪さん、何を作るの?」
「巨大雪うさぎだよ〜」
「……それは手抜きじゃないのか?」
 あんな雪の塊、わざわざ先輩方を引っ張り出してまで作るほどの物ではないだろう。
 というより、シャベルがあれば一人でも作れるような気がする。
「違うよ。耳とか目とかも雪で作るんだよ」
 名雪が不満顔で抗議する。
「何、じゃあ雪うさぎと言うよりはリアルうさぎの雪像か?」
「祐一君、言い方が変」
「ほっとけ、でどうなんだ名雪?」
「うーん、わたしは手伝いだからよく聞いてないけど、多分そうだと思うよ」
「だとしたら面倒だな。本当の雪うさぎだったら雪を丸めるだけでいいから簡単だけど」
「簡単じゃないよ〜」
「そうか? じゃあ見てろよ」
 俺はそこの車に積もっていた雪を無造作に取ると、手の上で軽く形を整えた。
 そして、そこにあった適当な植物から耳と目の材料をいただく。
 僅か数分で、雪うさぎが完成した。
「どうだ、即席だから多少形は怪しいけど」
「わ、祐一うまいね。わたしはもっと苦労だよ」
「それは名雪が不器用なだけだ」
「わたし、不器用じゃないよ〜。あの人形だって……」
「あー、裁縫は得意かもな」
 名雪の抗議を真面目に相手していると日が暮れるので適当に受け流す。
「うー」
 名雪が不満げな顔で俺を見つめていた。
 そういえば、あゆはどうしたんだ? こういうときは必ず名雪に加勢するんだが……
「できたよ。どうかな?」
 あゆがそう言って俺たちに向かって両手を突き出す。
 雪うさぎだった。
「わ、あゆちゃんもうまいよ」
「見ろ名雪、料理の下手なあゆでもこんな短時間で作ってしまうんだぞ。やっぱり名雪が不器用なんだ」
「料理とは関係ないよ!」
「うー、そうなのかな」
「うぐぅ、名雪さんも納得しないでよ」
「それはそうとこれは何だ?」
 俺は、あゆの雪うさぎの尻の方に刺している葉っぱを指して訊いた。
「何って……尻尾だよ」
「…こいつ実はウサギじゃなくてウナギ犬だろう?」
「ウナギ犬?」
「いや、なんでもない。とにかくうさぎにそんな尻尾はない。とれ」
「え、ちぎるの? 可哀想だよ」
「そうだよ」
 二人は同時に頬を膨らませて抗議する。
 別の生物にされているうさぎを哀れに思うのは俺だけか?
 というか、なぜ雪うさぎごときで非難の目で見られなければならないんだ?
「ああ、もう分かったからどうにでもしろ」
 ヤケクソ気味にそう言って自分の作った雪うさぎを誰かの家の生垣の根元に置く。
 名雪とあゆはまだ何か言いたそうな目をしていたが、俺にならって雪うさぎをその隣に置いた。



「で、あゆはどうするんだ文化祭?」
「え、ボクも行っていいの?」
 再び歩きながら文化祭の話を再開する。
「日曜だけだけどな」
「え? 土曜日もあるんじゃないの?」
「土曜日は学校の生徒だけなんだよ」
「一般参加は日曜日だけだ」
「そうなんだ」
「で、どうするんだ? あゆが行くなら俺も行ってもいいぞ」
「えっ、祐一君は行かないといけないんじゃないの?」
「3年は帰って勉強しててもいいんだ。正直俺はやばいしな」
「わたしも手伝いが終わったら帰るよ」
「どうしよう? 祐一君の勉強の邪魔はしたくないし」
「馬鹿、勉強ってことならお前の方が心配なんだよ。だからあゆが行くなら俺も行ってもいいって思ってるんだ」
 勉強というと、中学を飛び級しようとしているあゆのほうがやばいのは言うまでもない。
「うぐぅ、馬鹿じゃないもん」
「拗ねてる暇があったら答えろ。どっちなんだ? 行くのか? やめるのか?」
「……文化祭ってことは祐一君と学校に行けるんだよね?」
「まあそうなるな」
「じゃあ行くよ。祐一君と学校に行けるのはこれが最後だもんね」
「今だって同じようなものだろう?」
 毎日一緒に登校してるのだから。
「違うよ!」
「そうか?」
「祐一、あゆちゃんをいじめちゃ駄目だよ」
 名雪が俺を非難するような目で睨む。
「別にいじめてないぞ」
「でも祐一が悪い。あゆちゃんを困らしてるんだから」
「そうだよ」
「だから自分で自分をさも当然のように擁護するな」
 俺はあゆの頭をポカッと軽く小突いた。
「うぐぅ、いじわるだよ」
「で、名雪。土曜日はともかく、日曜日お前はどうするんだ?」
「手伝いが終わったら一緒にまわるよ。いいかな?」
「俺は構わないぞ」
「ボクも。はやく手伝い終わってね」
「うん、任せてよ」
 とても不安になるような間延びした声で名雪が答える。
 ……はっきり言って、こいつを陸上部から連れ出したほうが陸上部の連中も作業がはかどるんじゃないか?
「祐一、何かものすごく失礼なこと考えてない?」
「いや、至極当然のことを考えていたんだ。まあ気にするな」
「気にするよ〜」
 相変わらず間延びした声で抗議する名雪。
 俺は少なくともこの抗議になってない抗議の声は気にならない。
 ゆえに無視。


「ね、祐一君」
「なんだ?」
「栞ちゃんも呼んでいいかな?」
「栞か、俺は別にいいけど、香里が連れて……いや、それはないな。そうだな、呼んでやれ」
「うん」
 今の香里が文化祭に出てくるとは思えない。
 それ以前に文化祭のことなど栞に知らせてもいないのじゃないだろうか?
 香里はいまだに俺たちに栞のことをろくに話してくれない。
 あの姉妹のことは全て栞の口から聞いたものだ。
 香里は栞について聞いても、『妹よ』というくらいしか答えてくれない。

「うー」
「どうした?」
 名雪が顔をゆがめて渋い顔をしている。
「……背中がかゆい」
 今朝の雪で背中にしもやけをもらったらしい。
 運悪く、手が届かない位置だ。
「自業自得だ。前にいれられなかっただけありがたく思え」
「うー」
 そのあと校門に着くまで、名雪はあゆに背中をかいてもらいながらぶつぶつ文句を言っていた。







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