ゲーム(裏)『あいつが俺を避ける理由』


ゲームスピンオフ作品

ゲームのストーリーを宮古視点で進めます。













中本が好きだ。

その気持ちはいつから抱えてきただろう。

多分、入学式のその日から。きっと、あの時、名札を落としてしまった中本の必死な表情を見た瞬間から俺の心は中本に奪われていたんだろう。

「で、あんたは千晶を好きなのよね?」

ある日、中本の友達の伊沢にそんなことを訊かれた。隠してるつもりもなかったから、こうして確認されることはどうでもよかった。

「あぁ。それで、どうした?」

「チャンスをあげようってね」

チャンス。

伊沢はそう言った。

俺と中本は同じ部活で、俺は中本にいいところを見せたくてあいつの前ではかなり張り切ってた。でも、それだけで伝わったりはしない。

早い話、もう1つ、何かが必要だった。

「ちょっと無理矢理にはなるけど、私があんたと千晶の接点を作るから。あんたは頑張って千晶と話をしなさい」

接点。

同じ部活っていう接点があるのに、こいつは作ると言い切った。

つまり、中本は俺のことを近くにいる関わることのある人として認識してなかったってことだ。

「同じ部活にいて同じクラスだからって甘く見たら駄目。千晶はあんたのことを遠くにいる人…早い話、手の届かない人って思ってるわけ。どぅーゆーあんだすたん?」

この前覚えたらしい英文で確認を取ってくる。しかし、ショックだった。

同じ部活、同じクラスになれたことで安心していたのかもしれない。近くにいられる気がしてたんだ。

でも、実際は見えない、大きな壁があった。

「宮古」

「…何だよ」

伊沢が俺の肩に手を置いた。

「私はさ、千晶のことを本当に大切にしてくれる人にしかこんなことするつもりはないの。あんたなら大切にしてくれると思うからこうやってチャンスを作ってあげようって思った。

 無駄にしたり、千晶を泣かせたりなんかしたら許さないから」

それは、忠告だったんだろう。

もしも、俺が中本に辛い思いをさせてしまったんであれば、伊沢は俺を許さないどころか殴りに来るだろう。

それぐらい、予想できた。

「…わかった」

だから、真面目に頷いた。

伊沢には、示しておきたかったんだと思う。

俺が、中本のことをどれぐらい好きかということを。















そして、それから直ぐにチャンスは巡ってきた。

いや、これは別に伊沢が用意したチャンスじゃない。学校の都合が生み出したチャンスだ。

先輩たちは学校見学。女子部のほうは中本以外の2年は全員委員会で不在。

ここで頼りになる男ってのを見せれば。

「お、宮古は張り切りすぎだな」

言われてしまった。まぁ、男にはばれてるし、特に気にすることもない。

「煩い。練習始めるぞ」

そう言って、先に中本に伝えに行く。

あいつはまだ何も知らないはずだ。先輩はいなくても、2年は誰か来てるって思ってるはずだ。

「おい、中本」

「ひゃ、ひゃいっ!!」

噛みやがった。けど、そういう不器用さも可愛いって思ってしまうあたり重症だな。

それはともかく。

「何だよ。そんな驚かせるようなことしたか?」

そんなことを考えてたわけじゃないんだが。

「い、いいえ!そんなことはありません。寧ろ私なんかがこうして宮古君とお話してること自体が申し訳ないと言いますか、その、貴重な練習の時間を潰してしまってるわけですから、私なんて放っておいてくださいー」

中本って意外と早口言葉得意かもな。

じゃない!感心してどうする俺!中本逃げたぞ。

「すまん。ちょっと中本捕まえてくる。ストレッチだけでもしといてくれ。アップまでには戻る」

「了解。ついでに告ってこい」

「アホ」

軽口を叩きつつ、俺は走り去った中本を追った。

本人は全く自覚してないけど、かなり速い。

本番に弱いタイプなのか、目立ちたくないだけなのか、タイムを測ったときは異様に遅い。だから大会にも出ない。

ましてや、先輩が黙ってタイムを測って、それを告げても、あいつはタイムを聞こうとしない。

どうやら、聞く価値すらないようなタイムだと思ってるらしい。

女子部の部長が嘆いてた。『勿体無い』って。

「はぁ…逃げちゃった」

声が聞こえた。こっちだな。

「おい、中本」

「ふぁいっ!?」

こいつ、今日はこんなのばっかりだな。それは兎も角。

「用事あるから呼び止めたのに逃げるってどういうことだ?俺は魔王のような恐ろしい顔でもしてるのか?」

周りの女子が騒いだりしてるけど、中本にとって恐ろしいものなら意味がない。本当に見てほしい人に見てもらえないなら。

「まぁいい」

取り敢えずは、説明しないとな。女子部のほうは完璧に止まってしまってるし。

「今日、先輩たち学校の見学とか説明とかで全員いないんだって。それで、女子部のほう、お前の他の面子って全員委員会に入ってるだろ?

 今日はお前しかいないから後輩のことを任せたぞって、先生が言ってたって伝えようとしてたんだけど」

中本は暫く、何かを考えるように停止した。

そして、それは訪れた。

「無理無理無理無理無理!絶対無理!!」

やっぱり。言いたいことは分かるんだけど、今日はそういう場合じゃないんだ。

こいつとしては、まだ後輩にやってもらったほうがいいと思ってるからなぁ。

ちょっと、背中押してやるか。そしたら頼れる男に印象変わるかもな。

「無理、ねぇ。俺は意外といけると思うけどな」

「どうして?」

案の定、返ってきた答えは疑問だった。

待ってろ。すぐに答えてやるから。

「お前ってさ、部長っていうのは部員を引っ張っていくもんだって思ってるかもしれないけど。

 率先して自分からやる部長ってのも世の中いると思うぞ。だから、最初に練習メニューを伝えてそれでお前が先頭に立てばいい」

なまじ周りができてしまうものだからそんな印象があるかもしれないが、こいつは別格。努力家で、いつでも全力だから。それについていこうとする奴らも多い。

だから、俺は中本ならできるって思ってる。

「取り敢えず、ストレッチでもして来いよ。俺も男子部のほうやっとくから」

そう伝えて、俺は小さく「じゃな」と言って男子部のほうに戻った。俺もストレッチからやらないとな。

「おい、宮古。かっこいいとこ見せてくれるじゃねえか」

「煩いよ。ストレッチやったのか?」

「おう」

軽口を叩きながら俺もストレッチを始める。

その後ろでは中本が練習メニューの説明をしていた。

だが、

「…あいつら」

中本が多分、何よりも心配だった自分の言葉を聞かない後輩がいた。そいつらはあまり大きくはないが小さくない声で雑談を始めていた。その中に、中本への文句が含まれていることにも気付いた。

「先に走っててくれ。俺はあの1年に言ってくる」

「わかった」

中本が困ったような顔をしてる。気付いてはいるけど、切り出せないんだ。

「おい、そこの1年。練習する気がないなら帰れ。今、中本が今日のメニュー説明してただろうが」

「み、宮古先輩!?」

雑談をしてた1年が驚いている。だが、こんな奴らはどうでもいい。

「中本。気が付いたら口に出せよ。お前、こういう機会初めてだろうから戸惑うのは分かるけど。

 今日はこっちの方でも少しはフォローしてやるから」

「あ…ありが、とう」

やばい。今のありがとうの表情は反則だ。

顔を真っ赤にして、俯いて、聞こえるか聞こえないくらいの声。

可愛すぎる。

けど、いつまでも浸ってる場合じゃない。俺も練習始めるか。

「じゃ、ストレッチするよ。腕前交差から――」

後ろから聞こえてくる中本の声を聞きながら、俺はアップを始めた。いつもよりも、やる気が増していた。















練習が終わって、全員が帰った。

俺は今日の部長代理として職員室に部室の鍵を返しに行かなきゃならない。

そして、それは中本だって同じはず。

チャンスだった。そのチャンスをものにしたい。

だから、俺は部室から中本が出てくるのを待った。

ゆっくり、控えめにドアが開いた。中から出てきた中本が鍵をかけて、何度かドアノブを回したりするのを見てた。

「…よし」

しっかりと鍵が掛かっていると確認できたのか、小さく声を出す中本。こういうところ、結構しっかりしてるんだな。ちょっと発見。

よし…声をかけるなら今しかない。行くぞ…

「帰りか?」

「ひゃうっ!!」

後ろから声をかけたのは失敗だった。まさか、こんなに驚いて地面に座り込んでしまうなんて思わなかったんだ。

「お、おい…そんなに驚くことないだろ」

慌てて声をかける。驚かせてしまったことを後悔。

「へ…」

中本が恐る恐る、といった感じで俺を見上げてくる。

「宮古…君?」

そう、お前のことが大好きな宮古君だ。

何か、テンションがおかしい。

深呼吸1つ。落ち着け、俺。

「なぁ…たしか、家同じ方向だったよな?」

これがチャンスなんだ。だから、今勇気を出せ。いいとこ見せてるだけじゃ、中本はずっと遠くにいるままなんだ。

「あ…うん」

「一緒、帰らないか?遅いし、1人じゃ危ないだろ」

言えた。

誘えた。それが嬉しい。

「え…」

けど、返ってきたのはどこか間抜けな、わかってません、て感じの声。

そして、涙目で頬を抓る姿。

「何…してんだ?」

呆れるしかない。これだけは。

「えっと…宮古君ともあろうお方が、こんな能無しを心配してくれてるから、夢じゃないかなって」

能無し。

その言葉を、俺は許せなかった。

中本が自分のことに自信を持ってないことは知ってる。けど、だからといって自分を貶すようなことを言うのは許せなかった。

「能無しとか言うな」

「え…?」

俺の言葉に、中本はどこか呆けたような表情を見せた。

好きだって言う前に、伝えなきゃいけないことがある。

「お前は能無しなんかじゃない。能無しだったら、お前こんなに頑張ってねえよ。頑張れねえよ。お前には、努力っていう最高の才能があるだろうが」

俺の中じゃ、努力ってのは全てに勝る才能だ。だから、努力できる奴は凄い奴。

それを知ってほしかった。自身に繋げてほしかった。

「だったら、宮古君は天才だよね?元々センスがあって、努力できる。これって、天才ってことだよね?」

なのに、何でこんな悪循環になるんだよ。

俺は、お前に見せる為だけに頑張ってる。だから、そんなこと言わないでほしい。

「やめてくれ…俺は、お前がそんな風に自分を貶してるの見るのが辛いんだよ。自信、持ってもいいんじゃねえの?」

わかってくれよ。俺は、隣に立ってほしい人に自信家になってくれって言ってるわけじゃない。

ただ、もう少し、もう少しだけ自分を好きになってほしいだけなんだ。

「…無理だよ」

でも、返ってくるのは否定の言葉ばかり。

そんなのは、嫌だ。

「やめてくれって言ってるだろ!!俺は、好きになった奴がそんな風にしてんの見るのが嫌なんだよ!!」

「え…」

言い終わって、中本の表情を見て、己の失言を悟った。

「しまっ…」

好きになった奴。

言ってしまった。しかも、こんな形で。

「本気で、言ってる?」

そして、返ってきた言葉は中本らしくないくらい、冷静だった。

「それ、どういうことか分かってる?」

悪い夢でも見てるような気分だ。

「宮古君、無能で不器用でネクラで努力しか知らない馬鹿に好きだなんて言ったんだよ?」

俺が、あんな形で言ってしまったから、中本を追い詰めてしまった。

こんな想いをさせたくなんてなかったのに。

「…言った」

色々な感情が混ざり合う。

それでも、俺は何とか中本に返事をした。

「お前は、無能じゃない。不器用かもしれないけど、諦めてるわけじゃない。ネクラでもない。走ってるときにあんな楽しそうにしてる奴…お前以上の奴を見たことがない。努力しか知らない馬鹿でもない。努力できる奴は凄い奴だ。

 俺は、入学式で名札を落として探してるお前を見て助けてやりたいって思った。実際、一緒に探してやろうとしただろ?」

一度言葉を発してしまうと、少しだけ冷静になれた。

「あの時からだよ。何かするのにどうしようもないくらいに真剣で、努力もできるお前が気になり始めたのは。

 陸上部に入って、お前がいた。運がいいって、思った。いいところ見せたいって、張り切ってたら大会に出されて、それなりの成績が出せた。お前、応援しててくれたろ?あれ、凄く嬉しかった…」

だから、少しでもどれだけ好きか伝えたくて、切っ掛けを話した。

出会った時。もっと好きになった瞬間。

「なぁ…考えるだけでもしてくれないか?」

だから、このまま終わらせたくない。

考えてほしい。

「考える、までもないよ。宮古君には私は似合わない。だから、無理。私なんかより、晴美のほうが似合ってる。

 どうして、晴美をふったの?」

けど、返ってきた返事は違うもの。

というか、伊沢?

「どうしてって…」

知らないことには答えようがない。だから、返事に困った。

だけど、1つだけ言えることはあった。

「好きな奴いるのに、他の女子からの告白を受ける奴がいるか?」

「だからどうして私なの!!」

中本の中で、何かがはじけた。

「私…こんな地味だし、内気だし…不器用で料理は作れないし、裁縫だってできない。料理なんて作ろうとしたら包丁を取り上げられる始末。走るのだって、小学校のときに速かったから有頂天になってた。

 ここにきたら私なんかよりも速い子がいっぱいいた。後輩にだっているよ。

 ねぇ?もう1回訊くよ。どうして私なの?」

それが切っ掛けで、中本から色んな感情が溢れ出した。

その中に、俺が欲しいものはない。

「お前が、中本千晶だからに決まってるだろうが。それ以外に理由なんぞあってたまるか」

もう、これ以上の理由なんてない。

お願いだ。通じてくれ。

「大っ嫌い。私、宮古君なんか大っ嫌い」

けど、願いは通じなかった。

拒絶されてしまった。

中本は俺の前から走り去っていった。

「鍵…返しに行かなきゃ」

追いかけることなんて、出来なかった。

これが、俺の恋路の終わりなんだろうか?終わりたくなんかないのに。















後になってから、鍵を返したことくらいは連絡したほうがいいんじゃないかと思った。

けど、俺は中本の電話番号を知らない。

仕方ないから、連絡網の中から中本の家の番号を見つけ出して、電話をした。

『はい、中本です』

優しそうな声が聞こえた。

「あ、あの。千晶さんと同じ陸上部の宮古といいます。千晶さんはいらっしゃいますか?」

もしかしたら、声が裏返ったかもしれない。

『ちょっと待っててね』

少し、笑ってるようにも聞こえた。

恥ずかしく思いながら、中本が…訂正、千晶が出てくるのを待った。基本的に、あの家にいる人は全員中本だから。

『はい』

さっきの声。

つまり、千晶は出てくれないのか、帰ってないのか。

多分、出てくれないんだと思う。

「あの、陸上部の部室の鍵を返し忘れていたので、僕が返しておきました。そう伝えておいてください」

『え、あぁはい。伝えておくわね。はい。ありがとう』

「お願いします」

電話を切った。

終わってしまったのか?これで、全部。

けど、俺は考えた。

普段の中本は、話しかけたところで逃げたりはしなかった。だけど、逃げたりするときには理由がある。

『私なんかより、晴美のほうが似合ってる。どうして、晴美をふったの?』

あの時の言葉…伊沢は、何か知ってるのかもしれない。幸い、伊沢の携帯の番号は知ってるし、バレー部の練習はさっき終わったばかり。

部室前?いや、体育館の前にしよう。話があることだけ伝えるんだ。

それから5分後。

体育館から出てきた伊沢と会った。

「何?用事?」

かなり対応が冷たい。俺なんか眼中にないどころか、変な噂を立てられるなんて嫌なんだろう。

そうでなかったら俺と中本を引き合わせようなんて考えたりしないはずだ。

「中本に、ふられたかもしれない」

「はぁ?ちょっとこっち来なさい」

信じられない。そんな顔をされた。

そして、そのまま手を引っ張られて部室棟の裏へと連れて来られた。

「で、どういうことなの」

口調が厳しい。明らかに、俺を批難している。

「今日、先輩達いないからと思って、チャンスだって思ったんだ。俺が、頼りになる奴だってそういうところを見せて…そしたら、少しくらい希望はあるのかもしれないって思って。

 それで、あいつが鍵を返しに行くの知ってたから…待ってた。声かけて、一緒に行って、その後に一緒に帰ろうと思ってたんだ」

そこまでは良かった。

あんなことになるなんて思いもしないで、寧ろ、順調だと思ってたくらいだった。

「それで、あいつが自分のことを貶すものだから。俺もカッとなって。それで、気付けばあいつのこと好きだって言ってた。

 あいつ、無理って言ったんだ。俺のこと、嫌いって、言ったんだ」

どうしたらいいか、わからない。

俺は、こいつに助けを求めた。勝手だけど。

「宮古。ごめん」

なのに、謝ったのは伊沢だった。

「私がさ、千晶を焚きつけたんだけど。方法が悪かったみたい。そうだよね。賭けとか罰ゲームみたいなので人に思ってもないことを言うのって、駄目だもんね。千晶、本当にそういうの駄目だったから」

そういう、ことか。

いつも以上に中本が俺を避けて、挙句あそこまで酷い逃げ方をしたのは。

けど、俺は伊沢を責めることが出来なかった。

「お前、悪くない」

伊沢は悪くない。

悪いのは、俺だ。

中本がずっと抱えてたはずのコンプレックスに気付かないまま、それを煽るような真似をしてたんだ。

「俺、あいつにいいところ見せたくて頑張ってきた。けど、それじゃ駄目だったんだ。俺の成績が上がれば上がるほど、中本の中で、俺は遠い人間になってしまうんだ。

 好きなのに、自分の見栄を張るのに精一杯で。そんな簡単なことに気付けなかったんだ」

そうだ。

俺は、好きな奴に少しでもかっこいいって思ってもらいたかったんだ。

だけど、中本はそれじゃ駄目だった。あいつにとって、できる人間っていうのは、遠くの人だったんだ。俺は、隣にいたかった。

でも、あいつは遠くにいるように感じてたんだ。

「…じゃ、お前が悪い」

真面目に言ったのに、次の瞬間には自分を責めていたはずの伊沢が俺が悪いことにしていた。

「おい」

「嘘。そんなわけないでしょ。次、千晶に会ったら伝えたいことを素直に伝えなさい。千晶にもそう言っとくから」

素直に、この気遣いが嬉しかった。

まだ、チャンスがあるって思えるだけで。うん。

俺はまだ頑張れる。















それから数日。中本は学校を休んだ。

そして、月曜日になった。

中本が、来る。

伊沢に聞いた。でも、期待はするなとも言われた。

中本の姿を見た途端、泣きそうになった。

見ていて居た堪れなくなりそうなほどに痩せ細ってしまった体、疲れきった表情。これが、俺が好きだった中本千晶と同一人物であるなんて、信じられなかった。

元々、かなり痩せてたけど、今はもっと細い。

「中本っ!」

近くまで来たところで、俺は中本の手首を掴んだ。

怖くなった。掴んだ手首は異様に細くて、もう少し力を入れたら折れてしまいそうだった。

「話がある。屋上に行くぞ」

そのままぐい、と体を引っ張った。抵抗が小さかった。壊してしまいそうで、怖かった。

「み、宮古君…ちょっと、痛いよ…」

屋上まで出たところで、中本が言った。

「離したら、お前逃げるだろ」

絶対に離したくなかった。

ここでずっと捕まえて、俺のことを遠い人だなんて思わなくなるまで傍にいたかった。

「今日は…今だけは、逃げないから」

今だけ。その言葉が気にはなったけど、離さなきゃ、進まないと思ったからゆっくりと手を離した。

「この前は…ごめんなさい。別に、嫌いなんかじゃないのに、あんなこと言って」

中本は、まず謝った。

けど、俺はその言葉は聞きたくなかった。

「違う。俺はそんなこと聞きたくてここに連れて来たんじゃない」

俺の言葉を聞いた途端、落胆の表情を見せる中本。

きっと、自分のしたことが許してもらえないとか、そんなことを考えてるんだと思う。

「俺は!」

だから、わかってほしいから、何も考えずに聞かせるために態と大きな声を出した。

「俺は…まだ、ちゃんと告白の答えを聞いてない。聞いてないのに一方的に打ち切りにされちゃ辛いんだよ。

 何も聞いてないのに、拒絶されて…嫌われてないって思ってたのに。この前は、本当にチャンスだって、思ってたのに。お前の指示を聞かない後輩に注意して、頼りになる奴って所を見せて…最後に鍵を返しに行かなきゃいけないの知ってたから。だから、ずっと出てくるの待ってた。

 それで、俺がしたことって、傷つけただけで……」

俺は、ずっと自分が中本を傷つけたって後悔してた。

それを断ち切りたい。中本のためにも、俺のためにも。

「だから、答えだけ、ちゃんと聞かせてくれ。聞いたら、もう諦めるから…」

お互い、先へ進むには本心からの答えが必要だと思うから。それを聞きたい。

「ごめん、なさい…私、宮古君と付き合っちゃ駄目なんだ。絶対、他の人がいいよ。

 私なんかより、いい人がいっぱいいるから」

違う。そうじゃない。

俺は、そんな諦めが聞きたいんじゃない。

本心が知りたいんだ。何にも囚われることのない、偽りない本音が。

「そんなの答えじゃねえだろ!!俺は、ちゃんと答えを聞くまではお前の前からいなくなったりしない。家にだって付き纏うかもしれない。お前そんなんでもいいのかよ」

だからもっと食い下がる。答えをくれるまで。

俺は、それぐらい中本のために必死だった。

「だって…宮古君、私って枯れ草だよ?晴美みたいな綺麗な花じゃないんだよ?それでもいいなんて、本当に言えるの?」

まただ。

また比較対象に伊沢が出てきた。

それだけ、中本の中では女子の鑑として伊沢が君臨してるんだろう。

けど、枯れ草だって中本に言った奴がいるのか?そうだとしたら、俺は許さない。

「枯れ草だって、誰が言ったんだよ。そいつ、俺がぶっ飛ばしてやるから」

それは、俺の覚悟だった。

全てをかけて、中本の敵を排除する。それが、俺の覚悟だった。

「誰も、そんなこと言ってないよ。言ってるのは私。幻滅した?」

ぶっ飛ばすとか、そういう次元の話じゃなかった。

あれは、中本自身の認識だったんだ。

「そんなに俺に嫌われたいのか?それとも、俺のこと嫌いになりたいのか?

 何でそんな変な道に進もうとするんだよ…真っ直ぐ、頑張るところが好きだったのに。何で…」

どうしようもなく不安になった。

こうしている今でさえ、俺は中本のことを追い詰めてるだけじゃないんだろうか?

だけど、俺は自分の想いを諦めることは出来なかった。

「幻滅、しない。絶対しない。お前が振り向いてくれるまで、絶対にしない」

これ以上、中本の前にいると、泣かせることしかできなくなってしまいそうだった。

だから、最後のその言葉を誓いとして、俺は屋上から去った。















それからは散々だった。

タイムはどんどん落ちていくし、酷いときはアップ中にこけたこともある。

周りは俺を励ましてくれるけど、元気なんて出なかった。中本が俺を見てくれなくなっただけで、こんなに変わってしまうなんて。

そして、中本が女子部の部長に退部届を出していた。

それからもっと酷くなった。

全てに力が入らなくなった。

代表選考すらどうでもよくなった。

「おい、宮古。ちょっと視聴覚教室まで来い」

そして、部長に呼び出しを喰らった。

「お前、このままじゃ代表落ち確実だなぁ?」

蔑むような部長の言葉。

それすらもどうでもよかった。

「俺さ…中本と付き合ってるんだ」

え…?

「お前なんか嫌いだってさ。残念だったな。好きな奴取られて、代表まで落ちてな。

 全部、調子にのってっからだぞ」

こいつは。

俺をここまでいたぶりたかったのか。

けど、俺は内心でこいつを認めていなかった。

だって、俺は努力で代表とかを掴んだのに、こいつは自分の立場だけを傘に着てたから。そういう奴は、嫌いだった。

中本だって、努力をするし、諦めない奴だから好きだったんだ。

だけど、それも終わりだ。

「あばよ。陸上部のエースくん」

もう、俺の持ってたものは全部あいつが持ってった。















それから暫くして、教室の扉が開いた。

「宮古…君?」

中本の声だった。

扉のほうを見た。本当に、中本がいた。

最後に話をしたときよりも、いい表情をしてる。あいつと付き合って、いいことあったのかな?

「中本か。お前、部長と付き合ってたんだってな」

何を言っていいか分からずに、聞かされたことをそのまま言ってしまう。

だけど、中本はきょとんとした表情の後に、苦笑いさえ浮かべてくれた。

「違うよ。それ、あの人が勝手に、宮古君を打ち負かそうとしてやったことだから。私は、振り向きに来たんだよ」

「振り向きに?」

振り向くっていうのは、まさか…

「うん…言ってくれたよね?振り向くまで幻滅なんて絶対にしないって。幻滅されたくなくて、自分を騙したままで終わりたくなくて…

 だから、振り向きにきたの」

それは、あの日の俺の言葉への答え。

好きだという言葉こそ使ってないけど、これが中本の勇気なんだ。

「どう、かな?」

中本が期待したような表情を向けてくる。

はぁ。全く。お互い、ここに来るまで苦労したな。

「お前、結構卑怯な」

「え?」

だから、その意味を込めて軽口を叩いた。

「俺はさ、あんな形ではあったけどお前に好きだって言ったぞ。で、お前は答えを形だけで示して言葉にはしてくれない。

 卑怯だよなって」

ついでに皮肉も。

「けど、それを許せちゃうのは…惚れた弱みって奴なのかな」

本当に、俺は中本千晶が大好きだった。今でも。

ここまで苦労してでも隣に立ちたかった、立ってほしかったんだ。

「それって…」

中本が俺のことを呆然と見詰める。

「許すとは言った。けど、付き合うんだったらちゃんと言葉にしてからだ。それからじゃないと俺は認めない」

これくらいの我侭くらいは大目に見てくれ。

ここまで待たされて、苦労したんだ。これくらいはいいだろ?

「あ…その…」

中本が俯きながら、言葉を搾り出そうとしてる。

そして、その瞬間は来た。

「す、好きでしゅっ!!」

やりやがった。

このタイミングで。

「く…ははははっ」

笑いを抑えることなんてできなかった。

「中本、やっぱお前最高だ」

ホントに最高だ。

そのちょっと機嫌の悪そうな顔も、失敗したって顔も。全部。

「そういうとこ、やっぱ可愛いな」

「可愛い?私が?」

可愛いって言われた中本は不思議そうな顔をしてる。

「いや、そんな信じられないって顔されてもな」

「本当に、可愛いって思う?」

自信は無さそうだった。

喧嘩売ってるのかと思うけど、中本はそういう奴じゃない。

「当たり前だろ?惚れた以上は、可愛いって思うのは当然だ。それでなくても可愛いのに」

それにな、思うんだよ。

いつ取られるかと恐ろしいんだ。

「ていうか、お前が可愛くないなんていうのは周りに喧嘩売ってるようなもんだぞ。

 顔立ちとかもそうだけど、ちょっとした仕種だとか声…兎に角、一々あげるのも馬鹿になるくらいだ」

何か、微妙な表情をしてる。

伊沢から聞いたけど、本当にそういうとこにコンプレックス持ってるんだな。

「それが態と狙ってやってるんなら可愛くなんてない。寧ろ腹が立つくらいだ。バレー部の安田とかな。けど、お前は態とじゃない。

 そういうとこ、可愛いって思う奴は多いんだよ」

だから、ちょっとだけ追い討ちをかけてみた。

それだけ、中本を狙う奴だっていたってことを知ってほしかった。

「で、でも…宮古君はもっとかっこいいよね!?」

あからさまな話題転換だった。

だけど、中本にそう思ってもらえてたこと自体が嬉しくてしょうがない。

見ていてくれた。遠い人だと認識していても見ていてくれたんだ。

「いや、俺はお前に見せる為だけにかっこつけてただけだし」

けど、これが現実。

でもな、俺はお前に言っておきたいことがある。

「でも。そう言ってもらえるなら嬉しいかな」

好きな子にかっこいいって褒めてもらえるのは凄く嬉しいんだ。

だから、全てをかけてこの気持ちを伝えたい。

俺は、笑った。

なのに中本は顔を背けた。

「おい。顔背けるなよ。変な顔してるんじゃないかって不安になる」

「そういうのじゃなくて…」

わかってる。中本がまだ恥ずかしがってるだけって、わかってるから。

「でも、ちゃんと見られるように頑張るから」

だから、この言葉が嬉しかった。

あぁ。俺も、中本のこと全部見られるようになりたい。支えられるようになりたい。

だから、俺はお前の傍にいたい。















それから、伊沢に頼んで中本の誕生日を聞きだした。

気付けばあと1週間。やばい。すぐにプレゼントを探しに行かないと間に合わなくなる。

だからといって、俺に中本の好みが分かるわけもなかった。

「伸吾。すまん。伊沢を一日貸してくれ」

「いいよ」

伊沢と付き合ってる伸吾――榊伸吾に頼んで、今度の休みに中本のプレゼント選びを手伝ってもらうことにした。

このとき、伊沢から出された条件が、

「いい?絶対に、私たちが一緒に買い物に行ったなんて千晶には気付かせないこと。それが守れない場合は絶対に行かないからね」

だった。

つまり、中本に余計な心配はかけさせるなということだ。

勿論、そのつもりだった。

で、渡した後にネタばらしをするつもりだったのだ。

そして買ったのが、日記帳。

何でも、嬉しいことがあると、絶対に記録として残しそうだから、と伊沢が勧めてくれたからだ。俺とのことが残るんなら俺だって嬉しい。

だから、迷うことはなかった。

できるなら、中本がもっと自信を持って、短距離のタイムで高校のスカウトが入るなら。俺は、一緒に行きたいって思ってる。

だとすれば、それはお互いの頑張り次第だろうな。