あなたには幸せを わたしたちには思い出を
薬草を採りに行ったとき、
道端で小さな花を見つけました。
小指の先くらいの、小さな小さな白い花。
名前も知らない花でしたけれど、その花は、
精一杯生きていることを誇るかのように立派に咲いていました。
「おそらく間違いはないと思います」
「ほ、本当か!?」
わたしの確信を持った言葉に、期待半分不安半分だったオボロさんの顔が太陽のように明るくなりました。
わたしの隣では、ユズハちゃんが表情を変えずに布団に横たわっています。
「はい、間違いなく、ユズハちゃんのお腹には赤ちゃんがいます」
「………よかった」
その言葉でようやく安心したのか、ユズハちゃんがほっとしたように安堵の息をつきました。
「ユズハ……よかった、よかったな!!
お前の望みは叶ったんだ!! 本当によかった……」
オボロさんがユズハちゃんを抱きしめました。
ユズハちゃんは見えなかったでしょうが、オボロさんの目には涙が光っていました。
ユズハちゃんにハクオロさんの子供が出来るということは、オボロさんにとってもユズハちゃんと同じくらいうれしかったのでしょう。
オボロさんがユズハちゃんをいかに大切にしているか……それがよく分かります。
「ありがとうございます…お兄様、エルルゥ様」
正直に言えば、わたしは少し複雑な気分でした。
ハクオロさんがわたしたちの前から姿を消して3ヶ月。
みんなも少しずつ立ち直りつつあるとはいえ、ハクオロさんがいない寂しさはなかなか消し去ることは出来ません。
アルルゥも、夜中に寝言で『おとーさん……』などとまだ口にしています。
わたしも今までと変わらないような何気ない日常、けれど今まで以上にやることが増えて忙しくなった日常の中で、
ふと気を抜くと泣いてしまいそうになることがありました。
それなのに、ユズハちゃんとは違い、わたしはハクオロさんの子供を宿すことは出来ませんでした。
もしもわたしにもハクオロさんの子供がいたら……そうだったら、どんなに生きていく上で支えになってくれたことでしょうか。
そう思ったことも一度や二度ではありませんでした。
かといって、わたしはユズハちゃんに嫉妬する気持ちはまったくありません。
わたしだって、自分がある程度はやきもち焼きだと言うことを自覚しているのですが……今回は不思議とそうならないのです。
それはきっと、ユズハちゃんがどれだけハクオロさんを愛していたかがわかっているから。
ユズハちゃんが残りわずかな命を、ハクオロさんのためにどれだけ必死に生きようとしているかがよく分かっているから。
ですから、わたしは心から祝福します。
ユズハちゃん、オボロさん、そしてハクオロさん、おめでとうございます―――と。
だから今、わたしはユズハちゃんのために出来る限りのことをしてあげたいです。
ユズハちゃんに残された短い時間の中で、もう1つ。
みんなと分け合える思い出を残してあげたいです。
女の子ならだれもが憧れる、特別な日を。
結婚式という、一生に一度限りの晴れ舞台を……。
「まあ……」
「ユズっち、綺麗……」
「とてもお似合いですぞ、ユズハ殿」
「ああ、さすが聖上の花嫁さんだ。凄いっすよ」
「ありがとうございます、みなさん」
ユズハちゃんが、みんなに囲まれた輪の中で少し照れくさそうに微笑みます。
その身には、私たちの村で花嫁さんが着るような、質素な礼服を纏っています。
皇族が着るような豪華な衣装とは程遠い、花や木の実で飾り付けをしただけのものですが、とてもよく似合っています。
城の隅のほうにある、小さな広間。
普段はみなさんの憩いの場として使われるこの広間が、今日はユズハちゃんの結婚式の舞台です。
ベナウィさんに相談したところ、国で公式な結婚式は挙げられないそうです。
それは残念だけれど仕方が無いことかもしれません。
ユズハちゃんは立場上はハクオロさんのただの側室の一人にすぎない上に、今はハクオロさんも国を空けています。
そういう状況で、国のお金を使って盛大に式を挙げるわけにはいかないでしょう。
だけど、それでいいんです。
ユズハちゃんはそんな豪華な結婚式なんて望むはずありませんから。
わたしたち身内だけの小さな結婚式でいいんです。
わたしたちからの温かい祝福と、みんなで一緒に過ごせる時間があれば、それだけで十分なんですから。
だから、わたしたちは非公式に結婚式を開きました。
「ユズハよ。貴方は夫・ハクオロの妻として、生涯夫を愛し、また、支えてゆくことを誓いますか?」
「はい、誓います」
ベナウィさんが、契りの句を読み、ユズハちゃんがそれに答えます。
ハクオロさんの分の句は省略です。
もちろん、誰もそれを気にする人はいません。
本当なら、ハクオロさんにはここにいて欲しかった。
帰りを待っているみんなのため、そしてユズハちゃんのために、今日だけでもいいから帰ってきて欲しかった。
正直に言って、それだけが残念と言えば残念です。
「ではここに、大神ウィツアルネミテアの名において、ユズハ・ハクオロ、両人を正式なる夫婦と認めます」
パチパチパチパチパチパチパチ……
参加者のみなさんから大きな拍手が沸き起こりました。
「それではみなさん、しばしの間、料理や談笑でお楽しみください」
そう言って、結婚式はみんなが待ち望んでいた展開へと移りました。
皇族の結婚式ならば、誓いの言葉の後に各国の使者からの祝辞や、神への国家永代のお祈りなどがあるそうですが、
わたしの村の結婚式ではそんなものはもちろんありませんでしたし、そんなものをユズハちゃんが喜ぶとも思えません。
わたしの村がそうであったように、みんなで集まってお料理を食べ、お酒を飲み、歌って踊って、楽しめばいいのだと思います。
少なくとも、わたしにとっても、いえ、わたしたちにとっても、それが一番の思い出になるでしょうから。
「俺は! 俺は生きててよかったぞぉ! ユズハの晴れ姿をこの目で拝める日が来ようとは……。
ううっ、兄者……兄者にも見せたかったぞ、このユズハの天女のような美しさを!
……そうだ、よし、今から俺が首に縄をつけてでも兄者を引っ張ってこよう! 待ってろ兄者!」
「「わ、若様、落ち着いてください!!」」
わー、オボロさんが早くも酔っ払っています〜。
飲ませたのはカルラさんですね、絶対……。
そんなところで面白がってないで、オボロさんを止めてくださいよ〜。
「いやぁ、このチマクは美味いっすねぇ大将!」
「本当に貴方は花より団子ですねクロウ。チマクなどいつも食べているではありませんか」
あちらではクロウさんとベナウィさんがお酒を飲み交わしているみたいですね。
クロウさんもいつにも増して陽気にお料理を食べてくれているようで嬉しいです。
「何言ってるんですかい大将。あんな綺麗な花嫁さんが主役の結婚式で食べるチマクだからこそ、いつもよりずっと美味しいんすよ」
「ふふ、確かにそうかもしれませんね」
「俺は本当に幸せっすよ! そしてこんな舞台を用意してもらえる聖上もユズハちゃんもトゥスクル一の幸せモンだ!
聖上! 本当にこんなキレイな花嫁さんほおっておいて何やってるんすかあぁ〜〜!!」
「やれやれ、少しは落ち着きなさい、クロウ。それではオボロと同類ですよ」
……ふぅ、クロウさんも、ちょっと飲みすぎみたいですね。
あちらはベナウィさんがついていてくれるので大丈夫だと思いますけど……。
「ユズっち〜」
「やっほーユズっち。」
両手にお料理と飲み物を抱えて、アルルゥとカミュちゃんがユズハちゃんの元へ向かいます。
ユズハちゃんは今は1人、主役として飾りつけられた席の上で落ち着いています。
「ユズっち、とっても綺麗だよ〜。おめでとうユズっち」
「……ん。ユズっち、とっても綺麗」
「2人とも、ありがとう」
「…ね、ねぇユズっち。ちょっとお願いがあるんだけどなぁ」
「なんですか?」
「その服、ちょっとだけ触ってもいい?」
ああ、もうアルルゥにカミュちゃんったら。
ユズハちゃんにあまり迷惑かけたらダメだってば〜。
「ええ、いいですよ」
……ふぅ、本当に、ユズハちゃんがいい子でよかった……。
「ユズハの衣装、そんなに綺麗なんですか?」
「うんっ。首の周りや袖のところには綺麗なお花がいっぱい飾ってあるし、胸や腰には綺麗な木の実も付いてるよ」
「でも、一番綺麗なのはユズっち。ユズっちが着てるからとっても綺麗に見える」
「そんなことないです。でも、嬉しいです……」
ううん、わたしもそう思います。
確かに衣装もみんなで協力して飾りつけをしましたけど、それはやっぱりユズハちゃんが着ているから一段と綺麗に見えると思います。
今日のユズハちゃんは、どんな花よりも木の実よりも、そして宝玉よりも、色鮮やかに見えます。
それはやっぱり、花嫁さんになったから、なんでしょうか。
「でも、カミュち〜もアルちゃんも、いつかユズハのように着られる日がきっと来ます」
「そうかな? えへへ、楽しみだよ〜」
「ん。アルルゥも大きくなったらおとーさんと結婚して、その服着たい」
……ちょ、ちょっとアルルゥ!?
わたしを差し置いて、ハクオロさんと結婚するなんて、他の誰が許してもわたしが許さないからね!
さ、先にハクオロさんと結婚するのは私なんだから〜。
「あ、じゃあカミュもおじさまと結婚する!」
か、カミュちゃんまで……。
「うふふ、さすがはトゥスクルですね。こんなに楽しい結婚の儀は初めてです」
「ああ〜、ユズハ殿、可愛いにゃ〜」
「ユズハ。あなたもいかがですか? 美味しいですわよ」
「こらカルラ! ユズハに酒を飲ませるな!!」
「カルラ様、お酒とはそんなに美味しいのですか?」
「ああっ、信じるなユズハ! お前には酒はまだ早い……」
これがわたしたちの結婚式です。
豪華なお料理も、飾り付けも、女の子なら誰もが目を輝かせるような綺麗な花嫁衣裳もありません。
けれども、そこには確かな幸せがありました。
みんなが楽しく笑っていました。
いつもと同じように、みんなでお料理を食べ、お酒を飲み、大騒ぎをしていました。
そして、みんな心からユズハちゃんを祝福していました。
それ以外になにが必要だというのでしょう。
今日の主役のユズハちゃんは、終始嬉しそうに、そしてちょっと照れくさそうに、みんなの輪の中に囲まれていました。
その姿は、わたしが今まで見てきた中でも間違いなく、一番綺麗だと思いました。
「ユズハちゃん」
宴も終盤に差し掛かった頃、わたしはユズハちゃんの隣に座ります。
「あっ、エルルゥ様」
「おめでとう。体の方は大丈夫?」
「はい」
そう言って、ユズハちゃんは優しく微笑んでくれます。
その微笑みに浮かぶのは、少しでも触れたら壊れてしまいそうな儚さ。
そして、その儚さが見せる、小さな花のような美しさ。
「本当に、ありがとうございます、エルルゥ様」
「え?」
「私は、結婚式というものがどんなものかもよく分かりませんでしたが、実際にやっていただいてよく分かりました。
こんなに楽しく、そしてこんなに嬉しい気持ちになったのは初めてです」
「そ、そんな。ユズハちゃんがそう思ってくれたのなら、私だって嬉しいから」
それは私の素直な気持ち。
ユズハちゃんの幸せを願わない人がいったい何処にいると言うのでしょう。
「神様がいるのでしたら、私はこう伝えたいです」
そう言って、ユズハちゃんはまだあまり膨らんでいないお腹に優しく両手を当てました。
「私にも、幸せを与えていただき、ありがとうございます。……そして、この子が産まれてくるその日まで、
もう少しだけ生きる我侭を、ユズハにお許しください……と」
穏やかな声で。
優しそうな声で。
でも、確かな決意を秘めた声で、ユズハちゃんは誰に聞かせるともなしに言いました。
人を愛し、子供を産む。
そんな、女の子として当たり前の人生を幸せと感じられるユズハちゃんの純粋さと、それに立ちはだかる運命に、
思わず涙を流しそうになるのをわたしは必死でこらえていたのだと思います。
気がつけば、わたしはユズハちゃんの顔を胸に押し当て、そっと抱きしめていました。
「エルルゥ様…?」
最初はやや戸惑っていた様子でしたが、すぐに力を抜き、わたしに体を預けてくれました。
ユズハちゃんの体は本当に細くて、軽くて……。
「我侭なんかじゃない……我侭なんかじゃないよ」
「エルルゥ様………」
ああ、もし本当に神様がいるのなら、
どうかこの子には……本当の幸せを与えてもらうわけにはいかないのでしょうか……。
わたしも、そして他のみんなも、決して今日と言う日を忘れることは無いでしょう。
ユズハちゃんが結婚式を挙げた、今日と言う日を。
ユズハちゃんが一番輝いていた、今日と言う日を。
そして、儚くも精一杯生きている、ユズハちゃんという白い花が綺麗に咲き誇っていたことを……。
後日、薬草を採りに行ったとき、
前に見た小さな花は枯れていました。
名前も知らない花でしたけれど、その花は、
精一杯生きたことを誇るかのように静かに眠っていました。
わたしは忘れません。
一瞬でも綺麗に咲いていたあの花を。
わたしは幸せです。
あの花が一番輝いていた瞬間を見ることが出来たのですから。
その身には、きっと新しい命が宿っていることでしょう。
そうやって、命は続くのです。
たとえそれが、名も無き花だとしても、
命はどこまでも続いていくのです―――。
完