「永遠」
私はリース・フレキシブルといい、今年十五歳を迎えたばかりの少女です。おかっぱに近いさらさらの黒髪に、濃い紫水晶の瞳色、肌はやや色白で、身長は一五五センチ。生まれはイギリスのウェールズですが、育ちはここ日本の大阪です。
以前は玉造に住んでいましたが、半年前に東淀川に引っ越してきました。
大阪市立玉造幼稚園を経て、玉造小学校、今年の春に東中学校を卒業し、高校には進学していません。
数年前に両親が亡くなり、現在は東淀川区の某マンションに一人暮らしです。一生働かなくても普通に暮らせるだけのお金を両親が遺してくれたため、生活には何ら困ることはありません。
中学を卒業してからのこの半年、二〜三人の友達とたまに外で会う以外は世俗との交流らしい交流もなく、血縁的な面において天涯孤独の私は、誰にも気兼ねなくぶらぶらとした毎日を過ごしていますが、いまの若い人がするような遊び歩きはしていません。そういうのは子供の頃から苦手です。私は内向的で、ちゃらちゃらしたものとは無縁なのですから。
さて、マンションから歩いて十分ほどのところに淀川があります。そこにはいくつも橋がかかってあって、私がよく行くのは菅原城北大橋です。
その橋から眺める空の景色はとてもきれいで、広々とした川面とのコントラストがよく映えていて、とくに夕暮れ時には心を揺さぶるような郷愁の念が胸いっぱいに満たされていくのです。だから私がそこを訪れるのも大抵は夕方が多く、その時刻には本格的なカメラを構えているご年輩の人たちをちらほらと見かけます。
橋の上はよく心地よい風がそよぎ、土手を越えた両脇に広がる不粋な現代社会を忘れさせてくれます。この橋もその現代文明の産物だということはこの際気にしない。要は気持ちの問題ですから。
現在の心を寄せる場所がこの橋だとしたら、玉造にいた頃の、私のお気に入りの場所は、大阪カテドラル聖マリア大聖堂・カトリック玉造教会になります。
ミサに参加したことは一度もありませんが、聖堂には二度ほど足を踏み入れたことがあります。いずれも無人のときなので、がらんとした堂内でステンドグラスを心ゆくまで観賞したものです。祭壇に向かって膝をついて、永遠を求める祈りを捧げたことはなんとなく憶えています。
一番記憶に鮮明なのは、夜の玉造教会敷地で星空を見上げたことです。人影のない聖堂前で、満天の夜空を眺めながら軽いステップを踏んで踊ったのは良い思い出です。まるで星のきらめきに溶けていきそうな感覚に捉われるかの数分間を。
もうひとつお気に入りだった場所は、玉造稲荷神社です。玉造教会からも近く、よくお祭りが行われてもいて、子供の頃は夜店の遊びを存分に楽しみました。
施設という点において、神社は教会よりも好きです。もちろんお寺よりも。神社には、神社の持つ雰囲気には、教会やお寺にはない魅力を感じられるのです。
これは神社という存在自体の不透明性によるものかもしれません。お寺などは、江戸幕府が行った本末統制というもので全国の宗派が纏め上げられ、現代の日本において身元のはっきりしない寺院はないようです。ところがお社や神社となるとそうはいかず、小さな社などは普通にその辺の道端にあったりしますし、また朝廷など時の権力者の都合でころころ変わるため、本来は何を祀っていたのかわからない神社も多いそうです。そんな一種神秘性のある、判然としないなにかに惹かれるものがあるのかも。
なんといえばいいんでしょう、その、ボキャブラリに乏しいのでうまく言いあらわすことができないんですけど……『向こう側』というか、ここにはないどこかを、もっとも身近に感じられる……そんな気がするから、でしょうか。
たとえば、赤い鳥居などは、彼方へと通じているのではないかと、そんなふうに思うことがあります。夕暮れ時、鳥居から茜色の光が差し込み、その中へ身を投じれば、永遠へ辿りつける――素敵だと思いませんか。
あるいは、世界の全てから干渉を受けることはなく、世界の全てに干渉することができず、ただ視ることしかできない『傍観者』という存在になり、世界の行く先をとこしえに見ていくというのも、考えるだけで胸がときめきます。
私は、<永遠>というものに尽きせぬほどの憧れをもち、とめどなく求めているのです。
この気持ちが芽生えたのは、あるひとつのパソコンゲームをプレイしたときです。
二階建ての大きな洋館。広い庭を覆うのは閉ざされた門と壁。周囲を森に囲まれたその館は、世界から切り離された時空の狭間に存在する、時が止まった空間。
その世界観というか舞台は、私のなかに眠っていた永遠を渇望する心を目覚めさせ、確固たるものにしたのです。
晩秋の夕刻、今日も私は橋の中ほどから夕焼けを見つめている。
澄み渡る青空も永遠を感じさせて甲乙付けがたいんですけど、ノスタルジックな面も考慮するとやはり夕陽の空に落ち着いてしまいます。
この景色を、この胸に去来するものを、私は言葉にできない。それがひどくもどかしい。
もし私に詩人か作家の才があれば、心ゆくままに表現することができるのに。
ふと、ある怪奇小説の内容が浮かんだ。形容の装飾過多で悪文に入るかもしれないけれど、頭で想像するのではなく体全体でそれを感じさせるような、そんな文体ゆえに味わい深いものになっている幻想世界。
その中でもとりわけ幻想色の濃い、ダンセイニの影響が強くあらわれた一連の作品群。
なんといっただろう、オオス=ナルガイの渓谷……千の塔が建ち並ぶ壮麗なる光明の都……時間がものを曇らせたり破壊したりする力を持たない町――セレファイス。
もし私が良き夢を夢見れるなら、あの館を、セレファイスと同じように時の止まった、あの場所を……
そのとき、夕空がゆらいだ。
かつて美ヶ原高原で空を見上げたときのような、ともすれば空に落ちていくような感覚が、手を伸ばせば夕陽の向こう側へ届くような……ああ……やっとこの日が来たのでしょうか……待ち望んだときが。
手を伸ばせば、いえ、足を踏み出せば、そう、手すりはもはや意味を成さず、私が身を乗り出せば、一歩踏み出せば、するりと通り抜けて、まえへ――ただまえへ――あのイメージへと。
足を踏み出すことができた。この橋からオレンジの色彩へ飛び立つこともできそうだった。橋から飛び出し、果てしない夕焼けの向こうへ、飛び立つこともできそうだった――できるのだった――そうするつもりだった――かならずや……
今こそ偉大な夢見人の顰に倣い――私は一歩を踏み出し、通り抜け、飛び立った。
意識が空に溶けた。風が吹き渡り、一面に広がる茜色の彼方へ――
そして――
私は、絶叫とともにベッドの上で目を覚ましたのだった。
そこは私の住むマンションの自室ではなく、洋館の居室と思しき部屋で、目の前にある椅子こそは、この館の主人の椅子に他ならないのです。
『風』を起こす青年が女主人を連れて現実へ還ってから管理者不在となり久しいこの館に、いま新しい主が誕生しました。
私が主人の椅子に就いたのです。
現実世界の私は、私という存在を失って橋から落下したであろう肉体は、淀川に水死体となって浮かび、青いテントに住まうホームレスの人たちに発見されたりするのでしょう。
でもそんなことは気にもなりません。もはやどうでもいいことです。
私は館の新たな主人となり、時の止まったこの場所で、ひっそりと迷い込む人たちを迎え入れ、『風』を起こす人がやって来ては誰かを連れ出し、また誰かを迎え入れ、それを私は永遠に見守り続けていくんです。
十五歳の少女のまま、永遠に。
この――夢幻の館で。
(了)