「ふむふむ、女は化けるっていうけど本当だねぇ。いや、あれは本来の魅力に戻っただけかな?」

 「(うんうん)」



 久平と澪のコンビはゆったりとプールにつかっていた。

 その視線は反対側のプールサイドでぐずっている女の子と、それに苦労している男に向いていた。

 当然、それはみさおと祐一のことだったりする。



 「しかしまあみさおちゃんも少しビビりすぎのような気がしないでもないけどね。祐ちゃんの苦労が目に見えるよ。て言うか見えてるけど」



 久平の言葉に苦笑する澪。

 久平の言葉通りみさおは初めてつかるプールに尻込みしていた。

 お風呂と同じようなもの、とは流石に割り切れないのだ。



 「誰かが背中を押してあげないとやっぱり無理かな? それも文字通りに」



 ニヤリ、と意地の悪そうな笑みを浮かべる久平。

 しかし、それは流石にまずいと思ったのか澪は手をぶんぶん振って否定の意を示した。



 「ん? ああ、わかってるって。流石にそこまではしないよ。でも澪ちゃんだってさっきみさおちゃんのタオル剥いだじゃないか」



 剥いだ、という表現にポッと頬を染める澪。

 が、久平も共犯者ではないかとばかりに澪はポカポカと久平の背中を叩く。

 ちなみに澪は浮き輪で水面に浮いているため、大したダメージにはなっていなかったりする。






























 DUAL ONE’S STORY     第16話   八月、水面に映る君A






























 「さあ、来るんだ」

 「で、でも……私、怖い」

 「誰だって最初はそうだ。けどな、勇気を出さなければいつまでたってもなれることは出来ないぞ?」

 「う、うん……わかってはいるんだけど」



 聞きようによっては微妙な会話を繰り広げる祐一とみさお。

 幸いにして客は少なく、二人の会話を聞き取れる範囲には人はほとんどいないので注視はされていない。

 まあ、当人達は大真面目に会話しているのだからさほどの問題はないのかもしれないのだが。



 「ゆっくり入れば大丈夫。いざという時は俺が助ける」

 「う、うん……」



 祐一の説得が功を奏したのか、みさおはゆっくりゆっくりと水に足をつからせていく。

 水に触れた瞬間、ビクッと足を引っ込めたものの、祐一の真剣な表情にひかれてそれでも徐々に体を水へと沈めて行く。



 「頑張れ」

 「……うん」



 祐一の応援に後押しされるようにみさおは頭を除く全身を水に沈めた。

 プールに入るくらいで何を大げさな、と思われるかもしれない。

 しかし、みさおにとってはこれが初めての体験であり、祐一はそれがわかっているが故に真剣だったのだ。

 まあ、この場に浩平や久平あたりがいれば「初体験終了」などと言いそうではあるが。



 「わぁ……冷たい」

 「まあ、プールだしな」

 「でもひんやりして気持ち良い……」

 「まあ、プールだしな」



 同じ言葉を続けることしか出来ない。

 本当に嬉しそうな表情をしているみさおを前に、こんな言葉しか出てこない自分を少し恨めしく思う祐一だった。



 「良い気持ち……」



 だが、みさおはそれだけでも十分だったのだろう。

 言葉通り、彼女は気持ちよさそうにその場をゆっくりと回転して水の中を満喫していた。



 しかし、祐一が発した次の言葉にみさおは戦慄することになる。



 「さて、それじゃあ次は泳ぎの練習だな」















 一方、最愛の妹がピンチを迎えようとしていたその時。

 シスコン兄貴こと折原浩平が何をしていたかというと……



 「ううー、大根が、大根がぁぁぁぁー。うあ、栗は、栗はやめてくれぇぇぇ」

 「一体どんな夢を見ているんだよ、浩平」



 意味不明な悪夢にうなされながら瑞佳に看護されていた。















 「そ、そんな。まだ私には早いよ……」



 またもや聞きようによっては微妙な言葉を紡ぎながらも体を後に引くみさお。

 泳ぐということは水の中に顔をつけるということ。

 流石にそれには恐怖心がある。



 「大丈夫だ、溺れたりはしない」

 「だ、だって」

 「俺が手を握っておくから」

 「で、でも……ってええっ」



 やや青褪めていたみさおの頬が朱に染まり始める。

 今、目の前の少年はなんと言った?

 手を、握る?



 (ど、どうしよう……)



 赤く染まった頬を隠すかのように俯くみさお。

 泳ぎの練習をするのだから、指導する側と指導される側が手を握り合うのは当たり前だ。

 バタ足の練習は基本的にそんなものなのだから。

 プールの淵を持ってやるという方法もあるのだが、みさおが不安がっている様子に祐一は人の手の方が安心できるだろうと考えたのだ。

 みさおにとってはある意味、より困ることになる判断だったのだが。



 「折原」



 両手を差し出す祐一。

 みさおはその両手をじっと見つめながらもなかなか手を伸ばすことが出来ない。

 ある意味、箱入り娘といってよいみさおは当然のことながら男の手を握ったことなどない。

 もちろん浩平は別なのだが、浩平はあくまで兄である、他人ではない。

 だが、祐一は家族でもないただの同級生の男子である。

 他の男子よりは好意的に思っているとはいえ、手を握られることになると思うとどうしても尻込みしてしまうのだ。



 「……すまん」

 「えっ」



 と、みさおがそんなことを考えていると、祐一は気まずそうに手を引っ込めた。

 みさおの男性恐怖症のことを思い出したのだろう。

 罰が悪そうな表情で頭を下げ、謝罪した。



 (相沢君……)



 そんな祐一の姿にみさおは胸が痛んだ。

 祐一は何も悪くない。

 にも関わらず自分のせいで彼を謝らせてしまった。

 思えば、彼にはいつも迷惑をかけていた気がする。

 最初に出会った時もそう。

 部活決めの時もそう。

 七夕の時もそう。

 なのに、自分は何をしているのだろうか。

 ただ、男の人が怖い。

 それだけのことでこの人にまた迷惑をかけている。



 「えっ……」



 次の瞬間、戸惑うような祐一の声がみさおの耳に届いた。

 視線は、手元。

 みさおに握られた、両手。



 「あ、あの……大丈夫、だから……っ」



 羞恥に真っ赤になり、震えながらもみさおは祐一の目を真っ直ぐ見つめた。

 勢いだった。

 ただ、目の前の少年に迷惑をかけたくないと、その一心で手を伸ばした。

 ゴツゴツした手のひら。

 伝わってくる体温。

 それらの感覚に戸惑いながらも、みさおは祐一の手を離すことなく掴み続けていた。















 「みさおちゃん……」



 みさおの様子を遠めで眺めていた瑞佳は、驚きの表情を浮かべていた。

 浩平と由起子を除けば、みさおと一番長く接してきたのは自分だ。

 それ故に彼女のことは大抵、否、ある意味では浩平よりも知っているといっても良い。

 そう思っていたからこそ、瑞佳はみさおの行動が信じられなかった。



 「……はぁー」



 感嘆の溜息が漏れる。

 自分と浩平が何年かかってもなしえなかったことを相沢祐一という少年はなしたのだ。

 無論、立場の差はあっただろう。

 だが、それでも祐一のなしたことは掛け値なしに、凄いことだった。

 瑞佳は、何か眩しいものを見ているかのようにその光景を見ていた。



 「くすっ……」



 瑞佳は自然に笑みをこぼした。

 視線がうなされている浩平へと移る。

 浩平は未だに悪い夢を見ているのか、ひたすらうんうんうなっている。



 「浩平、いつまでも目を覚まさないと、みさおちゃんを取られちゃうよ?」



 からかうような口調で浩平を見つめる瑞佳の瞳は、とても優しいものだった。















 「いち、に、いち、に」



 祐一の掛け声にあわせてみさおはバタ足を繰り返す。

 最初こそ尻込みしたものの、慣れてしまえば確かに水面に顔をつけることも大したことではない。

 バタ足もやや疲れるのだが、気持ちの良い疲労感が心地よい。

 ただ、繋がれた手から伝わってくる温もりだけ、みさおはどうしても慣れることが出来なかった。



 「どうした折原? 疲れてるなら休憩するか?」

 「え、あ、ううん。まだ大丈夫」

 「でも、顔が赤いぞ」

 「え、そ、それは……そう、楽しいから……」



 照れた顔を隠すかのようにみさおは顔を水面につける。

 火照った顔に水の冷たさが心地よく染み渡った。















 (……まあ、折原の様子を見る限り、大丈夫か?)



 祐一はみさおの様子に少しだけ違和感を覚えたが、特に異常があるようにも見えなかったので心中で胸を撫で下ろした。

 体が丈夫ではなく、男性恐怖症の気がある目の前の少女にはいくら気を使っても使い足りない。

 祐一がそう思うことにみさおは負担を感じるかもしれないが、祐一は気がつかれるようなヘマはしない。

 朴念仁と言われている祐一だが、こういう時は気が回るのだった。



 だが、考え事をしていたせいだろう。

 祐一にしては珍しく周りに気を配ることを疎かにしていた。



 とんっ



 「きゃっ」



 短い悲鳴が祐一の背後から発せられた。



 「あ、すみません。こちらの不注意で……」

 「あ、ううん、気にしないで。こっちも気を配ってなかったし」



 振り向いた先にいた人物は祐一やみさおと同年代くらいの少女だった。

 子供のように澄んだ瞳に、肩まで伸ばしたサラサラで真っ直ぐな髪。

 ふと、祐一は彼女をどこかで見たことがあるような既視感に襲われた。



 「ねえねえ、あなたたちもデート?」

 「……え?」

 「だってすっごく仲良さそうなんだもの。さっきチラッと見た時は凄く初々しかったし」



 突然目を輝かせて祐一に迫る少女。

 当然、祐一は狼狽し、後のみさおも目をパチクリさせる。

 ただ、みさおはデートの三文字に頬を染めていたのだが。



 「いや、俺たちはそういう関係というわけでは。それに友人達と来ていますし」

 「あれ、そうなの? てっきりあたしは―――――」



 少女はそこで言葉をきると祐一の後で顔を真っ赤にして俯くみさおを見た。

 そして、悪戯を思いついたような表情になり、続けた。



 「―――――二人が恋人だと思ったんだけどなぁ」



 少女のその表情を見た時、祐一は気が付いた。

 どこかで見たことがあると思ったはずである。

 何故ならば彼女は



 (折原先輩そっくりだ……)



 なのだから。

 人をからかう時に浮かべる笑み。

 人懐っこそうな態度。

 初対面の相手でも物怖じしないふてぶてしさ。

 正に女性版折原浩平である、と祐一は思った。



 「いや、だから」



 言葉に詰まる祐一。

 ここで否定を続けるのは簡単だが、それはみさおに対して失礼にあたる。

 かといって肯定もできるはずもない。

 途方にくれる祐一。

 だが、それ故に彼は気が付かなかった。

 少女の言葉は祐一だけをからかうために放たれたものではないことに。



 「ねえ」

 「え?」

 「後の女の子、大丈夫なの? なんか真っ赤だけど」















 その言葉に祐一が反応した時、みさおは首筋まで真っ赤になって縮こまっていたのだった。





 あとがき

 名前は出てないけどバレバレな少女登場。
 浩平、未だに気絶中です、その分相方の瑞佳が出張ってますが。
 しかしプールだと澪の描写が難しくなるから困るなぁ(汗

 次回、事態はややこしいことにっ(ぇ