DUEL SAVIOR INFINITE Scwert3-6
 轟音と共に、何かが砕ける音が響き渡った。
 たとえるなら、それは酷く生物的な音であり同時に人が聞くに堪えない音であった。
 人は自分が嫌な事からは目を瞑り耳を塞ぐもの。
 そうしなければ、精神的に深刻なダメージを受けてしまうかもしれないからだ。
 そういった意味では、その嫌な事から目を瞑らず耳も塞がない大河は強い人間と言える。

「……何でだよ」

 現実逃避は止めよう。
 そんな事をしたところで、目の前の事実は変えることなど出来ないのだから。
 確かに兆候はあった。
 新しいイベントを発生させるフラグを立てたのも大河だ。
 だが、これはないだろう。

「師匠〜、倒したでござるよぉ〜」

「ひぃ〜ん、いきなり襲ってくるなんてひどいですのぉ〜!
 人権侵害ですのぉ〜!! ダァ〜リィン、助けてですの〜!!」

 とりあえず、目の前のカオスを何とかしなければならないようだ。
 というより、忍者娘もゾンビ娘も少しは自重しろ、そう叫びたい大河であった。

















DUEL SAVIOR INFINITE

Schwert3-6
大河のトラウマ治療術 〜Fear of the blood〜
















 さて、手始めにやるべき事はカエデのトラウマがどの位か、その1点。
 確かにカエデは試験の時に自分の血を見て失神した。
 自分の血にすらトラウマが発動するという事は、それはかなり重度と言える。
 他人の血は嫌でも自分の血は平気というのは人としての一般的な感性だ。
 だが、平気なはずの自分の血すらトラウマの対象となるのだから、かなり治療は難しいだろう。

「で、カエデってどのくらいは平気なんだ?」

「血はまったく駄目でござる」

「まったく? 見るだけでも?」

「見るだけでも」

「……まぁ、試験の時に自分の血を見て失神した位だしなぁ」

 問題は、どうやって治療するかだ。
 確かにアダムが出した血を見続けさせるて慣れさせる、という荒治療もあるがあまりオススメ出来ないのも事実。
 下手をすると、更にトラウマが悪化しかねない。
 そんな危険な綱渡りを大河はするつもりなどなかった。
 だが、カエデの症状を把握しておかないと意味がないのも事実。

「危険だが、仕方ねぇか」

「何か言ったでござるか、師匠?」

「カエデ」

「何でござるか?」

「ほれ」

 突然、大河は何かをカエデに掛けた。
 液体特有の音と共に、カエデの服の一部が赤く染まる。
 それは、まるで血のようで。

「ち、ちちちち、ち、ちち血、血血血、血、血ぃぃ〜〜〜!!???」

 気絶した。
 それはもう、どう転んでも弁解のしようがないという程の気絶ぶり。
 ある意味では、清々しいものさえ感じてしまう。

「……いや、これトマトジュースなんだが」

 何がなんだか分からない、大河の表情は正しくそれであった。


















◇ ◆ ◇


















「しっかし、厄介なもんだな」

「め、面目ないでござる」

「あ〜、いや、責めてるわけじゃないんだ」

 不意打ちでやった自分にも責任があるのだろうが、今のは不意打ちでやらなければ意味がない。
 実際、今の不意打ちでカエデのトラウマがどの程度かは把握する事に成功した。

「つまり、たとえ本物の血じゃなくてもカエデが血と認識したものに対してはトラウマが発動するってわけだ。
 これって、かなり重症だと思うんだが……どうよ?」

「ほう、そうなのでござるか」

「…いや、自分の事だろが」

「はっ!? そうでござった!!」

 おろろ、何て言葉が聞こえてきそうだがそれは置いておこう。
 問題は、カエデのトラウマがかなり深刻という事か。
 トラウマと言うより、既に条件反射に近いものがある。
 短期間で治す、というのはおそらく不可能に近いだろう。
 だが、治す手助けをすると約束した以上、今すぐに投げ出すわけにもいかない。

「はぁ、しっかしどうすっかねぇ」

 これほど重症である以上、生半可な方法で治るはずもない。
 そもそも、大河は精神科医ではないから専門的な事など分かるはずもない。
 治療法がいまいち分からない以上、下手な刺激は避けたいのも事実。

「……とりあえず、どの程度の事までは大丈夫か試してみるか」

 血が駄目だが、なら他に駄目なものはあるのだろうか。
 確かめるべき事は、まさしくそれだ。

「なら、他に駄目なものはないか、確かめてみるか」

「他のものでござるか?」

「おう、血以外にトラウマがあるかどうか、それを確かめる事からはじめっか」

「さ、流石は師匠でござる!
 拙者、今までそのような事を考えた事はなかったでござる!!」

「……いや、それはどうよ?」

「何がでござるか?」

「……もういい」

 確かボケであるはずなのに、気付けばつっこみをしている自分の存在意義を考えてしまう大河であった。


















◇ ◆ ◇


















 召喚の塔というのは、実のところ結構の高さがある。
 神聖な儀式を行う為という格式上、空に近い場所の方がいいという昔からの慣わしだ。
 召喚の塔が高いというのは、必然の結果であった。
 とはいっても、あくまでアヴァターの文明レベルという程度の事。
 現代社会というカテゴリーで見た場合はむしろ低い位か。
 今で言うところの、5階建てのビルに相当する高さである。
 余談だが、フローリア学園の校舎は3階建てであり、召喚の塔ほどの高さはない。

「やっぱ、こうして下を見ると結構あれだな」

 最上階から下を見ると、人が握れる程度の高さしかない。
 だが、恐怖は感じない。
 大河の住んでいた世界では、これ以上に高い建造物などザラであった。
 東京タワーなどは、そのもっともな例の1つと言えよう。

「おお、こうして下を見ると、なかなかの景色でござるな師匠!」

「まぁな……っていうか、カエデの世界じゃこういう高い建物って珍しいのか?」

「拙者のいた世界では、高い建物は城ぐらいでござった」

「あ〜、なるほどなぁ」

 カエデのいた世界の文明は戦国時代の日本とよく似ているらしい。
 実際、戦国時代の日本でも高層建築物に該当しそうなのは将軍や大名が住まう城ぐらいだろう。

「カエデって高いところは大丈夫なのか?」

「どうでござろう…あまり試した事がないので分からないでござるよ」

「そうなのか?」

「木々の枝を利用した移動術などは行った事はあるでござるが」

「う〜む…」

 高所恐怖症というものがある。
 高いところにいると、常人よりも恐怖を感じてしまう心の病のようなもの。
 大丈夫とは思うが、カエデがそれである可能性はあると言えばある。

「とりあえずカエデ、ここから飛び降りてくれ―――― 冗談だけど」

「わかったでござる」

「っておい!?」

 最初に言っておくが、大河は冗談で言った。
 高さはそれなりにあるし、助かる可能性があるとはいえ下手をすれば命を落とす可能性もある。
 いや、命を落とす可能性の方が遥かに高い。
 仮にこんな事でカエデが命を落としたら、どれだけ間抜けな事か。
 それに、大河はどれだけ他人から責められる事か。

「や、止めろカエデ!! 早まるな!!」

「あい、きゃん、ふら〜〜い、でござる!!」

 飛び降りた。
 盛大に飛び降りた。
 人は空を飛べる事を証明するかの如く、それはもう躊躇なんて一欠けらもなく飛び降りた。

「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!」

 ムンクの叫びにも匹敵する叫び声を上げながら、大河は窓から下を見下ろした。
 眼下に広がる、豆粒程度に見える生徒達。
 だが、騒ぎになっている気配はない。
 見ると、壁を器用に活用しながら地面へと下りていくカエデの姿があった。

「……忍者だ」

 男ならば誰もが憧れた存在がそこにあった。
 変形ロボットと忍者と正義の味方は、少年という時代にとっては憧れの存在だ。
 そして、その憧れの存在を体現した人物が大河の目に映っている。
 本来なら、大喜びするべき場面なのだろう。
 ただ――――

「なんかなぁ…」

 憧れの存在が、天然忍者少女では憧れも一瞬で消失してしまうというもの。
 大河は、なぜかやるせない気持ちになってしまった。
 だが、きっと誰も大河を責める事なんてないだろう。


















◇ ◆ ◇


















 学園にも坑道はある。
 いや、坑道というよりは墓場と言った方がいいか。
 学園の西南部分に位置するその場所は、学園でも一級の危険区域に指定されている。
 現に、扉には立ち入り禁止と書かれた紙と呪術処理が施された扉があった。
 
「師匠〜、これは何なのでござるかぁ〜?」

「何でもこの向こうにはゾンビとかが大量にいるらしいぜ」

「ぞんび? ぞんびとは?」

「動く死体の事だよ」

「おお、大陸に存在するというキョンシーの事でござるか?」

「ああ、そういやキョンシーもゾンビの一種か」

 中国に伝わるゾンビの一種だが、いくつかゾンビとは違う部分がある。
 死体であるためか、体が異常に硬く関節が曲げられない。
 基本的に歩けないので足首を利用して跳ねながら移動する。
 バランスを取るために両手を前に突き出している。
 額に札を貼られると動けなくなる。
 逆にゾンビとの共通点もいくつかある。
 夜行性であり、日光に当たると体が崩れてしまう。
 基本的に死体であるため腐敗臭がする。
 噛まれたものもキョンシーとなる。
 もっとも、一部はゾンビと言うより吸血鬼の特徴が入り乱れていたりするのだが。

「って、んなことはいい。とにかくだ、この先にはそれはもう酷い化け物がいるんだ。
 カエデはそういうのは大丈夫なのか?」

「はぁ、試したことがないので何とも」

「まぁ、相手はこの俺でも逃げ出す様な相手だったからな…カエデが怖がってしまったとしても無理はねぇよ」

「何と!? 師匠ほどのお方が逃げ出すほどの者なのでござるか!?
 むぅ、これは心して掛からねばならぬでござるな!!」

 本当な少し違うような気がするのだが、それはひとまず置いておこう。
 実際問題、逃げたのは事実なのだから。

「とりあえず、この扉を開くか―――― 来い、トレイター!」

 右手に自分の相棒が握られる。
 確かな重量と一体感。
 召喚器という稀代の神秘の前に、こんな扉など塵も同然。

「うぉりゃぁ!!」

 一刀両断。
 チーズにナイフを振り下ろすよりも軽い感触で、刀身は意図も簡単に扉に施されていた呪術処理を切り裂いた。

「さて、と」

 扉に触る。
 問題ない、違和感などは特に感じない。
 微かに感じる感触は、古ぼけた木製のそれだ。
 これで、扉の向こう側へ向かう事が出来る。

「さて、と―――― 行くか、カエデ」

「はいでござる!」

 2人は、意気揚々と扉の向こう側へと向かった。


















◇ ◆ ◇


















 扉の向こう側は、やはり予想通りの世界が広がっていた。
 どこまでも続く古ぼけた墓の山。
 人の死、その先にある現実が大河達の目の前にあった。

「墓ばっかだな……」

「そうでござるな」

 はたして、どれだけの人が死んだのだろうか。
 何を想い死んでいったのだろうか。
 それを知るのは、死した当人たちのみ。

「さて、と―――― 予想だとここが拠点になってると思うんだが」

「何がでござるか?」

「ん? ああ、俺を逃走に追い込んだ凄いゾンビ」

「闘争?」

「違う、逃げる方だ」

 こんな場所でカエデのボケは遠慮なく炸裂していた。
 ある意味で、凄い大物ではないかと勘違いしてしまいそうだ。

「っと、噂をしていたら」

 気配があった。
 微かに感じるそれは、確かにあの夜感じたものと同じ。
 背筋が微かに震える。
 恐怖、恐れにも似た感覚。
 人ならば――― 否、生物であるならば誰もが持っている本能。

「だぁ〜りぃ〜ん! 会いに来てくれたですのぉ〜!
 これはもう結婚するしかないですのぉ〜!!」

 話が一気におかしな方向へぶっ飛んだ。
 そもそも、会いに来ただけで結婚まで突っ切るその思考回路はどういう事だ。
 いやいや、それよりも会いたくて会いに来たわけではないのだが。

「師匠〜、あの者は何者でござるかぁ?」

「あ〜、俺を逃走に追い込んだゾンビだ」

「何と!? では、とてつもなく強いのでござるか!?」

「…あ〜、どうだろうなぁ」

 本当にどうなのだろうか。
 まぁ、あれほど逃げ回っても先回りされていたのだから身体能力は高いだろう…ゾンビだが。
 それに、ゾンビに噛まれたものはゾンビになるのが定説だ…元ネタはバイオハザードっていうゲームだが。
 つまり、身体能力は高いが強いかどうかは分からないというのが結論だった…ゾンビなのに。

「で、拙者は何をすればいいのでござるか?」

「そうだなぁ……とりあえず、このゾンビ娘をフルボッコにしてくれ」

「了解でござる! 来たれ、黒曜!!」

 あっさり承諾した。
 右手に籠手型の召喚器を装着し、敵意を目の前のゾンビ娘に突きつける。

「む、何か熱烈な視線を感じるですの。
 もしかして、どこかにファンがいるですの?」

 余裕だった。
 というより、このゾンビ娘が慌ててる姿と言うのも中々想像できない。
 ブラックパピヨンに鞭で叩かれた時も、何だかんだ言って余裕そうだったのだから。

「いくでござるよ!!」

「ほへっ?」

 突撃からの連撃への連携技。
 瞬発力ではおそらくアダムをも上回る速度を出せるカエデならではの攻撃法。
 残像すら残してしまう程の速度からの飛び蹴り。
 その一撃は、必殺の名こそ相応しい。

「むぅぅ、何をするですのぉ!!??」

 直撃、そして首がもげた。
 怒った表情に、体は怒ったように両手を振りまわしている。
 だが、首がないのでその様は滑稽であり酷く不気味だ。

「むむ、首が取れたのに動くとは何と面相な。
 大人しく成仏するでござるよ!」

「わわ、何をするですの!?」

 轟音に次ぐ轟音。
 殴る音、蹴る音、刺さる音が響き渡る。
 恐怖はなく、ただやるべき事を実行しているだけのカエデ。
 トラウマは存在せず、またゾンビといった類が苦手というわけでもなさそうだ。
 少なくとも、骸骨等のアンデッド系は大丈夫だろう。

「……何でだよ」

 有り得ない、絶対に有り得ない。
 何が有り得ないって、こんなに強いカエデに勝った自分がだ。
 まぁ、あれは奇策を用いたから勝ったようなもの。
 真っ向勝負だったなら、果たして結果はどうなっていた事か。

「師匠〜、倒したでござるよぉ〜」

「ひぃ〜ん、いきなり襲ってくるなんてひどいですのぉ〜!
 人権侵害ですのぉ〜!! ダァ〜リィン、助けてですの〜!!」

 いや、それよりも有り得ないのはゾンビ娘の方だ。
 あれほどの攻撃を喰らった言うのにダメージを受けた素振りがない。
 ゾンビだからだろうか、ゾンビだからだろう。
 そう思わないと、世の中やっていけない気がした。

「もう、今日は退散するですの!
 でも、いつか絶対にダーリンは頂くですの!!
 ダーリン、I love youですのぉぉぉ!!!」

 何やら捨て台詞を吐きながら逃げていくゾンビ娘の後ろ姿を見送るしかない大河だった。

「師匠! 勝ったでござるよぉ〜!」

「あ〜…とりあえずカエデ、ちょっとは自重しろ」

「な、なぜでござるかぁ!?」

 無知とは、時として重大な罪になるという事である。


















◇ ◆ ◇


















 大河はカエデに度胸をつける為に色んな特訓を繰り返し、気が付けばすっかり日も暮れていた。
 結論から言うと、たいした効果は得られなかったらしい。
 こうして、2人は今日の特訓を終えて大河の部屋へと戻る。
 だが、その途中でアダムと出会った。

「おう、アダム。そっちはどうだった?」

「いい品があったが、残念ながら手が届かなかった。
 予約はしておいたから、金が溜まり次第に購入といったところか」

「へぇ、今のペースだとどのくらいになりそうだ?」

「そうだな、今のペースだと約1年5カ月か」

「うへっ、気の遠くなる話だな」

「そうだな」

 それまでに多少なりとも売価が下がってくれればいいが、そうアダムは愚痴を溢していた。

「そっちはどうだ?」

「進展なし。一応、他にもトラウマはないか調べてみたが特には、な」

「不幸中の幸いか」

「はー、疲れたな」

「お疲れさまだな」

 人は慣れない事をすると通常よりも体力も精神力も消耗する。
 大河が疲れているのは、ある意味では必然の事であった。
 他者のカウンセリングという、普通に生活していては絶対にする事がないであろう事をやっていたのだから。
 それを聞いたカエデは、大河の背後へと周ると、

「師匠、肩でもお揉みしましょうぞ」

 そう言って、大河の肩を揉み出す。
 その手付きや力加減のあまりの上手さに、大河は少しウトウトしそうになる。
 様々な訓練をしているのか、カエデの肩揉みは職業としている人と変わりないほどの技量だった。
それを払うように首を振ると、大河はカエデへと訊ねる。

「で、今日1日色々とやってみたけど、度胸は付いたと思うか?」

「うーん、付いたような、付いていないような」

「まぁ、それが普通さ。人の心は、そう簡単に出来ていない」

「すいませんでござる」

「いや、気にすんなよ。
 カエデのせいじゃねぇしな」

 大河の言葉に対し、カエデはやや顔を伏せてしまった。
 そして、カエデは弱気な発言が口を付いて出る。

「結局の所、駄目なものは駄目なんでござろうか」

「おいおい。まだ結論を出すのは早すぎるぞ。もっと、自分に自信を持てって」

「自信でござるか?」

「ああ、自分は度胸が付いたと信じ込んでみるとかな」

「しかし、拙者、自分が一番信じられるモノでござるのに……」

 まさか、ここまでネガティブになるとは思っていなかった。
 今日1日過ごしてみたが、大河のカエデに対する印象は少し天然の入った元気娘だったからだ。
 今現在のカエデの印象は、それの正反対と言っていい。
 そんな大河の考えは露知らず、カエデはどんどん暗い顔をしてブツブツと呟き出す。

「うぅ、どうせ拙者なんか…折角、救世主候補となったというのに……うぅぅ」

「……あんなに強いのに、なんでそこまでウジウジすんだよ?」

 理由はどうあれ、あのゾンビ娘に無傷で勝利したのだ。
 それに、真っ向勝負では間違いなく大河はカエデに負ける。
 仮に勝てるにしても、それはかなり先の話となるだろう。
 それほどの技量と戦闘センスを持つというのに、このネガティブ思考はいったいどうしたものか。

「カエデ、そんなに自信がないのなら、救世主になるのは諦めろ」

「えっ!? ア、アダム殿?」

「そんな考えじゃ、他のメンバーの足を引っ張る可能性が高い。
 なら、今のうちにその可能性を消しておく方がいいだろ?」

 突然のアダムの言葉に、カエデは呆然とする。
 確かに、その可能性は高い。
 今のカエデの心理では、どう考えても他のメンバーの足を引っ張ってしまうのが目に見えている。
 だからこそ、アダムの言っている事は正しい―――― その言葉は残酷なまでに冷たいが。
 カエデは、そんなアダムの冷たい言葉に呆然とし、少しして顔を伏せてしまった。
 だが、そんなカエデを見ながら、大河は普段では信じられないほど冷たい表情をしていた。
 そんな大河の様子に気づいたのか、カエデはうろたえた様に声を出した。

「ど、どうしたでござるか」

「別にどうもしないぜ。ただ、いい加減、疲れただけだ。
 それよりも、今日一日付き合った礼でもしてもらおうか……」

 そう言うと、大河はカエデをそのままベッドへと押し倒す。
 これは一種の賭けだ、これにさえ抵抗できないようならカエデは根本的に精神力が弱いという証明となる。

「し、師匠! そ、そんな嘘でござる。師匠は、拙者の師匠は、このような…」

「何を言ってるんだ。
 お前が知らないだけで、本来の俺はこっちぜ。
 さて、抵抗しないのなら、このまま頂くぞ」

「師匠、目を覚ましてくだされ!」

「しつこいな。充分、目なら覚めてるよ」

 そう言うと、大河はカエデの服に手を掛ける。
 躊躇など、一欠けらたりとも存在しないかのように。

「う、うぅぅぅぅ。うえぇぇぇぇぇぇ〜」

 本気で泣き出してしまったカエデを見て、大河はこれも駄目かと溜息を吐き出す。
 いや、あの調子では抵抗はしてこないとは思っていたが泣き出すのは些か予想外であった。
 だが、逆に証明されてしまったと言っていい。
 ヒイラギ・カエデの致命的なまでの精神的な弱さを。

「あー、悪かったカエデ。今のは冗談というか、特訓のつもりだったんだけどな」

「う、うぅぅ、と、特訓でござるか」

「ああ。流石に、あそこまでやれば嫌がって、俺を跳ね飛ばすぐらいはするかと思ったんだが」

 流石にあそこまでされれば、カエデは自分を跳ね飛ばすだろうと大河は予想していた。
 最終的には戦いに発展すれば尚いい。
 戦いに発展した後、大河はある程度戦った後、わざと負けて自信をつけさせようとしていたのだが、失敗だった。
 カエデが持つ精神的な弱さを露呈するだけの形となってしまった。
 いや、ある意味では重畳でもあったかもしれない。
 カエデは味方に攻撃されると抵抗できないという弱点が発見されたのだから。

「本当に悪りぃな」

「う、うぅぅぅ。せ、拙者、本当に驚いたでござるよ。
 し、師匠が別人になったのかと。う、うぅぅぅぅえぇぇぇぇぇ」

「俺が悪かったって! 泣かないでくれよ」

「こ、これは、安心したからでござるよぉぉぉぉ」

 再び泣き出してしまうカエデ。
 そんなカエデを見ながらオロオロしてしまう大河。
 一見すればなかなか面白い展開だが、残念な事に事態はそれほど優しくない。

「……難儀だな」

「はぁ……まったくだぜ」

 暗殺者を職業としているらしいが、この性格は更に致命的だ。
 優しい暗殺者など、欠陥品以外の何でもない。
 暗殺者は、文字通り人を殺すことを生業とする。
 闇に紛れ、音を消し、気配を消し、目標に察知されることなく殺すものたち。
 それこそが暗殺者だ。
 優しい人間は、暗殺者には向かない。
 だが、幸か不幸かカエデはその【優しい暗殺者】に部類される。
 優しい暗殺者の未来など、自己矛盾により精神崩壊しかない。

「ったく」

 カエデが完全に落ち着くまでの間、ベッドで寝転ぶカエデの横に腰を降ろし大河はカエデの頭をそっと撫でていた。
 ようやく落ち着いた頃を見計らい、

「とりあえず、これからも特訓はしていくぜ。
 カエデ、俺についてこいよ。そして、一緒に世界を救おうぜ!」

「…拙者、何処までも付いていくでござるよ!」

 そう笑顔で返すカエデに照れ隠しなのか、大河は意地悪そうに訊ねる。

「それよりも、さっき、あのまま俺が止めなかったら、どうするつもりだったんだ?」

「……し、師匠なら、別にいいでござるよ」

――――――

 予想外であった。
 まさか、そう返答されるとは思わなかったのだから呆然としてしまうのは悪い事ではない。
 しばらく呆然としていてが、現世へ意識が帰還すると少しだか顔を赤くする大河。
 何だかんだいって、大河は純情なのだから顔を赤くしてしまうのは不思議な事ではない。
 余計に照れる事となる大河だったが、それを何とか打ち払い、思いついたように口を開く。

「そういや、まだ気になることがあるんだけど、いいか?」

「何でござるか」

 大河としては、わからない部分があった。
 血液恐怖症、その難儀な性格。
 そこから導き出される新しい疑問。

「何で、本番では実力が出せなかったり、血が弱いとか分かっていて、救世主候補に志願したんだ?」

「それは……」

「元いた世界だったら、臆病者とか言われても、それなりに生活はできたんじゃねぇか?」

「確かに、後方支援や伝達係等、為すべき役目は幾つもあったでござる」

 カエデの言葉に頷きつつ、アダムは補足するかのように話し始めた。

「だろうな。だが、救世主は破滅を倒すことだけが役目だ。
 結局のところ、それは斬ったり、射たり、焼き払ったりといった、殺し合いだ。
 それだけのために、救世主候補たちは呼ばれたと言ってもいいだろう」

「……確かに」

「カエデ―――― キミは、本当は逃げて来たとか、鍛えに来たという訳じゃないんじゃないのか。
 どちらをするにしても、ここアヴァターは救世主にとって、あまりにも危険な場所だ。
 常に死と隣り合わせの世界だからな。
 今はまだ平和だけど、【破滅】が来たら正真正銘の殺し合いが開始される。
 カエデのトラウマである血だって何度も見ることになるだろう。
 だが、それでもカエデはこの世界にやって来た――― 救世主候補として。
 【破滅】との戦いの際、その中心にいる人物たちの1人として。
 本当のところ、どうしてアヴァターに来たんだ?」

 アダムの言葉に、カエデは身体を起こし、そっと目を閉じて何事かを考える。
 それをただじっと大河とアダムは待つ。
 やがて、静かに目を開けたカエデは、神妙な顔付きで口を開く。

「今から話すこと、暫くは他の方々には秘密にしておいてくださらぬか?」

 あまりに神妙なカエデの顔つき。
 その表情を見て、大河もアダムも無言で頷いた。
 おそらく、今からカエデが話すことは本当に他人に聞かれたくないことなのだろう。
 だからこそ、これからカエデが話すのは3人が共有すべき秘密だ。

「拙者がここに来た理由、それは会いたい人間が、元の世界にはいなかったからでござる」

「何か、抽象的だな」

「師匠とアダム殿には隠すつもりはござらん故、なんなりと問うてくだされ」

「そうか……それじゃあまず、会いたい人が元の世界に居ないというのは、その…」

 大河は少し聞き辛そうにしつつも、それで自棄になって、とかではないかと心配して聞く。
 それに対し、カエデは変わらぬ口調で答えた。

「言葉通りでござるよ」

「そ、そうか…それは、すま…」

「父を拙者の目の前で惨殺し、その場からのうのうと時空の扉をこじ開け、消えてしまったのでござる」

「……はぁ?」

「どうかしたでござるか?」

「あ、いや……何でもない」

 てっきり、大事な人が亡くなったとかそんな事かと思っていた大河。
 だが、いざ聞いてみれば180°違う会いたい理由が思わず上げた素っ頓狂な声を出してしまう大河。
 予想外というのは、本当に続くものだ。

「復讐、か」

「ってか、復讐って嫌なもんだな…」

「だからと言って、止めたくても止めれない――― それが復讐と云うものだ」

 本当に難儀なものである。
 復讐の成熟の先に待っているのは空虚。
 それ以外には何もない。
 別に復讐が駄目とかそんな青臭いことを言うつもりなどない。
 復讐と言うのも、人の側面の1つだ。
 切っても切ることなど出来るはずがない。
 だが、復讐の最悪な点は、まったく関係のない人々を巻き込んで自滅に追い込んでしまうと言う点だ。
 その点だけでも、注意しておくに越したことはないだろう。

「そうでござる。拙者がまだ、年端も行かぬ子供だった頃の話なので、細部に間違いがあるやも知れぬが…」

 カエデはそこまで言ってから一息入れる。
 それから、再び口を開くと、続きを語りだす。

「その男は、突然、拙者たちが住む隠れ里に現れたでござる。
 最初は礼を尽くし、頭領である父へと面会を申し入れてきたでござる。
 父も、その客人を歓待し、一晩泊めることとなったでござるよ。
 そして、その晩……」

 カエデは少し言葉を詰まらせると、僅かだが身を震わせる。
 それを見た大河は、止めようと口を開きかけるが、それをカエデ自身が制する。

「師匠とアダム殿には聞いて欲しいでござるよ。良いでござるか」

――――― わかった」

「……ああ、だがよ、大丈夫なのか」

「はい。ただ、少し手を……」

 そう言って差し出してきた手を、大河はそっと握り返す。
 それで幾分落ち着いたのか、カエデは大河に繋いでもらった自分の手へと視線を落としつつ、ゆっくりと話を再開させる。

「蔵の中から人の争う声が聞こえ、拙者が開いていた扉を開けて中に入った瞬間。
 拙者の身に何かが浴びせられたでござる。
 それは、人肌の温もりで、ぬめりとして、そして錆び臭く、そして、最初は暗闇で色までは分からなかった。
 その後すぐ、物音を聞きつけて蔵に集まってきた家人が、拙者を照らし出して。
 そこで、拙者は初めて自分の姿を見ることができたのでござる。
 父の背中から吹き出した血で、全身を真っ赤に染め上げている自分の姿を…」

「おい、まさか、血が怖いというのは……」

 大河の呟きに、カエデは小さく頷く。
 なんとも因果なものである。
 それほどの悲劇があったのなら、血がトラウマになるのは必然のこと。
 トラウマになるべくして、なったと言ったところか。
 そして、気づくとカエデはまた震えていた。
 また震え抱いたカエデの身体を見て、大河は手を握っている方とは逆の手でそっと肩に触れる。
暫くそうしてじっとしていたが、震えが収まってきたのを見て、アダムは酷だとは思いつつも尋ねる。

「それで、その男は?」

「残念ながら、ここには無かったようだと呟くと、蔵の奥へと歩み寄り、そのまま姿を消したでござる。
 勿論、その後、家人たちが蔵の中を隈なく探したでござる。
 でも、隠し扉はおろか、男の潜んでいた痕跡一つ発見できなかったでござるよ」

 話を聞く限りでは、その男はかなりの使い手だろう。
 だが、そこで疑問が思い浮かぶ。

「あれ? でも、おかしくねぇか?」

 何故その男が時空を渡ったというのをカエデが認識しているのかということだ。
 確かに、その男はかなりの使い手であろう。
 だが、だからと言って時空を渡れるわけではない。
 人がどれだけ頑張ろうと生身で空を飛ぶことが出来ないように。

「だったら、どうしてその男が時空を渡ったと分かったんだよ?」

「……最近までは、そのような可能性に気づきもしなかったでござるよ」

「そうか―――― つまり、リコと同じか!」

 大河は閃いたとばかりに叫ぶ。
 確かに、リコは召喚士という特殊なカテゴリーに部類される。
 故に、召喚という形で男は時空を渡ったのかもしれない。

「別次元からの干渉、そして、召喚。辻褄が合う」

 カエデはアダムの発した言葉に頷きながらそう答えるが、

「しかし、その男、赤の書もなしに時空を渡ったのか?」

 大河は逆に不思議そうに訊ねる。
 それは、当然の疑問だ。

「師匠とアダム殿も、そうらしいでござるな?」

「ああ、そうらしい」

――――

 アダムが何かを悩んでいるような表情をしている。

「どうしたんだよ?」

「ん? いや、なんでもない」

 おそらく自分の推測を言うつもりがないのだろう。
 アダム自身が何を考えたのか気になるところだが、今はそれよりもカエデの話の続きを聞く方が先だ。

「それよりもカエデ、大河とオレは…」

「分かっているでござるよ。師匠とアダム殿が仇ではないということは。
 ただ、奴も同じ方法で渡ったとすれば…」

 大河とアダムは例外中の例外だ。
 救世主候補は全て女性。
 その中における、異質で埒外で例外に存在する男性。
 それが、大河とアダム。

「可能性は0ではない、という事か。
 いや、寧ろ、それしか考え付く可能性がないか――――

「そういうことでござる」

 カエデがそう締めくくると、部屋の中を静寂が包み込む。
 それをカエデが殊更明るい声で破る。

「申し訳ない。ちと暗い話に終始してしまってござるな。
 このような、らぶらぶの場面にはそぐわぬ内容でござった」

 冗談めかしてそう言うカエデの気持ちを悟り、大河もそれに合わせる。

「だな。折角の良い場面だったのにな」

「……先程も申したように、拙者は別に構わぬでござるよ」

「おいおい、ありゃ冗談だって」

 大河がそう言って止めようとするが、カエデは聞いていないのか―――

「師匠の嫁になら、拙者、喜んでなるでござるよ!」

 あっさり、爆弾を投下した。

――――― はい!? 待て!! どこをどうして、そんな話になったんだ!?」

 大河にしてみれば、そうだろう。
 しかし、カエデにしてみればそうではない。
 少なくとも、カエデの中ではすでに大河との関係に対して答えは出ているのかもしれない。

「ですから、師匠と拙者が肌を合わせるという事は」

「大河」

 呆れたように話に入り込むアダム。
 声の方を見ると、アダムが静かに部屋から出て行こうとしている。

「っておい!! アダム、なんでそんなにナチュラルに出て行こうとしてんだよ!!」

「気にするな。とりあえず未亜にバレない様にな」

 文句を言う前に、アダムは部屋から出て行った。
 神は死んだとさえ思ってしまう超展開――― 逃げ道は、無いのかもしれない。
 ふと、大河の脳裏に最近出番のない親友の姿が浮かび上がった。
 その親友が、大河に対して親指を立てながらこう宣言している。

《グッジョブ!!》

 とりあえず大河は親友を1万回ほど殺して忘却の彼方へと流した。
 誰が好きで、あんな野郎の姿を思い浮かべなきゃらならないと言わんばかりに。

「どうかしたでござるか、師匠」

「あ、いや、何でもない。それより…」

 大河が言い終わるよりも早く、カエデが小さく欠伸をかみ殺したような声を出す。
 どうやら少し疲れているようだ。

「ふあぁ」

「疲れたのか」

―――― ただ話しただけでござるに、少し体力を消耗したようでござる」

 言いつつ、カエデの瞼は今にも閉じられようとしていた。
 さっきの話だけでなく、昼から行った鍛錬の所為でもあるのだろうと大河が考える。
 と、とうとうカエデは睡魔に勝てずに、そのままベッドに倒れこむ。
 大河はカエデの手をそっと離すと、横たわるカエデを見下ろす。
 カエデはよっぽど疲れていたのか、完全にそのまま大河のベッドで寝入ってしまう。
 そんなカエデに苦笑を零しつつ、大河はそっと毛布をカエデに掛けてやる。
 それから改めて部屋を見渡し、もう一度寝ているカエデへと視線が戻った所で、大河は小さく呟いた。

「それで、お前がそこで寝たら、俺は何処で寝たら良いんだよ……」

 かと言って、気持ちよさそうに寝ているカエデを今更起こすのも気が咎める。
 基本的に善人でお人よしである大河は、今更気持ちよさそうにしているカエデを起こすことは出来なかった。
 結局、大河は床にそのまま寝そべると、目を閉じるのだった。
 翌朝、先に起きたカエデがそれを見て、ひたすら謝り倒したのは言うまでもない。

「うぅぅ、本当に申し訳ないでござるよ。
 師匠を床で寝かせて、弟子である拙者が布団でのうのうと寝るだなんて。
 拙者は、拙者は…」

「気にしなくて良いから、顔を上げてくれぇぇぇぇ!!!」

 そんなやり取りが、暫く繰り返されたとか、まぁ、些細なことだろう。






【元ネタ集】

ネタ名:――
元ネタ:――
<備考>
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あとがき 最初辺りの時間は、ちょうどアダムが王都へ出かけている時です。
思うに、大河の治療のやり方って、1歩間違えれば症状を悪化させかねない方法ですよね。