ごしごしごし。

 モップが床を擦る音がむなしく響く。

 カエデ召喚から二週間。

 ほぼ傷も癒えた大河は今、自習時間を使い召喚の塔で掃除をしていた。



 「あ〜かったりぃ」



 ぶつぶついいながらも前後する両手は動きを止めず、モップは床から汚れを拭き取っていく。

 こういった作業は不真面目にしかやらないと思われがちな大河だが、意外にその手際は良い。

 ちなみに、これは未亜の教育の賜物だったりする。

 さて、何故救世主クラスの一員である大河が掃除などしているのかというと、一言で言えば罰だった。

 深夜の図書館への侵入、闘技場のモンスター開放、ダウニー事件の先走り。

 これらの件をまとめた罰則として彼に与えられた処置が、学園施設全体の掃除だったのである。



 「ったく、男一人でこんなことやってられるかってーの。まあ、唯一の救いは……」



 くるり、と半身を捻って後ろを向く。

 その先には、我関せずとばかりに召喚陣のメンテナンスをするリコの姿があった。




















Destiny Savior

chapter 62  Oltara(T)





















 後ろ姿の小柄な少女は黙々と呪文を唱えている。

 時折、手をかざしたり、しゃがみこんで召喚陣を指で触ったり。

 その動きに連動して紋様が点滅したりする光景はなかなかに幻想的だった。

 が、視覚効果はさておき、基本的に大河は魔法関係には強くない。

 それは数々の戦いを経て過去に戻ってきた今でも変わりはないといえる。

 この名前の攻撃魔法がこういう効果を発揮するという程度ならばどうにかなるが、それが知識面や構成面に及ぶともはやお手上げだ。

 それ故に目の前の光景も、彼にとっては「なんか面倒そうなことをしている」程度の認識でしかないのだ。



 (……しかしこれ、密室で男女が二人きりって状況なのに全然色気のかけらもないな)



 男子トイレの清掃に比べれば万倍マシではあるが、会話のかの字もない今の状況は大河にとって苦痛だった。

 しかも、召喚陣の間は松明の炎のみが光源という薄暗さなので沈黙の効果は倍加である。

 いつもならば大河から軽く声をかけてみるのが常なのだが、相手がリコというのがいけない。

 逆行する前ならばともかく、今の彼女はただの無口な美少女でしかないのだから。

 しかもその上、目の前の少女は最近自分を避けているフシがある。

 カエデと一緒に話した時は結構良い雰囲気になれたのだが、その後もやはり二人きりとなると途端に態度が硬化してしまうのだ。

 少なくとも記憶の中では、この頃のリコはそっけなさこそはあれどもこちらを敬遠するような態度はとっていなかったはず。

 何か気づかないうちにまずいことをしてしまったのか。

 しかし心当たりが全く思い浮かばない大河は疑問に唸るばかりだった。



 (考えられるとしたらこの前の禁書庫の一件なんだが……リコの態度が変わったのもあれからだし)



 赤の書の精霊である彼女からすれば、導きの書が保管されている図書館地下に潜った自分を怪しむの無理はない。

 しかし、その割に少女の視線や態度からは敵意や不審といった気配は見受けられないのだ。

 あれはそう、どちらかというと初めての恋に悩む女の子のような―――

 と、そこまで考えて大河は頭を振った。

 まさか、そんなことがあるはずがない。

 確かにリコからは好意を持たれていたし、彼女とはキスもそれ以上も経験した仲ではある。

 だが、それはあくまで過去という未来の中でのことだ。



 (……ていうか、思いっきり前とは状況変わってるしなぁ。召喚陣の破壊はもう起きないだろうし)



 リコと大河が結ばれる切欠となった召喚陣破壊事件。

 当時の状況的に考えて犯人はダウニーとイムニティだったのだろうが、この時間軸においては前者は死亡し後者は中立となっている。

 召喚陣が破壊されないということはつまり、リコが一人で導きの書のもとへ向かうという無茶もなくなるわけで。



 (いよいよ本格的に未来の知識なんて役に立たなくなってきたな……って違う! 今はリコのことだろ!)



 どう考えても重要な事である今後の展望をうっちゃるという暴挙をかましつつ、大河はとりあえずリコを観察した。

 悩めるクラス仲間を一顧だにせず後ろを向き続ける召喚士の少女は、やはり黙々と召喚陣を弄り続けている。

 すすっ。

 どうせならば、と大河はこっそりとその背後へ足を進ませてみた。

 余程作業に没頭しているのか、リコは振り向く気配すらない。

 

 (ううむ……相変わらずちっこい身体だな。どうせ姿は自由に変えられるんだし、もうちょっとボンキュッボン! な感じにすればいいのに)



 ベリオとまではいかなくても、リリィやカエデくらいのスタイルに成長したリコというのも見てみたい。

 容姿は基本的に同じだし今度イムニティに頼んでみようかな、と真剣に検討することにし。



 (ま、ツルペタなリコのボディも大好きだけどな!)



 結局美女美少女ならばなんでもいい大河なのだった。















 (大河さんが、近くにいる)



 そのことを意識するだけで胸の鼓動が高鳴り、原因不明の熱が顔に上ってくる。

 気を抜けばふわふわと浮き上がってしまいそうな身体は、まるで自分のものではなくなってしまったかのよう。

 意識してはいけない、見てはいけない、無視しなければ。

 そう思えば思うほどリコは背後の大河の様子が気になってしまう。




 (あ、いけないっ)



 魔力のコントロールが乱れ、召喚陣の紋様に僅かな歪みが起きた。

 たいしたミスではなかったため、即座に修正が行われる。

 しかし、そのミスは普段の自分ならば決して起こすはずのないミス。

 いや、厳密に言えばこういったミスなど今まで起こしたことがない。



 (私は、おかしくなってしまっている……)



 たった一人の人間が傍にいるだけでこの体たらく。

 救世主のパートナーとして存在するはずの自分がこんなことでどうするのだ。

 リコは自身を叱咤しながら作業を続行していく。

 しかし、己への叱咤も空しくその後も小さなミスが連続してしまう。

 こんな情けないところを大河さんに見られたら。

 その焦りが更に状況を悪化させていく。

 まあ、大河からすればリコのしている作業はチンプンカンプンなため、何がミスなのかはサッパリわかっていないのだが。



 数十分後、ミスを重ねながらもなんとか作業を終えたリコはホッと息を吐きながら、固まった。

 作業が終わってしまったということは、この場から去らなければならないのだ。

 いや、去ること自体は構わない。

 作業が終わった以上、用はないのだから撤収して食事を取りにいくなり本を読みにいくなりすればいいのだから。

 だが、何故か足が動いてくれない。

 ここから離れたくないとばかりに、地に根を張ったかのように両足が動かないのだ。



 (私、どうして……ここから離れたくないと思ってしまっている? ううん、大河さんの傍から……)



 そんなことはないはずだった。

 赤の書の精霊として、救世主候補に心を傾けることはしてはならない。

 それは救世主クラスに入ってから誓った、皆を守るための大事なことだ。

 彼を、大河を好ましく思っていることは認めよう。

 けれども、だからこそ自分はこれ以上彼に近づいてはならない。

 そうなってしまったら、自分はきっと願ってしまうから。

 当真大河を―――自分のマスターにすることを。



 (それは、それだけは……ダメです!)



 書の精霊のマスターに選ばれるということは、救世主の資格を手にするということだ。

 それが何を意味するかをよく知っているが故に、リコは恐怖する。

 脳裏に浮かんだのは、絶望と失意に塗れた歴代のマスター達の姿。

 その姿が大河と重なった時、少女の身体は枷を解かれたように動き出していた。



 ただ、この時。

 リコは大河を意識に入れまいと作業に集中していたが故に気づいてはいなかった。

 そう、彼がいつの間にか自分の背後に接近していたことに。















 『あ』



 半分当初の目的を忘れ、少女のうなじに見とれていた大河。

 振り返った先に先程まで散々意識していた男性がいることに気がついたリコ。

 そんな二人の視線が交錯した。

 だが、それも一瞬のこと。

 前かがみ気味になっていた大河と、振り向きざま歩き出そうとしていたリコの体は次の瞬間見事の正面衝突してしまう。

 体格差が明らかだったため、大河は軽くよろけただけだった。

 だが、小柄なリコはそうはいかない。

 勢いよく弾き飛ばされたリコはに硬い床に向かって頭から倒れこんでいってしまう。



 「リコ!」



 それを庇うべく咄嗟に手を伸ばす大河だったが、ここで自身もバランスを崩していたことが災いした。

 無理に動かした体は、リコを追うように倒れていってしまったのである。



 「あっ……」

 「おわっ!」



 ドサッ!

 硬質な床に倒れこむ二人。



 「っ〜! だ、大丈夫か、リコ」

 「あ、はい。私は大河さんが庇ってくれたおかげで……?」



 辛うじて間に合った右手は、床とリコの頭の間に差し込まれていた。

 そのことに安堵する大河は、しかし真正面にあるリコの戸惑ったような顔に疑問を抱いた。



 (どうしたんだリコの奴……って、ん?)



 ふに。

 何やら左手から柔らかな感触が伝わってくる。

 はて、これは一体?

 ふにふにふに。

 大河は本能の命ずるがままに、左手で掴んでいる何かを揉みまくる。

 実のところ、この時点で彼は半ば左手が何を掴んでいたか察していた。

 それを確認するように下げられた視線に映るのは、しっかりと自分の左手に鷲掴みにされているリコの胸。



 (……うむ、相変わらず小振りだ。しかし、弾力、柔らかさ……共に良し!)



 初めて少女を抱いた時と変わらぬ感触に、大河は顔を綻ばせていた。

 が、考えてもみて欲しい。

 いくら触ったのは偶然といえども、女の子の胸を無断で触って、しかも揉み続けていいのだろうか?

 当然、いいはずがない。



 (いや、だってリコがリアクションしてくれないし……)



 見えない誰かに言い訳をしつつ、大河はそれでも左手をどかさない。

 これがリリィやベリオであれば反撃は間違いないところだが、リコは何の反応も返す様子がなかった。

 この後、女の子がとる反応といえば二つ。

 悲鳴をあげるか、怒るかだ。

 あるいは第三の反応として喜ぶというパターンがあるが、そんな女の子が滅多にいるはずがない。

 いや、大河の周りには実のところ二人ほど心当たりがいたりするのだが。



 契約後であれば、これは「もう、仕方ないですね」と子供をたしなめるように苦笑しつつもそのまま良い雰囲気になるパターンだ。

 しかし、契約前―――つまり、今のリコがどういう反応をとるかは元マスターをして不明だった。

 そもそも、大河はこの頃の彼女には、身に纏った雰囲気に気圧されたからかなんとなくセクハラをしてはいなかったのだから。



 「大河、さん?」



 が、永遠に続くかと思われたセクハラタイムは唐突に終わりを告げた。

 呆然と大河の顔を見つめていたリコが、ゆっくりと視線を下ろし、自分の胸が揉まれていることを確認する。

 そして再び視線は上がり、大河の顔へ。



 「あ……」

 「リコ?」



 仰向けのまま、眼前の大河の顔を見続けるリコ。

 その無感情な表情が徐々に朱に染まっていき、そして。















 一分後、召喚陣の間には人生で初めてセクハラをしたことに罪悪感を抱く史上初の男性救世主の姿があった。















仮のあとがき

前は二年放置、そして今回は一年半放置。
次の更新は一年後ですか? と聞かれそうですが、なんとか久方ぶりの更新とともに新章開幕です。
いよいよ私の心のヒロインことリコ・リス編ですよ。
ちなみにペアバトルイベントはスルー、結果だけいうと前にも書いたとおり大河&カエデ組がリリィ&ベリオ組にぼっこぼこにされました。

……しかしDSは時系列がわかりにくいなぁ。章ごとに展開とびまくるけど前回から何日たったとか書いてくれないし。