王都最大の洋服店『田舎の館』から一人の男が出てくる。
夕闇の中、男はいそいそと帰宅の途を歩む。
男は懐に抱えた紙袋が余程大事なのか、ガッシリと両腕でガードしていた。
「ふっ、これで準備はOKだ」
くっくっく、と邪悪な笑みを浮かべる男。
もし第三者が男の表情を見ていたならば、その人物は間違いなく役所に男を通報していただろう。
だが、幸いというべきか。
夕暮れ時ということもあって人通りは少なく、目視し辛くなっていた男の顔に注目する通行者はいなかった。
「ふふふ、明日が楽しみだ」
男が街灯の下を通る。
その瞬間、街灯の光によって男の顔が夕闇の中に鮮明に浮かび上がった。
男の顔は―――――史上初の男性救世主候補のものだった。
Destiny Savior
chapter 54 Apprentice(W)
「あ、クレアおかえりー。どうだった?」
「うむ、実りは多かった。ただならぬ情報も仕入れたし、話すことが多数ある」
そう言って微笑むクレアの表情を見て、室内にいた三人の少女は目を軽く驚きに開いた。
「クレア、ご機嫌ですね。何があったのですか?」
興味津々、といった表情のアルクェイドを視線でおさえて質問を発したのは彼女の姉だった。
アキハと同じ、流れるような長い黒髪に、漆黒のドレスという黒一色のいでたち。
そして足元に自分の背丈ほどの大きさの犬を従える少女。
アルトルージュ・ブリュンスタッド。アルクェイドの姉にしてブリュンスタッド家の当主である。
「おお、アルトも来ておったのか。これはますます都合が良いな」
だが、クレアは質問に取り合わず、ただニコニコと微笑み続けていた。
流石にそれは無礼だろう、と紅茶を飲み干したアキハがクレアに注意の視線を向ける。
「……む、すまない。どうやら少しばかり浮かれすぎていたようだ」
「で、情報と言うのは? アルトルージュ様がいて都合が良いとなるとかなりのことなんでしょう?」
「うむ、聞いて驚かぬよう心の準備をしておくが良い」
「わー、クレアがそこまで言うってことはよっぽどのことなんだね」
「ええ、これは心して聞かなければいけないようですね」
クレアの言葉に三人の姿勢が正される。
なんのかんのと言ってもクレアは一国の最高権力者の一人。
そんな少女がここまで言うのだからこれから語られることは相当なことなのだろう、と三人は身構えた。
クレアが、口を開く。
「例の史上初男性救世主候補―――――当真大河なのだがな、どうやらあやつは未来から来たらしい」
「は?」
三人の声は、綺麗にハモった。
一方その頃。
未来からきた史上初の男性救世主候補はと言うと、寮の入り口で親友に捕まっていた。
「おい大河! お前約束すっぽかしやがって! 女の子たち帰っちゃったじゃねーか!」
「ああ、悪い悪い。だかなセル。こっちにも琵琶湖よりも深い事情があったんだ」
「いや、それは深いのか? 俺はその湖のことを知らないんだが」
「気にするな。俺はこれから部屋に戻って寸法を調整、じゃなかった。授業の復習があるんだ、じゃ」
「ああ、じゃあな……っていうわけねーだろ!」
全身包帯男改め、三分の二包帯男のセルが吼える。
彼は怪我こそ完全に癒えていないものの、既に動き回れるほどに回復していた。
この男、回復力だけなら大河をも凌いでいるのかもしれない。
「折角俺がお前をダシにし……もとい、お前のために女の子との食事をセッティングしてやったというのにその態度は何だ!」
セルは自身の苦労を無にした大河の行いに憤っていた。
大河の女性人気は普段の行いに反して高い。
救世主候補というブランドはもちろんなのだが、初対面の相手にも優しく、あけすけな大河は主に年下を中心にして慕われている。
大河は普段こそああいった軽薄な態度をとっているため女の子に敬遠されているように思われがちである。
しかし、今の大河は色んな出来事を経ている影響か前史ほど強引には女の子にがっつかない。
その辺りのバランスがどうやらプラス方向に作用し、大河は我知らず前史よりも女性にモテていた。
セルはそこを利用して女の子との食事をセッティングしたのである。
なお、余談ではあるが、先日の侵入者撃退の件でセルの株が少々上昇しているのも女の子達がOKをだした要因の一つだったりする。
「セル……あんまり俺をガッカリさせるな」
「な、なんだよ急に。俺は騙されない」
「そんな細かいことに女々しく拘っているようじゃあお前のことを弟って呼べないじゃないか」
「はっはっは! そうだよな! まあ過ぎたことを気にしても仕方ないよな兄弟!」
大河のほのめかすような言葉にあっさりと機嫌を直すセル。
こいつ、単純だよなあ。
大河が目の前の親友をそう評したのはこれで数十回目のことだった。
「まあ、そういうわけだ」
クレアの話が終わる。
静寂が室内を支配した。
アルトルージュの足元にいる犬の寝息だけが場にある音だった。
「へえ〜、そんなことになってたんだあ、救世主って」
「正に事実は小説よりも奇なり、ね」
「って今のを信じるんですか貴女方はっ!?」
ブリュンスタッド姉妹の能天気な声に対してアキハの驚愕の声が響きわたった。
だが、姉妹は慣れているのだろう。
アキハの大声にもまるで堪えることなく面白気な表情でクレアとアキハを見比べていた。
「だって他の誰かが言ってるならともかく、クレアだよ?」
「虚言で私達をからかおうなんてことを彼女が考えるとは思いがたいですしね」
にっこり。
二人分の笑顔に気圧されたアキハは「うっ」と唸ってソファーに腰をおろした。
確かにその通りである。
クレアが自分たちを騙すメリットなどどこにもない。
だが、だからといって今の話を鵜呑みにしていいかというとそうではないのだ。
救世主の真実、神の存在と目的、時の逆行者。
これだけのことを聞いて「そりゃ凄い」で済ませる人間などそうそういるわけがない。
まあ、目の前に二人ほどその希少な人間がいるのだが、とアキハはこっそりと溜息をついた。
「で、私達は何をすればいいのですか? 一人で抱えるには重い秘密だから誰かに喋りたかっただけというわけではないのでしょう?」
「話が早くて助かる。ダリアを学園に忍ばせている今、私の手の者だけでは裏付けをとるのに時間がかかるのでな」
「それを私達に頼みたい……と。わかりました、帰ったら爺に言っておきます」
「……私のほうも分家に手配しておきます」
「すまぬな」
ニコニコとこちらを見つめてくる瞳にアキハは更に溜息をつかざるを得なかった。
王女ともあろうものが一人の男の言葉を真に受けて動く、こんなことがあっていいのだろうか。
無論、クレアなりの確信があったからこその行動だろう。
だが、問題が大きすぎる。
下手に取り扱いを間違えればそれこそ世界が滅ぶかもしれないのだ。
(けどまあ……仕方ない、か)
そう、仕方ないのだ。
自分はクレアの友人である。
ならば友人の力になるのは当然のこと。
いささか問題のレベルがとんでもないが、こうして退屈な日々を過ごすよりはマシだろう。
トーノ家当主はそんなことを思いながら紅茶のおかわりを注ぎ始めた。
「で、どう思う?」
クレアが色んな手配のために退室した後、三人の少女は輪を作っていた。
アキハは最初アルクェイドの言葉を「さっきの話、どう思う?」の意味だと捉えていたのだが、彼女の表情を見るにどうやらそれは違うらしいと悟る。
ならばどんな意味の「どう思う?」なのか?
疑問はアルトルージュの言葉によってすぐに解消された。
「多分、初恋でしょうね」
「あ、やっぱり姉さまもそう思った? あれはどう見ても好きな人のことを喋りたいって感じだったもんねー」
「え、初恋って……クレアが?」
「うん、妹は気づかなかった? クレアの表情、シキのことを話す妹とそっくりだったよ?」
「誰が妹ですかっ」
抗議の声をあげながらもアキハは言われてみればその通りだ、と心中で頷いていた。
同時に、我らが妹分にもようやく春が来たかという微笑ましさがわいてくる。
「相手は……間違いなく史上初の男性救世主候補っていう当真大河って子でしょうね」
くすくす、とアルトルージュが笑う。
外見的にはクレアとさほど変わらない彼女の口から「子」などという言葉が出てくると違和感を感じるものだ、とアキハは思った。
「しっかしクレアも厄介な男に惚れたわね。よりにもよって救世主候補の男の子だなんて……まあ、自覚はまだないみたいだけど」
アルクェイドの呟きにアキハは無言で頷いていた。
救世主候補といえども所詮は異世界から来た平民。
アキハ達はそんなことは気にしないが、クレアの想いを知れば色々とうるさく言う者たちも当然出てくるだろう。
まあ、話の通りに当真大河が神を打ち倒せばそんな問題は些細なことになるだろうが。
しかし、そんな二人の心配を他所に、アルトルージュだけは楽しそうな表情で犬の頭を撫でていた。
「あら、私は素敵だと思うわよ? だってお姫様と英雄の恋なんて吟遊詩人の詠う恋物語(サーガ)みたいじゃない?」
仮のあとがき
今回は完全に閑話ですね。
クレアというよりは三人娘が出張りまくってるので月姫知らない人にとってはオリキャラが喋り捲ってるだけの回に見えたと思われ、陳謝。
一応言っておきますがアルトの犬は問答無用対霊長類決戦兵器犬ではないので、名前は同じだけど(何
次回からはカエデの特訓開始です、まあ長々とやるつもりはないのですが……