「遅かったわね」
開口一番、少女は大河に向かってそう言い放った。
「あのな……これでも急いできたんだぞ?」
「言い訳はいいわ」
「……誰にも見つからないように来るのは大変だったんが……」
取り付く島もなく大河の言い分を一刀両断する少女。
大河としては、ここに来るまでかなりの苦労を要したのでその言い様には少しばかりへこんでしまう。
実際、ただでさえ人の多い昼間に、誰の目にもつかずに立ち入り禁止になっている禁書庫の扉の前に立つことがどれだけ大変だったか。
「誰にも見られてないわね?」
「ああ、大丈夫のはずだ。人が一人いきなり消えるわけだからな、誰かに見られてたらえらいことだし」
「そう」
「ご苦労様、の一言くらい言ってくれてもいいんじゃないか?」
「ご苦労様」
「……うっわぁ。モロわかりな棒読みだなオイ……まあいい、ちょうど俺も聞きたいことがあったしな」
「ええ、私も貴方に聞きたいことがあるの」
二人が立っているのは禁書庫地下の最深部に存在する封印の間。
そう、昨夜激闘が繰り広げられた場所である。
大河の前に真剣な表情で立っているのは白の書の精霊、イムニティだった。
Destiny Savior
chapter 41 Sign(V)
「はぁぁぁ〜〜〜〜」
同時刻、食堂にて一人の男が深い深い溜息をついていた。
男の名はセルビウム・ボルト。
彼は、想い人の元気のなさが感染して思いっきり腑抜け状態になってしまっていた。
「おい、セル。いい加減にしろよ。ここ最近毎日毎日溜息ばっかり……メシがまずくなるっての」
「まあまあ、そう言ってやるなよアリヒコ。セルは悩んでるんだからさ」
「シキ、そうは言ってもな。コイツここ一週間ずっとこれだぞ?」
アリヒコの指がさされた先には何か暗めのオーラを背負ったセルがいた。
顔を俯かせたまま麺をすすっているその姿は非常に哀愁を感じさせる。
だが、食事時にそんな態度をとられると周りの人間のご飯がまずくなるのは当たり前であり、アリヒコの言い分は最もだった。
「未亜さぁ〜ん……」
ずるずると麺をすすりながらセルは切なそうに彼の人の名前を呼ぶ。
一週間前のあの日、セルは未亜を必死で慰めようとした。
口八丁は苦手だったが、未亜のためとばかりに思いつける限りの言葉を投げかけた。
だが、未亜を元気にすることはできなかったのだ。
彼は今、情けなさで心が押しつぶされそうだった。
「ダメだこりゃ」
「重傷だね……」
「……はぁ、おいセル。お前が落ち込んでたって未亜さん、だったか? その人は元気になんてなるわけないだろ?」
「そうそう、だからまずはセルが元気を出さないと。ほら、ハンカチ」
我ここに心あらず、といった状態で麺をすすっていたためか、セルの口周りは汚れに汚れていた。
それを心配したセルの友人がハンカチを差し出すと、セルはのっそりとそのハンカチを受け取ろうと顔をあげる。
「ああ、さんきゅ……?」
そこでセルの視線がたまたま友人の後方にあった窓の外に向けられた。
その視線の先にあったのは黒髪の少女の姿。
(未亜さん……?)
悩みの原因ともいえる少女の姿に、セルは意識が活性化してくる。
未亜は相変わらず元気のない雰囲気だった。
ただ、それにしては様子がおかしい。
彼女の様子はまるで夢遊病の患者のようだった。
視線は前を捉えておらず、ふらふらと頼りない歩行。
その、儚げで今にも折れそうな雰囲気を醸し出していた少女の姿に、セルは何かがあったのだと察した。
(未亜さん、一体…………ん?)
だが、異常はそれだけではなかった。
未亜が視界から消えようとしていたその瞬間、セルは確かに目撃したのだ。
未亜の後をゆっくりと追う怪しげな人影を。
「セル?」
「すまん、急用が出来た。後で返すからここの支払い頼む」
「え、ちょ、ちょっと待てよ。俺今月は金欠……」
「悪いっ!!」
友人の抗議を無視し、セルは席を立ち上がると食堂の外へと走り出した。
何か、嫌な予感がする。
戦士の直感ともいえるその囁きに従い、セルは必死で未亜の後を追い始めるのだった。
「先にこっちからでいいか?」
「どうぞ」
「単刀直入に聞くぞ……昨夜、結局どうなったんだ?」
大河の問いはイムニティの予想していたものと寸分違わなかった。
当然だろう。
大河からすれば、絶体絶命のまま気を失ったのに目を覚ませば無事―――――とまではいかないが、命が助かっていたのだから。
レイから転送のことは聞いていたものの、あの瞬間にそんな暇があったとは思えない。
となれば、彼が事の顛末を問うのは至極当たり前のことである。
「守護者なら死んだわ。貴方を追い詰めたものの、力尽きてね」
「力尽きた? んなわけ……」
「と、言われても事実は事実よ。現に今、奴はここにいない。わかっているでしょう?」
「む……」
そういわれると、大河は黙るほかなかった。
実際、周囲を見回しても大河の戦士としての感覚が敵はいないと告げている。
隠行、という可能性もあるがイムニティが嘘をつく必要性はないし、何よりもあんな本能剥き出しの怪物が気配を消すことなどできるはずがない。
「ナナ子がやったんじゃないのか?」
「ナナ子? ああ、あのホムンクルスね。違うわ、彼女も気絶していたもの」
「……じゃあ、なんでナナ子は一緒に転送しなかったんだ?」
「三人いっぺんに逆召喚ができるほど今の私には力はないもの。一番重要度の低い彼女を後に回しただけ、単なる消去法よ」
大河は、淡々と述べるイムニティから嘘の気配を読み取ることはできなかった。
無論、彼女の言葉を全部信用したわけではない。
だが、否定するだけの根拠がないことも事実だった。
(……我ながら苦しい言い訳ね)
当然、イムニティの言っていることは嘘である。
守護者は力尽きたのではなく、倒された。
ナナシを後回しにしたのは、彼女が『戦っていた』から。
自身のマスター最有力候補に嘘をつくのは心苦しかったのだが、仕方がなかった。
何故ならば、それが契約だったから。
大河に見えないように苦い顔を浮かべたイムニティは、昨夜のことを思い返していた。
「なんですって!?」
怒声が薄暗い部屋の中に響く。
イムニティは目の前で微笑みを絶やさない褐色の女性―――――ルビナスをを剣呑な目で睨みつけた。
「相互不干渉。そう言ったのだけど?」
だが、ルビナスはその視線を軽く受け流し、涼しい目でイムニティを見つめ返す。
そんなルビナスの様子にイムニティは益々目を吊り上げて警戒を強めた。
「何を企んでいるの?」
「何も?」
くすくすと笑うその表情が、イムニティには妙に癪に障った。
だが、落ち着いて考えれば悪い申し出ではない。
こっちがほぼ相手に対して何もできないのに対し、相手はこちらを再封印できる可能性がある。
つまり、この状況では圧倒的にこちらが不利。
にも関わらず相手は何もしないと言っているのだ。
しかし、だからといってここで「はいそうですか」と素直に申し出を受けるわけにはいかなかった。
「理由を聞かせなさい。貴女の立場からすれば、今ここで私を再封印するのが当たり前のはず」
「でしょうね。けれど……興味があるの」
「興味?」
「そう。貴女が目をつけた救世主候補―――――大河くんにね?」
「何……?」
ピクリ、とイムニティの眉が跳ねる。
それは予想外の言葉だった。
自分を見逃す理由が、当真大河にある?
「だから、貴女をどうこうしたりはしない。そんなことしちゃったら大河くんに嫌われちゃうもの」
「先代の赤の主ともあろうものが、男一人のために私を見逃すと?」
「ええ、だって彼は『私』が心奪われた人ですもの」
そう言ってにっこりと微笑むルビナスに、イムニティは言葉を返すことが出来なかった。
はっきりいってルビナスの言っている事は全くのナンセンスである。
だが、イムニティはそんなルビナスの言葉と表情に、何故か釈然としないモヤモヤした何かを感じていた。
悠久に連なる時の中で、生まれて初めて感じたその感情は非常に不快なもの。
その感情の正体を今のイムニティは理解することが出来なかったため、余計に不快感が募っていくばかりだった。
「……わかったわ。相互不干渉、その契約受けましょう」
「それじゃあ、悪いけど私も逆召喚で地上に送ってもらえるかしら?」
「いいのかしら? 壁の中に転移させるかもしれないのに?」
「『今の』貴女はそんなことはしないわ。ああ、そうそう。大河くんには私のことは黙っていてね?」
「言われなくても言うつもりはない」
「それでは、イムニティ。ごきげんよう」
「……ふん!」
害意を全て受け流されたイムニティは、憮然とした表情で詠唱を始める。
光と共に消え去っていくルビナスの表情は、終始笑顔のままだった。
仮のあとがき
イムニティ再登場。
あの戦いの後はこんな会話が繰り広げられていました。
といってもこの契約は一時的なものですからね、両者―――――特にイムニティは破る気マンマンです。
大河サイドと未亜サイドで話が動いています。