未亜は友人の誘いを断り、一人で廊下を歩いていた。
生気のない、暗い表情。
彼女はここ一週間ずっとそんな調子で過ごしていた。
原因は言うまでもなく、一週間前に起こった大河との言い争い。
沈んだ顔で歩く彼女に声をかけるものはいなかった。
普段は男を魅了してやまない彼女特有の魅力はすっかりなりを潜めている。
「……あ」
それは、ただの偶然だった。
たまたま、顔をあげた瞬間にそれが目に入ったのだ。
リリィ・シアフィールドに手を引っ張られて歩く大河の姿が。
未亜の耳に、自身の息を飲む音が大きく聞こえた。
Destiny Savior
chapter 40 Sign(U)
「……ここならいいわね」
「い、いいから手を離せ……マジで痛いんだが……」
大河の言葉に正気を取り戻したリリィは、慌てて大河の手を離した。
ここまで手を繋いだままだった恥ずかしさ半分、怪我をしている右手を掴んでいたことへの謝罪半分の行動。
「ご、ごめん……」
大河はその謝罪の言葉を後者だと受け取ったために、その言葉をからかうことはなかった。
まあ、珍しく素直なリリィを刺激したくなかっただけということもあるが。
が、痛いものは痛い。
自然、顔をしかめたままになってしまう大河に対し、リリィは流石に申し訳なさそうな表情になる。
「……その、大丈夫なの?」
「ああ、裂傷、火傷、毒と特にダメージが酷かったから治りが遅いんだが……まあ、今後気をつけてくれればいいさ」
「裂傷に火傷に……毒? あんた一体どんな奴と戦ったのよ?」
苦笑しながら包帯をギチギチに巻かれた右腕を持ち上げる大河にリリィは疑問を発した。
リリィは救世主クラスの中でも唯一一週間前の事件に関わっていない。
ベリオからあらかたの事情は聞いているものの、詳細は知らないのだ。
「まあ、バケモンだったとだけ言っておく。しかしベリオやリコのような回復系の術が使える奴はやっぱり偉大だな。
ぶっちゃけ、あの二人がいなかったら俺は死んでただろうし……」
「突撃するしか能がない前衛系だもんね、あんた」
「まーな、けどだからこそ回復のありがたみがわかるってもんだ。今回は間に合ったからよかったものの、実戦であの二人がいなかったらと思うとゾッとするね」
大河の何気ない言葉に、リリィは少しばかりの感銘を受けた。
リリィは頑なではあるが、ためになる情報を無視するほど愚かではない。
回復系というと攻撃系の術よりも簡単なイメージがあり、リリィは回復系の術を優先して学ぶほどのものではない、と思っていた。
だが、実際に『戦い』を経験した大河の言葉を聞くと、そんな風に思っていた自分が恥ずかしくなった。
(確かに、いつもベリオやリコが傍にいるとは限らない……今度から回復系の術も修得内容に取り入れるべきかもね……)
今後の修練に新たな目標を加えることを決意するリリィ。
大河の一言は、前の時間よりも早い『チームワーク』をリリィに考えさせるという意外な結果をもたらしていた。
「んで、何の用なんだよ?」
「え? ああ、そうだったわね」
数秒後、思考の海に沈んだリリィに痺れを切らした大河の言葉でリリィは気を取り直した。
「あんたね、妹と喧嘩をするのは結構だけど、それを教室にまで持ち込まないでくれる?」
「は? お前、なんで」
「ベリオに聞いたわ。それに、わかってないのね……あんたのその不景気な顔を見ればそんなの一目瞭然よ」
ふん、とリリィは大河から顔をそらした。
大河はまさかリリィからそんなことを言われるとは思ってもみなかったのか、目を点にしてリリィの顔を見つめていた。
「いい? あんたがそんな不景気な顔してたら皆に迷惑がかかるのよ。そこんとこわかってるの?」
何よりも私の調子が狂うわ。
その言葉は心の中で呟くリリィだった。
「あー」
大河はというと、リリィの言葉に苦笑を浮かべる他なかった。
リリィに気落ちしていたことを見抜かれたこともそうだが、こんな風に説教されるとは想像だにしていなかったのだ。
普通なら、何もわかってない奴が口出しするんじゃねえ! とばかりに文句を言うところなのだが、リリィが相手だとそれを言う気になれない。
それどころか、素直に言うことを聞こうとすら思えてくる。
(……敵わないな)
大河は思う。
思えば、リリィには助けられっぱなしだ、と。
モンスターの毒にやられ、絶体絶命の危機に陥った時。
未亜を失ったと思い、やけっぱちになっていた時。
届かないと諦めかけていた道を開いてくれた時。
いつも自分を助けてくれたのはリリィだった。
そして、今また彼女は自分を助けようとしてくれている。
本人に自覚はないのだろう。
未亜へかける言葉は見つけられないまま……それでも、大河にとってリリィの言葉は元気の源だった。
「悪いな、心配かけちまって」
「ふん、悪いと思う頭があるならさっさと妹と仲直りしてきなさい。そっちの方が建設的だわ」
「そうだな……なあ、リリィ」
「何よ」
「お前、本当に良い女だな」
「なっ!?」
大河の言葉に、リリィはかーっと頬を赤く染める。
完全に不意打ちだったのだろう。
ガードをする間もなく投げかけられたその言葉にリリィはなすすべもなかった。
「……な、何を……あ、当たり前でしょう! 今ごろ気が付くなんて遅いのよ!」
精一杯の強がりで放たれた言葉とは裏腹にリリィの心臓はうるさいくらいに鳴り響いていた。
聞こえるはずはないとわかっていても、その音が大河に聞こえるのではないと不安になるくらいの激しい動悸。
だが、大河はそんな風に慌てるリリィが凄く可愛らしく見えた。
「可愛い奴だな、お前」
「―――――っ!!」
それがトドメだった。
大河の言葉にリリィの顔がこれ以上ないほど赤く染まり、そして爆発する。
「この……アホ! バカ! さっさと妹のところにいってきなさい!」
「はっはっは、りょーかい! リリィ、本当にサンキューなっ」
すたこらさっさと駆け出す大河。
リリィはそんな大河の姿を睨みつけるように見送り、呼吸を整えるように胸に手を当てた。
「……全く、バカなんだから」
呟くように大河の悪口を放つリリィの顔は、言葉とは裏腹に笑顔と呼ばれるものだった。
「―――――っ!?」
未亜は自分の方へと向かってくる大河から思わず身を隠した。
当然、それに気がつかない大河は未亜のすぐ傍を走り去っていく。
「お、にいちゃん……」
未亜はずっと大河とリリィの話を聞いていた。
チラリと見えた大河の表情は笑顔。
それは良いことだ。
良いことのはずなのに。
「どうして……わたしは……」
胸が苦しかった。
わかっている。
わかってはいるのだ、この胸の苦しみの原因は。
大河は決して自分一人のものではない。
そんな当たり前のことが未亜にはわからなかった。
いや、正確にはわかろうとしなかった―――――否、わかりたくなかったのだ。
なのに、それを自覚してしまった。
大河の言葉が。
大河の意思が。
大河の表情が。
未亜がずっと目を背けてきたものを容赦なく直視させてしまったから。
「私は……」
未亜はまるで道に迷った小さな子供のように、震えながら走り出していた。
どうすればいいかわからなかったから。
自分の想いが、願いが、光が。
全てが真っ暗になっていくのを感じたから。
だから、彼女は気が付かなかった。
そんな自分を見つめる暗き瞳の存在があったことを。
「え、未亜はいないのか?」
「はい、授業が終わったらふらふらって一人で……」
「そっか、さんきゅ」
未亜のクラスメートにお礼を言いつつ大河は未亜の捜索を再開する。
だが、未亜の姿はどこにも見当たらなかった。
次第に焦りを感じ始める大河。
その時だった。
『当真大河、聞こえる?』
彼女の『声』が聞こえたのは。
仮のあとがき
大河が落ち込んだままだと話が進まないのでリリィに喝を入れてもらいました。
やっぱこういう役回りはリリィしかいませんからね。
錯綜する想い、すれ違い。
こうやって書くとえらいシリアスに聞こえますが、どんどん事態は複雑に。