唐突だが、リリィ・シアフィールドは非常に機嫌が悪かった。

 購読している小説(恋愛もの)の新刊が売り切れていたから―――――それもある。

 お気に入りの下着がまたブラックパピヨンに盗まれたから―――――それもある。

 何故か最近自分を見るとヒソヒソ話をする人間が増えたから―――――それもある。

 だが、彼女が苛立っている一番の原因は目の前の男のせいだった。



 「おう、リリィ。久しぶりだな」



 右腕を除けば授業に復帰できるレベルに体が回復し、一週間ぶりに教室に現れた大河。

 別にリリィは一週間前胸を揉まれたことを根に持っているわけではない。

 あれ以来、気恥ずかしくて様子見(お見舞い)が出来なかったからむかついているわけでもない。

 ただ、大河の顔を見たら急に腹がたったのだ。

 傲慢不遜を絵に描いたかのような自信たっぷりの態度。

 一週間前まではそうであったはずの彼の覇気が今は見えなくて、無性にそれが苛立たしかったのである。




















Destiny Savior

chapter 39   Sign(T)





















 「ふん、あのままずっとベッドで一生を過ごしていればよかったのにね」

 「いきなりそれか、病み上がりなんだからもう少しいたわりの言葉くらい……」

 「冗談じゃないわ」



 ふん、と何故かえらそうに睨みつけてくるリリィを見て、大河は思う。

 ああ、やっぱこれだよなぁ……と。

 別に大河は罵られるのが趣味のM男ではない。

 ただ、ほっとしたのだ。

 リリィが罵り、ベリオがそれをたしなめ、リコが擁護し、未亜が抗議、カエデとナナシが話を大きくする。

 そんな日常を思い出せるから。

 今はもう二度と過ごすことは出来ないであろう平和な時を確かに感じることができるから。



 「……何、ニヤニヤしてるのよ。気持ち悪いわね」

 「悪いな、お前に見とれていたんだ」



 大河は、一瞬後にリリィが真っ赤になって怒鳴ってくることを予測した。

 だが、そうはならなかった。

 リリィは訝しげな、それでいてどこか心配の感情を含んだような瞳で大河を見ていたのである。



 「あんた―――――」

 「あ、おはようございます大河君。今日からようやく復帰ですね!」



 リリィの言葉は教室に入ってきたベリオに遮られた。

 リリィはタイミングを逸したのか、それ以上何も言うことなく席へと向かう。

 ただ、背を翻す瞬間、大河の顔を意味ありげに見つめたのがベリオには少しだけ気になった。



 「……リリィと何かあったんですか?」

 「いや、何もなかったはずだ。リリィとは、な」



 僅かに苦笑を表情に浮かべる大河に、ベリオは声をかけることが出来なかった。

 ベリオは一週間前、当真兄妹の会話を聞いてしまっている。

 それ故に大河が心配で、けれど何も出来なくて。

 ベリオは自己嫌悪に苛まれた。



 「大河君……」

 「あー、そんな顔するなって。まあ、ぼちぼちやるさ……っと、お、リコじゃねーか」



 大河とベリオの後ろを幽霊のようにすーっと横切る小さな影。

 それは紛れもなく救世主クラスの一人、リコ・リスだった。



 「…………大河、さん」

 「おっす。今日から復帰だ、またよろしく頼むぜ」

 「……はい」



 ペコリ、と頭を軽く下げるとリコはまるで逃げ出すかのようにそそくさと席へ向かう。

 ベリオと大河はそんなリコの態度に違和感を覚えた。



 「リコ、どうしたんでしょうか?」

 「ああ、なんかまるで俺たちのことを避けていたみたいな……」



 というか、避けていたのは自分だろう、と大河は察していた。

 そういえばリコはこの一週間お見舞いに来てくれなかった。

 この時期の彼女ならばさほど不思議なことではないが、ベリオの言によれば一度お見舞いに訪れようとしていたとのこと。

 ただ、その時の彼女は様子がおかしかったらしい。



 (何か、あったのか?)



 聞いた話では自分と未亜を発見したのはリコだったらしい。

 にも関わらず彼女は何も自分に聞きにこようとはしていない。

 それどころか、今の避けるような態度。

 聞けば、あの夜の出来事は全てリコによって違った形で報告されていたと言う。

 気になる大河だったが、今の彼女相手に事情を問うことは無理だと思い直した。

 下手をすれば一週間前のことを話さないといけないことになりかねない。

 それは流石にまずいのである。



 「まあ、虫の居所が悪かったんじゃないのか? リコだってそういう日はあるだろうし」

 「……まあ、そうですね」



 言葉とは裏腹に、大河の言葉を納得することはできなかったらしい。

 ベリオはしぶい顔で席についたリコを見ていた。















 「この術式はこの理論によって……」



 教師の説明が続く授業中。

 ポキ、と音をたてて鉛筆の芯が折れた。

 これで三本目。

 手持ちの鉛筆は四本なのでこれでリーチである。



 (……ああ、いらつくわねっ)



 鉛筆の持ち主―――――リリィは苛立たしさを抑えることが出来なかった。

 授業に集中できない。

 その原因がわかっているからこそ余計に腹立たしい。

 リリィの苛立ちゲージはピークに達しようとしていた。















 「大河、ちょっと顔貸しなさい」



 午前中の授業が終わり、昼休みに入った直後。

 リリィは毎日の日課である図書館の自習に行かず、大河の席の前に立っていた。

 当然、わけがわからない大河はポカンと間の抜けた表情をするばかりである。



 「……いきなり告白か?」

 「あんたバカ?」

 「いや、だってほら……」



 心底呆れたような表情で自分を見るリリィに対し、大河は周囲を見るようにジェスチャーする。

 リリィがそれに従い、周囲を見回すと……



 「おお、シアフィールドさんがついに!?」

 「え、でも二人はもう婚約しているんじゃ?」

 「うん、もう学園長に挨拶も済んでるって聞いたけど」



 何故か興味深そうに自分達を見る人の群ればかりだった。

 しかもその会話の内容はとんでもないものばかり。

 当然、身に覚えのないリリィは目に見えてうろたえた。



 「な、な……?」

 「多分、この前のデパートのことだろーな。それとお見舞いの件だろ」

 「なな、なんで!?」

 「いや、教室に来る前にその辺の奴が話してたんで聞いたんだが……噂になってるぞ、俺とお前」

 「なんですってぇ!?」

 「デパートの件はともかく、お前みたいな有名人が医務室にいけば何かあったって勘ぐるのは当然だろ。

  聞いた話じゃお前、乙女チックに医務室の扉をノックするのをためらって頬を赤らめてたってことになってるが」

 「んなわけないでしょっ!?」



 リリィ、咆哮。

 本人の預かり知らないうちに、何時の間にやら噂話が物凄い勢いで拡大していたのである。

 叫びたくなるのも当然と言えよう。

 なお、余談ではあるがデパートの件をこっそり広めたのは言うまでもなくフジョウ姉妹だったりする。



 「これで公認のカップルだ。よかったな」

 「良くないわよ! なんでアンタなんかと私が……その、カップルなのよ!」

 「いやまあ否定するのは個人の自由だが、あんまり大声出すと目立つぞ?」



 大河の最もな言にリリィがハッとなる。

 だが、時既に遅し。

 クラス中の視線はリリィが独り占めしていた。



 「……い、いいからこっちに来なさい!」

 「うわ、ちょ、待てって……うごぁっ!? 右手を掴むなーっ!?」



 羞恥に真っ赤になったリリィはこれ以上ここにいるは御免だとばかりに大河の手を引っ張り逃げるように退室していく。

 しかし、そんなことをすれば更に目立つことは当たり前なわけで。



 「わあ、積極的!」

 「おのれ、当真大河め、リコ・リスちゃんやベリオさんだけでは飽き足らず……!」

 「駆け落ち、駆け落ちなのね!」



 そんな言葉に見送られながら二人は人の波をぬうように立ち去っていくのだった。

 ちなみに、リコとベリオは別の授業を受けていたためにこの場にはいなかった。

 ある意味不幸中の幸いと言えよう。















 なお、真っ赤な顔をしたリリィに、痛みのあまり悲鳴をあげながら引っ張られていく大河の図は廊下でも目立ちまくっていたことは言うまでもない。
















仮のあとがき

サブタイの日本語訳は「前兆」
いよいよクレア&カエデ登場の前日ですが、そうは問屋が卸しません。
苛立つリリィ、様子のおかしいリコ、目立てないベリオ(笑)
本人の知らぬところでどんどん外堀が埋まっていくリリィの明日はどっちだ。