「……レ・ウィル・リ・ラーシュ……はい、これで大丈夫ですよ」
「あ、ありがとうベリオさん。でもなんかまだ鼻が痛いんだけど」
「意外に重傷でしたからね、一気に完治とはいきませんよ。それにしても……リリィ、何があったのかしら?」
首を可愛らしく傾げ、ベリオは遠ざかっていくリリィの後姿を見た。
モーゼの十戒のごとくリリィは人波を退けて歩いて行く。
触らぬ神に祟りなしとはわかってはいても、好奇心は抑えられないのが人間。
自然、セルとベリオの注意は閉ざされた医務室の中へと移っていった。
「……開けますか?」
「いや、ここは様子見がベターだと思う」
続けざまに扉を開けて出てきた褐色の少女から話を聞ければよかったのだが、あいにく彼女は声をかける間もなく逃げて行ってしまったのだ。
この中で何が起こったのかはわからないが、迂闊に虎穴をつつくことはない。
まあ、扉を開けたら大河が血塗れになって転がっている可能性もないわけではないが、とセルは心の中で呟いた。
セルビウム・ボルト、何気に慎重な男だった。
Destiny Savior
chapter 38 Sister(W)
「とにかく、中の様子を調べるのが先決だ」
「ですね。でもどうやって?」
「やっぱこれでしょう」
言うが早いか、セルは素早く音をたてずに扉に耳を寄せる。
その手際は熟練した者が為しえるものであり、盗賊の娘であるベリオをも感嘆させるものであった。
「手馴れてますね」
「ふっ……任せてくれ。伊達にいつも……あ、いや、違いますよ? ボクは無実ですよ? だからその手に持ったメイスを下げていただけると嬉しいですハイ」
「……まあ良いでしょう。今回だけは不問にして差し上げます」
「ありがとうございます! ……っと、なんか聞こえてきたぞ」
神経を耳に集中させるセル。
ベリオもセルに倣って耳を扉に寄せ、中の様子を窺う。
「大事な話が、あるの」
(―――――み、未亜さん!?)
(しっ、五月蝿いですよセルビウム君!)
未亜の爆弾発言(?)に思わず扉を開けようとするセル。
しかし、ベリオはその細腕に似合わぬ力でセルを押さえつけると真剣な表情で耳をそばだたせた。
何時の間にやらベリオの方がノリノリになってしまった模様。
「お兄ちゃん。もう止めよう?」
「未亜?」
「救世主なんて、ならなくたっていいじゃない。もう少しすれば元の世界に帰る方法だってわかるんだよ?」
「……未亜」
「ねえ、もう止めよう? お兄ちゃんが戦う必要なんてないじゃない。こんな風に……大怪我することなんてないじゃない!」
未亜は知らず知らずのうちに泣いていた。
承諾なしに連れてこられた見知らぬ異世界。
最初はよかった。
誰一人として自分達のことを知っている人がいない世界は、大河を独り占めできると思ったから。
大河が、自分のことをあの世界よりも大事に扱ってくれるから。
だけど、大河はどんどん交友範囲を広げ、自分の居場所を作っていった。
もちろん、大河は自分を蔑ろにしたりはしない。
けれど―――――
同じ救世主候補の女の人達とどんどん仲良くなっていく大河。
親しい者にしか見せない笑顔を彼女達に見せる大河。
異形の怪物を戦う大河。
大怪我をする大河。
それらを見るうちに未亜は怖くなった。
いつか、大河は自分の元から去っていくのではないかと。
それが死によるものなのか、それとも救世主として手の届かない所へ行ってしまうのか、それはわからない。
ただ、未亜はひたすらに怖かった、嫌だった。
大河が、自分の目の前からいなくなってしまうのかもしれないということが。
「……未亜」
大河はそんな未亜の心情が痛いほどに理解できた。
だが、それ故に彼女にかける言葉を持っていなかった。
未亜の言っていることは正論だ。
大河が見知らぬ世界のために命をかける必要はない。
未亜の世界を壊すようなことをする必要はない。
それは、わかっている。
(けどな、未亜)
それでも、大河はここで止まるわけにはいかないのだ。
未亜が泣いても、悲しんでも、自分を嫌うことになったとしても。
誓った想いがある。
奪った命がある。
闇に染めるわけにはいかない未来がある。
背負った願いがある。
だから―――――
「未亜……それは、それだけは、聞けない」
「……え?」
「俺は、決めたんだ。この世界で剣を振るうことを。例え、怪我をすることになっても、つらい思いをすることになっても」
「でも、死ぬかもしれないんだよ!? 今回だって一歩間違えればお兄ちゃんは死んでたかもしれないんだよ!?」
「それでも、だ」
「なんで!? 未亜は嫌だよ! お兄ちゃんに死んで欲しくない、傷ついて欲しくない。ずっとずっと未亜の傍にいて欲しい!」
それは、未亜にとって唯一の願いだった。
他に何もいらない、大河だけがいればそれでいい。
当真未亜の世界は、当真大河だけが全てだったのだから。
だが、それでも大河の心が揺るぐことはなかった。
「ごめんな、未亜」
「嫌だよ! ねえ、お兄ちゃんが望むなら未亜のことをあげる。一生お兄ちゃんの傍にいる。だから、だから……お願いだよぉ……お願いだから……」
「……すまん」
未亜の顔はもはや涙でぐしゃぐしゃだった。
しかし、大河はその涙を拭うことはできなかった。
手を伸ばすことが出来なかったのだ。
痛みではない。
ただ、手が動いてくれなかった。
「どうして!? ねえ、どうして!?」
大河はずっと自分の言うことを聞いてくれた。
どんな我侭でも、最後には「仕方ないな」と笑って聞いてくれた。
なのに、一番大切な願いだけは聞いてくれない。
未亜にはわからなかった。
こんなに大河のことを心配しているのに。
こんなに想っているのに。
こんなに―――――愛しているのに。
「ごめんな、未亜」
「―――――っ! お兄ちゃんの馬鹿ぁ!!」
大河の拒絶の言葉に、未亜の心は限界を迎えた。
わき目もふらず、心の赴くがままに駆け出して行く未亜。
大河は、そんな未亜の後姿に、手を伸ばすことすらできなかった。
「俺は…………お前を幸せにすることはできないから」
開け放たれた扉に向かって、大河の寂しそうな声が放たれた。
「おい、大河――――!」
未亜が飛び出してすぐにセルとベリオの二人は医務室に入ってきた。
ベリオは二人の会話を聞いてしまったが故に、罰の悪そうな表情を。
セルは未亜が泣いていたが故に、怒りの表情をその顔へとはりつけていた。
「セル、か……」
だが、セルの振り上げられた拳は、大河へ振り下ろされることはなかった。
セルは見てしまったのだ。
大河の深い悲しみをたたえた表情を。
「お前……」
「セル、悪いが……未亜を追ってくれないか? あの様子じゃあ心配だしな」
「……ああ」
セルは何も言わずに大河へ背を向けた。
彼にもわかっていたのだ。
大河は悪くない。
もちろん、未亜も悪くない。
そう、誰も悪くないのだ。
だからこそセルは何も言わずに大河に背を向けた。
未亜への心配、大河への怒りと共感、何もできない自分への悔しさ。
それらがごちゃ混ぜになって、大河の顔を見ることが出来なかったから。
「何も、聞かん。お前にだって事情はあるだろうからな。だけど、未亜さんを泣かせるな」
「ああ……努力する」
大河のまるで老人のような疲れた声を背に、セルは未亜を追うべく医務室を出ていった。
「大河君……」
「ままならないもんだよな……」
ベリオのいたわるような声に、大河は天井へ視線を向けることしか出来なかった。
そうしないと、涙が溢れそうだったからだ。
そして一週間の時が流れ、最後の救世主候補が召喚される前日が訪れた。
仮のあとがき
色んなものを投げっぱなしで時間を飛ばします。
大河、レイとの会話はどーした? な感じです、まあ未亜も切羽詰ってますから仕方ないといえばそうなんですけどね。
未亜は前回と違い、救世主クラスにいないため、疎外感や大河への危機感がつのりやすくなっていたのですね。
そしてそれが今回大河が大怪我することによって爆発したわけです。