白の書の精霊であるイムニティは今まで数々の死を、別れを、悲劇を経験してきた。

 人間に情が移ったことがある。

 死んでいくマスターから顔を背けたこともある。

 だが、それだけだ。

 こっちが駄目だったからあっちの次へ。

 揺らめく波はすぐに静寂の水面に戻るのだ。

 冷静に、合理的に、その時々に最良と思われる判断を下し、そしてそれを実行することが自分の生そのものだったのだから。



















Destiny Savior

chapter 33   Choices





















 しかし今、イムニティの心の水面はかつてないほどに乱れていた。

 それは目の前で正に死を迎えようとしている一人の男の姿が原因だった。

 確かにあの資質が失われるのは惜しい。

 だが、惜しいだけだ。

 仮にあの男、当真大河が死んだとしても次の救世主候補を探せばいいだけの話。

 例えば、向こうで気絶している黒髪の少女。

 彼女にも大河ほどではないとはいえ、自分の主になるに相応しい資質が秘められている。

 キマイラは大河しか目に映していない。

 大河を逃がすことはもはや無理だが、彼女だけならば逃がすことができる。

 そうすれば確率こそ落ちるものの、自分の望みは叶えられる可能性が残る。

 確実な死を見捨てて、可能性のある生を取る。

 ただそれだけのことなのだ。

 今までと同じように、ただ合理的に動けばいいだけなのだ。



 (……なのに……っ!)



 どうして自分は大河の方へ向かっているのだろうか。

 間に合わないことはわかっている。

 仮に間に合ったとしても、彼を助ける方法がないこともわかっている。

 自分の行動にはメリットも意味もまるでない。

 それでも、イムニティの体は大河へと向かう。



 「―――――!!」



 キマイラが爪を振り上げた瞬間。

 イムニティは自分でもわからないうちに声にならない声をあげていた。

 鼓動がうるさいくらいに頭に響いた。

 当真大河が死ぬ。

 イムニティはただ、そのことを理解して、理解したくはなかった。















 「―――――エルストラス・メリン・我は賢者の石の秘蹟なり」















 だが、イムニティが目を瞑ろうとしたその瞬間。

 力ある言葉がどこからか紡がれた。



 「我は万物の根源たる四元素に命ずる」



 それは爆撃の呪文の詠唱。

 静かに、だがそれでいて凛としたその声音に揺らめきはなく。



 「爆ぜよ」



 次の瞬間、キマイラは轟音と共に後方へ吹き飛ばされる!



 「な……!?」

 「あら、思ったよりしぶといのね……まだ動いている、か」



 イムニティの困惑の声を他所に、声の主は壊れた壁のガレキの中から立ち上がる。

 そして、声の主―――――褐色の少女は炎に身を焦がれながらもなお再生を続けるキマイラをキッと見つめた。



 「本当、でたらめね。ほぼ完全に再生が終わってる。だけど―――――」



 光の粒子が褐色の少女の手に集まっていく。

 そして同時に少女とキマイラがお互いに向かって駆ける。



 「ガァァァァァァッ!!」

 「エルダー」



 交差する影。

 しかし、少女の舞踊は己の身体にキマイラの爪牙を掠らせもせず



 「―――――アーク!!」



 ただ、その手に現れた古の長剣を舞わせるのみ!















 「……これは!?」



 襲い掛かってきた最後のワーウルフを雷の魔法で砕き、階段を降りようとしたリコは「その力」を感じた。

 と同時にその視線は床の下へと向く。



 「どうして貴女の力が……」



 困惑するリコ。

 彼女はこの力の主を良く知っていた。

 それはそうだ。

 『彼女』は千年前の自分のマスターだったのだから。



 「……とにかく、急がない……!?」



 だが、リコの急ごうとする足が止まった。

 何故ならば、眼前で床の一部が輝きだしたからだ。

 円を描き、複雑な紋様をその中に刻む魔法陣。

 その光の紋様が示すものは



 「逆召喚……!」



 光の奔流が召喚陣から溢れ出す。

 数秒後、光が収まった後に二人の人間がそこから現れた。



 「大河さん……!」



 リコはその内の一人、当真大河の姿を確認すると血相を変えて駆け寄った。

 彼は一目でわかるくらいに重傷を負っていたからである。



 「ルマッド シェラ マツァヴ……」



 解析の呪文を唱えながらリコは顔を青褪めさせた。

 幸いにももう一人の黒髪の少女、未亜は意識を失っているだけで他に異常は認められない。

 だが、大河は見た目以上に重傷だった。

 今すぐどうこうなるわけではないが、このまま放っていたら間違いなく死ぬ。



 (……駄目、私の力だけじゃ……)



 リコの額に汗が浮かぶ。

 元々彼女は回復が専門というわけではない。

 無理をすれば回復させられないこともないのだが、それをしてしまうと自身の存在維持が危うくなってしまう。

 ここで彼女は二択を迫られる。

 大河と未亜だけを送って誰かに発見してもらうことに賭け、自分は封印の間に向かうか。

 それとも、自分ごと逆召喚で道を引き返してベリオあたりに助けを求めるか。



 赤の書の精としては前者を選びたい。

 明らかに異常の起きている封印の間の状況を確かめるのは、今後を考えれば重要な事柄である。

 大河と未亜から何か聞けるかもしれないが、事態は今も進行しているのだ。

 時間がたってからでは手遅れになる可能性がある。

 自分の力で今後の問題を少しでも減らすことができる可能性があるなら、そちらを優先するべきだ。



 しかし、その場合大河は死ぬ可能性が高くなる。

 他の場所なら良かったのだが、あいにくここは封印の力が働いている地下迷宮。

 逆召喚でも地上の扉の入り口に送るのが精一杯なのだ。

 大河の確実な生か、不確定な未来の災難の回避か。

 奇しくもその選択は、先程イムニティに投げかけられたものに酷似していた。



 (私は……!)



 そしてリコ・リスは決断した。















 「ふっ……!」



 褐色の少女が息を吐くと同時にキマイラが細切れになって四散する。

 だが、キマイラはそれでもなお再生を続けようともぞもぞと蠢く。



 「燃えよ」



 しかし、少女の呟きと共に肉片は炎に包まれ、キマイラはついにその活動を停止した。

 数秒後、パチパチパチと拍手の音が封印の間に響き渡った。



 「……流石ね」

 「そうでもないわ。奴の身体は再生しきれていなかったし、完全体が相手だったらてこずっていたわ」



 そう、キマイラは再生しきれていなかった。

 ライオンを模した頭と、蛇の尾。

 いずれも大河の剣で斬り裂かれた部分が再生していなかった、否、『再生できていなかった』のだ。



 (拳や爆発での損傷は再生していたのに……どういうことなの?)



 少女は先程の大河の戦いを思いだそうとして、やめた。

 拍手を自分に送ってきた少女―――――イムニティが敵対心剥き出しの表情でこちらを睨んでいたからである。



 「姿が変わっていたから気が付かなかったわ」

 「あら、それは貴女も同じじゃないのかしら、イムニティ?」

 「ふん、少なくとも私は名乗ったわ」



 イムニティの視線が少女の持つ長剣に向けられる。



 「古の長剣、エルダーアーク。ただのゾンビかと思ったら、ホムンクルスだったとはね。全く、相変わらず油断も隙もない女」

 「用意周到って言ってくれないかしら?」

 「用意周到か、確かにね。このことを知ったら我が元マスターはさぞ怒り狂うのでしょうね」



 嘲るように呟かれたイムニティのその言葉に少女は僅かに沈んだ表情を見せる。

 だが、イムニティはそんな少女の様子に頓着することなく、鋭い瞳で彼女を睨みつけた。















 「千年ぶりと言えばいいのかしらね―――――ルビナス・フローリアス」
















仮のあとがき

ルビナスさん登場!
珍しく主人公に台詞が一つもありませんでしたが、話は動きます。
ルビナスさんが激強に表現されていますが、キマイラも弱っていたと言うことで一つ(何
次回、新章突入。ようやくクレア&カエデ登場……ではありません(ぇ