導きの書の守護者。
それは森羅万象の全てが記されているとされる導きの書をあらゆる者の手から守るために配置された最強の番人。
身の丈、体格は大河と戦ったゴーレムのそれを凌ぎ、三つの凶悪な頭を持つ。
また、一本の尾は大蛇の姿をしており、背中の翼も含めれば実質五体の生物を合成させたモンスター、いわばキマイラといえる。
だが、その戦闘力は通常のキマイラのそれを遥かに凌ぎ、特に強靭な四肢の先端にのびている鋭利な爪の破壊力は尋常ではない。
そして今、幾人もの救世主候補達の血を吸い込んできたその爪牙がイムニティの小柄な身体を引き裂かんと振り下ろされた。
Destiny Savior
chapter 31 Oath(T)
ガッギィィィンッッッ!!
硬いものがぶつかりあう時に発生する鈍い音がイムニティの耳朶を貫く。
キマイラの爪牙は彼女の頭上で制止していた。
そう、大河の召喚したトレイターの斧形態によって。
「ぐ……だ、大丈夫……か……?」
「え、ええ……」
苦しそうな大河の声に我に返るイムニティ。
間一髪食い止められた爪の一撃ではあったが、明らかに膂力の劣る大河の方が押されていた。
(迂闊……!)
自身の無様なミスに心中で舌打ちをするイムニティ。
話の間邪魔をされないために守護者と自分達との間の空間を切り離していたのだが、大河の言葉に集中を切らしたため術に綻びが生じたのだ。
綻びを生じさせたのは勿論だが、背後を取らせるまで気がつけなかったのは大きな失策である。
しかもよりによってマスター候補に危険を冒させてまで庇われてしまったのだ。
いくら守護者の攻撃が『自分には意味をなさない』とわかっていてもこの失態は屈辱だった。
「何故……何故私を庇ったの!?」
「知るかんなもんっ! 体が勝手に動いたんだから仕方ないだろうがっ!」
「それで貴方が傷ついたり死んだりしたら意味がないじゃない……!」
「どやかましいっ! 可愛い女の子を助けないのは俺の主義に反するっ! っていうかぐだぐだ言ってねーで早くそっから動け!
いくらなんでももう支えきれんぞ!」
徐々に大河の両腕が震えながら下がっていく。
このままいけば二人とも爪の餌食だろう。
「私は大丈夫なのよ。だって、このボディは幻影体(イリュージョン・ボディ)だもの」
「……は?」
「この姿は虚像、だから物理的な攻撃は意味をなさないわ。だから―――――」
「そ、それを先に言えぇぇぇぇっ!?」
大河の悲鳴を切欠に均衡が崩れ、爪が振り下ろされた。
大河は間一髪でそれをかわし、バックステップで距離をとる。
と同時にイムニティがかすり傷どころか埃一つない姿で大河の横に並び立った。
「ね?」
「ね、じゃねえっての。こっちはマジで一瞬心臓が止まりかけたってのに」
やや血の気の引いた表情で、それでも油断なく対峙するキマイラに斧を向ける大河。
キマイラは獲物をどこから食べるのか考えているのだろう、涎を垂らしながら凶悪な視線を大河に投げかけていた。
「骨折り損のくたびれもうけね」
「全くだ。けどまあ、怪我する心配がないっていうんなら別に構わないさ。庇えなかったせいでお前が傷つくよりはずっとマシだ」
「おかしな人間ね……私には死という概念はないのよ?」
「それでも、だ。それに死なないっていってもあれはほとんど死んだも同然じゃないか」
「……何を言っているの?」
イムニティは大河の言葉に違和感を感じた。
今の言い方ではまるで自分が世界に還元された場面を見たことがあるかのようだ。
だが、そんなことはあるはずがない。
「それより、アレを倒すのを手伝ってくれないか? 正直きつそうなんだが」
「残念だけど、今の私じゃあそれほどの力は出せないの。できて精々念話や召喚ってところ」
「ってことは一人でアレを倒せと?」
「……できないの? それでよく神を倒すなんていえたものね?」
くすり、と見下し半分興味半分で微笑むイムニティ。
大河としてはそこまで言われては後に引けるはずもなく。
「OK、やってやるぜ! お前はそこで俺の華麗な勇姿を見てな!」
「くすくす……お手並み拝見させてもらうわ」
「お、やっと笑ったな。うん、やっぱお前は笑った方がいいと思うぞ、可愛いから」
「……なっ!?」
「っと、お喋りはこれまでのようだなっ!!」
イムニティが頬に朱を散らすのが合図になった。
地を蹴ったキマイラが大河に肉薄し、今度こそその身体を引き裂かんと腕を振り上げる。
「おせぇっ!」
が、大河の方が僅かに早い。
手甲として纏われたトレイターは主人の意思に従ってキマイラの頭の一つにめり込む。
「おっ……らぁぁぁ!」
続けざまに放たれた拳の連撃がバランスを崩したキマイラの体の各部に叩き込まれていく。
ついにはキマイラの体は反り返り、その瞬間を逃さず叩き込まれた大河の右ストレートがその巨体を後方へとなぎ倒す!
ドォォォン!
「……言うだけのことはある、か」
イムニティは天井近くに浮きあがり、闘いを観戦していた。
キマイラが腕を振り上げた一瞬の隙を見逃さない判断力。
その機を逃さず、そして相手の攻撃にひるまず懐に飛び込むことができる勇気と決断力。
そして何よりもあのキマイラの巨体を押し込む攻撃力。
歴代の救世主達と比べてもその戦闘力はトップクラスにあると言っていいだろう。
現時点ですら封印が解けた状態の自分とも十分渡り合えるレベルだ。
「それだけの力があるのに……」
わからない。
彼の言っていることは全てナンセンスだ。
だからこそ、惜しいし悔しい。
だが、少しだけ、ほんの少しだけ。
この業より解き放たれた自分を想像してしまい―――――そんな自分に嫌悪と、僅かながらの希望を抱いてしまった。
それに
『可愛いから』
そんな言葉に心を動かされたことがイムニティの心に波紋を呼び起こしていた。
「うおおおおおおおおお!?」
じゅぅぅぅ、と焦げた臭いが大河の鼻腔をくすぐる。
近接戦闘は不利だと察したのか、キマイラは遠距離からのブレスに攻撃を切り替えたのである。
当然、大河はそれをかわし続けるしかない。
今の大河の戦闘力ならばブレスをかわしつつ懐に飛び込むことは可能なのだが……
「むにゃ〜、ナナシ。もう食べられないですのぉ〜」
「あっ、駄目だよお兄ちゃん……そ、そんな」
両腕に抱えられた二人の少女がそれを邪魔していた。
戦闘領域に無防備に寝転がっていたので大河としてはそのまま放置するわけにもいかなかったのだ。
ちなみに二人とも未だに寝ている。
「どわっちぃ!? っていうか起きろよお前ら!」
「ん〜、あれ? なんでナナシはダーリンに抱えられて……いやん、早速婚前交渉ですの〜?」
「ん、ん……そ、そんなところ触ったら……ってあれ、お兄ちゃん? 何焦げてるの?」
「お、ま、え、ら、な……」
ようやく起きたものの、いきなり場をわきまえない発言をかます義妹とゾンビに大河の血管が何本か切れかける。
が、なんとかそれを押さえ込んだ大河は無言でキマイラの方に視線を向ける。
当然、それにつられて大河の視線を追う二人。
数秒後、甲高い悲鳴が響き渡った。
「お、お、お、お兄ちゃん!? な、何あれ!?」
「きゃ〜怖いですの〜! 涎垂らしてますの〜! 食べられちゃうですの〜!」
「黙れ落ち着けそして暴れるなぁ〜〜〜〜! ってどわぁぁぁぁっ!?」
二人が喚いている間にもキマイラの攻撃は途切れない。
バーストフットで移動力が上がっている大河だが、未亜とナナシを抱えている状態ではギリギリでブレスを避けるのが精一杯だった。
「おい二人とも! なんとかブレスの途切れた瞬間に降ろすからここから離れろ!」
「で、でもお兄ちゃんは!?」
「俺はあのデカブツを倒す!」
「そんな、無茶だよ!」
「わ〜、ダーリン、かっこいいですの!」
未亜とナナシの正反対の声を受けながらも大河は回避を続けていた。
だが、いくらなんでもこのままでは体力の限界がくる。
表面上とは裏腹に、大河は焦っていた。
「降ろすぞ! 少し乱暴になるのは許せ!」
降ろすというよりは放り投げるような感じで二人を地に置く大河。
ナナシは着地を誤ったのか頭から落ち、「ゴン!」と景気のいい音を出しながらも涙目で立ち上がった。
大河はそれを横目で見ながらそのままキマイラに向かって走り出そうと前を向く。
だが、その瞬間、大河の袖が引っ張られ、大河は慌てて振り向いた。
袖を掴んでいたのは、未亜の手だった。
「お、おい、未亜!?」
「駄目だよ! お兄ちゃんも逃げて!」
「馬鹿、そんな場合じゃ……っ!?」
ゾクリ。
瞬間、大河は未亜を抱きかかえると本能が命じるがままにその場を飛びのこうと動作を開始する。
だが、僅かにそれは遅く
「がっ!?」
「きゃあっ!?」
キマイラの腕が容赦なく大河の身体を跳ね飛ばし、未亜と大河を引き離す。
芯はずらしたので致命傷は受けなかったが、衝撃が大河の身体を駆け巡る。
「ぐ……」
「お、お兄ちゃ……あ、きゃあああっ!?」
「未亜っ!?」
未亜の悲鳴になんとか身体を起こした大河が見たものは
キマイラの尾に捕らえられた未亜の姿だった。
仮のあとがき
大河 VS 守護者!
真っ向勝負なら僅かに大河の方が有利なのですが、足手まといがいる分こうなりました。
未亜は前回と違い全く戦いというものに触れていませんからあーいう反応が自然かと。
次回、守護者戦決着!(多分)