駆ける足はその光に届かなかった。
彼の名を音にした声も届かなかった。
「……そん、な……」
残照となった召喚陣を呆然と見つめながらリコは蒼白となった顔を俯かせた。
目の前で三人の人間が消えた。
赤の精霊であるリコには何が起こったのか当然のように理解できる。
だが、理解できるからこそ理解できないのだ。
何故『彼女』の力があの召喚陣から感じられたのか。
何故大河があの扉の前に立っていたのか。
何故自分はあの二人のように間に合わなかったのか。
「どうして……貴女が……イムニティ……」
その呟きは闇夜の図書館に響くだけだった。
Destiny Savior
chapter 30 Existence
「あーくそ、鼻が曲がっちまったじゃねえか」
「自業自得ね」
大河の恨みがましそうな言葉を一刀に断じた赤い瞳の少女は深い溜息を一つつきながら大河を軽く睨んだ。
少女の頬は注意してみればなんとかわかるレベルでほんの少しだけ桜色に染まっている。
痛がっている大河は当然それに気がつくことは出来なかったのだが。
「さて……」
少女は鼻をさすっている大河に一礼し、居住まいを正した。
「私の名は、イムニティ。世界の因果律を守りし白の精霊。我がマスターに相応しき資格を持つ貴方の名は?」
「俺は大河、当真大河だ……って今なんと?」
「あら、貴方は知っているのではなくて? 今の私の言葉の意味が何を示しているのか」
クスリ。
冷ややかさ、そして若干の興味と疑念を含ませた視線が大河を射抜く。
(へ……? 俺がイムニティのマスター? 未亜じゃなくて?)
一方、大河は混乱していた。
イムニティに名を聞かれたのは自分。
先ほどは確かに自分を呼ぶ声が聞こえたのだが、まさかそういう意味だとは思ってもみなかったのだ。
思わず、未亜のいる後方に視線を走らせる。
だが、未亜は何時の間にか上に覆い被さっているナナシと共に目を閉じて床に横たわっていた。
「未亜!? ナナ子!?」
「眠らせただけよ。話を折られると困るし、貴方も私との会話を聞かれたくないんじゃなくって?」
「……どういうことだ?」
目の前にいる少女に大河はやや厳しい視線を向けた。
本意ではないのだが、現時点のイムニティは敵―――――とまではいかなくても味方とは考えることは出来ない。
自分をマスターの資格者と言ってはいるものの、何かの罠である可能性も捨てきれないのだ。
「貴方は、知っているのでしょう? 私の存在が何であるか?」
「……何故、そう思う?」
「だって、貴方は驚いていないもの。突如起こった転移に、そして私の存在に」
「こんなファンタジーの世界で今更転移だの美少女の出現だのにいちいち驚いてられるか」
「ふふ、お褒めの言葉ありがとう。けどね、常人ならば気圧されて当然のはずのこの封印の間で平然としていられるのはおかしいと思わない?」
「いや、未亜もナナ子も十分平然としていたような気がするが……」
「そうね、けど貴方の態度はこの場所を『知っていた』。それがわからないとでも思う?」
「いやに自信たっぷりだな」
「当然よ。私は千年という時をこの時のために待っていたといっても過言ではないのだから」
皮肉毛に表情を歪めて自嘲の笑みをもらすイムニティ。
千年もの間、たった一人でこの迷宮の最深部に封印されていた彼女。
その苦痛は、羨望はいかほどのものだったのだろうか。
大河は彼女の言葉からそんなことをふと考えた。
「それに仮に貴方が何も知らなかったとしても問題はないわ。一から説明すればいいだけだもの」
「……それは勘弁してくれ。小難しい話は好きじゃないんだ」
「ふふ、やっぱりね」
「ぐあ、しまった」
誘導尋問とも呼べないようなレベルの話術に引っかかってしまう大河。
だが、不思議とショックは少なかった。
それは目の前の少女から初めて出会った時のような禍々しさを感じなかったから。
まるで、あの最後の時の雰囲気を何故か彼女から感じたから。
「で、私の用件はわかるわよね?」
「契約しろっていうんだろ、お前と」
「ええ、私と契約すれば貴方は力を手にいれることができる。いえ、それどころか世界を手に入れることすら、変革することすら可能。
貴方には、それだけの資質と力―――――意志の力がある」
イムニティは目の前に立っている男を見つめ、久方ながらの興奮をおぼえていた。
男の資質は歴代のどの救世主よりも高いのだとはっきりと知覚できる。
この男―――――否、当真大河ならば、己の悲願を達することができるかもしれないのだ。
赤の精霊は当然邪魔をしてくるだろうが、大河の力を持ってすれば彼の者を世界に還元することなどたやすいものだ。
否、契約さえしてしまえば自分一人で十分事足りるだろう。
どうやら現在は地上の扉の前で逆召喚を行おうとしているようだが、ここに辿り着くには時間がかかる。
イムニティは勝利を確信した。
しかし、大河の返答は拒否だった。
「なっ……!?」
「悪いな、俺にその意思はないんだ」
「何故!? 私と契約さえすれば貴方の望みは全て叶えることができるのよ?
地位も、名誉も、財産も、女も全て思うがままに。なのにその機会を蹴るというの?」
信じられなかった。
人がこの誘惑を退けることができるなど。
「悪いけどな……今の俺の望みはたった二つしかねえんだよ」
「ならその望みを」
「お前と契約すれば、神は殺せるか?」
「―――――っな!?」
今、この男はなんと言った?
神を、殺すだと?
馬鹿な、そんなことは
「……不可能よ」
「だろ? だから契約はなしだ」
「何故……何故そんなことを望むの!?」
「ふん、そんなこと神のクソ野郎がむかつくからに決まってるだろーが」
「な……」
「救世主だ? 導きの書だ? 世界を変革する力だ? んなもん知ったことか。
あのクソ野郎は俺の手で極刑に処すと当真大河英雄伝に決定事項として刻み込まれてるんだよ」
そう言ってふんぞり返る大河をイムニティは呆然として見上げていた。
言葉が出てこない。
何故ならば大河の望みはある意味で自分を否定するものだったのだから。
「あ、なたは……」
「大体だな、因果律だのロジックだのんな小難しいことをお前のような美少女が後生大事に守らないといけないってのがおかしいだろーが」
「貴方はっ……私の存在を否定するというの!?」
大河の言葉はイムニティにとって聞き流すことはできないものだった。
何故なら、自分はそのために生み出された存在であり、それが否定されるということは自身の存在を否定することになるのだから。
「いーや、んなことはないさ。お前は普通に可愛い女の子じゃないか。少なくとも俺にとってはそれだけで価値があるね」
「……え?」
「まあ、神の野郎は百回ぶっ殺しても飽き足りないが、お前やリコのような可愛い女の子を生み出したことだけは評価してもいいな」
「馬鹿なことを……私は書の」
「精霊だろうが人間だろうが妖精だろうが可愛い女の子なら全く問題はない!」
当然のことではあるが、大河は正真正銘100%本気で言っている。
だが、イムニティはそれがわかるからこそ困惑した。
彼女はその存在故に、常に論理的思考を旨としている。
故に大河の言は彼女にとっては単なる戯言に過ぎない。
そう、過ぎないはずなのだ。
(なのに……何故、私は)
そんな大河の言葉を否定することが出来ないのか。
一笑にふすことができないのか。
失望することが出来ないのか。
胸のあたりが、暖かいのか。
「……っ。私は、白の書の精霊! 貴方の戯言に―――――!」
「お前は、好きでそれをやってるのか?」
「っ!」
「リコもだけどな、なんでお前らはそんなに役目だとかに拘るんだよ。別に妥協したっていーじゃねえか。
それで二人ともが世界に残るなら万々歳じゃないか、主に俺が」
「それが私の存在意義なのだから否定できるわけないじゃない……!」
「だからー、否定じゃなくて妥協しろって言ってるんだよ。気に入らなきゃリコとケンカするなり討論するなりすればいーだろが。
んで妥協点を見つけていきゃいいだろう。それに、存在意義もなにもそれ決めたのは神のクソ野郎であってお前じゃないだろ、違うか?」
「……それ、は」
「全く、主体性のない奴はこれだから困る。けどまあ安心しろ、俺が神をぶっ殺せば全部チャラだ。
そうすればお前が破滅なんていう陰気臭い連中の仲間になる必要性もないし、存在意義とかに悩むこともなくなるだろ?」
「できると、思っているの……神を倒すなんてことが」
「できるじゃなくてやる、それだけだ」
「……そう」
思考がぐるぐると回る。
考えがまとまらなくて、ぐちゃぐちゃで、こんなことは初めてだ。
けれど―――――悪い気分ではない。
「なら、貴方は」
「避けろ!」
瞬間、イムニティの言葉を遮って大河の焦った声が封印の間に響く。
と同時にイムニティの頭上に大きな影が被さった。
彼女が頭上を見上げたその時、目前には巨大な爪が迫っていた。
仮のあとがき
記念すべき30話目はとんでもないところで切ってみる(w
最後の影の正体は原作プレイヤーの方ならおわかりかと思います。
しかしイムニティは口調が難しいですね、原作では公式的な場面(?)で男言葉みたいなのもたまに使ってましたし……
最初は第一声が「―――――問おう、貴方が私のマスターか」って言わせようかと思ってました(笑
ちなみにサブタイは日本語訳で「存在」です。