躊躇という名の瞬間。
それは時間にして僅か一秒にも満たない空白だった。
だが、確かに大河はその空白を作ってしまった。
それは不安に怯える未亜の表情を見てしまったから?
それとも迷いを断ち切れていなかったから?
体が気持ちを裏切ったから?
理由は大河本人にもわからなかった。
しかし、『神』にはその躊躇だけで十分だった。
Destiny Savior
chapter 2 Lightning
ドガッ!
「がっ!」
ジャスティの弓身で頭を打ち据えられ、大河は地を這わされる。
それを見て未亜は―――『神』は嘲笑った。
『愚か。なんと愚か。当真大河よ、もはや救いようがないな』
「ぐっ……う……」
『我だとわかっていたのだろう? 当真未亜ではないとわかっていたのだろう?
全く、これだから人間という生物は度し難い。この程度で千載一遇の勝機を捨てるとはな』
「―――な」
『なんだ、遺言か? 我は慈悲深い。それくらいなら聞いてやるぞ』
「……り……だな」
『ん?』
「おしゃべり……なんだな。神様のくせに」
『……なんだと』
「ふん、ダウニーの陰険野郎に憑いてやがったからか? お前、嫌味な口調がそっくりだぜ?」
『貴様……』
「それともそれが地か? やれやれ、陰険根性丸出しだな……知ってるか?
そういう風に笑って余裕かましてベラベラ喋る奴ってのは、必ず最後には主人公にやられるんだぜ?」
親指を立てて下に振り下ろし、『神』を睨みつける大河。
『神』は瞬間憤怒の感情を顔に浮かべ―――そして無表情に戻った。
『肉片一つ残さず消し去ってくれる』
「ひねりのない台詞だ。流石は神様」
自分への死の宣告を一笑にふして眼前の『神』を、未亜を見つめる大河。
ジャスティにつがえられた矢は膨大な力に溢れ、宣言通りに大河を消滅させんと光り輝いていた。
万事、休す。
(わりい、皆―――俺、死んだわ)
「―――いえ、マスターは死なせません」
ブゥンッ―――
『なっ……にッ!?』
「っ!」
神の座に響く透き通った声。
今にも消え去りそうなその声音は、胸を刺し貫かれたはずのリコのものだった。
光の矢に貫かれて、半死半生の体にも関わらず。
それでもなお、彼女は禍々しい輝きの中で『神』の足をうつ伏せのまま掴んでいた。
「リコっ!」
「非常に不本意です。よりにもよってイムニティに言いたいことほとんど全部言われちゃいました。
マスターは、私だけのマスターだったのに……」
『赤の精、貴様ぁっ!!』
どこか拗ねたような口調で話すリコを『神』弓で打ち据える。
額からはおびただしい流血。
存在が消えかかっているのか、儚げな燐光がリコの体を包み込んでいる。
それでも彼女は掴んだ足を離さなかった。
己の、何よりも大事な人を守るために。
『離せ!』
「うるさい、未亜さんの姿で吠えないで」
「おい、リコ。お前何をっ」
「マスター、もう少し下がってください。余波に巻き込まれます」
「リコ!」
「マスターは死なせない。マスターに未亜さんは殺させない。
ごめんなさい、マスター。未亜さんを、『神』を殺します―――私の存在全てを賭けて」
燃え尽きる前の蝋燭のように、少女の体から放たれる光の輝きが増していく。
光は渦となってリコと『神』を包む。
大河は必死で駆け寄ろうとするも、光の発する圧力がそれを拒み、近寄れない。
やめろ、やめてくれ。
大河は叫び続ける。
だが、視線の先の少女の表情はとても穏やかで。
イムニティと同じように―――リコ・リスは大河に微笑みかけていた。
(アルストロメリア、ロベリア、ミュリエル、ルビナス、数多の私の主となった救世主達。
リリィさん。
ベリオさん。
カエデさん。
未亜さん。
イムニティ。
そして、私の愛したたった一人の―――)
「リコ……っ!!」
「マスター、お元気で。今度出会う時は―――平和な時代で」
カッ―――!!
光の奔流が大河の視界を覆う。
彼の叫びが、涙が、光に飲み込まれていった。
そして数秒後、視界が開けていく。
大河の目に浮かんだものは、驚愕。
視界に映るのは、服をボロボロにしながらも忌々しそうな表情で足元を見下ろす妹の姿。
赤の書の精霊が命を賭して放った最後の魔法。
その結果は―――『神』の健在。
『赤の精め、やってくれる。ダウニーより取り込みしダークナイトの力がなければ危なかった』
「ダークナイト……だと」
『彼の者の能力よ。他者の力を取り込むという能力の割に随分使い勝手の悪いものだったが……役に立った』
「リコは……どうした」
わかってはいた。
ここに、奴が無事に立っているということは彼女は―――
それでも、大河は一縷の望みを託して問いかける。
『白の精と同じく世界に還元された。あやつの力は半分は我が吸収し、もう半分は攻撃に使われた。
つまり、同量で同質の力をぶつけあった故に我は無傷というわけだ』
しかし、現実は余りにも残酷で。
「……リ、コ」
『クハハ、白の精といい赤の精といい―――とんだ無駄死だったな』
プツン
「……黙れ」
『とんだ失敗作どもだ。作り直すときは―――』
「黙れと言ったぁぁぁっ!!」
ゴウッ!
大河の右手に握られたトレイターが輝き、闘気の波動を放つ。
それはすなわち大河が『神』を斬ると決断したということ。
―――未亜を斬ると、覚悟したということだった。
『ほう。我を……斬るつもりか』
「斬る」
純然たる決意を声に秘めて大河は立つ。
迷いはある。
この後、自分は確実に後悔するだろう。
それでも―――
(――My master)
自分を最後にマスターと呼んでくれた白い少女がいた。
(マスター……好き!)
自分を好きだと言ってくれた赤い少女がいた。
未亜は確かに世界で一番大事な存在だ。
それは『神』に乗り移られていようとも変わることはない。
だが―――
だがそれでも―――
それ以上に当真大河は―――
「あの笑顔を―――無駄にはできないんだよぉぉぉぉっ!!」
少年は一直線に『神』へと、駆けだした。
だが、『神』はつまらなそうにその様子を見据え、ただ冷酷にその命を奪うが為に矢を引き絞る。
白の精の力は既に感じられない。
つまりそれは当真大河を守るものは存在しないということ。
勝利を確信し、『神』は弓を―――
バサッ
『―――っ!?』
突如、『神』の視界を覆う影があった。
放たれた光の矢が大河の脇腹を抉る。
だが、その一撃は致命傷を与えるには至らない。
大河は止まらない。
彼には見えたから。
天から舞い降りた一枚のページが、胸にしまったそれと同じものが『神』の視界を塞ぐのが見えたから。
(リコ―――!)
『当真……大河ぁぁぁぁっ!!』
「オオオオァァァァ―――ッ!!!」
ザシュッ
ポタリ……
水滴の落ちる音が決着の時を告げる。
神の座に静寂がおりた。
立っているのは二人。
貫いた者と貫かれた者。
ふっ、と未亜の目に光が戻る。
それは大河の良く知っている、最愛の妹の瞳が放つ光だった。
「未亜っ!?」
「お……兄ちゃ……」
呟きながら未亜の体は崩れ落ちていく。
その左胸には深々とトレイターが突き刺さっていた。
大河は剣を手放して崩れ落ちていく華奢な体を両手で支える。
「未亜っ……未亜っ!」
「……ね」
「未亜っ!!」
「ごめん、ね……あり、がと……う」
ことり、と手が地面にたれる。
最愛の少女の体が冷たくなっていくのがわかる。
瞳に灯った光が霞んで消え去っていく。
その瞬間は、誰よりもお互いを思いあっていた兄妹の―――あまりに悲しい終焉だった。
「未亜……っ」
わかっていた。
こうなることはわかっていたはずなのだ。
それでも涙は流れるし、後悔もする。
自分は、未亜を二度も殺したのだから。
絶え間なく襲い来る悲しみと絶望が大河の心を覆っていく。
だが
『クハ……クハハハ……』
「なっ……」
大河一人になった神の座に響く声。
その醜悪で不快な声は、まぎれもなく『神』のものだった。
しかし、その声は死の色を濃く刻んでおり、力ない。
『認めよう、当真大河よ。我はまもなく滅びる。それは純然たる事実―――だがな、やはり我の勝ちだ』
ゴゴゴゴゴ……
負け惜しみとしか思えない『神』の言葉と共に鈍い光を放ち始める未亜の体。
同時に、神の座が、ガルガンチュワが―――アヴァターが揺れ始める。
「これは……!?」
『暴走だ。残った我の力と当真未亜の救世主としての力、それを無理やり掛け合わせ、開放させたのだ。
これをやれば我も完全に滅びてしまうが……まあよい、我に従わぬ世界ならば存在する価値もなし』
「て……めえっ!」
『フハハハ……残念だったな当真大河。我は神、絶対の存在ィィィィィィィィッ!!』
嘲笑の声が絶たれるのと同時に、天井が崩壊し、瓦礫が神の座に降り注いでいく。
大河はただ呆然と悔しさに歪んだ表情でその光景を見つめ―――
そして―――光が、爆ぜた。
仮のあとがき
リコ、最後に面目躍如。
未亜、出番あれだけ。
これで「トゥルーバッドエンドです」っていって終わらせたら…………駄目ですよね?(当たり前だ)