木本璃湖は今、かつてないほどの恐怖を感じていた。
いや、普通なら彼女たちに恐怖など感じることはない。微笑みながら話すことさえ可能なはずだった。
だが、今日の彼女らは一味もふた味も違った。主に気迫が。
「ねえ、木本さん。昨日の彼誰よ」
「そうよ。教えてよ」
そういいながら詰め寄るクラスメイトの女の子たち。
口調は柔らかい。だが、その瞳の奥に光るものは狂気じみた何かを秘めているような気がして、アヴァターで破滅という本物の魔物と戦ったことがある璃湖さえも恐怖に怯えさせるものだった。
なぜこんなことになったのかよくわからない。
今朝、教室に入ってきたら、有無を言わさず自分の席に座らされ、気づいたら回りをクラスメイトで囲まれていた。囲んでいないクラスメイトもどこか興味深そうに璃湖を見ていた。
―――どういうことでしょうか?
木本璃湖。己が、周りからどのような目で見られているかまったく気にしない少女だが、そのツケが今になってやってきたというところだろう。
結局、璃湖は半ば脅されるように大河のことを洗いざらい白状する羽目になっていた。
途中から、半分璃湖の惚気に近い話になり、半分以上が拒絶反応を起こしていたことに璃湖はまったく気づくことはなかったが。
運命の二人 最終話 運命の二人
「璃湖……頼むから今度来るときは連絡をくれ」
やや項垂れるようにして大河が、疲れきった様子で隣を歩く璃湖にすがるように頼む。さすがに璃湖もそんな大河の様子を見て申し訳なさそうに俯き、「はい、分かりました」と少し残念そうに答えた。
事の始まりは、璃湖が単純に大河の学校に行ったことが問題だった。
前回、大河が何の連絡もせずに璃湖の学校に向かったこと。その仕返しのつもりだった。
内心は、ただ大河の学校が見たかったのと大河の驚いた顔が見たかったというのが理由だったりするのだが。
しかし、璃湖はここで一つだけ予想できなかったことがある。
それは、お嬢様学校である自分の学校と違って、この学校の人間は外部の人間に遠慮がないということだ。
だから、校門で待っていた璃湖は、偶然通りかかった大河のクラスメイトにつかまり、そのまま大河の待つ教室まで連れて行かれ、それから先は尋問すら生ぬるいと思われる質問攻めがはじまった。
まるで最初から打ち合わせしていたかのような連携で大河と璃湖を椅子に座らせると、逃げられないように周りを囲み、マイクの代わりなのかノートを丸めたものを璃湖と大河に突きつける。
男子は、可愛い女の子が大河の彼女ということしって、嫉妬半分英雄扱い半分。女子は可愛い女の子を見て興奮気味といったところだろうか。
その状態はまるで熱愛が発覚したアイドルのような扱いだった。そのたとえも大河がその雰囲気からクラスのムードメイカーのようなところがあり、璃湖はその金髪と人形のような体格から考えれば、その表現はあながち間違いではないのかもしれない。
ともかく、そんな理由から大河と璃湖はかなり疲れた様子で帰り道を歩いていた。
せっかく早く終わったのだから、帰りにどこかの喫茶店でゆっくりしようと考えていただけに璃湖は少しがっくりだ。しかも、自分が大河の学校に行ってしまったものだから、大河がいつも以上に疲れているという事実に責任を感じていた。
「まあ、気にするなよ」
落ち込んでいる璃湖を慰めるためか、大河が項垂れていた顔を上げて、優しく璃湖に話しかける。
確かに大河の口調からは微塵も気にしているようには思えない。だが、たとえ大河が気にしていなくても璃湖は気にするのだ。
大河に迷惑をかけたという一点において。
「本当に、気にしてないから、さ」
ますます落ち込んでいきそうな璃湖に大河は、さらに声をかける。しかも、今度は手を握るというおまけまでつけて。
ここまでされて落ち込むのはなんだか、子供のような気がして璃湖は落ち込むのをやめた。
手を握られるだけで落ち込むより、嬉しさが勝るのだから、自分も相当に人間なんだな、と璃湖はリコであったころを思い出しながら思う。
おそらくアヴァターでのことを思い出す前の『木本璃湖』ならば、何の感慨もなかっただろうが、今の木本璃湖であり、リコ・リスだからこそ思うことである。
「大河さんが、そこまでいうなら、落ち込むのやめます」
うっし、と大河が笑う。
手は離さないままで大河と璃湖は、日が暮れた住宅街を歩く。この時間は、学校帰り、会社帰りの人たちの帰宅時間ともずれているのか、周りの家の電気はついているが、人が歩いている様子もない。
二人っきりという空気を堪能するには十分すぎる環境だった。それが、あと残り数分の璃湖の家に着くまでの時間だったとしても。璃湖としては、永遠でもいいから大河の隣にいる時間が増えて欲しいと思っているのだが。
「あ、そうだ。璃湖。今度の休みは空いてるか?」
二人っきりという会話がなくても少しだけ甘い空気を堪能しているところをいきなり大河が、口を開く。
璃湖は大河に言われてスケジュールを思い出す。だが、今度の休みには確か何も入っていなかったはずだ。
「今度の休みですか? 大丈夫ですけど……」
「いや、実はバイト先の店長から、遊園地のフリーパスをもらったんだが……行かないか?」
その言葉を大河から聞いたとき、璃湖はまずこれが夢ではないことを確認した。いきなり自分の頬をつねるというのも大河に奇妙に思われそうだから、軽く舌を自分の歯でかむ程度で。
舌を歯に挟んだ瞬間、舌に鋭い痛みが走る。
―――痛い。
確かに現実だった。
璃湖が夢だと疑う原因は、これが大河から誘われる初めてのデートだからだ。
こんな風に歩いて帰りながらもデートが初めてということに疑問を持つかもしれないが、原因は大河の家庭環境にあった。
大河は、居候で大切な妹を護るためにもお金を納めている。だから、バイトをしているのだが、休日ともなれば絶好のバイト曜日だ。そのため、今までの休日はすべてバイトが入っていた。こうやって、歩いて帰れるのもバイトがない日のみである。
それゆえに、璃湖は初めて誘われたデートに思わず天にも昇りそうなほどに心が躍る。
だが、大河の言葉はそれだけで終わりではなかった。
「それに、さ。そろそろ俺たちが付き合い始めて一ヶ月だろう? だから、その……記念になればな、と思ってな」
まあ、チケットはもらいもんで情けないけどな、と大河は付け加える。
ああ、もう死んでもいいかも。
本気で璃湖は思った。
自分をここまで大切にしてくれる大河が嬉しい。きちんと覚えていてくれたことが嬉しい。生まれてきたことすべてに感謝したい気分だった。
「それで、返事は?」
「もちろん、行きますっ!!」
おそらく、生まれて一番の笑顔だろうと思える笑顔で璃湖は大河の誘いに乗るのだった。
†††
「う〜ん」
璃湖は部屋に並ぶ数々の洋服の前で悩んでいた。
悩んでいる理由はいうまでもないだろう。明日の大河とのデートに着ていく服を選んでいるのだ。
木本璃湖であるときも、リコ・リスであるときもまさか洋服で悩むとは思っていなかった。しかも、都合の悪いことにリコ・リスとして覚醒する前の木本璃湖はさほどファッションに気合を入れていなかったのか、可愛いと思われる洋服は殆ど持っていなかった。
どちらかというと、機能性重視が過ぎる洋服が殆どだ。尤も、それでも十二分に璃湖の魅力は引き出せるのだが、恋する乙女となった璃湖にはこれでは物足りなかった。
だからといって、今から洋服を買いに行くわけにもいかない。結局、今まで持っていた中でも可愛いと思われる洋服を選んでこうして、床に並べているのだ。
しかし、悩み始めて一時間弱。未だに決まっていなかった。
スカートがいいのか、ズボンがいいのか。それさえ決まっていない。色的には明るい色でまとめようとも思っているのだが、それでも組み合わせがよくわからない。漠然としたイメージしかなく、よくわからないというのが本音だった。
ひょっとしたら、明日の朝になるまで悩んでるんじゃないかと思ったが、そこに璃湖を救う救世主が現れた。
「璃湖。あんた、そろそろお風呂が―――って何やってるのよ」
ノックもせずに部屋へと続く扉を開け、その向こうにいたのは、璃湖の妹である衣夢であった。
衣夢は、お風呂の順番が来たから璃湖を呼びに来たのだろうが、床に並べられた洋服を見ながらうなっている璃湖に思わず何をしているか聞かずにはいられなかったようだ。
「あ、衣夢。洋服を選んでるのよ」
「それは、見れば、分かるわよ。どうしてそんなに真剣に―――ははぁん」
最初は、いつも服に関して言えば無関心だった璃湖が急に洋服を選ぶようなことを訝しげに思っていたようだが、途中まで口にしてその理由について心を当たりを見つけ、口の端を吊り上げた。
「なるほどね。男か……」
「―――っ!」
衣夢のからかうような笑みで見られたことに反応して璃湖の顔が一気に赤くなってしまう。
「なるほどね〜。そういえば、あんたのクラスがうるさかった理由は、それか」
ニヤニヤという擬音が聞こえてきそうなほどに笑っている衣夢。なんとなく、弱みを握られたようで璃湖はなんとなく恥ずかしい。いや、別に大河との事がばれてもいいのだ。だが、それをなんというか、からかわれるのが恥ずかしい。特に身内ともなればその恥ずかしさは倍増だ。
璃湖も衣夢が誰か特定の男と付き合っていることは知っているが、衣夢からしてみればいつものこと。今更責められるわけもない。
「そ、そうよっ! 何か悪いの!?」
だから、照れ隠しに璃湖としては、逆に怒るしかない。衣夢としては、その反応は面白いことこの上ないのだが、璃湖には恋愛ごとが始めてであるがゆえにこういうからかいに対してどういった対応をしていいのか分からないのだ。
璃湖に出来たのは、その照れを怒りとして吐き出すしかなかったのだ。
「はいはい、別に悪くないわよ」
なんとなく姉がそういう態度に出ることを予想していたのか、怒鳴られたことに対しては、まったく気にした様子もなく、衣夢は手のひらをひらひらさせてまったく意に介さなかった。
そして、何を思ったか、おもむろに部屋に入り、しげしげと床に並べられた洋服を見た後にうんうんと頷いて上着とスカートを手に取るとそれを璃湖に渡した。
「え?」
「何を呆けてるの? 璃湖のことだから、どうせどれを着ていいのか分からなかったってところでしょう。まあ、それなら見れるんじゃない」
驚いたことに衣夢は璃湖の悩みを見抜いてご丁寧にも洋服をコーディネイトしてくれたのだ。
これには璃湖もさすがに呆けるしかなかった。何より、リコ・リスとしては、イムにティという側面を持っている衣夢が璃湖を手伝ってくれるということにかなり違和感を抱かざるを得ない。
しかし、そうやっていつまでも呆けていられない。アヴァターでのことが引っかかっていようが、これは衣夢が姉の璃湖に対して行った親切なのだ。ならば、姉としてやらねばならないことは決まっている。
「あ、ありがとう」
「礼はいいわよ。それよりも、その洋服には何か胸元に何かワンポイントあったほうがいいけど、あんた持ってる?」
胸元にワンポイント。そういわれても璃湖には分からない。なにせ、今まで女子高に通っているのだ。しかも、彼氏を作ったのはこれが初めて。別段しゃれようとも思っていなかった璃湖が持っているはずもない。
「まあ、分かっていたことだけどね。いいわ。私のを一つ貸してあげようじゃない」
後で取りに来なさい。と言って衣夢は、璃湖の部屋から出て行こうとする。
親切もここまで来ると違和感どころの話ではない。確かに、璃湖と衣夢はそれなりの姉妹であったが、ここまで仲がよかっただろうか。
「どうして?」
「ん?」
「まさか、あなたがこんなことをしてくれるとは思わなかった」
それは、木本璃湖としての言葉か、あるいはリコ・リスとしての言葉か、それは彼女自身にも分からない。だが、問わずにはいられなかった。
その質問に対して衣夢は、ふっ、と力の抜けた笑みを浮かべて答えた。
「最近、ちょっとだけ恋愛ってやつが楽しくなってきたから……かもね」
あまりに衝撃的な一言に璃湖は固まり、衣夢が出て行くのを静かに見送るしかなかった。
†††
約束の時間――――その一時間前。なぜか、璃湖の姿が待ち合わせの駅前に存在していた。
―――はやく来すぎたでしょうか?
疑問に思うまでもなく早いことは言うまでもない。
だが、仕方ないのだ。昨日はあまり早く眠れなかったのにも関わらず、目が覚めたのは早すぎる時間。まるで遠足を楽しみにしている小学生のような行動に自分でも笑ってしまう。
いや、事実、衣夢には笑われてしまったが。
「……でも、待ちきれなかったのですから仕方ないじゃないですか」
誰に言い訳するわけではない。あえて言うならば、自分の行動に恥ずかしいと思っている自分の行動にだろうか。
端から見れば、こうして待っているはずの一時間は実に無駄だと思うのだろうが、璃湖にしてみればまったくそんな風には考えられなかった。
大河のために待つ時間が無駄だだとは到底思えない。むしろ、この大河がいつ来るかと待つ時間こそが楽しみなのだと思っている自分はもはや末期だと、自嘲するほどである。
―――大河さん早く来ないかな。
最低でも後一時間後でなければ訪れないであろう至福のときに想いをはせる璃湖であった。
†††
―――なんだよ? これは。
思わず最愛の璃湖との待ち合わせ場所である駅前についてしまった大河は心の中でそう呟いた。
声に出さなかったのは我ながら天晴れだと思う。もしも、ここで声を出してしまえば、それはきっと取り返しのつかないことになっていたから。
現状は、デートの待ち合わせ三十分前。
璃湖と同じように大河も待ちきれずに家から出てきてしまったのだ。
大河が出てきた理由は、楽しみだから早く出てきたのであり、決して家にいるとうっかり今日のことを話してしまった未亜の視線がきつかったからではない。そう、決していつもは居候させてやっているとその権力をかざしている居候の家族が未亜と目を合わせただけで丁寧語になってしまうほどの視線に怯えたわけではない。
―――未亜、強くなったなぁ。
などと、妹の強さを再認識しながら現実逃避している場合ではない。
さらに現状を確認しようとしてそのカオスな空間に目を向ける。
待ち合わせの駅前は一種の亜空間になっていた。その中心にいるのはもちろん、璃湖。その半径五十メートル前後でその空間は形成されていた。
その中心にいる璃湖は、いつも見ている制服よりも可愛い格好で、胸元にはいつもはつけない飾り、さらに少しだけ化粧をしているのだろうか、いつもみている璃湖の顔よりも綺麗に見えた。
つまり、主観ではなく客観的にみても駅前にいるのは一人の美少女ということだろう。しかも、その美少女が誰かを待っているようにみえる。だが、それだけではここまで亜空間は発生しない。つまり、長時間待っていたということだろう。
―――うかつだった。もっと、早く出てくれば……
少し璃湖のことを考えれば、わかるようなことだ。あの璃湖が、時間通りに出てくるはずなのだ。きっと自分と同じように早く出てくるに決まっている。
そして、その大河が来るまでの時間にこれだけの亜空間を発生させるほどに男たちを呼び寄せ、誰が最初に声をかけるかという裏の戦いを見せるほどに一食触発の状態になっているのだ。
―――ここで、俺が璃湖に声をかけるのか?
空気を読めない大河ではない。しかし、声をかけなければ何もはじまらない。ついでに、いつまでもここで見ているわけにも行かないわけで―――
ついに大河は覚悟を決めて璃湖に声をかけるために璃湖に近づいた。
璃湖に向けて一歩一歩近づくたびに向けられる視線が多くなるような気がした。すぐにでも回れ右をして逃げたくなった。アヴァターで破滅と一歩も怯まず、いや、むしろ向かったはずの大河が、だ。
人は破滅を超えられるのだと、大河は非常に嫌なところで確認できた。
やがて、視線の強さが最大になったところで璃湖に十分近づくことが出来た。
「大河さんっ!!」
「お、遅れたかな? 璃湖」
そんなことはまったくないのだが、それでも待っていた相手へのデートのお約束事だといえる台詞を口にしながら大河は、背中に流れる冷や汗をかなり無理やり無視した。
「いえ、私が早く来すぎただけですから」
―――出来ればゆっくり来て下さい。
この惨劇を思えば大河がそう思いたくなるのも無理はないだろう。
「どうかしましたか? 大河さん」
「いや、なんでもない。それよりも、少し早いけど行こうぜ」
電車の時間を前倒しするなんて事は意外と簡単だ。それよりも、この空間から離れることが何よりも先決だと思った大河は、璃湖を促し駅の構内へと急いだ。
背中に突き刺さる視線をひたすらに無視して。
†††
電車に揺られること数十分。大河と璃湖は目的地である遊園地についていた。
その頃にはあの駅前の亜空間はなくなり時折、道行く人が大河と璃湖のお互いの繋がれた手を見て少し微笑ましく、あるいは、嫉妬交じりに見ていくだけである。
このくらいの視線ならば、大河が璃湖と付き合うことになってからいくらでも浴びたもので、もはや慣れっこだ。
「思ったよりも混んでないようだな」
「ええ、時期はずれだったのが幸いだったのかもしれませんね」
長期休暇というわけでもなく子供たちの休みというわけでもなく、ただの休日。ついでに観光雑誌に載るほどの有名な遊園地でもないとくれば、そんなに混んでいる理由は何所にもない。
目立つのは大河たちのようなカップルか、親子連れ程度だ。どのアトラクションを見たとしても長蛇の列があるようなアトラクションは見られなかった。
「どれから行きましょうか?」
「そうだな……」
大河は入り口においてあるテイクフリーの冊子を見ながら考える。
どれが楽しいだろうか? どれが面白いだろうか?
だが、自他共にあまり頭がいいとは思っていない大河は、すぐに考えることを放棄する。
「ええいっ! 面倒だ! 璃湖! 時間はあるんだ。全部乗ろうぜ!」
大河の提案はある意味下手な鉄砲数うちゃあたるという戦法だが、このあまり大きいとはいえない遊園地。ついでにあまり混んでいない現状を考えれば、可能だろう。
それに子供っぽい提案ではあるが、確かに楽しそうだ。あれは、楽しくないと切り捨てて後から、もしかしたら、と考えるよりもよっぽどいい。
だから、大河の提案に璃湖は笑って答えた。
「はいっ!」
†††
「はぁ……はぁ……さ、さすがにきついものがあるなぁ……」
「そ、そうですね」
大河と璃湖は息も絶え絶えにベンチに座っていた。体力があるほうの大河でさえ、へばっているのだ。璃湖はいわずもながだろう。大河の言葉に肯定の返事しかできない。
「やっぱり絶叫系三つ連続はやめといたほうがよかったか」
後悔先に立たず。絶叫系三つを敢行した大河と璃湖には体力が急激に削られた。なぜ、そんな無謀なことをしたのか? と問われれば、その場のノリと勢いだ。簡単に言うと、二人は始めてのデートで浮かれていたとも言う。
「落ち着くためにジュースでも買ってくるか」
璃湖は何がいい? と立ちあがろうとしたとき、大河の目にここに一番いるはずのなさそうな人物の顔が一瞬だけ見えたような気がする。確認しようにもその人物は、屋内のアトラクションに入ってしまったので確認できなかった。
「? どうしたんですか? 大河さん」
立ち上がり、一向にジュースを買いに行かない大河を奇妙に思ったのか、璃湖は大河に尋ねる。
大河も璃湖のその声で思考の世界から現実世界に戻ってきて、璃湖の顔を見つめた。
心の中は混乱だ。いや、この世界の彼女とあの世界の彼女は違うと分かっていても―――
男と腕を組みながら楽しそうに遊園地をデートするというイムニティという光景を脳内では処理しきれずにいた。
「……なあ、璃湖」
「なんでしょうか?」
「イムニティ……いや、衣夢って今日はどこかに出かけるとか知らないか?」
「いえ、知りませんけど……どうしてですか?」
「いや、一瞬だけ、見たような気がしたんだが……」
だが、現実として処理しきれない大河の頭は、その見た一瞬の光景を彼女のそっくりんさんとということで決着をつけた。そうでもしなければ、彼の頭のほうがおかしくなりそうだったから。
「いや、いいや。それよりも、ジュースでも飲んで次に行こうぜ」
「そうですね」
一時の休憩は終わり、とばかりに大河は、立ち上がり璃湖に手を差し、璃湖はその手をつかむ。
そして、二人はもう一度、遊園地へと繰り出した。
†††
また遊園地へと繰り出した二人は、当初の予定通りすべてのアトラクションを制覇すべく、遊園地を駆け回った。
数あるジェットコースターに乗り、叫んだ。
ミラーハウスに入り、大河が思いっきり頭から鏡にぶつかり、璃湖はそれをこっそりと笑った。
璃湖を驚かして抱きつかせようとお化け屋敷に入った大河は、逆に不意打ちを喰らって璃湖に抱きついた。
ゴーカートで競争し、大河がスピードを曲がりきれなくてカーブでタイヤに突っ込んだ。
大河にしてみれば、恥さらしとも思えるメリーゴーランドに乗った。ただし、璃湖は楽しそうだった。
璃湖も大河も初めての遊園地に時を忘れて楽しんだ。楽しい時には終わりが来ることさえも忘れて。
そして、日もすっかり暮れてしまうころには、大河と璃湖は最後の一つを除いてすべてのアトラクションを制覇してしまっていた。
「次が最後か」
「そうですね」
そう、次が最後なのだ。始まりがあるものは、すべて終わりがあるように。この楽しかった一時も次のアトラクションで終わりを告げるのだ。
それが璃湖にとってしてみれば、寂しい。この時間が終わってしまうことが悲しい。この時間が永遠であればいいとすら思ってしまう。
「まあ、次は最後にはぴったりだろう」
そんな璃湖の内情を読んだのか、大河は笑って璃湖に最後のアトラクションへと誘導するために手を握る。
今日はずっと握っていた手のひらが、璃湖に寂しいと思わせていた心を明るく照らした。
だから、自然と笑みが浮かび、大河の言葉に笑顔で璃湖は答えた。
「はい!」
二人は手を繋いで歩き出す。
最後のアトラクションである遊園地の中でも一番目立つアトラクション――――観覧車へと。
†††
遊園地の観覧車に大河と璃湖は、お互いに対面になるように座っていた。
別に璃湖は大河の隣でもよかったのだが、遊園地の観覧車が意外にも狭いこともあって、大河の正面に座ったのだ。
観覧車がだんだんとあがっていく。ただ、その速度は速くない。むしろゆっくりだ。
だんだん、観覧車が上昇していくにつれて遊園地が一望でき、その向こうに大河たちが住む街も見えてきた。
真ん中ぐらいにあがってしまえば、その観覧車から見える光景は百万ドルには遠いものの千ドルぐらいの光景ではないだろうか。
璃湖は初めて見るその光景に感嘆のため息を漏らした。
「すげぇな」
それは大河も同じだったようで、観覧車に取り付けられた小さな窓のふちに肘をついて向こうに見える光景を見つめていた。
璃湖もその光景には感動していたものの、その感情の隅でこれが一周してしまえば、この時間が終わりを告げるということに胸を痛めていた。まるで、十二時まで魔法をかけられたシンデレラのように。
「今日は、楽しかったですね」
だからだろうか。なんとなく大河と想いを共有していることを確信したくて璃湖は、大河に尋ねた。
もちろん、璃湖には大河が楽しんでいることは分かっていたが、口に出して欲しいこともあるのだ。
「ああ、楽しかった」
「夢みたいな時間でした……」
そう、本当に夢のようだ。こんなに楽しくていいのだろうか、と思えるほどに。
だが、これは現実。だからこそ、終わる。
「夢……か」
だが、璃湖とは違い、大河はその『夢』という言葉から別の意味を見出したように見える。その向こうに見えるはずの景色を見ているはずなのに、どこか虚空を見ているように乾いた瞳が璃湖に不安を与えた。
「……大河、さん?」
「なあ、璃湖……」
視線は魔法のような千ドルの光景に向けたまま大河は璃湖に話しかける。
「俺は時々、考えるんだ。この世界は夢じゃないだろうか、って」
それは戯言ではない。大河の真意だ。瞳を見ていれば分かる。いつものように楽しい大河ではなく、どこか虚空を見せる大河の瞳は真意を語っていた。
「あの時、ダウリーを倒して真の救世主になった俺がここにいる。あの時がなかったことになって、精神を壊されているはずなのに、俺はここにいる」
不意に視線を璃湖に向けた。虚空を見ていたはずの大河の視線は、今はしっかりと璃湖を捕らえていた。
「最愛の璃湖と一緒に」
その言葉でいかほどに胸が高鳴ったか、心臓が飛び出しそうになったか、大河は想像できただろうか。いや、出来てないのだろうな、と璃湖は思った。
ともすれば、泣き出しそうなほどの感情を無理やり抑えて、璃湖は言葉を紡ぐ。
「確かに、もしかしたら、大河さんの言うことはあたっているかもしれません」
無我夢中だった。大河を救うために。
時空操作。それは誰もなしえないはずの奇跡。その奇跡が起きていることは璃湖が一番知っている。
だが、璃湖はこの現実を否定しない。それが、たとえ―――
「たとえ、この世界が夢だとしても……」
そう、たとえ、この現実が夢という場所で作られた空想世界だとしても―――
「私が感じているこの胸の高鳴りと」
今度は、璃湖の視線が大河を貫く。
「マスターへの想いは現実です」
それは、リコ・リスとして、赤の書としての想い。
「大河さんへの想いも現実です」
それは、木本璃湖としての想い。
その両者を否定させることは誰にもさせない。それが夢だなんて認めない。あのとき、大河と一生会えないかもと想ったときの胸の痛みも、大河と再会できたときの嬉しさも、それから一月の愛しい日々も、そのすべてを否定させない。
「それを否定させることは誰にもさせません。たとえ、神としても」
それは璃湖の確かな意思。誰にも覆せない意思である。
璃湖の確かな意思を受け取った大河は一時、呆然としていたがすぐに正気を取り戻し、ふっ、とした綺麗な笑みを浮かべた。すべてを受け入れた大河が浮かべた笑み。いつもの笑みとは一味違う笑みである。
「そう、だな。誰にも否定させやしないよな。俺たちの想いは」
たとえ、神だとしてもな、と大河は付け加えた。
「もちろんです」
大河の心意気に璃湖も頷いた。
事実、彼らは神に逆らい、再び愛という絆を繋げたのだからその宣言は実行されている。
―――神に救世主として選ばれた大河は、救世主としての役目を否定し、神に作られたリコは、神のシステムを否定し、大河を選んだ。そして、再び出会った。
―――その絆は、もはや神さえ超えているといえるだろう。
「璃湖――」
「大河さん―――」
お互いの想いを確認した二人は、自然と動き出した。
大河が、座っている璃湖に一歩だけ近づき、すっと顎に人差し指を乗せ、顔を上に向ける。璃湖は、その大河の動きを受け入れすぅと、瞳を近づいてくる大河にあわせ、殆ど距離がなくなるところで目を瞑った。
―――ならば、神さえ否定すること出来ない絆は、なんと呼称すべきだろうか。
―――この世界によって宿命づけられた絆。ダイスを何度振ろうとも必ず一が出るほどの確定された絆。
―――それを世界は名づける。
―――運命、と。
二人の顔はだんだんと近づき、観覧車が頂上に着いたとき、二人の唇は確かに繋がった。
運命という絆に結ばれた二人の口づけを空に浮かぶ新円に輝く月だけが見ていた。
FIN
あとがき
どうも! てる です!
運命の二人。一応これで完結です。
今までありがとうございました。
この作品の命題は、最終話の最後の章に全部書いてあります。
『神を超えた絆――運命の二人』
まあ、それがタイトルどおりです。
さて、あともう一組の運命の二人……祐一と衣夢の二人の物語は外伝で一話だけ書きたいと思います。
それでは! BY てる