「はぁ」
璃湖は、帰りの準備をしながら、なんとなくため息をついた。
よく考えてみると最近、なんだかため息が多いような気がしてならない。その原因はよく分かっている。
当真大河。
先日、念願の再会を果たした彼女の想い人である。そんな彼がどうして璃湖のため息の理由になるかといえば、彼に会えないからである。もちろん、メールや電話は毎日様にやっているが、それでも、直接会って話を聞くのとでは全然、心の満足度が違うのだ。
確かに、メールや電話はどこかで繋がっているような気がする。だが、それは所詮『気がする』だけである。再会した、あのときほど璃湖の心は満足を覚えていなかった。それどころか、大河に会えないことでかなり気分は落ち込んでいる。
「どうした? 璃湖。最近、ため息が多いじゃないか」
そんな璃湖の様子を見かねたのか、隣の席である璃李が話しかけてきた。その声には心配しているという感情が篭っているのがありありと分かる。
「いえ、なんでもありませんよ」
心配させてはならないと、璃湖は、笑顔で璃李に言う。だが、それが逆効果だったのは言うまでもなかろう。尚いっそう心配そうな表情を強くした璃李は、さらに璃湖に訊く。
「本当か? 悩みならなんでも聞くよ。ほら、人に話すと少しは解消することだってあるだろう?」
「そうでしょうね。でも、本当に大丈夫ですから」
「……そう? じゃあ、もう聞かないけど」
璃李は、訝しげな表情をして引いた。彼女とて、踏み込んでいい領域というものを心得ている。何より、彼女は璃湖を信用していた。彼女自身は、璃湖を親友としてみていた。その璃湖は、無理なことは無理という性格ということも理解していた。だから、最後に一言だけ付け加える。
「でも、手に負えなくなったら相談しなよ」
「ええ、ありがとうございます」
だから、それだけを言う。璃湖もその心遣いが分かっているので、礼だけを述べる。
だが、同時に少し早まったかもしれないと思った。
はっきり言って、恋愛関係は璃湖にとって鬼門だ。アヴァターという世界では、最後の関係までいったリコだが、それは、アヴァターという世界での特殊な状況下である。この世界ではどうやって恋愛を成立させればいいのか、知識はあるものの、知識があるのと使うのとは全然違う。つまり、知識がありすぎて逆に混乱しているということである。
しかし、一度断った手前相談するのも如何なものかと思ったので、今日は何も言わずに帰ろうと考え、鞄を右手に持って教室を後にしようとした。だが、それは、窓際にいた生徒の一言で思いとどまることとなる。
「ん? ねぇ、あれって、雪花高校の制服よね」
「あ、ホントだ。しかも、二人も」
「珍しいねぇ〜。雪花高校の人なんて久しぶりに見たよ」
このお嬢様学校の近くには四つの学校がある。一つは、桜坂高校。県内でもトップクラスの進学率を誇る私立高校。その一つしたのランクになる偏差値が平凡な人が通う私立神永高校。さらに、その一つ下のランクで、上の学校に行けない人が通う、私立星犀高校。そして、最後の一つがこの辺りで唯一の公立高校であり、さらに、桜坂高校とも引けをとらない公立のトップクラスを誇る進学校、それが雪花高校である。
そして、彼女たちが珍しいという理由はその公立高校ということにある。他の私立高校は男女比が男のほうが多い上に、女の可愛いといわれるレベルの女はすべてこのお嬢様高校である聖上高校にくるからだ。それに対して、公立高校である雪花高校の男女比はほぼ一定。比較的距離の遠いこの高校まで彼女を作る必要がないのだ。
「雪花高校……」
窓際の生徒たちの呟きが聞こえてしまった璃湖は、歩みを止めた。彼女の記憶が正しければ、大河の通う高校は雪花高校だ。
もしかしたら……、と考えてその考えを振り払った。理由は、大河の多忙さにある。叔母の家に世話になっている大河は、未亜と大河の家賃と食費を請求されているらしく、月五万を収めている。そのためにはどうしてもアルバイトが必要だ。だから、大河の放課後はほとんどアルバイトに費やされている。璃湖と会う暇がないほどに。
だから、ここにいる理由は一切ないのだ。
そこに思考がたどり着いた璃湖は、再び歩みを進める。だが、それもすぐにとめられることになる。やはり、窓際の少女たちの話によって。
「あっ、あれって衣夢じゃん」
「衣夢って……珍しくないよね。男が待ってるのはいつものことよ」
「けど……あれってちょっと様子が違うんじゃない?」
「あ〜、本当だ。いきなり腕組んでるよ」
「しかも、衣夢から」
「あちゃ〜、男の方がいやいやって感じだな」
「えっ!? それじゃ、衣夢の方がぞっこんなの?」
「そうなんじゃない? 少なくても見る限りは……」
その会話を聞いて璃湖は、相当驚いた。
木本衣夢。璃湖の双子の妹か姉か。どちらかなど二人は気にしていない。だから、お互いに名前で呼んでいる。それはともかく、その衣夢は、男女についてはアクティブだった。いつでも、他の男をつれている。璃湖が理由を聞いてみれば、それはただ単に男の方が付いてきているだけ、だという。奢ってやるといわれているのだから、奢ってもらっているだけだととも。
そんな衣夢が恋愛。おかしな話ではない。衣夢だって女なのだから。恋の一つや二つするだろう。だが、それでも、璃湖が驚いた理由というのは一週間前の一言による。
「あたしは、恋愛なんてしないわ」
ちょっとした雑談だった。なんでそんな話になったかは忘れた。だが、その一言がまさか、一週間もせずに撤回されるとは、衣夢の性格から考えてもありえないと思った。
だから、確かめる。璃湖は、鞄を机の上に放って窓際に急ぐ。そこにいた少女たちを押しのけて。少女たちも衣夢と璃湖の関係を知っているので道を空けた。
そして、窓の向こうに見えたのは、十数人の女の子を待つ男と、衣夢と腕を組んで帰る男。その男に嫉妬のまなざしを向ける、数名の男。そして、最後に璃湖の目に入ったのは――
「うそ……ですよね」
だが、現実は真実だ。
璃湖はそれを認めると放った鞄を手に取り、今度こそ教室を後にした。
運命の二人
第二話 放課後カプリッチオ
時は、璃湖が教室を飛び出してから少し遡る。
璃湖の想い人、当真大河は、聖上高校へと続く道を歩いていた。もちろん、先日に再会した彼女に会うために。
「直接、会うのは久しぶりだな」
そんなことを呟きながら緩やかな坂道を歩く。周りには誰もいない。どうやら危惧していた既に放課後という事態にはならなかったようだ。
大河と璃湖が出会う時間が取れるのはあの時以来である。あの時というのは当然、大河と璃湖が再会したその日である。
その日の夕方。未亜と分かれた大河と璃湖は近くの公園を歩いていた。
既に半分その姿を隠している太陽は、橙色の輝きも半分に減らして大河と璃湖を照らしている。公園に人の姿はなく、ただ砂場に子供が忘れていったであろうシャベルとバケツだけが取り残されていた。
不意に、大河の足が止まった。公園のど真ん中。周りには遊具があるだけである。
「どうかしましたか? 大河さん」
「いや……その……なんだ」
大河は何が恥ずかしいのか分からないが、照れたように鼻の頭を人差し指でかく。
「一応、けじめぐらいは付けておかないと、と思ってな」
その言葉で璃湖は察した。大河が、なぜ立ち止まったのか、そして、恥ずかしそうな表情をしているのか。だが、もし、その予想が当たっているとするなら、それは璃湖にとってもかなり予想外の展開である。
「けじめ、ってなんですか?」
分かっていながらも、尋ねる璃湖。その頬はこれからを想像して、少し上気していた。
少しだけ緩やかな風が流れる。風は、璃湖の長い髪を少しだけ揺らし、同時に、大河の前髪も揺らす。
大河は、ただ璃湖だけを見ていた。その瞳には璃湖しか映っていなかった。
「璃湖……いや、木本璃湖さん」
この世界での名前。それは、璃湖が先ほど大河に教えたばかりの名前である。
アヴァターでも見たことないような大河の真面目すぎる表情と態度にドギマギしながらも何とか璃湖は、大河の顔を見ていた。やがて、意を決したように表情が硬くなり、唇を開く。
「あなたのことが好きです。俺と付き合ってください」
今更だった。あの世界で交わした愛は偽りではない。あの約束は偽りではない。
まるで運命のように出会った二人。まるで運命のように再会した二人。
ならば、そこに想いの境界線はなく、二人の気持ちは一緒だった。
高まった『どうしようもない感情』を持て余しながらも、璃湖は地面を蹴って、正面に立つ大河の胸に飛び込む。大河は突然の璃湖の行動に驚きながらもしっかりと璃湖を受け止めた。
「どうしたんだ? 璃湖」
近くに感じる璃湖に先ほどの告白よりも大きな高鳴りを感じながら、大河は優しい緩やかな声で璃湖に訊いた。
「―――これが夢じゃない事を確かめたかったんです」
「夢?」
「ええ、私は元々精霊で、大河さんは人間で。そして、アヴァターで一度消えたはずで……」
リコと大河は確かに、あの時、時空の狭間に逃げた。神の意思で大河が壊れないように。そこで、リコは自分の存在を賭けて大河を過去に戻した。ならば、今、ここにリコとしての意識を持って璃湖がいるのは夢であると、璃湖が疑っても不思議ではない。
そんな璃湖の不安を感じ取ったのだろうか、大河は璃湖の背中に腕を伸ばして強く抱きしめた。
「璃湖。大丈夫だ。俺は、夢なんかじゃない。そして、璃湖も夢なんかじゃない」
そう耳元で囁く大河の声が、強く自分を抱きしめる腕が、聞こえる大河の鼓動が、高鳴る自分の胸が、すべてが、今は現実だという事を知らしめてくれる。
「……はい」
やわらかい微笑を浮かべながら璃湖は頷いた。
「璃湖」
「はい」
すっ、と腕の力が緩められる。それを疑問に思った璃湖が顔を少し上げると、目の前に大河の顔があった。そのことに、今まで以上に胸をドキリとさせる璃湖。大河の瞳が何かを求めているように思える。
だから、璃湖はゆっくりと瞳を閉じた。
大河も何かを求めていたわけではない。ただ、心から湧き上がる何かに突き動かされただけであり、この結果は予想していたものではなかった。だが、彼女が求めるのなら……何より、自分も目を瞑る璃湖の顔を見ていると、そうしたくなかったから。だから、顔を近づける。
そのまま、二人の唇の間にさえぎるものは何もなくなった。
二人の口付けの時間は長かったかもしれない。あるいは、短かったかもしれもない。少なくても、大河や璃湖にとっては悠久とも思える時間だった。
そんな幸せとも思える時間とて終わりは当然のように訪れる。
どちらともなく離れる唇。ただ、唇を重ねるだけの優しいキスは何の名残も残さずに離れた。
「大河さん」
「ん?」
お互いに見つめあったまま、璃湖が大河の名前を呼ぶ。そんな璃湖の表情は柔らかく笑っており、幸福だということが、誰の目にも分かる。そして、頬は先ほどの余韻があるのか少し赤くなっていた。
「大好きです」
また、大河の胸に顔をうずめる璃湖。そんな璃湖を大河は二度と離すまいと、強く抱きしめた。
「えへへ」
あのときの璃湖の温もりと唇の感触を思い出したのか、突然笑い出す大河。端から見ればそれは、変質者のような笑みにも見えなくもない。そんな怪しさ爆発の大河に近づく影が一つ。
「おい。なに笑ってるんだ?」
大河は突然の声に驚くが、その声の持ち主は目の前にいたため、それは一瞬ですんだ。
「あ、あんたは……」
大河にとって目の前に立つ男は見たことがある男だった。そう、それはつい最近。急いで脳内を検索。該当する顔に名前を一致させる。だが、そう簡単に見つからない。大河は意外と交友関係が広い。そんな中で一度か二度しか見たことないような顔を思い出すのは一苦労だった。
だが、よほど目の前の男の印象が強かったのだろうか、検索は、思った以上に早く済んだ。そして、思い出して名前を一致させるのと同時に、再び驚いた。
「相沢……祐一だったか?」
「ご名答」
どこか含みを持った笑いで大河の返答に答える祐一。なんとなく、自分より大人びているような気がして悔しい。
大河は気づいていないが、実は、祐一は大河よりも一年だけ年上だ。大人びていると感じてもそれは無理もないことなのだろう。
もっとも、大河は周りの同い年の男よりも相当大人びていることに本人はまったく気づいていない。あのアヴァターという世界での経験は間違いなく大河を大人にしていた。
「あの時は、ありがとな」
「いや、礼には及ばないさ。あっても、あいつらにもっていかれるだけのお金だったからな」
あいつらというのが誰を指すのか大河には分からない。だが、それを聞くなんてことはしない。人にはそれぞれ事情というものがある。それを大河はよく知っていたから。
「いや、それでも……世話になったからな。ありがとう」
事実、あそこで祐一が出てこなかったなら、大河は未亜の後を追えずどうなっていたか想像も出来ない。だが、今より悪い状況に転がっていたことは間違いではないだろう。あそこでお金があるということは最善手を打つための重要なファクターだったのだから。
「そうか。素直に受け取っておくよ。どういたしまして」
そう言って、また笑う。
大河も何がおかしかったのか分からないが、とりあえず笑う。祐一の笑みにつられたといえば響きはいいかもしれない。
「それで……」
祐一は、大河の顔を見ながら言葉に詰まった。その表情を見て、大河は思いつく。
「俺は、当真。当真大河だ」
「そうか。それで、大河はこれからどこに行くつもりだったんだ? この先には聖上しかなかったような気がするが」
祐一の言うとおり、このゆるい先道の先には聖上高校というお嬢様高校しかない。大河たちの通う雪花高校とはよっぽどのことがなければ縁もゆかりもないような高校だ。
もっとも、大河にして見ればそのよっぽどの理由があるのだが。
「その聖上高校だよ」
「そうか。それは好都合。俺も聖上に用事があるんだが……一人じゃどうしてもな」
苦笑しながら祐一は言う。
確かに、女子校に男一人で行くのもなんだか気恥ずかしい。もっとも、それは一般の女子校の場合であり、聖上にはその心配がないのだが、今の事情知らない祐一は聖上を一般の女子校のように考えていた。
「それも……そうか」
璃湖に会えるという喜びでいっぱいだった大河はそのことにまったく気づいていなかった。だから、祐一の言葉はいわば、目からうろこが落ちるというような感じである。
「なんだ。気づいてなかったのか。まあ、いいか。行こうか」
「そうだな」
大河は少し小走りで祐一に並ぶ。それを確認した祐一は、歩みを進める。二つの影がゆるい坂道を登っていく。その先にある聖上高校で何があるかも知らずに。
そこは狩場だった。
一輪の自分だけの花を求めて集まる狩場。その一輪の花を得るために牙を研ぐものもいれば、爪をむき出しにするものもいる。逆に、それらの武器を内に秘め機会を狙う奴も。
そんな狩場に迷い込んできた二匹の犬。狼と化していた者たちからしてみれば、本当に迷い込んできたようなものだ。犬が狼に勝てるだろうか? 答えは否。否である。だから、無視した。迷い込んできた犬が大輪を得ることなど出来ないのだから。精々、小さなタンポポ。それが限界だと考えたから。
奴らが狙うのは大輪の薔薇。それでも純白と真紅の薔薇。真紅の薔薇を狙って、爪を折られたもの、多数。純白の薔薇を狙って、牙を抜かれたもの多数。けれども彼らは諦めない。牙を抜かれようが、爪を折られようが、それでも尚、大輪を得ようと、牙の代わりを持ってきたり、爪の代わりを持ってきたり。
だが、彼らは知らない。今日でその努力も水の泡になることを。
「こりゃ、どういうことだ?」
「俺が知るか」
大河の呟きに答える祐一。
確かに、この目の前に広がる光景を祐一が知るわけがないのだ。だが、それでも聞かずにはいられない。目の前の信じ難い光景を。
「まあ、何にもしてもこいつらは関係ないだろう」
目の前の異様な光景にひるむことなく祐一は先へと進む。
なんというか実にマイペースな奴だ、と大河は思った。たが、祐一の言うことも一理ある。こいつらが如何に異様な光景であろうと自分がすることはただ一つ。璃湖を迎えに行くことだ。
そう考えると異様な光景などどうでもよくなった。だから、校門へと歩みを進める。たとえ、周りの男どもからの視線が痛かろうと。
そう、最初からどうでもよかったのだ。自分たちは、この辺りで一番の私立高校『桜坂高校』の地位を持っているのだから、公立の『雪花高校』の男など。
自分たちが負ける可能性など零に等しい。そう考えていた。何の根拠もなく、彼らは『桜坂高校』という名の肩書きだけで安心していたのだ。それがどれだけ愚かかという事を知らずに。
そんな公立高校の男を見ていたら、周りが突然ざわついた。
そのざわつきの正体は、見なくても分かる。彼らが狙う大輪が一つ『真紅の薔薇』がやってきたのだ。
真紅の薔薇はいつものように冷静に歩く。周りの男の視線を一身に受けながらも緊張などすることなく。最初は様子見だ。誰もがそう考えていた。最初にトライした男が、大輪をゲットできる可能性はほぼ零に等しい。だから、最初は誰も行きたがらない。
そのうち、誰かが痺れを切らしたのか真紅の薔薇に近づく。その姿は哀れなほど緊張していて、声が震えている。おそらく、本当にファーストトライなのだろう。誰もが、彼に同情した。そして、この後の復活を願った。
そして、彼らの思ったとおり、彼は撃沈した。一発だった。見向きもされなかった。棘に指されることもなかった。おそらくは、ファーストトライだったため、真面目に正面から狩りにいったのだろう。だから、薔薇は棘を指すことなく彼を拒否した。
牙と爪を向くことなく撃沈した狼は肩を落としてその場を去った。流石に、無理矢理ということはしないなかなかの狩人だと誰もが認めた。時折、無理矢理、牙と爪を向ける狼がいるが、そんな奴は、一網打尽だ。一対多数では流石にどんな狼でも敗北は必死である。
ファーストが失敗してから、すぐさまセカンド、サードと続く。だが、今日は誰も大輪をゲットできない。いつもならテンスぐらいで大輪を持ち帰るのだが、今日はガードが固い。
そういえば、と撃沈する前の狼は考えた。ここ数日は、ゲットした狼もすぐさま棘を刺されるというのを聞いたことがある。用事でもあるのだろうか。いや、真紅の薔薇は用事のときはそういって断る。つまり、これは違う。なら……他に理由は……
そして、結局、その狼も真紅の薔薇を得ることはなかった。
いや、一匹だけいたようだ。ただし、それは狼ではなく――
誰もがその瞬間、驚愕に打ちのめされた。
「おお、すごい人気だな」
祐一が他人事のように呟く。だが、大河はそれどころではなかった。
イムニティ!?
そう、彼が知っているアヴァターという世界で白の書の精霊としてリコと対をなしていた少女がいた。もちろん、アヴァターと違う点はたくさんあるが、それでも彼はイムニティと認めることができた。
「こりゃ、聞いていた以上だな。衣夢のやつ」
祐一の言葉が耳に入った大河は、祐一と目を合わせる。
「もしかして、あいつと知り合いなのか?」
大河があわてるのに対して祐一は実に冷静に、何を今更、といった表情で答える。
「知り合いも何も、今日の俺の用事はあいつを迎えに来ることなんだが」
おいおい。とさえ、大河は思った。
何たる因果。自分は璃湖を迎えに来て、目の前の男はイムニティ(仮)を迎えに来たという。対を成すものと関係を持つものが偶然に関係を持つ。まるで、それが運命のごとく。
そんなこと考えていると、イムニティが男たちの群れを抜けてやってきた。
「よお。すごい人気じゃないか」
「だから、言っていたでしょう。それで、少しは妬けた?」
髪をかきあげながら言うイムニティの皮肉な笑みに祐一は苦笑を漏らしながら平然と答える。
「そんなわけないだろう。それは、お前が一番分かっているはずだけどな」
「それもそうね」
苦笑とも微笑ともつかない曖昧な笑みを浮かべるイムニティ(仮)。その表情に戸惑うのは大河だ。向こうで敵対していた彼からしてみれば平穏に笑みを浮かべるイムニティというのは見たことがなく、心の動揺を誘うには十分すぎる威力があった。
「で、そこのそいつは誰?」
祐一の隣に立つ大河に興味を持ったのか、視線だけ、大河に向けて祐一に問う。
「当真大河。なんでも、誰かを迎えに来たらしい」
「ふ〜ん。つまりあなたと同じ立場なわけね」
「そりゃ、どうかな? 俺と大河じゃ、全然立場が違うさ」
それはお前が一番よく知ってるだろう? という先ほどと同じような曖昧な笑みを返す祐一。それに、イムニティは、やはり複雑な笑みを返す。
「まあ、いいわ。こいつがどうであれ、私には何も関係ないのだから」
本当はかなり関係の深い相手なのだが、このときイムニティ(仮)は大河と愛しい姉妹との関係をまったく知らない。だから、大河をそうやって認識するのは仕方のないことである。
「おいおい、酷い言い草だな」
「事実ですもの。それより、行きましょう。時間は無限じゃないのよ」
「はいはい。お姫様。それで、今日はどこに行くんだ?」
「適当よ。とりあえず、別の場所に行きましょう。ここじゃ、視線がきつすぎるわ」
「そいつは同感だ。それじゃ、行くか」
祐一が背を向ける。いまだ、呆然としている大河は、そのことにも気づかず、イムニティ(仮)の顔を二人が話している間もずっと見ていた。
「それじゃ、行くが……って、大河。衣夢の顔に何か付いているのか?」
「い、いや。俺の知り合いによく似てるなって思って」
イムニティ(仮)の顔を見ていた事を気づかれた大河は慌てて、嘘のような事実を述べた。
その返答を、祐一は「そうか」で終わらせ、イムニティ(仮)は、姉妹のことか。と勝手に自己完結した。
「それじゃ、俺たちは行くから」
「あんたも早く相方を見つけて去りなさいよ。ここじゃ、いつ狩られるか分からないわよ」
かつての世界ではありえないような気遣いを見せるイムニティ(仮)は、そういうと祐一の左腕に自分の右腕を絡める。
「お、おい」
「いいじゃない。これくらいなら『契約』の一部よ。大体、ここまで来た本当の理由を忘れたの?」
「はぁ〜、仕方ないか。それじゃ、行くぞ」
諦めたような表情をしてイムニティ(仮)を促す。それにしたがって二人は歩き出した。次第に、ゆるい下り坂となっているため、足の方から消えていき、最後は全部が見えなくなった。
大河はそれをすべて見送っていた。いや、見送るしかなかった。イムニティ(仮)が言った契約という言葉が気になる。璃湖との関係が気になる。いや、アヴァターと白の書について気になる。とにかく気になることだらけだった。
このことは、璃湖と合流して相談しようと心に決めた。
大河がそんなことを心に決める直前、校門前の狼たちの群れの前が沸いた。理由は簡単だ。もう一つの大輪。『純白の薔薇』が現れたからだ。
いつものように彼女は、右手に鞄を持ち何でもないように歩いてくる。
『純白の薔薇』の撃沈率は百パーセント。『真紅の薔薇』と違って得ることは誰にも出来ていない。
だからだろうか。今日こそは俺が、という狼が後を絶たないのは。それどころか、何度もトライするつわものだっている。それほどまでに魅力的なのだ。『純白の薔薇』は。
そんなわけで今日も『純白の薔薇』の元にはたくさんの狼が向かう。だが、向かって話しかけるのと同時に、今日は棘を指された。いつもなら、やんわりと避けて通るはずの『純白の薔薇』が、今日はやけに攻撃的だった。一人、二人、三人。次々と『純白の薔薇』に指されていく。いくらなんでもそれを甘美に感じる奴はいないはずだ。
皆、敗北感に打ちのめされた。
そして、最後の挑戦者が、声をかけた。そして、誰もが思った。
彼でダメなら、彼女は誰が狩り取れるのか? と。
そう、最後の狼は『桜坂高校』の高橋。その人であった。
だが、狼の願いも虚しく、彼の狩りは三十秒も持たなかった。あっというまに撃沈される狼高橋。その背中に漂う敗北感は、周りの狼の同情を広く感じさせた。
なぜなら、彼はこれが最初の挑戦ではない。何度目かなど、数えるのも嫌なくらい挑戦しているのだ。普通の花なら、一回ぐらいは引っかかっているはずである。相手が高橋ならはなおさら。
だからだろうか。簡単に振り向かれては狩人として燃えないということだろう。挑戦者が後を絶たないのは。だが、それも今日で終わりだろう。彼らを燃えを一瞬で鎮火させる出来事が今日、起きるのだから。
それは例えると、ありえない出来事だった。一日で日本が沈むとか、太平洋からアトランティス大陸が上昇したとか、そんな夢の中での出来事であったはずだった。誰もが、現実を一瞬だけエスケープした。隣の奴から本気の拳を喰らった奴もいた。
それほど信じられなかった。
『純白の薔薇』が犬に自ら抱きつくなんていう怪奇現象を。
「大河さんっ!!」
「うおっ! り、璃湖か」
突然、目の前にドアップで現れたのは愛しき彼女である璃湖であった。しかも、抱きついてきて手が背中に回されていた。本来なら笑顔で迎えてやりたいところだが、生憎考え事をしていた大河にはそれは不可能だった。
「何を驚いているんですか? 驚いているのはこっちですよ」
確かに、前もってアポイントメントがないのに現れればそれは驚くこと間違いないだろう。
「ああ、実はな、バイト先の人がシフトを交代してくれって頼まれて……それで今日、突然空いたからな。
電話してみたら学校が終わってなかったみたいだから、迎えにきてやろうと」
「それならメールで十分でしたのに」
「いや……その……な」
照れくさいのか鼻の頭をかきながら、蚊の泣くような声で大河は言う。
「少しでも長く璃湖と居たかったんだよ」
その言葉ははっきりと璃湖に聞こえた。
感極まった璃湖は、目に涙を少しだけためる。大河に久しぶりに会ったのと優しい言葉の所為で涙腺がかなり弱まっていた。
「私も……大河さんと長く一緒に居たいです」
「璃湖……」
璃湖と同じように感極まる大河。ここが学校の前じゃなかったら、おそらく璃湖の顎を軽くあげ、帰すの状態にまで軽く持っていっただろう。先ほども書いたが、ここは学校の前だ。ギリギリ残った理性が、璃湖とのキスを断念させた。
「それじゃ、行くか。いろいろと話したいことがあるんだ」
それは本当に色々だった。イムニティ(仮)から日常会話にいたるまでたくさん璃湖と話したかった。
「はい。私もたくさんあるんです」
それは璃湖も一緒だった。何よりも念願の大河と一緒の時間である。一秒でも多く楽しみたいというのが本音だった。
大河から手を離し、横に並ぶ璃湖。それを見た大河は、少しだけ肘を突き出す。何の理由もない。あえて理由を言うなら先ほどの祐一たちを見ていたからということになるだろうか。
一瞬だけ、きょとんとした璃湖だったが、大河の意思に気づき喜んでその腕にしがみついた。
少しだけ照れくさかったが、それでも璃湖とこういういちゃつきが出来ることが何よりも嬉かった。だから、その照れくささなんてどこかへ吹き飛ばしていた。
「それじゃ、行くか」
「はいっ!」
満面の笑みで答える璃湖に満足しながら大河も祐一と同じように緩やかな坂道を下ろうとする。
しかし、そう簡単に問屋は卸してくれないようだ。
「おい。ちょっと待て」
なんとなく呼び止められたような気がする二人は後ろを振り向く。後ろには、先ほど負け犬と化した『桜坂高校』の高橋が立っていた。
「なんだ? 用事があるなら早くしてくれると嬉しいんだがな」
そんな大河の余裕とも思える口調が癇に障ったのか少し表情を怒りに変える。
「すぐ終わる。璃湖さん。そいつは一体全体何者ですか?」
それはその場に居た男たちの心を代返していた。
そして、答えは無残に、残酷に、一瞬の躊躇もなく、少しの情けもなく、完膚なきまでに叩きのめすように告げられる。
「当真大河さん。私の彼氏です」
その衝撃はどのように表現したらいいのだろうか。雷に打たれるよりも、波に飲み込まれるよりも、火山の噴火に巻き込まれるよりも、想像を遥かに超えた衝撃を男たちに与えた。
その理由は、決して璃湖に彼氏がいたからという訳ではない。『当真大河』という『雪花高校』の男が彼氏だったという事実に衝撃を受けているのだ。今まで見向きもされなかった璃湖が格下の男にとっていかれる。『桜坂高校』という肩書きを頼りに女を狙っていた彼らにしてみれば、たとえ天地がひっくりかえろうとも、天動説になろうとも、ありえないことだった。
それは高橋も同じ。しばらく固まったままである。絶対零度の中で固まった氷像のように立っている。
そういう態度に困ったのは当本人。つまり璃湖である。どんな反応を返していいのやら。自分の返答に何か問題があったのか振り返る。だが、何の問題もないような気がする。だからこそ、彼らの行動が不可解だった。
「……璃湖。こりゃ、どういうことだ?」
「わかりません」
まったくその通りである。
硬直から三十秒後。ようやく、正気に戻った高橋くん。すぐさま、大河を睨み付ける。まるで親の敵のように。
「お、おい……」
アヴァターで自分身長よりも遥かに高い相手と敵対したこともあるという大河はこんなことではひるまない。だが、戸惑いはする。いきなり、睨み付けれられるのだから。
「……ふんっ」
鼻を鳴らして高橋は、大河から視線をはずした。
「璃湖さん。冗談はよしてくださいよ。こんな、センスもない、頭もない、お金もないような奴があなたの彼氏のわけないでしょう。こいつには璃湖さんの隣を歩く資格すらない」
失礼な事を連発する高橋。血の気の多い大河は一瞬で反応してしまう。
「おいっ! お――」
しかし、最後まで言うことは叶わなかった。なぜなら、つかみかかろうとした大河を制した片手があったから。その片手の持ち主は言うまでもないだろう。そう、木本璃湖本人だった。
先ほどは、大河自身が怒っていたため気づいていなかったが、こうして改めてみてみると……
「こ、こえぇ」
ほとんど、怒という感情をあらわにしない璃湖が怒っていた。それも隠さずに。璃湖の場合、怒りを表すのは稀である。つまり、大河は今、貴重な体験をしているといえる。
しかし、もっと貴重な体験をしているのは怒りの矛先を向けられている高橋だ。だが、本人は璃湖を怒らせたことにまったく気づいていない。それどころか、如何に自分が優れているかという演説をくどくどとしていた。
璃湖は、大河を制すと無言で高橋に近づく。そして、丁度間合いに入ったとき、その手を振り上げる。
「だから、璃湖さ―――」
パチーーン
その音だけが空間を支配した。
その音源は、高橋の頬だった。高橋自身はその音を分かっていない。呆けているような虚ろな目をしている。ただ、頬が少しだけ赤いことと、スナップを利かせた手首を振り終えた璃湖が視界に入ったことだけが、ただ璃湖からはたかれたという事実を認識させるだけだった。
そして、高橋を睨み付けた璃湖が放つ一言は、高橋の心を抉り、切り刻み、捻り、完膚なきまでに叩き潰した。
「最っ低ですっ!!」
踵をきびす返し、大河の腕を取り無理矢理引っ張り、足早に坂を下りていこうとする。
一方、傍観者と化すしかなかった大河は少しだけ、高橋に同情した。
もしも、愛しい璃湖からあの一言と頬に一撃をもらったら、と想像すると先ほどの憎さを通り越して同情が生まれたのだ。
だが、それもすぐに霧散する。怒り爆発の璃湖をどうやって宥めるか、それだけが頭を支配したからである。
だから、気づけなかった。高橋の怨念の篭った視線に。
続く
あとがき
どうも! てる です!
かなり久しぶりではないでしょうか? というわけで投稿第二話です。
二話のくせに相当進んでいるような……? この調子で行けばあと五話もせずに終わってしまいそうです。
さてはて、今回は、璃湖を取り巻く環境についてでした。こんな感じなんですかね(笑
本当にこんなのがあったら嫌ですね。
高橋君は次回も活躍してくれると思います。そして、次回はやっぱり皆さんが考えているような状況に!!
というわけで、次回は、そういうシーンを見せれたいいな、と思っております。
あ、あと、祐一と衣夢の関係はまたいずれ……この二人も『運命の二人』なんで。
それでは! BY てる