春の暖かい気候から、夏の暑い時期へと移り変わり、また、梅雨が始まろうとする五月。
そして、五月病というのも世間では有名です。
例えば、新しい大学生なら受験の反動で気が抜ける時期。
生憎と私はまだ高校生ですから、社会人の五月病の原因はわかりません。
でも、少しはわかるかもしれませんね。
つい、一ヶ月まえに私は高校二年生となったわけですが、いまいち実感というものがわきませんし。
一年前にここに入学してきたのは昨日のことのようにも思えます。
つまり、五月は少しだれてしまう時期だということですね。
でも、五月には決して外せない催し物があります。
それは――
「どの花がいいですかね……悩みます」
「普通にカーネーションでいいんじゃないか? 母の日なんだし」
そう、今日は母の日です。
カーネーションに思いを込めて
「ですが、去年もカーネーションを送りましたし、やっぱり毎年同じものは……」
「子どもからのプレゼントなんだ、親なら誰でも嬉しいだろ?」
「ですが……」
「はぁ……ったく、いきなり教室に来て、何かと思えば母の日のプレゼントのアイデアをくれだもんな……」
やれやれ、と言って肩をすくめる相沢さん。
顔はかなり不満気です。
ですが、仕方がありません。私は自慢ではありませんが、贈り物は苦手です。
そして、品物に関しても詳しくありません。
ですから、一番そういう事に詳しそうな相沢さんに頼んだのですが……
失敗だったでしょうか?
「それには、母の日なんて花屋の企業戦略じゃないか。何でこだわるんだか」
「こういう催し物がなければ、母親に物を送りにくいではありませんか。私はいいと思いますけど」
「まぁ、天野ならそういうだろうな。俺にはわからないけどな」
私を見下ろしながら苦笑とも取れる笑みを浮かべる相沢さん。
どうでもいいですけど、その笑顔からはイジワルなオーラが漂っている気もします。
「失礼ですが、相沢さんは母親に物を送ったことがないのですか?」
「あ、ああ……」
私がそう言うと、相沢さんは頭に手を当ててなにやら考え事をしています。
かろうじて『まてよ……』『いや、まて、あの時は……』とかいう類の言葉が聞こえます。
そして、きっちり30秒後でしょうか?
詳しくは計ってないのでわかりませんが、相沢さんは仰いました。
「送ったこと……ねぇな」
と、頭をかきながらばつが悪そうに。
はぁ、やっぱりでしたね。
見るからに親に贈り物をしなさそうな人ですし。
そういうところは無頓着なんでしょうか?
「駄目ですよ、折角のこういう催し物があるのですから」
「うっ……」
「日頃お世話になっている親に贈り物の一つぐらいしないと、それは人として不出来と言うものでしょう?」
「あぁ……そうだな、うん。でもな、母さんは今外国だからな……送る気には、な」
あ、そうなんですか。相沢さんの叔母さんは外国におられるのですね。
初めて聞きました。相沢さんはこういうことは話しませんから。
「確かに外国におられるのでしたら、ちょっとですね……」
「だろ? だから必要ねぇよ」
相沢さんは手をヒラヒラと振って、いらないと言うことをアピールしてます。
「ですが、秋子さんがいるでしょう? お世話になっているのですから、贈り物をしてはどうですか?」
「あ……そういえば秋子さんがいたな……」
「秋子さんにはお世話になっているではありませんか」
「だなぁ……なぁ、天野。手伝ってくれるか?」
「はい?」
手伝う? 何を手伝うのでしょうか?
「いやな、初めてだからな何も分からないんだ。どんなのが喜んでくれるかな?」
ああ、そういうことですか。
あの話の流れからわからないなんて……私は少しのぼせているのかもしれませんね。
「基本はカーネーションでいいと思いますよ。ほら、これなんか……」
「ふーむ、カーネーションか……なるほど」
「いやぁ、ありがとう天野。俺一人じゃ何もわからなかったよ」
「いえ、こちらもお世話になっていますし」
最初は私が相談にのってもらうはずだったのですが……まぁ、終わりよければ全て良しですね。
ちゃんとお母さんへの贈り物も買いましたし。
「そういえば、相沢さんは何を買ったんですか? 随分と悩んでいたみたいですが」
「あ、ああ。結局コレにした」
そう言って、相沢さんは手に持っていた袋を私のほうへと突き出しました。
手の先にある袋を取ってみると、ずしりと重いです。
中を見てみると、二色のカーネーションの束が綺麗な籠に入れられてました。
もの凄く上等なものだと思います。
私の持っているものとは……その、なんというか風格が違います。
「随分と立派ですね……高くありませんでしたか?」
「ああ、かなりしたな……えっと」
そう言って、相沢さんはレシートを財布から取り出しました。
ちゃんと取ってある所が十分に主婦、いえ、主夫臭いと思うのですが……人に言う前に自分を見て欲しいものです。
「……っと、7500円だな」
え、えっと、いま変なことが聞こえたような気がします。
な、なにやら7500円とか……
な、ななせんごひゃくえんですか!?
そ、そんな……私の物はその三分の一以下です。
「あん? どうした、天野? 顔が変だぞ?」
「い、いえ! なんでもありません」
「そうか? ならいいが」
どうやら変な顔になっていたようです。
少し恥ずかしいですが、それよりも相沢さんに脱帽です。
なんというか……その、やる時はやる人というのでしょうか。
「どうした? さっきから俺を尊敬するような目で見て……惚れたか?」
「い、いえ! 決してそのようなことは!」
「そ、そこまで力一杯否定しなくてもいいと思うんだが……」
私の目の前であからさまに落ち込む相沢さん。
騙されちゃいけません。絶対に演技です。
何度同じ手で騙されてきたことか……数えたらキリがないくらいです。
今回もまたそうなのでしょう。
いきなり『惚れたか?』なんて、その筆頭でしかありません。
普段言われないので、ちょ、ちょっと慌てましたが。
「んで、天野は何を買ったんだ? 見せてくれるか?」
「駄目です」
「何でだよ? 俺だって見せたじゃないか?」
「絶対に駄目です」
相沢さんの後に、どうしてこんな2000円の陳腐な物を見せられましょうか?
いや、見せられるわけありません。
だから、後ろに手を回して見られることを防がなくてはなりません。
「ひょいっとな」
「あ!」
僅か三秒で取られてしまいました。
いくら男女の差があるからといって、自分の身体能力の低さにただ涙です……
「駄目です! それは――!」
「どれどれっと」
私の叫びも空しく道へ木霊し、相沢さんは袋を覗き込んで――
「うーん、ちょっと渋いと言うか、何と言うか」
と、苦笑しながら言いました。
非常に余計なお世話です。
「……どうせ渋い品です」
今月はお金がなかったんです。
流石にそれは言葉にしませんが。
「い、いや、違うんだ。俺は褒めてるんだよ」
「お気遣いは結構です!」
大体そんな誠意の無い顔で言って、誰が褒めてると思うのですか!
「あ、なんだ……その、ごめん」
「………………」
「ま、待てよ! お願いだから黙って歩いていこうとするな!」
相沢さんの声が後ろからして、段々と近づいてきます。
それでも私は歩みを止めません。
少し怒っていましたけど、慌てる相沢さんを見るのが面白かったのかもしれません。
現に、自分でも少し笑っているような気がします。
いえ、多分笑っているんでしょう。
頬が緩んでいるのがわかりますから。
「ま、待てったら!」
そろそろ頃合ですか。
だいぶ走っているみたいですし。
「っと、わわわ!」
車は急に止まれない。
良い標語ですよね。
そう、今の相沢さんを的確にとらえてます。
私を通り越して、人を避けると、曲がり角まで行ってしまいましたね。
確か、あそこはすぐに行き止まりのはずです。
あ、何かが何かにぶつかる音がしましたね。
今度は何かが倒れる音です。
…………やりすぎたでしょうか。
まさかここまで上手くいくとは思いませんでしたし……
「あの……相沢さん。大丈夫ですか?」
曲がり角から顔を出して、恐る恐る覗いてみました。
「……天野。これのどこが大丈夫見えるんだ?」
「………………」
はっきり言って、見えません。
カーネーションのはいった袋は無事なのが幸いです。
敢えて、相沢さんの事は言いません。
「あ、あの……すみません。そこまでなるとは……」
「いや、もういい……こっちも悪かったからな」
相沢さんは、そう言って立ち上がり、頭の上にのっていた埃を払いました。
人のいる前であまり埃などは払わないでいただきたいものですが……私が悪いので何も言えません。
「それでだ、天野も近くにいるし、幸いにして人通りも少ない」
「は、はぁ……」
人通りが少ない事に何か関係があるのでしょうか?
それより、何故いきなりそんな話になっているのでしょうか?
相沢さんだからまず無いと思いますが、もし不埒な行為をしようとするのでしたら……大声で叫びます。
第一、私と相沢さんは何の関係もありませんし。
「さて、天野。今日は何の日だ?」
「先ほどから言っていますが、母の日です」
「そうだ、母の日だ。というわけでだ」
すっ、と相沢さんの手が私のほうに伸びます。
手には何故かさきほどのカーネーションが握られています。
「何のつもりですか?」
「何って、プレゼントだ」
相沢さんは清々しく笑って、そう言いました。
その清々しい笑顔とは反比例に私は苛立ってきていますが。
理由は言わずもがな。今日は母の日ですから。
そう、母の日なんです。
「おばさんくさい天野に母の日の――」
もう駄目でした。
実は予想していたことです。
もしかしたら、でも、相沢さんでも流石にそれはしないと。
ですが、目の前にいる相沢さんはしてきました。
私が常日頃からどれくらい嫌がっているのかも知らないで。
「あ、天野…?」
「知りません!」
気がついたら、相沢さんを手で叩いていました。
呆然としている相沢さんの顔が、今ではとても苛立ちました。
だから、後ろを向いて。自分の家に全力で走りました。
相沢さんの顔なんて……見たくありませんでした。
「ま、待ってくれ! 違う! 違うんだ!」
そんな声なんて聞く気もありませんでした。
「美汐、ご飯ですよ」
「あ、はい」
お母さんの言葉で、私は自分の部屋から出て、居間へと向かいました。
あの後、相沢さんは追ってきませんでした。
もし、追ってきたとしていても、恐らくまた叩いてしまっていたでしょう。
のんびりと歩き、食卓につきゆっくりとご飯を食べます。
何か味気ありませんでした。
やはり、相沢さんとの一件が尾を引いていたのでしょうか……
ですが、アレだけは許せませんでした。
いくら私の事がおばさんくさいと言っても、あんなことだけはしないと思っていました。
だから、頭にきて叩いてしまいました……
味気のない食事を終わらせて、自分の部屋へと向かいました。
何もやる気がでません。
母の日のプレゼントは受け取ってもらいました。
お母さんの顔はとても喜んでいましたが、私は晴れた気分にはなりませんでした。
考えてみれば、何故私はあんなに怒ったのでしょうか。
何故?
いえ、答えなんか出ていました。
私は相沢さんに好意の類を抱いているのでしょう。
よく考えればすぐわかったことでした。
でも、相沢さんは私をいつもからかってばかりで……
確かに相沢さんに『好き』とかは言っていません。
自分のこれが『恋』なのかもわかりませんでしたから。
「あ……」
ふと見ると、机の上に綺麗な籠が置かれていました。
見覚えのある小さな籠。
間違いなく相沢さんの買ったはずのカーネーション。
「どうしてここに?」
あるはずがない。あるはずがないもの。
あれは相沢さんが持っていたはずですから。
中を見ると、二色のカーネーションが並んでいて。
綺麗な籠がそれをアピールしていて。
そして、風格が漂っていて。
間違いなく相沢さんのもの。
その中に、何かが入っていました。
小さい小さいカードみたいなものが、ひっそりと入っていました。
そのカードを見て、私は期待に胸がふくらんだのでしょうか。
実はあまり覚えてないんです。
ただ、すぐに家を出たのだけは覚えていますが。
そのカードにはこう書かれていました。
『母親のように親愛なる女性、天野美汐に捧げる花 相沢祐一』
そして、裏には
『拝啓 天野美汐様
本日は貴方に迷惑をかけてしまいました。だけど、これだけ読んでもらいたいです。
文字に書けば……少しは言えるかと思いましたが、どうにも駄目なようです。
ですから、今度は勇気を持って少し話したいことがあります。
これを読んでいらっしゃるようでしたら、本日公園においでくださいませ。相沢祐一』
と、見るからに緊張したたどたどしい文字で。
後書き
TANUKIN:最近富に思うことありけり。
T:なんというか、ヘタレですねと。
T:はぅぅ! ごめんなさい!
T:なんでかこんな話になりました!
T:ゆ、許してくださいまし! あぅぅぅぅぅぅぅ(涙