観客は祐一達以外には存在していない。
両手で数えられる程度の人数しか那美・龍平の試合を観ていない。
理由は単純にして明快。
単なる観客からしてみれば、結果が分かりきった一方的な試合、否苛め。
ライバルたる学生からしてみれば、観戦し分析してみるまでも無い価値の薄い試合。
時間の無駄に時間をかける生徒は居る訳も無く
競技場は閑古鳥が鳴いていた。
そしてそんな閑散とした競技場に居る面子は揃って茫然とした表情を浮かべている。
「ねぇ、相沢君」
「……言いたい事は何となく想像出来るが、なんだ美坂?」
「あたしって予言能力とかあるのかしら」
「あれを予言と言えるのなら、天気予報のお姉さんはノストラダムス並の大預言者だと思うぞ」
口をへの字にして、祐一は香里の戯言に付き合う。
確かに今目の前で起きている事は、香里がつい先程口走った事態に酷似しているのだが、
何故だか祐一の脳内には違和感がとぐろを巻いて鎮座している。
「……おかしい」
つい口から独り言が零れ出す。
耳聡い、否祐一限定でダンボ耳状態な香里はその独白にも反応する。
「何がよ。那美が凪君の態度に堪え切れなくなって、開始直後に突進を仕掛けて
哀れな凪君。そんなトップスピードに付いていける訳も無く、
敢え無く薙刀が直撃して吹っ飛ばされて、今現在救護班到着待ち。気絶中。
それ以上でも以下でも無いと思うのだけど?」
「いや、上手くはいえないんだが、何かがオカシイ」
「それもそうですね〜龍ちゃん、血〜流れてませんし〜」
「「「!!!」」」
桐子の何気ないコメントは祐一の疑問を吹き飛ばしてくれる物であった。
そう、この大会は基本的に不殺以外は何でもありであり、
したがって訓練時にいつも装着必須であった緩衝材『キレない君』(商標登録出願中)は取られている。
とすれば、勢いつけた薙刀が直撃→吹き飛ばされるというお約束なパターンであっても
当然、ダクダクと流血しなければ不自然なのである。ギャグじゃなければ。
「ということは……」
「今凪さんが倒れているのは……」
「ブラフってことになるだろうが……」
信じられない。
一同の胸に同じ思いが去来する。幾度となく、那美の刃の軌跡を拝んでいる香里が全く以って気が付かない、
ましてや強制的に己の能力にリミッタを設けているとはいえ、武に関してはトップクラスである祐一すら気が付かない。
そのようなブラフを目の前でやられたのだろうか。
「じゃ、ブラフだとは良いとして」
「いいの!?」
「香里落ち着け。多分、これ以外にこの状況を上手く説明するものは無いと思うんだが」
「……それで納得したくはないけど。例えば、避けた拍子に頭打ちつけて気絶……って自分で言ってておかしいわね。
そもそも気絶してるとしても、那美の一撃は避けているって事だし」
「だな。兎にも角にも流血沙汰になってないって事は避けた訳だ。
……うーむ、信じられん」
リングの床に寝そべり、うつ伏せのまま微動だにしない龍平を見る。
観客席からでは本当に気絶しているのかどうか判断出来ない。
龍平の近くに居る那美、石橋両名は既に龍平に関心を寄せておらず、救護班が来るのを待っているだけ。
このまま、何事もなく龍平は救護室に運ばれていき、試合は終了となるのだろうか。
「あ、そうです。一つ聞きたい事があるんですけど」
「なんだ卯月?」
「あの『カトラス』って何ですか?」
「えっとな、Cutlasというのは片刃の剣の事だ。片刃といっても零とか俺が持っている日本刀じゃなくて、洋剣の方な。
でもさっきのはそういう意味で使われた訳ではないよなぁ」
「凪君は傭兵だって言ってたけど」
「そんなに有名な傭兵いたか?」
「「さぁ?」」
首を傾げる香里と卯月。
だが一人桐子だけは何も答える事は無く、一言呟くのみ。
「いましたよ、ちゃんと」
そうこうしている内に、救護班が到着する。
腕に救護班とかかれた腕章を身につけた四人がせっせと担架を運んできた。
「あっけない幕切れでしたね」
「ね〜」
「結局の所、ブラフだったのかも分からないし、なんか消化不良だけどな」
「そうね。だけど負けは負けって事で凪君にはたっぷり奢ってもらわないと。
その日ばかりは栞にアイスを鱈腹食べさせてあげようかしら」
「香里、流石にそれは値段的にも栞の体調管理の面でも止めといた方がいいんじゃないか?」
香里の思いつきに冷や汗を垂らしながら祐一は応える。
他の面子も口には出さないものの、苦笑を顔を貼り付けていたが……
「うおっ」「うわっ」「ちょっおまっ」「だー」
突然の叫び声に振り返れば
救護班4人が4人とも躓き床に倒れていく最中。
当然のことながら、必死に体勢を維持しようと両の手でバランスを取ろうともがく訳で
必然的に掴んでいた物は離脱していく訳である。
今更そんな事をしようが倒れていくのを止められようも無いのはこの際置いておいて。
そして順当な結果として
担架は放物線を描き、龍平の下へと飛来する。
「「「「え〜!!」」」」
担架はその責務を全うする事無く、逆に負傷者に更なる疵を与えようと覆い被さって行く。
その時、
ビクン
祐一は確かに何かを感じ取っていた……
D
第13話
見た目よりも重い担架が地面に叩きつけられる音が会場に響き渡る。
音と共に砂埃も周囲に拡散した為、落下点の様子は観客席からは見えてはいなかった。
(落ちる瞬間、寒気がしたのは気のせいだろうか)
先程の感覚に頭を捻る。
あれが『寒気』なのかどうかも良く分からない。
ちらと横目で仲間達の様子を探るが、特に同じ感覚を味わっている様な気もなく
自分の思い過ごしだという事にしておく。
「流石にこれは痛いよなぁ」
「気絶してようがしてまいが関係ないわよねぇ」
「そ〜ですね〜。ワタシの見立てでは〜あの担架が10Kg程度の質量だったとしましたら〜
しかも〜取っ手の部分が突き刺さると言う最悪の事態だとしますと〜肋骨骨折ですかね〜
下手すると〜その骨片で内臓に損傷を与えるかもしれませんね〜はわわ! 大変です〜」
「そんな呑気そうに言わないでくれ……あと、自分で言って自分で焦るな」
自分で診断して自分で焦っている桐子に律儀に突っ込みを入れる。
話している間に薄れてきた砂埃を祐一は凝視したが
「あ? いない?」
「嘘でしょ? 世界ビックリショーじゃないのよ? ヒトがそんなに簡単に消えるわけ無い……けど居ないわね」
砂埃は晴れ、ギャグさながらに担架が床に刺さっているのは確認できたが
気絶もしくはその振りをしていた龍平は何処にも見当たらなかった。
先程までぼーっと救護班を待っていた石橋、那美両名も龍平が居ない事に気が付き、首を傾げていた。
序でに救護班は床に打ち付けた箇所を摩っていたりする。
そのような軽く混沌の場と化してきた競技場に、透き通るような鋭い声が響いた。
「先生! 後です!」
「みっしー!」
「その呼び方は止めて下さい!」
いつの間に現れたのか、声の主は祐一達の近くに居た美汐であった。
そして、その声が示した石橋の後ろには、確かに何かが潜んでいて
「お、お前いつの間に!?」
石橋が振り返ってみれば、消息不明だった凪があははと苦笑しつつ縮こまっていた。
「いつの間にって言われましても……
ほら、えーっと、な、な、なー……名前なんでしたっけ?」
「聖木那美!」
「あーそうそう、そうでした。那美さんがこう異形と間違えるほどの」
「異形って何ですか! 人を捕まえてその言い方は無いんじゃないですか!」
「まぁまぁ。んで、まぁ那美さんに吹き飛ばされて気ぃ失ってたんですけど、
運良く担架が落っこちてくる前に気絶状態から覚めたんで、あたふた逃げ出したと」
「でも、あなたが逃げたのは見えなかったわ!」
見えなかった事でまた怒りのタコメータが上昇したのであろう。
無意識に反論する声が高く、大きくなっている。
「ん〜、でもずっと集中して観ていた訳ではなかったでしょうよ。違います?」
「それはそうだけど」
結局、有耶無耶のまま追求は矛先を見失う。
ちょっとした沈黙に包まれた会場から、その当事者たる龍平は
脱走した。
それはもう、欠食童子が銀シャリを目の前に出されたぐらいの必死さで。
「ま、待ちなさあああああああい!」
那美が慌てて追い駆けるが
誰の目にも追いつかないだろうと言う事は分かっていた。
厳かに、そこに残された石橋は告げる。
「勝者、聖木」
声は高らかに響き、だが一人として聞いている者はいなかった。
「で、結局良く分からない決着だったけど。凪君の敵前逃亡って事でいいのよね?」
「ああ、そういう風になると思うけど」
なんかモヤモヤするのよね、と顔を顰め、香里が応える。
そんな彼女の姿と後で賑やかに騒いでいる二人組みを尻目に、祐一は先程の試合の結果ではなく、
龍平に奢ってもらう事でもなく、担架が落ちてくる時の事を思い出していた。
確かに、確かに落ちる瞬間まで観ていた筈。
担架が床に落ちる瞬間まで。
落ちる瞬間。
そう落ちる……瞬間……?
「落ちる前にはいなかったって事か」
「相沢君?」
「ああ、さっきの事思い出してただけ」
益々訳が分からない。
奴がここに来た理由は調査の為だと、戦闘の前線には立たない、と暗に言っていた筈。
だが、どうだ。
今日見せた奴の瞬発力と言い、前に香里と凶子……もとい、真琴の同時攻撃を止めた事と言い、
一線級の活躍を魅せる傭兵のようではないか。
一体奴、凪龍平は何をしに来たのだ?
「相沢君……」
「あー。また声に出してたか?」
「じゃなくて、足元」
「あ」
「ちょっと! 今さっきこのぐらいの身長で、黒い服着た短髪の男が来ませんこと?」
鬼気迫る表情で、道往く人々に問い掛ける那美。
競技場から中央の校舎の方へと駆けて行く龍平の後姿をちらっと見かけたはいいものの、そこからの足取りを完全に見失っていた。
それでも、多分向かったであろう中央校舎に向けて直走っていく。
「待ってなさいよ!」
そう叫びながら袴を翻して走る那美を、木陰からそっと観る二人。
片方は那美の怒りの矛先である龍平。
そして、もうひとりは
「さて、やっとゆっくり話せるなぁ。みっしー」
「その呼び方は止めて下さい。私も聞きたい事が山ほどありますから、覚悟して下さい」
そう言って涼しげな視線を龍平に向ける。
「義兄さん」