龍平が独り屋上で黄昏ている。

眼下に広がる雪羽の街をじっと見据え、考えに耽る。

空はまだ十分に明るい、寧ろまだ朝と呼ばれるような時間帯。

なぜか後姿が夕日に照らされ、煤けている様に見えるのは目の錯覚か。

元々、自分の悩みや思考を他人には話さない性格ゆえ、何を考えているのかは誰にも解るまい。



ふと、空を見上げる。

雲一つない陽気。本来なら喜ばしいこの天候。

唯一つ、これ程までに濃密なマナが溜まっていなければ。



太陽によって薄く白く、存在を隠す様に昇っている月を見る。

そう、例え新月と言えども月が無くなった訳ではない。

夜の闇には姿を現さずとも、昼の明には姿を現す。

故に、『抜け出る穴』がない限りマナが減る等ということは無く、ただただ増加の一途を辿る。



視線を街に下ろす。

マナの増加は一体どれ程の影響をこの街に与えているのか。

何も小動物だけがマナの影響を受ける訳ではない。

道端に目を向けてみればよい。植物の生態は小動物のそれよりも大きな変化が現れている。

このままいけば、まず間違いなくヒトという種にも影響が出る。

否、ミクロで見れば十二分に影響が出ている可能性はある。唯、自分が知らないだけで……


「龍ちゃん。そろそろ出番ですよ〜? 出ないと香里さんに殺されますよ〜」


屋上の扉を開けながら、物騒な事をのたまう幼女A。


「なぁ……本当に出なきゃいけないのか?」


相手の返事が解っているのにそれでも聞いてしまうのは未練か。


「はい〜」


容赦無く、呆気無く、偽り無く、龍平を沈める言葉を吐く幼女Aこと、桐子。


「分かったよ……行けばいいんだろ、行けば」


「いえ、予選突破しないと〜奢り地獄が待ってますよ〜」


「……」


既に言葉にならない。さめざめと心の涙を流しながら幼女に手を引っ張られていく姿は人々の哀愁を誘うのに十分な程だ。

残念ながら周りに観客はいなかったが。


本日は校内統一の個人戦予選日。

『武』クラスに限らず、参加意思のある者全てをひっくるめての学園一を競う武術大会個人戦。

ルール無用のバリトゥードめいた試合であり、守られるべき項目は『不殺』のみ。

危険ではあるが、それ故に授業のルールでは決着のつかなかった試合に決着を付けられる。

中には日頃の生温さにストレスの溜まった戦闘狂がいるとかいないとか。

こんな危険な「檻」の中に龍平は入れられてしまったのであった。





D

第10話





話は数日前に遡る。


「お疲れ」


無事、本日の講義も全て終了。龍平は筆記用具その他を鞄の中に仕舞い、友人と別れの挨拶を交わす。

「今日これからやらねばならない事」をぱぱっとリストアップしつつ、寮に歩を進める。

特に学園関係の仕事は無く、本来のお仕事に取り掛かるかと考え、

今度は「調査する点・確認事項」をリストアップ。

それに対する処置・取り掛かる方法・現在までの進行状況を思考・確認。

龍平はこれらの作業に没頭していた。

勿論、何時でも周囲の状況には気を配ってはいるものの、そういった第六感じみたものは

特に自分に敵意を発している事に敏感であって、全てを捕らえているわけではない。

今回はこれが徒となった。


『下弦』の寮生が学園から帰る為には商店街を通る必要がある。

例外なく、龍平も商店街を通過していた。

その龍平から離れること、およそ100mの所にちょこまかする影が二つ。

殺気も敵意も発しないこの追跡者達。一体何がしたいのか。


「そろそろ捕獲しないと百花屋過ぎちゃうよ、桐子?」


「そ〜ですね〜。じゃ〜、捕縛しますか〜。いざ、吶喊〜」


気合の抜けそうな号令と共にスカートと白衣を翻し龍平に駆けていく桐子と卯月。

そのスピードは彗星の如く、龍平を破壊せんとばかりに突撃していく。



「む」


何故だか知らないが背中に冷や汗が浮かんでくる。

第六感が高らかに警鐘を鳴らし続ける。マズイマズイマズイマズイ……

これ程までに恐怖を感じるとは、一体何が来るというのか!


「龍ちゃ〜ん!!」「凪さ〜ん!!」


「え?」


悪寒に気を取られつつ、呼ばれて振り向く。

そこには……とココまでしか龍平は記憶していない。

その代わり、商店街の人々は星になった龍平を目撃していた。











「大丈夫ですか、凪さん?」


「……まぁな」


所変わって百花屋の一席。

言い忘れていたが、百花屋は壊された翌日に直っている。これぞ雪羽マジック。


吹っ飛ばされた龍平は引き摺られるように、否実際引き摺られていたのだが、

気絶した状態で桐子と卯月に百花屋に連れてこられた。

とは言え、席に安置されて数十秒で復活していたりする。


「で、だ。なんであんなことした? 普通に俺を誘えば良かっただろ」


「誘ったら来ましたか〜? 龍ちゃん、ここ何日か付き合い悪いじゃないですか〜」


「まぁ俺だってやる事あるんだぞ? 何時も何時も付き合えるわけじゃない」


苦笑して答える。確かに先の週末と週の頭は、桐子や卯月の誘いにも応じず、

多角的な面から調査を行っていた。そのお陰でマナの激増に関する調査は大分進んだのだが。


「ですから〜今日は絶対に付き合ってもらお〜と〜捕獲作戦を展開したんですよ〜」


龍平の答えに我が意を得たりといった表情で喋る桐子。

目の前に置かれた空のバナナサンデーの器が妙に似合っている。


「……あのな。捕獲って俺、小動物とかそういう種類じゃないんだよ……。

 しかも、あのスピードで突撃されたら普通病院送りになるぞ。

 今回は偶々当たり所が良かったら良いものの。北川にやる分には問題ないがね。

 それに、卯月。なんで桐子と一緒になってやるかなぁ…」


「す、済みません。つい出来心で」


卯月はぺこぺこと頭を下げる。確かに申し訳なく思っているのだろう、

その証拠にトレードマークのあほ毛が萎びた感じになっている。

卯月の前にはケーキの皿が置かれているが、既に鎮座していたチョコレートケーキは消えている。


「その割にはすっごく楽しそうに突進してこなかった?」


「いえ、あの、その、あははは……」


笑う声が白々しい。

やはり心のどこかで数日間構ってもらえなかったことに不満があったのだろう。

これ以上、二人を責める気にもなれず、溜息を一つ吐く。


「あのぉ、今更ですけど、迷惑でしたか?」


卯月が申し訳無さそうに尋ねる。

しかし、男が可愛い女性に上目遣いで眉を下げウルウル目で見られて、強く出られるわけが無い。

龍平だって男である。上目遣いで不安そうにする卯月を見て「迷惑だ!」と言えるわけも無く。


「……まぁ別にいいよ。一段落着いた所だし」


と答える他無かった。






暫く自分の専門の講義内容を交わした後、話が先の『発作的勃発相沢祐一争奪戦』に移った。


「そういえば、凪さんが香里さんと真琴さんを止めたんですよね?

 すごいですよねー。真琴さんは兎も角、あの香里さんを止めたんですから」


「そうか? あの二人、異常なまでに頭に血が上ってたからな〜。

 コツとそれなりの運動能力さえあれば誰でも出来ると思うぞ」


龍平はさも当然といった風に答える。

何杯目になるか分からない珈琲を啜るが、どうやら温くなっていたらしく顔を顰めていた。


「そんなものですか?」


「そんなものです」


卯月の問いにあっさり返す。

周囲の人間に同じ問いをしたとしたら、間違いなく首を振るだろう。


「コツってことは〜何処かで武術でも習っていたんですか〜?」


「ん? ん〜昔々にな。ちょいと齧っただけだけど」


少し困ったように答える龍平。

その表情の変化を見逃さなかったものの、その変化の真意を読み取ることが出来なかったのか、

卯月は怪訝そうな顔をした。


「じゃ〜、龍ちゃんは〜今度の個人戦出ないんですか〜?」


「個人戦? なんだそれ。この学園も武術大会みたいなやつがあるのか」


「はい。特に出場資格みたいなのはなくて、学園所属の生徒なら誰でも参加できるそうですよ」


「へぇ。まぁ俺は出る気はないぞ」


「え〜なんでですか〜? 龍ちゃんの戦ってる姿が見たいな〜」


「そうですよ。私も見たいです!」


と力説する二人。何を期待してんだか、と呟いて適当な理由を考える。

数瞬して何か思いついたらしく、ニヤっとしながら口を開いた。


この時、彼が後ろを向いていたら、この後の事態は起こらなかったであろう。

その日、彼の予感センサは電源がOFFになっていたに違いない……


「だってさ、仮に俺が美坂に勝ってしまったら皆慌てふためくだろ?

 あくまでも、美坂は『武』の学年次席らしいし、それこそ皆の憧れかも知れん。

 それをたかが俺との戦いで、台無しにするのは気が引けるんだよ」


「りゅ、龍ちゃん……後ろ」


何やら怯えた様子で龍平の後ろを見遣る桐子。

多分、俺の声が大きくて周りの客が怒ってのか、殺気も感じるし、と思い

少しトーンを控えて続きを語っていく。


「これ以降も学園はある訳だしさ。彼女の学園生活をぶち壊すのは紳士として頂けないね。

 それこそ、俺が優勝しちまったら」


「な、凪さん……後ろ」


こちらもかなり、というか体全体でガタガタして怯えまくっている卯月。

かなりの殺気を感じるのだが最後まで言っちゃおうと言葉を紡ぐ。


「学園の威信に関わるだろ?」


「「……」」


ガタガタガタガタガタガタガタガタ。

二人の様子が明らかにおかしかった。泣きそうだった。

序に、店の雰囲気までおかしかった。号泣しそうだった。

皆の恐怖の視線の方向が全て自分の背後に向かっているような気がした。

たまらず、後ろを振り返ると。


「あら? 演説は終わりかしら? 凪くん?」


美しい笑顔を備えた修羅が一人。

心なしか、ウェーブの掛かった髪がウネウネと蠢いているように見えるのだが。


「あ」


「大丈夫よ、凪クン。別に負けたからといってあたしはどうもなりはしないわよ?

 ただあたしに勝った相手が強かっただけだし、あたしが精進すればいいことよ」


「あのな、美坂さん」


「ええ。分かってるわよ? あたしの一撃を止めたんですものね。あなたは充分強いと思う。

 だから、『武』クラスじゃないからといって出場辞退するのは良くないわ。

 自慢じゃないけど、この学園には結構手ごわい人がわんさかいるから退屈することはないと思うわよ?」


「いや、違うって」


「それともあたし程度じゃ物足りないかしら? でも、この間はあれだったけど

 今回は準備万端だし、ナックルも本番用だから、この間よりかは幾分かマシなはずよ」


「いやいや、そうじゃなくて」


「え? 他に何かありますか? 凪クン?

 あ、断っておくけど、あんな大事言っておいて逃げるなんて無しよ?」


「いや、あの」


「いいわね?」


「……はい」


こうして、出場する破目になった。これを一般に自業自得という。











凪龍平はリングまでの道をぼーっとしながら歩いていた。

傍から見たら、これから試合だというのにも関わらずやる気が出てないと思われるだろうし、

実際彼自身もまったくもってやる気がなかった。

彼にしてみれば、予選を突破できようが出来まいが、香里に怒られようが、

経済面では多少の苦痛になるであろう皆への奢りを敢行しようが、

そのようなことはどうという事でもなく、周りが収まればそれでいいと思っていた。

今重要なのは、自分の矜持やら誇りをふいにしてでも、自分の任務を全うすること。

想定しうる最悪の事態を回避、若しくは未然にその種を消し去ること。

もう絶対にあの悲劇(・・・・)を繰り返すわけにはいかない。



リングに辿り着く。

気だるそうにリングに上がる。

そうして、初めて視線を対戦者に向けた。







「相沢君、凪君の初っ端の対戦相手知ってる?」


ウネウネ髪の美女・美坂香里は隣を歩いている祐一に尋ねる。

現在、二人は、龍平が居る北側の競技場に向かって構内を歩いている。

競技場は全部で5箇所あり、敷地の東西南北、そして中央地下に設置されている。

勿論、東西南北にある競技場は全天候型である。


「いや、知らん。もしかして、香里か?」


「残念ながら違うわよ。しこたま潰してあげようと思ってたのに……

 けど間違いなく凪君は決勝トーナメントにいけないわね」


予選のトーナメント表から目を離して香里は応え、髪に手をやる。

木漏れ日を反射した髪をかき上げる姿に祐一は密かに動揺したが、あえて顔に出さず言葉を返す。


「えっと、まさか那美?」


「そう、そのまさかよ。全くあんな大事ぬかしてるから、こういう破目に合うのよ。

 多分、開始3秒辺りで変な事口走って那美に串刺しにされてジ・エンドね。

 殺されはしないけど、ズタぼろかな〜。いい気味だわ」


「香里サン……なんかとっても黒いオーラが出ているのですが……

 でもまぁ、幾ら凪が頑張っても流石に那美相手じゃ辛いよな。

 さっさと行かないと試合終っちまうな。香里、急ぐぞ」


「ええ」


二人揃って北側競技場に走り出す。

丁度、龍平がリングに上がった時であった。



To be continued...



<後書き>

大分、間が空きましたが脱稿です。
これを書く時に以前の話を表記だけ変えさして頂きました。
所謂『改訂』(小)です。
これで少しは読みやすくなったでしょうか?
ついでに邪魔な後書きも他の話では取り除いております。

意見または物語中の矛盾、誤植がありましたらご一報下さい。
和良比でした。