空に浮かぶは「虚」なる月ではなく、己を主張する「実」なる星。
だが、その「実」さえ、この瞬間に存在する確証は無く
手に入れるはその名残のみ。
ただその名残さえもこの寒空に温もりを与える一片の熱源。
閉塞された空間で、暗闇に浮かぶ液晶。
そこに存在するは、無機質なボタンの音と時々吐き出されるため息のみ。
バイブレータの音が大きく部屋に反響する。
この振動だけで部屋に張られた壁紙が破けてしまうのではないかというほどの静寂。
振動はやみ、また響くはボタンの押される音。
それはメールではなく、電話だった。低く静寂を乱さない声で応える。
「どうしたよ。なんか新しい用件?」
相手も辺りを気にしているのだろう、低くその周囲だけに聞こえる声だった。
それ故、漏れる言葉は無く。部屋には、部屋の主の声だけが小さく伝播する。
「了解。上手く立ち回って見せるさ。……今度こそ、―――――――」
奥歯が擦れる音が響く。
「……解ってる。無理はしない。犠牲は出したくないしな。……ああ。
折角築いた関係を失くすのは痛すぎる。……それでもだ。
……ああ、解ってるって。容赦はしないさ。俺の名にかけて。
……有難う、―――。ああそうだ。変更したい点がある。
まぁこっちではあんまりのんびり出来なさそうだからさ。……ああ。
そういうこと。じゃ、宜しく。」
ピッ
はっと大きく息を吐く。暦の上では4月になったというのにこの寒さか、とぼやき
自分の体温が残る布団へと足を入れる。
大源の乱れか、空に駆ける月は禍々しく
戸惑いを隠せない雲たちが入り乱れるように舞い踊っていた。
D
第六話
夢を見る
そして
幻を見た
何が悲しくて、何が哀しくて、何が愛おしくて、何が愛すべきで
幻を手繰る
どれも悲しくて、どれも哀しくて、どれも愛おしくて、どれも愛すべきで
夢を渇望する
だから
なので
そして
オレハドウシタイ?
目を開ける。
寝床の周辺に置いてあった時計を睨む。昨日、桐子に勧められて買った目覚ましだったりする。
長針と短針の角度はおよそ15度。と言うことはこれは
「わざわざ時計算をしなくても、6時半ってわかるわな」
一言呟いて布団から抜け出す。突き抜けるような寒気はなく、震えることもなし。
とりあえず自分のスタンダードである黒のTシャツに黒のズボンを身に纏い、
洗顔するために洗面所へ向かう。目を完全に覚ましたところで食堂へ向かった。
「お早うございます」
「あ、お早うございます。起きるの早いんですね、まだ六時半ですよ」
「いつも飯食ってから鍛錬するもんで。飯頂けますか?」
「はい、勿論。でも、あれ、龍平さんって兵科ではないんですよね? それでも鍛錬ですか?」
「ええ。一応動かしてないといざと言う時に困りますから。じゃ、いただきます」
「はい。召し上がれ」
朝から三枝さんとのほんわかムード。それを楽しみつつ、目の前の朝食を頂く。
ご飯、味噌汁、焼き鮭、お新香。正に日本の朝食である。
それを十分程度で完食。その間、三枝さんにじーと見られていたりする。
朝食の感謝を述べて、鍛錬をするため、一旦部屋に戻る。
その時に、セットしてあった時計が作動して魔道効果を発し、ちょっとパニックになったのは別の話。
単体、複数の相手をイメージ。
イメージした相手との格闘。
相手の得物も捌く、捌く、捌く。すぐさま、懐へ迫り、一撃、離脱。
淀みなく動き、目標を定めさせない。そして、こちらの優位になる間合に入れる。
間合になれば、攻める。攻めるときも、忘れず動き、死角を失くす。
「ん……ふぅ。」
15分ほど動き続け、鍛錬終了。イメージした相手との組み手は非常に集中力がいる。
他者の気配を感じれば、否がおうにもそちらに集中が行くため、続行できないものだ。
中庭に面した廊下を北川妹が通り過ぎていく。
先程感じた気配は彼女のものだったりする。
「あ、凪さん。お早うございます。」
「おぉ、北川ちゃん。お早う」
「その〜『北川ちゃん』じゃなくて下の名前で呼んで欲しいんですけど。」
「なんで? 兄と被るから?」
「そうです。あんなバカ兄と被りたくなんてないです! 水着で社交ダンスの方が
よっぽどマシです! 『卯月』と呼んでください!」
「どっから出てくんだよ。そんな発想……やっぱり兄妹だな」
「うぅ……凪さんがイジメル〜〜〜〜〜〜」
目から滝のような涙を流し、廊下を走っていく卯月。
彼女の流した涙が日の光を浴びて、きらきらと舞っていたりする。
「そういえば、今着てたのが制服かな。随分、スカート丈が短いような……」
現在、7時20分。龍平は既に支度を終え、居間で新聞を読んで寛いでいる。
支度といっても、さっきまで着ていたTシャツにチョッキのようなインナーを羽織り、
その上にコートを羽織っただけだが。
食堂では、どうやら寮生全員揃って飯を食っている模様。
どうやら、学園に行くにはまだまだ余裕がある時間らしかった。
ガチャ
居間のドアが開く。そちらの方に目を向けると、かなり不機嫌そうな卯月とにこにこしている桐子が
居間に入ってくる所だった。桐子がとてとてこちらに来て一言。
「のうさつされましたか〜?」
「いや、まったく」
「いえいえ〜遠慮しないでいいですよ〜」
「ごめん。まったく、全然、これでもかっていうくらい微塵も興奮せん」
「ひゃぅ〜〜〜〜〜」
漫画で書けば「がーーーーん」という文字がでかでかと貼られるくらいの落ち込みよう。
そりゃ、いくら制服が可愛かろうが、スカートの丈が短かろうが、色が映えようが
素材が良くなければ、駄目である。
まぁ、桐子の場合、素材はいいのだろうが如何せん「幼女」の域を脱せない、色気の感じない容姿のため、
悩殺なんかされようもない、ということである。
「ほら、言ったじゃない、桐子。凪さんは超絶に意地悪なんだから!」
「ちょっと待て。俺がどうして意地悪なんだ?」
「正直に言いすぎなんじゃないか? 桐子で悩殺は出来んと俺も思うし」
と参入してきたのは、北川。にやにや笑って、アンテナもぴんぴん。絶好調の模様だ。
「だろ? 桐子じゃどう頑張っても悩殺は出来んと」
「ああ。ボンテージ着ても無理そうだ」
「う・う・う・う……」
「おい! 北川、凪、やめろ! 桐子が決壊するぞ!」
只ならぬ気配を察したのだろう、居間に駆け寄ってくる西塔&轟。
「う・う・」
「なんとかしろ。北川!」
「ちょっと待て! ……あ、そうだ。」
「お兄ちゃん、早く!!」
「水着で社交ダンスすれば悩殺かも」
「うわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
「何言ってんのよ、バカ兄ーーーー!!!」
「やっぱ、兄妹だな……」
「!! イヤ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」
泣き叫ぶ桐子と卯月。そして、卯月から重い右フックを食らって壁まで吹き飛んだ北川。
全てを収拾するのに登校時間まで目一杯かかり、結果として遅刻する羽目になる。
授業開始初日と言うことで、今日は簡単なガイダンスのみであった。
同じ科は全ての学年が一同に介して行うため、龍平は桐子と共に医療科のところへ潜入。
気配を消して席に座ったため、誰にも気付かれずに潜り込めた。
ちなみに他の科にも属している人のために、同じようなガイダンスは3回繰り返される。
その辺に抜かりは無い。
退屈なガイダンスを終え、時刻は10時30。かれこれ2時間ほどの説明会。
これが2回目、3回目になってくると半分以上に圧縮されるのだから
よほど1回目の無駄が多いと言うことがわかる。
長引けば長いほど、その内容の質が悪くなるのは既に定理といえるかもしれない。
「龍ちゃん。これから研究系の方に行くのですか〜?」
「いや。もうこれで帰ろうかなと思ってるんだけど」
「ほへ〜? 研究系はどうするのですか〜?」
「あ〜それなんだけどね。こっちでは医療だけに絞ろうかと思って。生体の研究をしたいのは山々なんだけどね、
そろそろ爺さん……あ、師匠の手伝いもしてやんなきゃな〜と思ってさ。精神医療に力を入れようと。」
「そ〜なんですか〜。じゃ〜一緒に商店街に行きませんか〜?」
「おう、いいぞ。今朝の件もあるし、なんか奢ってあげようか」
「本当〜ですか〜! じゃあ……あ! ちょっと待って下さいね〜」
「あ、ああ」
と白衣の幼女がてこてこ駆け出して行った。ガイダンス終了後にぞくぞくと人が出て行ったため、
講義室内にはあまり人は残っていなかったようで、桐子がぶつかる様なことはなく、
目的の人物に話しかけていた。
話しかけられていた人物は、線の細いストールを羽織った、美少女といっていい顔立ちの娘であった。
2,3言話すと、その娘を引っ張ってこっちにやってくる。なんとなく、遊園地でお姉さんを引っ張っている
やんちゃな妹に見えなくも無い。
「龍ちゃん。紹介します〜。こちら美坂栞ちゃんです〜」
「あ、美坂栞と言います」
「俺は凪龍平。3回生だけど、美坂さんは2回生?」
「いえ、去年は休学してましたので、1回生をやり直しとなりました。それと、『栞』でいいですよ?
他の先輩にもそう呼ばれていますし。凪さんは」
「『龍平』でいいよ」
「あ、はい。じゃ、龍平さんはドクターなんですか? それとも……」
「俺はサイコ。珍しいらしいけどな」
「しかも〜Aだそうですし〜」
「A……えーーーーーーー!!!」
「それはギャグか?」
「違いますっ。本当に本当に本当にサイコでAなんですか!?」
「ああ。去年受けた検定が間違えじゃなければ、の話だけど。そんなに他のランクと違うか?」
「あのサイコのAですよっ。A級以上は世界でも2桁どまりだといわれてる程なんですよ!
その内の一人なんですから!!」
となぜか力説される龍平。少々引いている龍平を尻目に、3Gくらいの加速度で興奮していく栞。
流石の桐子も額に大粒の汗が飛び出すほどに焦るものの、結局30分も一人演説状態が続くことになる。
時間の経過によって興奮の熱も冷めたのか、我に返った栞がひたすら謝っていたり。
兎も角、やっと3人で商店街にいくことになった。
To be continued...