学園での用事、つまり学園町への挨拶を無事済まし

次の、というか最後の用事である『水瀬家への訪問』を遂行するため

一路水瀬家に向かう二人。

時刻は10時半。柔らかな春の日差しが期待できそうな日和だった。





D

第5話





そこにあったのは、一見して権力者の家だとわかるものではなく、

一般の家庭となんら変わりの無いごく普通な一軒家。

インターフォンを押し、中からの応対を待つ。


「はい、どちら様?」


インターフォンから聞こえてきたのは若い女性の声であった。

なんと答えればいいのか、少々迷いつつ、はっきりと答える。


「凪と申します。『Tranquilizer』からの伝言があるのですが」


「!わかりました。どうぞ、お入りください」


カチとどこかで障壁がキャンセルされた音を聞き、中に入ろうとする。

その時、コートを引っ張れたので、振り返った。


「龍ちゃん、『Tranquilizer』ってあの『entitled class』の?」


「そ。俺の師なんだ。同じ『精神医療』の人だから」


「ほへ〜。すごい人のお弟子さんなんですね〜」


「……あの爺さんが凄い人とは普段判らないけどね。」


苦笑を浮かべる。色々と彼にも苦い経験があるのであろう。


『entitled class』とは、その名が示すとおり『特権階級』である。一般人と比べると

税の免除やら国家直属の施設への無許可使用の認可やら、あらゆる面で優遇される。

勿論、その見返りとして政府から直に依頼を受けることが度々あり、しかもその依頼の内容は

ヘビーなものが多いと噂される。つまり、この階級に居る人々はなんらかのスペシャリストなのだ。

しかし、そのクラスに所属している人の名はあまり知られておらず、数える程しか判っていない。

その構成人数も噂でしか判らず、20人程度ではないかと言われている。

ただし、医療系のランクを持つ『entitled class』の者は3人知られている。

それが『Healing hands(癒し手)』、『Smiling Mother(微笑みの聖母)』、

そして龍平の師である『Tranquilizer(心の平穏)』なのである。


扉を開けると、そこに現われたのは若い青髪の女性。三つ網にした髪は艶やかであり、

柔らかな微笑を顔に湛えている。どう見ても20歳代にしか見えない。

一応、師からは「水瀬秋子」の容姿に関してレクチャーを受けてはいるものの、彼女自身を前にして

なんと声を掛けていいものやら、龍平が逡巡していると、横から


「こんにちは〜秋子さん〜」


と何とも気の抜ける声がした。どうやら桐子はここに度々来ているらしい。


「あらあら。桐子ちゃんいらっしゃい。名雪なら寝てるわよ。」


「それが目的で来てますから〜じゃ、お邪魔します〜」


とテケテケ中に入っていってしまった。取り残された感があるが、気をとりなおして


お久し振りですね(・・・・・・・・)、秋子さん」


「あら。覚えていてくださったのですか、龍平さん」


「秋子さんこそ、よく覚えていますね。あれからかなり変わったつもりなんですけど。秋子さんはお変わりないですね」


「お世辞を言っても何もでませんよ♪ それに龍平さんも、面影はしっかり残っていますから。

 さ、中に入ってください。こんな所で立ち話するわけにもいきませんよ。」


「そうですね。お邪魔します。」


挨拶を済まし、居間へと移動する。家の内装も一般家庭と対して変わらない質素なものではあるが、

置いてある家具の一つ一つはとても洗練されているものばかりである。

家主の美的センスがここからも伺える。


「こちらです。どうぞ。」


居間に招き入れられる。居間でテレビを見ていた男がこちらを振り返った。





学園がある時の時間よりも大分遅めの朝食をとり、居間でテレビを掛けつつボーとしていると、

訪問者を知らせるチャイムが鳴った。秋子さんが対応してくれるようなので、祐一は再び

テレビに視線を戻してぼけっとしていた。俗に言う暇人である。

その内、どてどてどてと言う擬音と共に、ドアが開いてお子様が中に入ってくる。


「よぅ、チビ助」


「祐一さんまでそういうこといいますか〜やめてくださいよ〜」


「で、今日は何しに? また、寝雪の観察か?」


「はい〜生物学的にとても興味がありますので〜一度許可が下りれば解剖したいなと〜」


「そういうことを間延びした声で言わないでくれ……まぁ、頑張れよ」


「はい〜では〜」


と2階の名雪の部屋へと向かっていく。勿論、どててててという効果音付き。

「あれ、秋子さんは?」と思ったが、秋子さんの行動には余り触れない方がいいと判断し、

再びテレビへ。もう一度言おう。暇人である。


ガチャと音がしたので、ドアの方に目を向けると、秋子さんと青年が居間に入ってきた。

祐一は思う。

青年の方に見覚えがあるのだが、果たしてどこで逢ったのだろうか……


「おい……昨日あったじゃねぇか」


「な、なんで言いたいことが解ったんだ!? お前エスパーか!」


「祐一さん、いつもの癖が出てましたよ」


「……うぐぅ」


「それより二人ともお知り合いだったのですか?」


「まぁ、知り合いと言うかなんと言いますか。そこの相沢君が友人の……うぐさんだったけな?

 兎に角、彼女に追い掛け回されていたので、助けたんですがね……」


「ああ! 多分あゆちゃんのことですね。また祐一さんがあゆちゃんに悪戯でもしたんでしょう。」


「またって秋子さん、ひどいなぁ。偶にしかやってないじゃないですか」


「あら。あれが偶にでしたら、名雪の寝坊も偶に、になりますよ?」


「ごめんなさい。俺が悪かったです」


「はい。では、龍平さん。そこのソファで待っていてください。コーヒーで宜しいですか?」


「あ、はい。出来ればブラックでお願いします。」


了承、と頷くと秋子さんは台所へ消えていった。

居間には、男同士が向かい合って沈黙するという、奇妙な緊張感が漂っていた。





居心地がお世辞にもいいとは言えない状況で、龍平は考えていた。

何よりもまず、己の師に直接教えられた自分の役割と秋子さんに渡された手紙に書かれた自分の役割の差異、

それにおける自分の立ち回りの評価の修正、如何にして状況を教えるか

そして、イレギュラとも言える相沢祐一に対してどう追い払うか、

実力行使かそれとも秋子さんにそれとなく促してもらうか、迷わず後者を選ぶのだが……と。

コーヒーを盆に乗せて秋子さんが帰ってきた。切り出し方をどうするのか、シミュレートする。


「さて、龍平さん。お話を聞かせて下さいませんか」


「えっ……」


いきなり、可能性の低い選択肢を選ばれる。あくまでも訪問の目的は『Tranquilizer』の「伝言」だと

最初に言っているはずにも関わらず、どうして相沢を同席させるなどど言うのか。


「言いたいことは解りますよ。『どうして祐一さんを同席させるのか』ですよね?」


「え、ええ。解っているならどうして?」


「それはですね」


「俺が一応『武』の『entitled class』だから、ですよね?」


「そういうことです♪」


「な……このふざけた男が『entitled』ですか!!!」


「ふざけたとは失敬な。学園の方には報告はして無いけどな。去年の暮れあたりに認可された。」


「そうなんですよ。龍平さんの気持ちもわかるのですが、これは事実ですから。」


「何気に酷い事言ってません、秋子さん?」


あらあらそうですか、と頬に手を当てて微笑む秋子さん。このポーズを取られては何もいえなくなるのか、

祐一は深くため息をついて、ソファに沈んだ。1R2分でKO、と頭上に書かれているような錯覚を覚える。

そんな姿を見て龍平は苦笑しつつ、秋子さんに持ってきた封筒を渡す。

受け取った封筒を丁寧に開き、中にあった手紙を取り出し、読むこと数分。

時たま、目を大きく開けたりしていたが……何が書いてあったのだろうか、と思考を始める。

結局、結論は出ず、こちらも考え込んでいた秋子さんに尋ねる。


「で、なんと書いてありましたか?」


「ええ。祐一さんも真面目に聞いてください。確かにこれは国家に関わる話のようなので。

  まず、龍平さんに聞いておきたいのですけど、こちらには調査として来て下さったのですよね?」


「ええ。それだけではなく、一応解決にも力を注げと言われていますが。」


「でも、戦闘系のランクは取られていないのでは?」


「まぁ、それでも実戦の方ではそこそこ使えますよ。今までも、何度か同じこと経験してますし。」


「解りました。でも、なるべく調査・支援でお願いしますね」


「解っていますよ。そこまで自惚れていませんから。」


「はい。では本題に入りましょう。龍平さんの師『Tranquilizer』こと佐久間雷蔵さんからの依頼です。

 雷蔵さんが言うには、雪羽一帯のマナに歪みが見られ、そのためエーテル波動に乱れが生じ、

 魔獣や狂化が始まるかもしれないから身辺の警戒の強化、及びその原因を突き止め、収めて欲しいとのことです。

 確かに、この周辺のマナに歪みが生じたことはこちらも確認出来ています。

 ですが……これに対して何の有効策が打てないのが現状なんです。」


「理由を聞かせてください。」


「ええ。実はその歪みの発端については解っているのです。」


「それは?」


「俺の周辺に起こった、所謂“5つの奇跡”じゃないかな」


それから相沢祐一の周りで起きた5つの奇跡の話を聞いた。特殊な能力との向き合い、長期植物状態からの脱却、

人化した妖狐の復活、末期患者の病気の克服、それに伴う秋子さんのオーバーワーク(生死の境まで陥った)からの回復

という連続した5つの出来事。確かに、どれも確率の低い、それに祐一の願望の指向性を見事に踏襲している。


「それが全て、同一時期に起こったと。確かに歪みが出そうな気はしますが……」


「祐一さんにはそんな能力がありません。寧ろ、人間が持っていてはいけない能力でしょう。

 それを考えると、能力ではなく外部からの干渉、つまり」


「なにかしらの願望器が発動。そして周辺のマナを取り込んだ、ですか」


「はい、そういうことになります。でも、願望器の取り込んだマナを全部取り出すほどの力は

 必要ではなく、そのためマナがまだ溜まってしまった状態だと考えられます。

 ですが、その願望器がどこにあるのか、が分からないので打つ手がないと。」


「なるほど。大体の所は解りました。かなり厄介な話になりそうですね」


「ええ。私は今まで同様、マナの濃淡をさらに詳しく調べて願望器の所在を掴もうと思います。

 祐一さん、龍平さんはどうしますか?」


「そうですね。相沢、お前さんは周辺の警護を頼まれてくれないか?」


「ああ。それだけでいいのか?」


「思ってるよりも大変だぞ。なにせ、大量のマナが集まっていると言うことは、人外までおびき出しかねんからな」


「げ、マジか。ま、最近、上からの依頼もないから専念出来ると思うけど。」


「任せた。では、俺は色々当たってみたいと思います。魔力方面だけでは見えない点があるかもしれませんから」


「はい。お願いします。なにかオドの変調を来たしたら、この『Smiling Mother』にお任せくださいね♪」


「頼りにしてます、秋子さん。では、そろそろお暇しようかと……あ、桐子はどこへ?」


「桐子ちゃんなら、名雪で遊んでると思いますよ」


となぜか嬉しそうに言う秋子さん。娘がいじくられていいのであろうか。

暫くコーヒーを啜って待っていると、満足した顔をした桐子が降りてきたので

水瀬家を出ることにした。


「桐子、先に外出ててくれ」


「はい〜ごゆっくり靴紐結んでくださいね〜」


桐子がぱたぱたぱたと外に出て行く。見送りに来てくれている秋子さんを振り返る。

いつまでも微笑を絶やさない姿は正に『Smiling Mother』であろう。


「秋子さん。最後に一つ。相沢の称号って何ですか?」


あの(・・)相沢夫妻の息子ということで『Jack(継承者)』と言われていますね」


「『Jack』ですか……ふむ。ではまた、何かあったら連絡します」


「あら。何もなくても遊びに来てくださいね」


「分りました。近いうちに遊びに来ますよ」


「ええ♪ 待ってます」


靴紐を完全に閉め終えて、ドアを開けようとする。


「龍平さん! お体の方はもう大丈夫ですか?」


「勿論。秋子さんのお陰です。もう完全に制御できますから(・・・・・・・・・・・)


「えっ……」


「では、失礼します」


最後に、にこっと笑って龍平は出て行く。

その笑みに気が付くことなく、秋子さんは茫然とドアが閉まるのを見届けていた。


制御(・・)って……-----------------------のに」


ポツポツと呟く言葉は誰に聞かれる事も無く、ただ霧散していく。

12時を知らせる鐘が鳴り響き、秋子さんに自我を引き戻させる。

思考を切り替え、昼ご飯を作るために台所へ向かう。

さて、どうやって名雪を起こそうかしら、と頭の隅っこで考えながら。



To be continued...