昼休み。

 それは昼食、雑談、五時間目の準備などが行なわれる時間である。

 そして彼―――――相沢祐一も昼食を取るべく美汐の元へと向かっていた。

 理由は簡単、朝方に弁当(美汐作)をもらうのを忘れていたからである。



 「えーっと、美汐のクラスはっと………確か三階だったな」



 美汐から聞いておいた彼女のクラスの場所を思い出しながら階段に差し掛かる。

 教室に北川らを待たせているため少し早足になる祐一。



 「きゃあっ」



 と、上の方から微かな悲鳴があがる。

 祐一が声に反応して階段の上段を見上げるとそこには一人の女子生徒が手に持ったてんこもりのプリントを落とそうとしていた。

 無理に体勢を立て直そうとしているのか、このままでは女子生徒までが階段から落ちかねない様相である。



 「―――――ちっ」



 軽く舌打ちをして祐一は一気に階段を駆け上がる。

 と同時に女子生徒はバランスを完全に崩し、手の中のプリントと共に落下を開始する。



 ―――――ガシッ!



 間一髪、女子生徒をキャッチする祐一。

 落下の重力とプリントの重さにかろうじて耐え、足の踏ん張りを利かせる。



 「ふぇぇ〜〜〜〜〜って、あ、あれ?」

 「大丈夫だ、落ちないから」

 「…………ふぇ?あ、あのっ、すみませんっ」



 自分の状態を確認した少女は慌てた様子で後に飛び退いた。

 手に持っていた多量のプリントを離して…………



 ガスッ!!






























 Conductor 〜追想曲を指揮する者〜


 第三話   笑顔の裏側






























 「本当にすみませんでしたっ!」



 階段下の踊り場、祐一は軽くはれたオデコを少女のハンカチで冷やしてもらっていた。

 負傷の原因となったプリント群はダメージを受けながらも死守した祐一のおかげで散乱せずに再び少女の手に戻っている。



 「い、いや、君が無事でよかったよ。俺の方もこの程度ですんだわけだし…………」

 「で、ですけど…………」

 「いいって。どうしてもお詫びがしたいって言うんなら今度俺が困ったときでいいから」

 「…………わかりました。佐祐理は三年C組の倉田佐祐理といいます、お困りのときは何でも言って下さいね」

 「(倉田?どこかで…………)あれ、年上だったのか。俺は今日から二年B組の生徒になった相沢祐一。よろしく、倉田先輩」



 祐一の言葉に佐祐理の表情が微かに曇る。

 嫌悪…………とまではいかないものの、どこか悲しげな表情だと祐一は感じた。

 それは自分のよく知る女性と同じような表情だったから。



 「あの…………すみませんが佐祐理のことは名前の方で呼んでもらえませんか?あと、先輩はいいですから」

 「…………?別に構わないけど。じゃあ、佐祐理さんでいいかな?」

 「はい、すみません…………変なお願いしちゃって」

 「別にいいですよ、その代わり俺のことも名前ってことで」

 「それでは、祐一さんとお呼びしていいですか?」

 「…………俺、佐祐理さんより年下なんだけど」

 「あはは〜、気にしちゃ駄目ですよ」



 朗らかな表情と声で笑う佐祐理。

 先程の影のある表情は消えてしまっていた。

 もっとも、それに気付いていながらも祐一はそれを追求をすることはなかったが。



 (いろいろ…………ありそうだな、この人も)



 「そういえば祐一さんは転校生さんなんですか?」

 「え?」

 「さっき言ってたじゃないですか『今日から』って」

 「ああ、そのことですか…………ええ、俺は」



 「―――――姉さん、何をしてるんだい?」



 言いかけた祐一の言葉を遮るように鳴り響く凛とした声。

 振り向いた祐一の目の前に立っていたのは一人の少年。

 気高さと何事にも動じないような冷静さ、そしてどこか気品さをも兼ね備えながらも人間らしさが見当たらない。

 そう、祐一は感じた。



 (しかし、こいつどこかで見たような顔だな…………)



 少年の顔に何かを思い出しそうになりながらも、佐祐理にこの少年のことを聞こうと再び振り向く祐一。

 祐一の視線の先の佐祐理の瞳に浮かぶものは先程より強い影だった。



 「……………………一弥」















 そんな彼らを離れた場所から見つめる一人の男。

 男は楽しそうな、そして興味深げな表情だった。



 「倉田一弥に倉田佐祐理か…………もしも相沢祐一が俺の思った通りの奴ならば…………くくっ、面白いことになるかもな。

  まあ、今のところ俺には関係なさそうだが…………少なくとも退屈はしなくて済みそうだな」



 そう呟くと男はその場から立ち去っていった。















 「佐祐理さん…………こいつは?」

 「…………えっ?あっ、え、えっとですね」

 「いいよ姉さん、自分で説明するから。僕は倉田一弥、そこにいる倉田佐祐理の弟だ。初めまして、相沢祐一君」

 「へえ、転校したばかりの俺の名前を知っているのか?」

 「これでも生徒会長なんてものをやっているのでね、それくらいは把握しておかないといけない」

 「…………ほう」

 「それに、彼から聞いていたしね」

 「彼?」

 「私のことだよ、相沢君」



 一弥の後ろから現れる眼鏡をかけた男子生徒。

 理由は不明だが祐一は何故かこの男子生徒にむかつくものを覚える。



 「あんたは?」

 「おいおい、クラスメートの顔くらい覚えておきたまえ。私は久瀬輝彦、君のクラスの級長と副生徒会長をしている」

 「…………ああ、思い出した。確かあんたさっき俺が香里たちと話していたときにこっちを見てたよな?」

 「ほう…………気付いていたのか。まあね、なかなか珍しい光景だったものでね」

 「珍しい?」

 「そうだ、才女として名高い美坂さんと陸上部のエースの水瀬さん、しかもあの北川君を加えた三人との光景だ、気になるさ」

 「あの?」

 「ふっ、転校したばかりの君は知らないだろうが北川君はいろいろと問題児なのさ。仲良くするのはおすすめしないぞ」

 「ふん、付き合う奴くらい自分の目で見極めるさ」

 「…………忠告はしたぞ」



 くいっと眼鏡を指で上げる仕草をして苦々しげな表情を隠そうともしない久瀬。

 微妙に険悪な雰囲気が周囲に流れる。



 「久瀬君、それくらいにしておきたまえ。すまないね、相沢君。彼は少し神経質なところがあるんだ」

 「会長!私は本当のことを…………」

 「僕はそれくらいにしろ、と言ったはずだが?」

 「…………申し訳ありません」



 悔しそうに引き下がる久瀬。

 一弥はそんな彼を軽く一瞥し祐一へと向き直る。



 「さて、少しばかり話がそれてしまったな。それで相沢君、何故姉さんとこんなところに?」

 「佐祐理さんが階段でバランスを崩したのを助けたのさ。誰かは知らんが女の子にあんなに荷物を持たせるもんじゃないな」

 「ゆ、祐一さんっ」

 「佐祐理さん、どうかした?」

 「それは僕が頼んだんだよ、相沢君」

 「あー、なるほどね…………会長さん、いくら姉とはいえあんまり無茶な仕事をさせるもんじゃないぜ?」

 「祐一さんっ、佐祐理は別に」

 「そうだな。久瀬君、悪いが姉さんを手伝ってやってくれないか?」

 「わかりました」

 「えっ、そ、そんな」

 「気にしないで下さい。倉田さん、行きましょうか」

 「……………………祐一さん、それでは」



 久瀬は佐祐理からプリントを半分以上取り上げると祐一を一瞥してさっさと歩き出す。

 佐祐理は祐一と一弥、そして久瀬を交互に見ると祐一にペこり、と頭を下げて久瀬の後を追う。



 「…………あんたは、行かないのか?」

 「僕は職員室に用があるのでね。では、失敬」



 身を翻すと佐祐理たちとは反対に階段を下っていく一弥。

 と、一弥は何かを思い出したのか振り向いて祐一に問うた。



 「相沢君、一つ聞いてもいいかな?」

 「なんだ?」

 「君は…………『指揮者』を知っているか?」

 「あの棒を振って真ん中に立ってる奴のことか?」

 「…………そうか。変なことを聞いてすまなかったね」



 それだけで納得したのか、一弥はそのまま階段を下り祐一の前から姿を消した。

 ―――――彼にしては本当に珍しく、口元に微かな笑みを浮かべながら。















 「倉田一弥、か…………思い出した、倉田家の後継者じゃないか。まずいな…………ばれたか?」

 「…………何がばれたんですか?」

 「…………!?…………なんだ、美汐か」

 「なんだとは失礼ですね、折角祐お兄ちゃんにお弁当を届けに来たのに」



 不服そうに祐一を睨んでくる美汐。

 睨むと言っても美汐の容姿では迫力はなく、可愛らしいものではあったが。



 「ああ、悪い悪い。…………ところで美汐、学校では祐お兄ちゃんはやめろ。事情を知らん奴が聞いたら誤解される」

 「…………?別にいいじゃないですか、私たちは実際に兄妹みたいなものですし」

 「本当の、じゃないんだから他人の前ではやめとけと言うんだ。別に俺や真琴姉さんの前では構わんから」

 「祐お兄ちゃんがそう言うならやめますけど…………」

 「頼む」

 「そういえば…………そのおでこどうしたんですか?」

 「ん?ああ、ちょっとな…………」

 「それ、女の子もののハンカチですよね…………一体何をしたんですか?」



 再び祐一を睨む美汐。

 だが、先程と違い何故か怒りの感情が微かにプラスされているように祐一は見えた。



 「な、何を想像してるのかは知らんが別に悪いことはしてないぞ。むしろ人助けの結果だ」

 「…………人助け、ですか?」

 「うむ、倉田佐祐理という少女を落下から助けたんだ」

 「倉田先輩をですか!?」



 珍しく大きい声をあげる美汐。

 余程驚いたのか目を白黒させている。



 「ちなみにこのハンカチは佐祐理さんのものだ。そうだ、後で返しに行かなきゃな」

 「はぁ……………倉田先輩、ですか…………」

 「どうした?」

 「いえ…………」



 心底驚いた、という表情をしていた美汐だったが今度は溜息をついて何故か自分のあちらこちらを触っている。

 もちろん祐一には美汐の考えなど読めはしないので疑問符を頭に浮かべるだけであった。















 美汐が去った後の廊下。

 祐一は弁当箱を片手に自分の教室へと向かっていた。



 「はぁ…………香里に倉田姉弟、それにさっきこちらを見てた奴、か…………どうやらここでも俺の出番はありそうだな。

  真琴姉さんには悪いけど…………忙しくなりそうだ」



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 あとがき


 倉田姉弟登場〜♪…………ついでに久瀬君も(笑)
 久瀬、一弥のパシリにしか見えませんね(笑)
 この物語の久瀬は今回見ての通りのキャラなので某ルートでは頑張ってもらいます。
 一弥は存命ですが佐祐理さんともども倉田家はいろいろありそうですね〜(人事)
 謎の男も出てきましたし。
 本当に収拾がつくんでしょうかこの話(汗)