「困った…………」



 相沢祐一は言葉通り困っていた。

 彼のいる場所は天野家から華音高校までの通学路から少し離れた道。

 そして一緒に登校しているはずの親戚の少女と義姉はそこにはいなかった。



 「お前が学校への道…………知ってるわけないよなー…………」



 こうしている『原因』に向かって祐一は話し掛ける。

 原因―――――つまり、一匹の猫に向かって。



 「ったく…………お前が『声』なんて出すからだぞ。…………さて、どうしたもんかね…………」



 転校初日から遅刻、下手すれば欠席という事態が迫っているというのに猫の頭を撫でてのほほんとする祐一。

 猫もそれが嬉しいのか祐一に擦り寄っている。



 「…………あなた、何してるの?」



 そこに、凛とした少女の声が響いた。






























 Conductor 〜追想曲を指揮する者〜


 第二話   騒がしい朝






























 「…………なるほど、つまりあなたは偶然見つけた猫に気を取られているうちに連れの人に置いていかれたというわけね」

 「置いていかれたわけじゃない、何時の間にかはぐれたんだ」

 「どっちもあまり変わりはないわ」



 祐一に声をかけた少女は祐一にとっては幸運なことに華音高校の生徒だった。

 隣で歩く彼女の表情がどこか疲れているように見えるのは多分祐一の見間違いではないだろう。

 ただ、彼は自分がその主原因であることまでは気付いてはいないのであろうが…………



 「けど助かった、流石に転校初日から遅刻は洒落にならんからな」

 「そう思っているのなら猫に気を取られて迷子になんてならないで欲しいわね…………全く、名雪じゃあるまいし…………」

 「名雪?」

 「あたしの親友よ。ちょっと異常なぐらいの猫好きで、猫を見つけるとトリップするのよ」

 「別に俺はそこまで猫が好きっていうわけじゃないぞ?」

 「あら、その割には手当てもしてあげてたでしょ、あなた」















 瞬間、少女は祐一の表情が消えた…………ように見えた。















 しかし、それは一瞬の出来事。

 祐一は照れ笑いを浮かべて頭の後ろに手を回す。



 「…………見てたのか、いやぁ、恥ずかしいなぁ」

 「ええ、ピクリとも動かなかった猫に手をかざしていたわね」

 「……………………(ピク)」

 「で、その後その猫は元気になってあなたに撫でられてた」

 「…………最初から見てたならその時点で声をかけてもらいたかったな」

 「あたしは見ず知らずの人にそうそう声なんてかけないわよ」

 「でも、かけて来たじゃないか」

 「そうね」

 「何故だ?言っとくがあの猫は寝ていただけだ。俺はそれを起こしたに過ぎない」

 「触りもせずに?」

 「そういうおまじないだからな」

 「…………おまじない…………?」

 「そ、おまじない」



 会話が途切れる。

 二人の耳に響くのは朝の喧騒。



 「おまじないって?」

 「…………やけに気にするんだな」

 「あたしは気になったことは突き詰める性質なのよ」

 「…………と、言われてもな。おまじないはおまじないだよ、願いを叶えるための手段としての儀式。

  俺がやったのはうちに代々伝わるやつだよ」

 「願いを叶える、ね…………」

 「なんだ?何か願い事でもあるのか?」



 祐一がそう言うと少女はふっと目を閉じる。

 その間、少女が何を思っているのかは祐一にはわからない。

 だが、それも数秒のことだった。

 少女は目を開けるとどこか自虐的に見える表情を浮かべ、一言。



 「…………病気を治すことは出来るのかしら?あなたのそのおまじないって…………」



 何かを期待するかのような、それでいて悲しげな―――――そんな表情。

 対する祐一の答えは―――――



 「…………さあな」

 「なんて、無理に決まってるわよね…………ってあなた今なんて?」

 「さあな、と言った」

 「…………どういうことよ」

 「その病気の持ち主次第ってことだよ」

 「治せる可能性があるってこと?その、おまじないとやらに」

 「ああ」



 うさんくさげに少女は祐一を見る―――――否、睨む。

 それはそうだろう、病名も状態も知らないのにそんなことを言う人間は普通の神経ではない。

 本当にそのおまじないとやらに自信があるのか、それとも気休めを言っているのか

 少女は、当然後者と考える。



 「そう、じゃあ今度お願いするかもね」

 「あんた、信じてないだろ」

 「当たり前じゃない、それとも証拠でもあるって言うの?」

 「いや、ない。…………それに絶対治せるとも言ってない」

 「それはそうよね」



 嘘だった。

 少女は証拠を見ている。

 祐一は猫を寝ていただけ、と言っていたがあれはどう見てもぐったりしていると言ったほうが正しい状態だった。 

 だが、猫は元気になった――――――――――祐一の『おまじない』とやらで。

 それでも、信じるわけにはいかない。

 それは下手をすれば奇跡の領域なのだから。



 (そうよ、あたしは奇跡なんて信じない。起こりもしないことなんて…………信じない)



 「お、あれが華音高校か?」



 少女の思考は祐一の声によって打ち切られた。

 何時の間にか二人は目的地、華音高校を目前としていた。



 「一時はどうなることかと思ったけどあんたのおかげで助かったよ」

 「どういたしまして。でもあなたは転校生なんでしょ?なら職員室に行かなきゃいけないわけだけど…………場所はわかるの?」

 「いや、わからん」

 「……………………入ってすぐの廊下を右側に行って最初の分岐路を左に行けば右側に職員室はあるわ」

 「…………ややこしいな」

 「そんなにややこしくない道順だと思うけど。まあ、むやみに広大な学校だっていうのは認めるけどね」

 「んー、まあ多分大丈夫だろ。何から何までサンキュ」

 「はいはい、その言葉は無事に職員室に辿り着いてから言って頂戴」

 「ん、それじゃあな。縁があったらあったらまた会おうぜ」

 「同じ学年なんだから縁がなくても会うんじゃないの?」

 「かもな。…………あ、そういえばあんたの名前聞いてなかったな」

 「あなたの名前もね」

 「ごもっとも。俺の名前は祐一。相沢祐一だ」



 ニッ、と笑って名乗る祐一に何故か親近感を覚える少女。

 それは彼のそんな笑顔が彼女の―――――にどことなく似ていたからだろうか。

 顔は満面の笑みなのにどこか『何か』を感じさせる、その笑顔に。



 「あたしは香里。美坂香里よ」















 「もー、ゆっくん!私も美汐ちゃんも本当に心配したのよ?」

 「だからさっきから謝ってるじゃないか…………」



 HR開始直前、祐一と真琴は一人の教員―――――石橋教師、に引き連れられてとあるクラスへと向かっていた。

 祐一は転校生として、真琴は新任の副担任としてである。



 「ちゃんと後で美汐ちゃんにも謝っておくのよ?」

 「わかってるって」

 「まあまあ、沢渡先生。お説教はそれくらいにして…………ほら、ここが今日から君達の所属となるクラスだ」

 「二年B組ですか…………」

 「あ、石橋先生。ちょっと聞きたいんですが…………美坂香里って生徒はこのクラスにいますか?」

 「…………ん?ああ、いるぞ。知り合いか?」

 「ええ、朝にちょっと案内をしてもらいまして」

 「へえ、それは凄い偶然ねゆっくん」

 「それはちょうどいい、彼女は学年主席で優秀な生徒だからわからないことがあったら彼女に聞いてみればいいと思うぞ」

 「…………結構凄いんだな、あいつ」

 「よし、では入るぞ。二人ともついてきなさい」



 ―――――ガラッ















 「ねえ、香里。潤君が言うには今日わたしたちのクラスに転校生と新任の副担任が来るんだって」

 「しかも副担任のほうは若くて美人な女性らしいぞ」

 「…………このクラスだったの…………」

 「え、どういうこと?」

 「転校生の方は知ってるわ…………今朝、会ったばかりだもの」



 二人の友人の台詞―――――特に男の方、すなわち北川潤の台詞に深い溜息をつきながら香里はそう言った。



 「え、そうなの香里?どんな人だったの?」

 「どうせ暑苦しいデブだろ」



 興味深々といった女子生徒―――――水瀬名雪に対し、男のほうには全く興味がないと言った感じの北川。

 いつも女の子の転校生は美人が常識と言っているが男はその理論の適用外らしい、かなり偏見に満ちた発言をしている。

 が、祐一の外見をすでに知っている香里には意地の悪い笑みを浮かべさせる発言に他ならない。



 「北川君…………残念だけど、彼は痩せ型、というかすらっとしているわ。

  見た目もあたしから見てかなりハイレベルだったしね」

 「わ、香里がそう言うってことは相当だね。ちょっと楽しみかも」

 「お、なゆにもついに春が来るのか?ま、従兄としてはそうなったら喜んでやるぞ?」

 「…………潤君、ひどいこと言ってない?」

 「さあな?」

 「うー」



 ―――――ガラッ



 「どうやら噂の二人のご到着のようね」

 「おおっ、本当に美人だ!」

 「わぁ…………確かにかっこいいかも…………」



 北川と名雪がそれぞれの感想を呟き、他の生徒がざわつく中、祐一と真琴が石橋に連れられて教壇の前に立つ。



 「じゃあ、自己紹介をしてくれ」

 「はい。…………相沢祐一です。よろしくお願いします」

 「沢渡真琴です。このクラスの副担任と古文の授業を受け持ちます。

  ゆっく…………じゃなくて相沢君とは親戚関係にあたり、姉代わりをやっています。皆さん、よろしくね♪」



 真琴の自己紹介と共に男子生徒からの歓声があがる。

 そんなクラスの様子に祐一は苦笑し、真琴はニコニコ顔である。



 「よし、HRは自習にするので二人に質問がある奴はその時間にやっておけ、以上」















 「凄い人だかりね…………」

 「沢渡先生、男子にも女子にも大人気…………」

 「まあ、真琴姉さんはそういう雰囲気を持っているからな」



 真琴の姿をうめつくすほどの人だかりを眺めつつ香里、名雪、祐一が呟く。

 どうやら祐一の方に来たのは彼女ら二人と…………北川だった。



 「で、どうしてあなたがこっちにいるのかしら、北川君?」

 「なんだ美坂、俺がこっちにいたらいけないのか?」

 「別にそうは言わないけれど、あたしはてっきりあなたは沢渡先生のほうに行くと思っていたから」

 「わたしも…………」

 「まぁ、沢渡先生のほうにいってもあの通りだからな、むしろここは弟である相沢に話を聞いたほうが得策だと思ったのさ」

 「…………なるほど、合理的だな」

 「だろ?ああ、そういえば自己紹介がまだだったな。俺は北川潤…………で、こっちのぽけーっとしてるのが俺の従妹で水瀬名雪」

 「ひどいよ潤君。わたし、ぽけーっとなんかしてないよ」



 膨れっ面で抗議する名雪。

 そんな親友を尻目に香里は祐一に軽くウインクをする。



 「あたしは自己紹介する必要はないわよね?」

 「ああ、美坂…………でいいんだよな」

 「香里でいいわ」

 「なら、俺も祐一でいい」

 「わかったわ」

 「わっ、香里が男子に名前で呼ばせてるよ…………」

 「初めてじゃないのか?美坂がそんなこと言うなんて…………」

 「あら、そうだったかしら?」

 「そうだよ」

 「じゃあ、名雪もそうすれば?」

 「えっ…………わ、わたしはやめておくよ」

 「なゆ、顔が赤いぞ?」

 「そっ、そんなことないよ…………」



 ここぞとばかりに名雪をからかう北川。

 流石に従兄妹同士だけあって仲がいい、というのが祐一の二人への初感だった。



 「けど、意外よね」

 「香里、何が意外なの?」

 「確かに沢渡先生に人が集まるのはわかるけど…………相沢君のところに来ているのはあたしたち三人だけでしょ?」

 「あっ、そういえばそうだね」

 「まっ、俺は騒がしいのは苦手なんでちょうどいいけどな」

 「おいおい、転校生がもてはやされるのは転校初日だけだぞ?そのチャンスを自ら捨てようというのか?」

 「いいんだよ」

 「…………ふーん、相沢はそういうタイプってわけか」

 「潤君、タイプって?」

 「俺と北川が同じってことさ…………なあ、北川?」

 「…………まあな」

 「「 ? 」」



 ハテナ顔全開の名雪&香里に対して、苦笑する北川とどこか達観した表情の祐一。

 彼らは―――――否、彼女らは気付かなかった。















 そんな四人を嬉しそうに―――――そして悲しそうに見つめる真琴の瞳を。

 そして彼女とは全く違う感情で見つめる一人の男子生徒の視線を。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 あとがき


 今回で美坂チームは登場です、といってもかなり風変わりしていますが…………
 香里はあまり、というかほとんど変わりはないです。
 問題は残りの二人…………なんと北川と名雪が従兄妹です!
 名雪の『潤君』はともかく北川の『なゆ』は違和感が出まくりです(汗)
 我ながらとんでもない設定にしたなあと思ったり。
 っていうか名雪と北川を従兄妹にするなんざ誰もやったことないかも?
 二人とも性格的な部分には変更はありませんが…………北川がちょっと(?)変わっているかも知れません。
 なんせ彼には今回のSSでは目立つ話が用意されていますしねー、四つのうちの一つに。
 ちなみにこの話の北川は香里に好意を抱いていません(笑)