冀州・ギョウ城に入場した高句麗王・位宮の目に映ったのは、交渉を通じて思い描いていたものとは異なる状況と、それに対応する袁家の謀臣の内、ある人物が有している場違いな程の余裕であった。
前者について位宮は、
──これは旨旨(うまうま)と謀られたか。
と思わないでもなかったが、その心中は教経とは異なり、ある種の清々しさの様なものを感じていた。
位宮が此処へやって来たのは、沮授との交渉において後れを取ったが故である。
袁家が置かれている状況を位宮に悟らせぬよう苦心して折衝に当たり、そして遂にそれを悟らせること無く使命を全うした沮授に対して感心する処は大いにあっても、これを苦々しくのみ思う程位宮は器量に恵まれていない訳ではなかった。
抑々位宮自身にしてからが情報収集をしていたにも拘らず、実情を読み違えていたと云う落ち度がある。
それを棚に上げ、文面や使者から聞いている話から想像できる状況と実情とが違う事に目くじらを立てると云う事は、取りも直さず己の器量の底を露呈するような気がしたし、自身の器量は中華においても上から数えた方が早い位置にあると云う自負がある位宮としては、そう云った対応を取る事は出来なかった。
そんな事よりも位宮の気を惹いたのは、周囲が慌ただしく、また切迫した雰囲気であるにも拘らず、一人泰然とした雰囲気を醸し出している謀臣の存在であった。
麗皇帝である袁紹との謁見を形式通りに終わらせた位宮は、自らを歓待する宴にてその謀臣の名が、郭図であることを知った。
宴席上で軽く目礼を交わした程度の面識しかないが、その席上でも郭図の様子は泰然としていた。
今味方が置かれている状況で泰然と、悠然とした雰囲気を醸しているのは異様と言って良い。
置かれている状況を考えると、追い詰められて精神に異常を来しているか、はたまたこの状況を覆す策をその胸に秘めているかの何(いず)れかであろう。
郭図を捕まえて会話をすることでその余裕の原因を掴む機会を欲していたある日、位宮が城の中庭を歩いていると人通りの少ない庭の外れに郭図が佇んでいるのを発見した。
その足元に傅(かしず)いていた男がチラリと此方を確認した後、そそくさとその場を立ち去ったことから考えて、細作の報告を受けていたのであろうと目星を付ける。
丁度良い機会を得たとばかりに、位宮はそのまま郭図の居る場所へ歩を進めて声を掛けた。
「郭図殿……と申されたか。宴席では直接会話させて頂く機会もなく、失礼した」
「これは高句麗王が御出座(おでま)しとは、気が付かずに失礼致しました。
左様、郭図で御座います。
記憶の端にでも留めておいて下されば幸甚に思います」
突如乱入してきたに等しい位宮の挨拶に、郭図は何の動揺も見せずに軽く挨拶を返してくる。
──やはり並の人物ではないな。
初めて袁紹に謁見した際にその体貌から感じた余裕のある雰囲気。
宴席でも変わらずに感じていたその雰囲気を、今この瞬間も感じている。
それと同時に、己に対する絶対的な自信のようなものを感じた。
『記憶の端にでも留めておいて下されば幸甚に思います』と云うその殊勝な言葉の裏に、忘れられるものなら忘れてみろと云う強烈な自負があるように思われるのだ。
「心にもないことを申されるな」
「さてはて、私は思った通りの事を口にしたまで」
「ふむ……では、そう云う事にしておこう」
位宮はそこで一旦言葉を切って、話題を転じる。
「私が耳にしていた話とは異なり、味方は苦境にある様子。
皇帝陛下の謀臣としては気の休まる暇も無いのでは?」
「左様……中々に気苦労が絶えず、参っております」
位宮の問い掛けに、郭図は首を横に振りながら肯定の意を表した。
──ふむ、否定しなかったか。
気の休まる暇がない、と云う発言もそうだが、郭図が袁紹の『謀臣』である事を否定しなかった。
だが、皇帝の謀臣であるはずの郭図の名を、位宮はギョウにやってくるまで耳にしたことは無い。
沮授を知って以来、袁家の中で先ず人物と言って良い者の情報を収集してきたが、その中で頻繁に出てきたのは『諸葛亮』と云う名であり、郭図と云う名ではなかった。
これまでの態度と今面語している印象から、位宮が郭図も人物──それもかなり上等な部類の──であると判断しているにも拘らず、その名前が表沙汰になっていない。
位宮はその事に強い違和感を抱いていた。
もう一度、郭図を確りと見据える。
郭図のこの余裕のある態度は、根拠のない薄っぺらなものではなく、この先の戦略を確りと描けているからこそ生じる余裕のように感じられる。
己の人を見る目が過っているとは思えない位宮は、
「参っている、と申されるが、先の展望は確りと読み切っておられるように見えるが?」
と、鎌をかけた。
それに対して、
「……何を根拠にそう思われるのですかな」
と応えた郭図の反応で、位宮は自分の推量が過っていなかったと云う確信を得た。
「余裕がありすぎる。
味方が不利な状況を覆すだけの策が、卿の胸の内にあると見た」
そう言い切った位宮を、郭図は一度まじまじと見つめた後、フッと息を漏らして、
「王よ、回天の策は『諸葛亮』の胸の内にあるのです。
私の胸の内にはとてもそのような策が秘められているとは申せません」
と言った。
『諸葛亮』。
郭図が口にしたその名前は、良く耳にした名前である。
沮授や、目の前にいる郭図など問題にならない程に優秀な知恵者として。
しかし謁見の際に目にした『諸葛亮』は、その冠に『大軍師』等と云う大層な形容詞が付いている割には、切れ者特有の張りつめた空気と云うよりはむしろ追い詰められた者が持つある種の焦燥感を感じさせる少女であった。
あの様子では普段通りであれば見落とすこともない事を見落とすこともあるだろう。
中華に比すれば規模が小さい話になるとはいえ、高句麗の王として多くの人と接してきた位宮に、そう思わせるだけの危うさがあの少女には見えていた。
その少女の事を、何故ああも盲目的に信じることが出来るのか、それが位宮にとっては疑問であった。
「卿よ、卿の言うその『諸葛亮』、私の目に映ったアレは……」
「アレは?」
「国の命運を委ねるには危うい、と見えたが?」
麗の人間全てから絶対的な──むしろ盲目的なと云った方が良い──信頼を寄せられている相手に対する疑問を呈した位宮に対し、通常であれば良い気がしないはずの郭図は、しかし機嫌良さ気に口の端をやや吊り上げて薄く笑っていた。
「危うい、か」
そう口にした郭図の口調は、先程までの慇懃なものではなく、位宮と対等に話をしようと云うものであった。
そして位宮にとって、その態度の方が今までの態度よりしっくりと来るものがあった。
「それが本来の卿の口調という訳だ」
「まあそうだ。
孔明が危うい、とこの短期間に見抜いたその眼力、辺土とは言えやはり王と名乗るだけのことはある」
国で一番の知恵者が危ういと云う認識を、郭図も持っている。
にも拘らず、郭図の態度には未だ変わらぬ余裕がある。
それは即ち──
「『諸葛亮』を裏で操っているのは、卿か」
それに違いないと確信して、位宮はそう口にする。
その位宮の確信に基づいた発言を聞いて、郭図は声を上げて嗤い始めた。
「何が可笑しいのか」
気分を害された位宮が、郭図を詰問する。
「これを笑わずして何を笑うと云うのだ。
先程から王が言っている通り、孔明が危うい事は事実であろう。
だがその事実を、袁家の内に居る者達は見ようとしていない。
器量で言えば沮授も田豊も気付いて然るべきであるにも拘らず、だ」
言いながら、郭図が位宮の目を覗き込んでくる。
その貌に嘲りの色は無く、寧ろ感心している様子であった。
「そんな中、他国の王は孔明の危うさを見抜くことが出来た。
──自国の危うさを、自国に朝貢する立場にある国の王から指摘される。
袁家に仕える者としてはどうかとは思うが、これほど笑える事はあるまい。
袁家の者共は、正しく盲者と呼ぶに相応しい。
何と、そうではないか」
「答えになっていない。
卿は明らかに、『裏で操っている』と云う発言を笑ったではないか。
その言の何処が可笑しかったのか、それに答えて貰おうか」
詰め寄った位宮に、郭図は若干鼻白んで、
「ふむ、短気な御仁よ。
物事には表の面と、裏の面とが存在する。
その物事の裏を表にすると、却ってみすぼらしくなってしまうものだ。
裏は裏のままにしておくのが良い」
と答えた。
「何を言っているのか、今一つ理解に苦しむな」
そう言った位宮に対し、郭図がその場を立ち去るべく一歩足を進めながら、
「ではこう言おう。
孔明は危うい。それは間違いない。
『諸葛亮』は健在だ。今のところ先の事はきちんと見通せている。
そして、これらの言は問題なく両立する。
……私が言っていることの意味が、王には分かるはずだ」
と言い残し、そのまま郭図は城内へ歩いて行った。
これ以上言葉にするつもりはない。
郭図の態度が、そう位宮に告げている。
そして位宮としても、今の郭図の発言で十分に理解出来たつもりであった。
少なくとも郭図にとって、孔明と『諸葛亮』とは、常に同じ人物のことを指し示す言葉ではない、と云うことを。
そして恐らく、『諸葛亮』と云う言葉が指し示す複数の人物の内の一人が、郭図自身であろうと云うことを。
その理解が位宮に何を齎(もたら)すのか、それは誰にも分からなかった。
袁家からの宣戦布告の後、そう時を置かずに平家が動き出した。
洛陽の執務室で細作からそう報告を受けた朱里は、今回の対応について、少々早まったかも知れぬと思っていた。
交渉が決裂すれば当然決戦に向けて動き始める筈だとは思っていたが、即座に動き出せるほど周到に準備が為されているとは思っていなかったのだ。
提示されていた条件から、平教経は本気で袁家の降伏を受け入れるつもりであると推測していた。
だからこそ、袁家を刺激せぬ為にも戦の準備を推し進めるようなことはせぬだろうと、そう考えていた。
だが現実には、袁家に謀(たばか)られたと公言し、即座に軍に召集を掛けて戦に邁進(まいしん)している。
──見通しが甘かった。
そう、朱里は苦々しく思う。
佯降の策で時間を稼ぐことを決めた後、平家と決戦する為に必要な準備を整えてきた。
その甲斐あって、物資面ではかなり立て直すことが出来ている、と朱里は判断している。
新たに徴兵した兵の練度を、最低限度ではあるにしても上げることが出来ており、また烏丸から馬を融通して貰った事で軍馬も質量共に充実を見せていた。
糧食に関しても金を投じてかなりの量をかき集めてあり、向こう半年困窮することは無いと見ている。
しかしその一方、徐州を守りきったことに端を発する慢心は、一向に払拭出来ないでいた。
慢心と云うその文字通り、事は心の問題であり、それゆえに真っ当な手法では劇的な改善は望めない。
これが袁家の兵達だけであれば、厳しく統制をし、見せしめに何十人か縊(くび)り殺せば、まだ決戦には間に合ったかも知れない。
だが、既に袁家の兵に、烏丸と高句麗の多数の兵を加えてしまって居る。
新規に合流してきた兵達の士気を揚げる為に、現状をそのまま正しく伝達することは出来ない状況であったし、慢心気味である袁家の兵達を引き締める為に重罰を与える様を、彼らの目に入れる訳には行かなかった。
それをすれば、烏丸は兎も角として、高句麗は間違いなく戦場で裏切りを働くだろう。
何故重罰を科せられたのかと調べる過程で、彼らが話に聞いている内容とは全く正反対の状況が目前にあると云う事を知る訳だから。
だがしかし、今この時点で宣戦を布告するより他に途は無かったではないか、と云う思いも朱里の胸の内には湧いてくるのだ。
慢心を穏やかに時をかけて払拭することが出来る状況であったとしても、時を置けばそれだけ平家が充実することになったはずだ。
そこで発生する力の差がどれ程のものになるのか、正直に言って予測が付かない。
現状であれば、彼我の間にある力の差と云うものを踏まえた上で戦略を立てることが出来るが、時を置いてしまえばそれは叶わない。
いざ戦わんとした時に、朱里が画餅を、即ち端から話にならない戦略を描いて満足しているだけ、と云う状況になってしまったとしても不思議ではないのだ。
だから、仕方が無かったのだ。
これが最も勝算の高い戦略である事は間違いない。
──過ぎたことを考えるは止めよう。考えるなら、この先の事をこそ。
そう思い、朱里は目の前にある卓に向かい直る。
その卓の上には中華の地図があり、その地図の上には白黒二色の駒が配置されている。
言うまでもなく、一方が袁家で一方が平家であった。
それぞれの駒は、地図上で対峙していた。
エン州、青州、并州、そして冀州。
その四州に袁家の駒がある。
それに対する平家の駒は、司隷州、荊州、揚州に。
それは大兵を以て、同時に、三方から侵攻する構えであった。
朱里は、自らが平家の軍師であると仮定して今後の戦略を考え、平家と袁家がぶつかるとすればこの形しか有り得ないと判断した。
戦場で痛手を受けることが有ったとしても、戦全体として勝利する事を考えた時、この形が最も効率よく勝つことが出来ると判断したからだ。
例えば、平家が組織しうる全兵力を一点に集めて侵攻する事を考えると、大兵故に思うように身動きが取れず、後手後手に回った結果損害が大きくなる可能性が高い。
大兵を待ち受けるのは、平家軍より少ないとは言え二十万を越える軍であり、地の利を得た軍である。
難所で道を塞いだり、河畔で策を以て急襲したりと自由に動き回られると厄介だ。
ただ、厄介だと言っても実際には兵力差がある為、平家の勝利は揺るぎようがない。
兵力を集中的に運用する事自体は兵法の常道であり、それに則っている以上付け入る隙が殆ど無い為だ。
出血に構わず軍を遮二無二進められれば、如何に善戦しようとも最終的には兵力差に押されて城下の盟いを為すことになる。
──だがそれでは平教経は面白くない、物足りないと感じるに違いない。
朱里はそう思うのだ。
損害が大きくなると知りつつ、それが最も確実であるからと云う理由だけで平教経がその策を採るかと考えれば、彼の気性を考えると有り得ない選択だと言える。
もし彼がそれを選択するとすれば、『これ以外に有効な策が存在しない』と云う理由が合わせて必要になるだろう、と朱里は見ている。
それから比べると、兵力を分散して有能な家臣たちに軍を統御させ、一気呵成に攻めたてる策の方が理においても情においても優れていると言えるだろう。
比較的小回りの利く集団に、そして連携しやすい集団に分割することで、集団としての敏捷性と一体感を保ったままで、複数の州に圧力を同時に掛ける。
誰もが思い描くであろうが、誰にでも出来る用兵ではない。
各方面軍の中核をなす優れた武人と、それを統御する有能な将と、それらを補佐する知嚢と、そして全てを束ねることが出来る器量を持った主君とが必要だ。
また、この軍事行動を支える為の物資も欠くことが出来ない。
だが、平家にはそれら全てが揃っている。
加えて、一つの戦場でぶつかり合う兵力が全兵力を纏めて運用した場合よりも少なくなる以上、与える損害も受ける被害も桁が少なくなるのは自明のことである。
つまり人死にを少なくすることが出来ると云う利点がある。
袁家がその戦略に対応するには、平家軍と同等の質と量を持った軍が必要だ。
しかし現状、袁家と平家との間には確かな質量の差があった。
この戦略で、間違いなく袁家を覆滅させるに足るだけの国力差がある。
袁家の軍師として彼我の戦力を分析する朱里自身がそう思うからこそ、きっと平教経は此方の方策を採用するに違いないと考えている。
その平家に、如何に対処するべきか。
それだけを考えて、朱里は此処までやって来たと言っても過言ではない。
虚言を弄して時間を稼ぐことを決めてから、きっとこうなるに違いないと思い定めて、ずっと考えて来た事であった。
その結果が、卓上の布陣である。
袁家としては、本領である冀州を中心に防衛線を張るべきだ。
冀州から離れれば、補給線の維持に余分な兵力を割かねばならない。
それが許される程彼我の兵力差が小さくない以上、冀州を中心として禦ぐことを考えなければならない。
揚州からの遠征軍は、徐州と青州制圧を目的とするのは間違いない。
これに対するに徐州では難しいだろう、と朱里は考えている。
占領してから日も浅く、陶謙を使えるだけ使って都合よく切り捨てたことを、見る者は見ているだろう。
袁家に心を寄せている者達は、袁家が利を喰らわせている者共であり、手に入れた権なり金なりを保持したいが為に従っているに過ぎない。
利害を鑑みて味方してきた者は、利害を鑑みて裏切る。
そう思えば、徐州で平家を禦ぐ事は出来ない。
──だから、徐州は棄てる。
朱里はそう決めている。
揚州からの軍勢は、青州で迎え撃つのが良い。
元々北半分は袁家の勢力圏であったし、冀州からも近い。
地の利を得ることが出来、しかも人心も得ている。
これを突破するのは中々に骨が折れるだろう。
宛からの軍勢は、河水を盾として黎陽(れいよう)を中心に据えて迎え撃つ。
陳留など、エン州の中核都市周辺で迎え撃たない理由は一つ、曹操が兵を率いて攻伐に出向いてきた場合、地の利が然程得られないからだ。
それだけでなく、戦の最中にエン州で徴兵した兵達が造反する可能性すらある。
それと比べれば、黎陽には堅固な防禦陣地を構築させてあり、ここでならやり様によっては勝てるはずだ。
前面に河水を備えているが、上流で水を一部堰き止めさせてあり、これを時機を見て放流することで渡渉中の平家軍に痛手を与えてやる事も可能である。
エン州と冀州の狭間にある場所であるし、補給も容易い。
これだけの条件が揃った場所はそうは無い。
平家の優勢は覆らないかも知れぬが、十二分に戦うことが出来る。
そして召の国都・長安からの軍勢。
洛陽攻略を目指してやってくるであろう平家軍と、ベン池で対峙する。
ベン池は河水と洛水に囲まれた平地であり、函谷関からやってくる敵を待ち構えて戦うに適している。
洛陽からそれなりに離れた距離にあり、平家軍と決戦を行う際に然程後方を気にしなくても良い。
洛陽で何かあったとしても、直ちに軍に影響を与える程のことが起こり得ないと云う点で、似たような立地条件であるが洛陽をそのすぐ背後に抱える新安よりも迎撃に向いていると言える。
最後に、これら三軍を後方から支援する形で、総予備として袁紹率いる本隊を本拠たるギョウに配置する。
今回この戦略を採るに当たっては、麗皇帝たる袁紹の御前会議において、朱里は初めて公衆の面前で、はっきりそれと分かる形で自説を押し通した。
他者の意見を聞き入れることもなく、こうしなければならない、と冒頭から発言し、その後の話の流れを決定付けたのだった。
今までそうしなかった朱里が、今回敢えてそうした理由は、これが最後の戦いになると考えているからであった。
平教経を殺すにせよ朱里が殺されるにせよ、天下の覇権はこの戦で決まるのだ。
その最後の戦いを自分の意に染まぬ形で進めなければならなくなる可能性は、たとえ僅かであるとしても排除しなければならない。
此処まで朱里がやって来た事、その全ては、この戦を自分の思うが儘に行う為であるのだから。
平家とは短期決戦すべきと云う朱里の主張は、田豊や沮授の口添えもあって朱里の望み通りの形で採用されたが、もし朱里が最初から自説を披歴しなかった場合、その後の展開が同じようになったとは朱里には思えなかった。
郭図や審配は持久戦を展開して時節を待つことを主張していたし、性格的には田豊や沮授もそちらに靡いてもおかしくは無かった。
が、二人は朱里の案に同調して論陣を張り、その結果として朱里の主張が主流を占めるに至ったのだ。
田豊らが郭図達に同調しなかった理由は、偏に朱里への恩返しであった。
二人も手堅く持久戦を展開すべきであると考えてはいたが、命を救われた恩と、実際にはそのようなことは無かったが、袁家を優先した結果として親友と決別せざるを得なかった朱里に対する申し訳なさとにより、一度だけ袁家より朱里を優先しようと心に決めていた為に朱里の案に賛成したのであったが、当然朱里はその事を知る由もなかった。
とまれ、朱里は自説を採用させることに成功した。
後は結果を──そう、出来得れば望ましい結果を──出すだけである。
朱里は最も早く平家とぶつかる事になるであろう、そして恐らく平教経と直接やりあう事になるであろう、ベン池を受け持つ心算であった。
配下として、張コウ、トウ頓、ジ須を引き連れて行く。
烏丸の先の単于、そして高句麗の王弟を引き連れて平教経率いる平家軍と戦う事で、烏丸と高句麗の政治的退路を断ち、袁家と謂わば運命共同体を形成させることが目的である。
事が朱里と平教経の間だけで決着する問題であれば、このような手配を考えもせず唯只管に戦うだけで良いが、朱里が敗死したとしても袁家は平家と戦い続けなければならないのは目に見えている。
その際に、少しでも手駒として使える駒を用意しておく程度の配慮をしておかなければならぬと思う程度の義理や申し訳のなさが、少なくとも田豊と沮授に対してはあった。
袁家存続だけを考えるなら、此処で短期決戦を仕掛けるのは最善の策とは言えない。
専守防衛に徹し、平家と争わずに勢力を拡大する道を探るべきである。
具体的には、遼東を、そして今味方として参じている高句麗を下して平家と等しい地力を付けつつ、扇動、調略、暗殺等平家領へあらゆる謀略を仕掛ける。
決定的な場面を出来るだけ避け、のらりくらりと攻勢を鈍らせ、また躱し続けて、自陣の強化と云うよりは寧ろ相手の失敗に依って優位に立てる秋を待つ。
長久の策を採るならば、そうするべきであろう。
恐らくはそれが分かっているであろう二人が、それでも敢えて朱里の策に同調して論陣を張ったのは、この期に及んでも尚朱里が袁家で孤立せずに済むようにと云う心遣いからであろうと朱里は思っている。
此処まで朱里が袁家家中で、心情的には兎も角、立場的に孤立せずに済んだのは、偏に田豊、沮授の両名が朱里の立場を慮(おもんばか)ってくれたからである。
彼らのその心配りは、純粋に朱里の心理的負担を心配してのものであった。
無論、朱里がそれを頼んだ訳ではない。
だがその一方、今回の朱里の策が袁家の為ではなく自分自身の為に建てた策であったとしても、そして結果として朱里が負けてしまったとしても、後に遺される袁家なぞ知ったことではないと思い切ってしまうことが出来る程、朱里に寄せられた彼らの純粋な好意を無碍に扱うことが出来る程に、朱里の感情は涸(か)れている訳ではなかった。
それ故に、本来なら政治的な配慮などしないところを、敢えて烏丸と高句麗を巻き込む形で決戦するのだ。
万が一自分が負けてしまった時に、最低限彼らの器量次第で何とか出来るだけの環境を遺しておいてやろうと云うのであった。
そして、これから行われる決戦について、これ以上の譲歩をするつもりは朱里には無かった。
平家が徐州とエン州のいずれかから侵攻を開始し、最期の最後、冀州陥落目前と云う最終局面になってから平教経が長安を発することもあり得る。
だが、朱里には冀州を救援するつもりは毛頭ない。
朱里ひとりの器量に及ばない主君とその郡臣など、滅びると云うのであれば滅びてしまった方が良い。
朱里がその目的とする処は、新時代を自分の手で創り出す事であった。
袁家が残っていようといまいと、朱里が平教経を超越することが出来れば、新時代を創るのは他の誰でもない朱里自身となる。
であれば、その辺りから適当に御落胤なり何なりを創り出し、それを上手く使用して新時代を作り上げ、用が済めば処分してしまえば良い。
『導き出される結果が大切なのであって、過程などどうでも良い』。
郭図がそう言い、そして民を害さんとした結果、平家に対する勝利を得た。
朱里がそれを積極的に望んだ訳ではなかったにせよ、既にその修羅道とでも言うべき道に足を踏み入れて結果を出した以上、今更綺麗事に拘る心算はない。
そして、朱里の考えに依れば、それはそう云った戦略を考案し、実行する家臣を有する袁家自体についても適用されるべき事である。
自分達が主体的に他者を切り捨てるのは許されるが、他者から切り捨てられたくはないし抑々その様なことが許されるはずがない、と考えているのであれば、それは甘いと言わざるを得ない。
極めて個人的な話に限定されてしまうが、朱里は自分が袁家に使い捨てにされる覚悟は疾うに決めている。
であれば、袁家も朱里に弊履(へいり)の如く扱われることを覚悟して居なければならないだろう。
少なくとも朱里にとっての、朱里と袁家との関係においては、それは絶対的前提条件であった。
個人的な感情として田豊や沮授に対する返礼をしつつ、時流を創り出さんとする者としては袁家を切り捨てる前提で動いている。
傍から見れば矛盾していると言われるかもしれない事をしている朱里は、しかし己の中では整合性が取れている心算であった。
朱里が為すべきことは、平教経の息の根をその手で止めることであった。
そうして初めて、朱里が望む世の中を創り出すことが出来ると、そう信じていた。
袁家であれ、袁紹であれ、劉備であれ、そして朱里自身でさえも、切り捨てて構わないと、そうはっきりと割り切っていたのだ。
『自分を救ってくれた桃香様』の、理想とする世の中を創る為ならば。