〜霞 Side〜

人を放って袁家の動静を探っていた瑛から、袁紹軍が弘農に侵攻したと報告を受けた。

袁紹軍の総勢は70,000。それに対する月達は32,000程度。兵数では完全に負けとるけど詠が付いとるし、そう間違った選択をすることもないやろ。函谷関まで退いて来れば問題なく対処できるのは分かっとるやろうしな。ただ、万全を期すために、迎えの兵を派遣しとくべきかも知れへん。多くの民を引き連れて撤退する以上、どこかで袁紹軍に追い付かれる可能性もある。

もし追い付かれた場合、民を護りつつ袁紹軍と戦いながら撤退することになる。言葉にしたらあんまり大したことがない印象を受けるけど、その実同時に三つのことをやろうっちゅう訳や。それは流石に骨やろう。ウチが兵を率いて袁紹軍を牽制する役目を果たしたら、月達に掛かる負担が一つ減る。それを独断でするだけの裁量がウチには与えられとる訳やし、此処は月を援護する為に兵数を整えて追撃部隊の牽制に回ってやろうやないか。

「ウチはそうしよう思てるけど、アンタはどう思うんや?」

報告を上げてきた瑛に、水を向けてみる。朔の処に居る焔耶と一緒に、独断専行して白連討伐を招き寄せた。その後焔耶とは別れて華琳の処に預けられ、南蛮遠征前にウチの参謀にと経ちゃんの鶴の一声で配属されてきた。

経ちゃんが言うには、瑛には申し分のない才能が備わっているらしい。でも自分の策の出来栄えに酔うようなところがあり、そういう処が無くなれば安心して仕事を任せることが出来るっちゅうことやった。瑛を側に付けて色々と使っとった華琳は違うことを言うとったけどな。まあ今回の配属は、亞莎の時と同じくウチに付けて何かしら学ばせようっちゅうことか、それともウチにこの娘を見極めさせようとしとるんか、兎に角何かしらの魂胆があるんやろう。

「……即座に兵を出されますか?」
「いや。そうは思うてへんよ」

即座に飛び出しても状況を把握しとる訳やないし、今率いて行くことが許される数を率いて出撃して月達と合流したとしても、相手の兵数によっては合流してもせんでも結果が同じっちゅうことになりかねへん。経ちゃんがこっち方面を危険視しとったのを受けて風が独自に工作した結果、羌族の連中で月に恩義を感じとる人間が鉄騎を編成し、長安を目指して移動して来とる。そいつらと合流して弘農を目指すのが良いやろ。

「ウチは必要にならんかったらそのまま経ちゃんに会うて帰って貰たらエエっちゅうつもりで居ったけど、風の言うとった通りの展開になったみたいや。この件は風とウチ以外には百合と華琳しか知らへん。どこにも漏れて無いやろうし、向こうの把握してない兵力が目の前に展開したら、何ぼ阿呆でもちっとは慎重にならざるを得ん。せやから、羌族の連中が合流するのを待ってから進発しようと思うとる。それやったら経ちゃんに狼煙?で連絡して、許可を得てから行動を起こすことも出来るしな。何か問題あるか?」
「あると思います」
「どこに問題があるんか聞きたいトコやけど、それより自分ならどうするんかを聞かせて貰おか。主将であるウチの案にケチをつけるんや、腹案は当然あるんやろ?」
「……ここは今率いて行くことが許される兵を全て伴い、董卓様を援けるべきです」
「理由を聞こか」

瑛が話し始める。

こう云う時はまず最悪な状況を想定して行動すべきだ。この場合のそれは、既に月達が敵軍に捕捉され、戦わざるを得ない状況に追い込まれているというものだろう。そして敵軍は60,000強、即ち二倍の数を揃えていると仮定するべきだ。

月達が率いている兵は32,000。その内民の誘導と警護に専念する兵として3000〜5000を要すると考えると、何かあった時に戦える兵数は27,000〜29,000になる。元々月に付き随ってきた涼州兵と、経ちゃんに従うことになった匈奴兵がその配下に居ることから騎馬の数が軍の規模に比して多い。袁紹軍の編成が今まで通りであったとすれば、騎馬の数は月達の方が多いと思われる。騎馬の機動力と突破力を有効に活用出来れば一時互角の戦は展開出来るかもしれないが、何れ兵力の差が戦況に色濃く反映されるようになる。

「戦うとなった場合、状況から考えると一撃して敵軍を乱し、後退する以外の策は取り得ません。それ以外の策は賭けるモノが大きすぎます」
「月んトコには詠が居るんやで?」
「だからこそです」

詠が優秀であればこそ、戦と云う物は結局数が物を言うことを知っている。如何に士気が高かろうとも、倍する敵を相手にして正面からぶつかり合うだけでは、時間が経過すればするほど相手に優位な形を作られやすくなるだろう。逃げ場が無く、此処で全てを決しなければならない状況ではない。この切所を切り抜けることが出来れば先は拓けていることを知っているのだから、策を以て敵の虚を撃ち、然る後に後退することを考えるはずだ。

但し、虚を撃ったからと言ってこちらが望むほどの損害を相手に与えることが出来るとは限らない。月達の手札を考えると撤退さえ出来ないという状況は考え難いので、次に想定すべき最悪の状況とは即ち一撃したがすぐに追撃を受けているという状況であるべきだ。

だから鉄騎を待って整然と合流を目指して移動するのではなく、今この瞬間率いることが許されるだけの兵を率いて即座に支援行動を開始するのが最良の策である。

「10日後に出立する20,000の鉄騎より、今出立する5,000の軽騎こそが求められるのではないでしょうか」
「アンタはウチに独断専行せえ、ちゅうとる訳やな?」
「そうです」
「自分、一遍それで失敗しとるんとちゃうんか。白連が今の境遇に落ち着いたんはアンタらのせいやろ」
「……そうです」
「それでも独断専行せえ、ちゅうんやな?」
「はい」
「理由を言うてみ」
「純粋に軍事に限って考えると、今回のことで平家の屋台骨が揺らぐようなことはありません。その意味では、平家としては差し迫った状況にはないと言って良いと思います。ですが、董卓様としては差し迫った状況にあるのではないでしょうか。董卓様の傍には詠様もいらっしゃいますが、詠様は自分一人の身の安全を図って逃げ出すようなことはされないでしょう。むしろ逃がそうとされても逃げない公算が高いと思います。最悪の場合、召は皇帝の夫人を殺される、という無惨な結果が齎されます。
高順殿から話を伺った限りでは、陛下は理の人でもありますが、より情の人であると言えると思います。その陛下が、掛け替えなく思って居る女(ひと)を殺されて黙っているとは思えません。報復が行われることは間違いありませんが、問題はその報復の仕方にあります。まず間違いなく未だ嘗てない規模の兵を以て、情けや容赦が寸毫も入り込む余地がない程苛烈な戦を仕掛ける事でしょう。罪を特定の人間に限って背負わせ、これを処刑するならば問題ありませんが、不特定多数に対し、関与の如何を問わずしてその非を鳴らし、これを戮殺するが如き真似をすれば、天下の輿望を喪うことに繋がりかねません。その害が何ら与り知らぬ兵にまで及ぶのであれば尚更です。敵の兵とは即ち将来慰撫すべき民ではありませんか。必要な犠牲は兎も角、本来不要であろう人死には避けるべきです」

確かに、もし詠が死ぬようなことになったら、経ちゃんは復讐に狂うかも知れへん。この乱世にあって珍しいことやと思うけど、経ちゃんは自分が親しく付き合っとる人間を戦で亡くしたことが無いはずや。もし詠を奪われたら、我を失ってもおかしないし、そうなったら何を仕出かすか分からへん。

「ですから、兵を今すぐ派遣すべきです。順調に撤退出来ているならそれで良し、小心に過ぎるということで私を罰すればそれで事足ります。平家の優位は変わらず、輿望を失うようなこともなく、今皆が描いている通りの展望が開ける事でしょう。ですがもし今述べた通りの状況になって居たなら、最早後はないと思うべき状況です。
傳説も『これ事を事とする。即ち其れ備え有り、備えあれば患い無し』と言っているではありませんか。逆鱗に触れさせるようなことが有ってはなりません。霞様には、私に令箭をお与えになり、兵を率いて支援に向かわれますように。私は此処に残って到着予定の鉄騎を待ち、再編し、送り出して後付近の安寧をテイ族と協力して確保致します」

瑛はそう言うた後、口を噤んでジッとこちらを見つめとった。後はウチの心積もり次第っちゅうことやろう。ウチ自身の考えを纏める為に、瑛の発言を思い返してみる。

自分の才を恃んでそれに溺れとったか?
───いや、そんなことはない。どこにも自分なら出来るっちゅう驕りは感じられんかった。何より、自分自身は此処に残るっちゅうとる。功名に逸っての発言やない。

虫のエエ考えをしとったか?
───それもない。想定しとったのは最悪の状況。策は、それを切り抜ける為に必要やと思われる、今から間違いなく出来る範囲での対処を基に計算しとる。地に足の着いた考え方をしとった。

此処は今すぐに月を援けに出立した方が良さそうやな。

ウチの考えは決まったけど、どうせならこの機に瑛の性根を見極めときたい。国の為を想うなんぞ、口先だけなら何とでも言える。ウチが自分の考えに固執した時に、果たして瑛はどうするやろか。適当に抗弁してそれで終わりっちゅう程度なら、瑛にはその程度の器しかない。

例え才に溢れとったとしても、それを容れる器が小さかったとしたら、溢れ出る才はその器から溢れ出して己と周囲とを濡らし、終には溺れ死なせることになるやろう。そしてその時を抜き差しならない場面で迎えるとしたら、取り返しのつかへんことをやりかねへん。それは迷惑極まりない。せやったらここで確かめさせて貰うっちゅうのが一番や。確かめて、不足が有れば経ちゃんにそう伝える。経ちゃんが考えを改めることが出来へんのやったら、最悪ウチが処分してもええ。

「……アンタが言うたことは良う分かる。でもそれは予測に過ぎんやろ?せやから此処は当初の予定通り、鉄騎を待って出立することにするわ」
「霞様!」
「主将たるウチが決めたことや、従って貰おか。従えへんならウチにも考えちゅうもんがあるで?」

飛龍偃月刀を瑛に突き付ける。

「霞様、お考え直し下さい。召という国が今後どういうものになるのか、その舵を切る場所に立っているのは霞様ただお一人であると言っても過言ではありません。此処で道を誤る基を創らぬ為に、何としても霞様には出立して頂かなければなりません」
「黙っとりぃ。アンタ、目が無いんか?」

殺気と共に偃月刀を押し出して、首の皮を薄皮一枚切った。ちぃとでも動いたらホンマに死ぬところやったのに、微動だにせんとウチに面を向けたまま諫言してくる。

「『亡国の大夫は以て存を図るべからず』と申します。何れ死なねばならぬなら、今死んだとしても同じことです。弘農を失うことは憂慮するに値しませんが、此処で詠様を喪うことで召は一時的なこととは言え英主を喪います。その喪うであろう一時が、天が陛下に与えた秋でないと誰が言えるでしょうか。いいえ、寧ろその一時こそが、陛下にとって天与の秋であるに違いないと想うべきなのです。天与の秋を掴まぬ者には必ず報いがありましょう。即ち召は黎明にして滅ぶということになりかねません。
霞様、御再考下さい。お腹立ちが収まらぬようであれば、私を処断した後に改めて考えて頂ければ、きっと理解頂けると思います。どうか、お願いします。今すぐ兵を率いてご出立下さい」

まぁ、こんなもんやろ。中途半端な覚悟しかしてへん人間に耐えられるほど、ウチの殺気は甘うないはずや。華琳の言うた通り、ある程度『モノになった』んやろうよ、この娘は。

「アンタの言うことを聞くわけにはイカン……ちゅうのは冗談や」
「そう言わず、御再考を……って、えっ?」
「やから、冗談ちゅうたんや。アンタの言うた通りやろ、ウチもそう思うよ。せやから諫言に従うわ。今率いて行くことが出来る人数は?」
「あ、冗談……え?」
「ほれ、さっさと答えんかい」
「そ、即出立なら5,000という処かと。一刻、いや、半刻頂けるなら8,000で行軍出来るだけの秣と水、糧食を揃えて見せます」
「ほな準備しぃ。ウチは兵に声を掛けてくる……8,000連れて行くで?」
「は、はいっ!必ず揃えて見せます!」

慌ただしく駆け去って行った瑛の後を追って、ウチも部屋から出る。

瑛は詠にだけ言及しとったけど、それだけやったら不十分や。助けるんは詠だけやない。月も朔も恋もねねも、皆助けなアカン。経ちゃんがあの時諸侯を敵に回してウチらに味方してくれたんは、月を助けるためや。その月を殺されて黙っとるはずがない。朔の考え方どころか生き方まで変えさせたんは経ちゃんや。経ちゃんは他人の人生に大きく干渉しといて後は知らへんっちゅうようなことは絶対にせえへん。恋にしてもねねにしても同じことで、経ちゃんの中では完全に身内や。全員、親しく付き合っとる親類みたいなもんや。

瑛は、詠以外の人間を、『郎党』として捉えて物を考えたんやろうけど、経ちゃんの人間性についてもうちょっと考えが足りとらん。悪い言い方をすると、経ちゃんは自分が見知った人間とそうでない人間とを同列に扱えるほど人間が出来とらん。同じ身内やったとしても、『普段から親しく顔を合わせている人間』と『生まれてこの方一度も顔を合わせたことが無い親類』とを同列に扱える人間は中々に居らへん。けど、君主に求められるのはそれらを出来るだけ同列に扱うことやろう。此処で言う『同列』っちゅうのは、親しさからくる態度や私人としての扱いが同じっちゅうことやなく、その才に応じた官を与え、結果について個人的な心情を抜きにして評価するっちゅうような、公人としての扱いを『同列』にするっちゅうことや。当然経ちゃんもそう云うことは分かっとるやろうし、平常時ならそれはきちんと出来とると思う。

せやけど、これが誰かを殺されるっちゅう話になるとちょっと違うてくる。ウチが見るところに依れば、経ちゃんにとっては『顔を合わせたことが無い身内を殺される』っちゅうんと『見知った、家族に等しい人間が殺される』んとは明確に違う。前者を殺されたら当然怒るんやろうけど、悲しみに打ちひしがれてどうにもならないような状況には陥らんやろう。せやけど後者を殺されるっちゅうのは相当に大きな衝撃やろうし、経ちゃんの心に、決して消えることのない傷を残すのは間違いない。そして殺された人間の霊を慰めんとして、その死に関わった全ての人間を殺し尽くすような、極端な結論を出しかねへん。

召の行く末云々について色々と言うとったけど、それよりも先ず、経ちゃんが傷付くことが分かっとるのにそれを放置するっちゅう解は出せへんやろ。それを禦ぐついでに、召の行く末も何もかもウチが纏めて面倒見たろうやないか。自惚れさせて貰えば、ウチにはそれが出来るだけの器量はあるやろしな。















〜焔耶 Side〜

去卑達が敵陣への奇襲に成功したのを受け、ワタシも配下に付けられた者達を率いて敵陣へ躍り込んだ。敵陣の様子を見ると、ある程度予測をしていたのであろう、大混乱はしていないようだ。

「魏延様、どうやら先手は取れたようですが、全てがこちらに都合よく動いている訳ではないようです。如何なさいますか?」

配下の者からそう声を掛けられる。

周囲を良く見渡す。確かに然程混乱しては居ないようだが、此方を誘い込んで殲滅する構えには見えない。何と言えば良いか分からぬが、命を落としかねないという、肌を粟立たせる様な感じを受けない。現状は、こちらの思い通りではないがあちらの思い通りでもない、と言った処だろう。それであれば、混乱をより大きなものにする為に敵中に吶喊するべきだ。

だが、それを行うのがワタシの隊でなければならない理由はない。寧ろ去卑の隊こそがその務めを果たすに相応しく思える。

「だからワタシ達は去卑達の後詰として彼らを支援し、また退路の確保を行う」
「我々が吶喊すれば良いではありませんか」
「自惚れるな」

騎馬の戦において、ワタシ達は去卑達の足元にも及ばない。集団での戦闘であれば然程遜色はないと思うが、個人の技量では比べるのもおこがましいほどに劣っている。見通しの利かない暗闇の中で求められるのは、集団としての練度より個人としての力量であるだろう。徒でなら兎も角、騎馬で馬と共に生きてきた去卑達より優れた戦果を挙げれると思って居るのならそれは思い上がりに過ぎない。任せるに足る僚友が居るのであれば、ワタシ達は彼らがより働きやすい状況を創り出してやるべきだ。博打に使う札は、自分の手札の中で最も間違いのない札でなければならぬ。この状況で最も間違いない札は、去卑達であろう。

「先行する去卑達に合流し、彼らの前進を支援しろ。分かったな?分かったらさっさと人数を率いて征け」
「ハッ!」
「残りはワタシと此処で退路を確保するぞ。この役目が一番重要な役目だ。ワタシ達の失敗は去卑達の全滅に繋がるだけでなく、月様の生死にさえ関わることを知れ」

白連様を護ろうと言っているワタシが、去卑達の退路を確保しこれを護ることが出来なくてどうするのか。全く関係が無い事柄だが、ワタシにはそうは思えなかった。去卑達を護ることが出来れば、白連様を護ることが能うと証明出来るような気がして仕方がなかった。

「敵が来たぞ!此処を奪い返させるな!撃ち払え!」

兵達が喊声を上げて敵を迎え撃つ。ワタシも敵兵を薙ぎ払いながら、しかし戦況を見失わぬよう周囲に注意を払い続ける。

日中戦った相手方の将は、手強かった。武芸の腕は知らない。唯その陣立ては非常に嫌らしいものだった。正面から正攻法で攻めることが一番被害が少なく、かつ最も損害が与えられる。そう云う陣を構築していたのだ。油断は出来ない。見縊る事など以ての外だ。だが、少なくともワタシは日中の陣を確認して、奇を衒えばこちらが殲滅されかねないことを見抜くことが出来た。それであれば、相手の策はワタシの想像を超えることはないだろう。つまり、戦況を注視しておけば、変化する状況が相手の策をワタシに教えてくれるはずだ。





突然、ワタシ達に対する、敵からの圧力が強まった。退路を断とうというのであろう。退路を断とうとしていると云うことは、即ち去卑達が撤退を開始したと云う事に他ならない。その攻め寄せ方も今までとは違って鬼気迫るものがあったが、惜しむらくは兵数が若干不足しているようだ。

「今まで通り深追いはするな!追い払うだけで良い!」

声を張って指示を出す。

当初周辺に居た敵兵の質は低かった。だが、それは恐らく誘いの罠だったのではないか。こちらが歩を進めればあちらは退く。面白いように退いて行く敵に吊られて突出した結果、退路を遮断される。そういう画を描いていたのではないか。

此方に向かってきている兵の質は、序盤周辺に居た者達とは違って高いように思われる。ワタシが振るった獲物に、刃を合わせようと反応出来るだけの力量があった。突然後ろを見せて逃げ出したりしている者も居るが、それは今まで周囲に居た弱兵の真似をしているだけだろう。弱兵であったと思い、放置放念したらばその隙を衝かれて刺殺されると思っておいた方が良い。

何度となく打ち寄せた敵を適当にいなしている処へ、去卑達先行部隊が還って来た。かなり数を減らされているようだ。合流を阻止しようとする敵兵を排除し、迎え入れる。誰の軽甲にもかなりの傷が付いて居り、戦闘の激しさを想わせる。

去卑はワタシに気付くなり破顔して話しかけてきた。

「流石焔耶の姐さん、きっちり仕事をしてくれまさぁ」
「そっちはどうだったのだ?」
「かなりやられちまいましたが、一定の戦果は挙げられたってぇ処でさぁ。序盤は思い通りに蹂躙出来やしたが、中盤で誘引され、終盤に本営近くから叩き出されたって感じですかい。感じていたよりも随分と機敏な反応をされやしたね。あっしの見立てが間違ってやした」
「いや、多分お前がぶつかったのは、ワタシが手強いと感じた部隊だろう。日中お前が相手をしていた隊より、そちらの方が上手だったというだけだ。お前の見立てが間違っていたわけではない。一定の戦果を挙げたと言えるだけの成果はあった訳だし、此処までは想定範囲内と言っても良いだろう。何ら憂えることはない」
「本隊からの支援のお蔭で撤退も出来そうですしねぇ」
「全くだ。敵兵がもう少し多ければ少々厄介な状況になっていただろう。当初の目的も達したことだし、最早此処に用はない。早々に撤退するとしよう」
「もう少しで決定的な成果が出せたと思うんですがねぇ……」
「……欲張るまい。現状でも十分混乱はさせているし、我らが撤退した後軍を再編せざるを得ない状況にはなって居る。確かにもう一撃出来そうな気もするが、それが相手の誘いではないと断言できないし、ここは現状で満足すべきだろう」

第一、お前の目の前にいる人間が、何処で何をやらかしてどういう迷惑を白連様に掛けたのか、聞いたことが無い訳ではあるまい。

そう続けると、『経験者が語ると重みが違いやすねぇ』と切り返された。言葉尻だけを捉えると頭に来ても良さそうなものだが、嘲りも嫌味も感じられなかった為か、そのようなことはなかった。思い返すと苦々しい思いがするのは、恐らく生ある限り変わることはないだろう。だが、あの経験があればこそ、今ワタシは冷静に判断を下せている。

あの経験を無駄にしてはならぬのだ。独善的だが、あの場で命を失った人間が犬死ではなかったのだという証を、二度とワタシが同じ失敗をせぬことで立てねばならぬ。そうでなければ本当に無駄死にであったことになってしまうではないか。状況に流されて自分に与えられている役目を忘れることは、ワタシには絶対に許されないということを肝に銘じておかねばならない。

「ワタシ達が撤退するのを機に、本隊も撤退を開始する。一旦戦場を離脱後、ワタシとお前の隊から人数を選抜し、先ず殿を務める隊を再編する。最初はワタシが率いて征こう。お前は残った人数を率いて休息しつつ、再編を行ってワタシ達と入れ替わりで殿が務まるよう準備をしておいてくれ」
「分かりやした」

思って居たよりも兵を失ってしまったが、此処からが正念場だ。想定通りに撤退できるか否かに占める、ワタシ達の働きは大きなものだ。ワタシ達後拒には、敵に釣り出されずさりとて敵を釣り出さず、と言った、正しく絶妙な進退を行うことが求められる。

ワタシにそれが可能なのか不明だが、事此処に至って『出来るかどうか』などと言って居られない。

「さあ、征くぞ!前面の敵を叩いたら一斉に撤退を開始する!」

ワタシは『やる』しかないのだ。